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白亜の町に死す ドラマツルギー  作者: 若庭葉
第四章:Unknown Recollection
33/42

カサブランカの女

 約二十年前。

 ドラマ『白亜の町に死す』の撮影はつつがなく進行し、クランクアップも間近に迫った頃。その日の撮影が終了し、スタッフや他の役者たちが撤収した後も、天道は一人、鷺沼家の町に留まり続けていた。

 貸し与えられた小さな家の中、ケータリングの余りで夕食を済ませた天道は、その後は両膝を抱えてベッドに座り、何をするでもなく、ジッと動かずにいた。

 一応、この家にも電気は通っており、灯りも点くのだが、天道は敢えて、暗がりを望んだ。窓から差し込む青白い月光が、彼の眼前に見える床やテーブルを照らし出す。

 まるで、世界中が海底に沈んでしまったかのようだ──そんな取り留めのないことを考えながら、天道は待っていた。夜が更けるのを。

「……『人生は、砂の城を築くのに似ている』」

 ふと、呟いてみる。

 ドラマのラストシーン──天道の演じる主人公が、死に行く中で口にするセリフだった。まだ撮影していないシーンの中で、最も重要な部分と言える。

 それなのに……天道は、未だに納得のいく演技を、掴みきれていない。

 他のセリフはどれも、可能な限りホンを読み込み、咀嚼し、自分の言葉(モノ)にできた感覚がある。しかしながら、どうにもこのセリフ、この言葉に関しては、思うようにいかなかった。どれだけ声に出して繰り返しても、嘘臭さがなくならない。

 ──綺麗事すぎる。捻くれ者のクソ親父にしては珍しく、真っ当な『御涙頂戴』だ。

 初めてこの話数の脚本を読んだ感想が、それだった。今までのドロドロとした人間模様が嘘のように、やけに「晴れやかな死」が描かれて、ドラマは幕を閉じる。

 父の書いた話には、他にも思うところが多々あったが……演者である天道が、そんな不満を抱くわけにはいかなかった。どのような形であれ、初の主演、それも鷺沼グループのバックアップを受けた、大仕事なのだ。必ずや、成功させなければ。

「…………」

 天道は、文字どおり今後の役者人生を賭けるような心構えで、この仕事に臨んでいた。それなのに、やはり最後のセリフは自然と途切れ──もどかしさと苛立ちだけが、閉じた口の中に残る。

 結局、大した予習にもならないまま、天道は海底のような部屋の中で、数時間を過ごした。


 天道は、自らの腕にうずめていた顔を上げる。左手首に巻いた時計によれば、午前零時が近い。ちょうどいい頃合いか。

「……行くか」

 自らに号令をかけるように呟き、天道は腰を上げ、ベッドから床に下りる。そのまま懐中電灯だけを携え、水底に沈んだ白亜の町へ、繰り出した。

 天道の目的は、数名のスタッフが噂していた怪談話の真偽を、確かめること。マネージャーである橘や、他の共演者たち、そしてプロデューサーには、そのように伝えていた。

 無論、天道とて、怪談話を本気で信じているわけではない。それどころか、その手の話には、元来関心がなかった。真実だろうと嘘だろうと──間違なく後者であり、かつて起きたという事件から想起された、デマだろう──、どうだっていい。

 では何故、天道はこんな夜中に、無人の町を歩いているのか。実際の目的は、強いて言えば、「気を紛らわせる為」、ということになる。

 要するに、逃避しているのだ。

 役者としての未熟さを痛感し、自己嫌悪し、摩滅していく自身の現状から。

 静まり返った白亜の町の中に、一人分の足音だけが、鳴り響く。

 後は時折、木々の枝葉が風に揺れる音が、ザワザワと聞こえて来るばかり。普段暮らしている街とは程遠い、静寂と言って差し支えない静けさである。

 しかし、だからこそ余計に、聞こえもしない声が、聞こえてしまった。

 ──子役からやってるって言っても、所詮は親の七光だしなぁ。

 愚痴るように呟くのは、刑事の役を務める、ベテラン俳優だった。

 ──天才作家とスター女優の息子。そりゃ世間もギョーカイも、持て囃すってもんだ。

 これに対し、赤い唇の端に煙草を咥えた女優──役どころは、天道演じる主人公の養母──が、厚化粧の顰めっ面で、頷いた。

 ──なんでも、鷺沼の奥様からも、たいそう気に入られてるんだってね。今回の仕事も、実のところ色目使って取って来たみたいだし。

 ──だとしたら、納得の配役だね。やっぱり特だよなぁ、顔がよくて若いってのは。男も女もさ。

 白い建物に囲まれた狭い坂道を進み、天道は、丘へ上がる為の階段に至る。

 ──いいか、琴矢。(おら)ぁ本当は、美千代(みちよ)にお前を産ませたくなかったんだ。けど、あいつがどうしても子供が欲しいって言って、聞かなくてな。

 酒臭い息が、夜風に乗って漂って来たように、感じられた。天道がまだほんの幼い頃から、父は酒に酔うと、度々その話を口にした。

 ──失敗だったなぁ。あの時美千代を説き伏せときゃあ、今でも身軽でいられたのに。ホント言うと、所帯を待つのも御免だったんだ。女房や子供に縛られてたんじゃ、好きなように生きて行けねえや。

 階を踏み外さぬよう注意しつつ、急な石の階段を、上がって行く。丘の上まで来ると、歪な形に欠けた巨大な、月がよく見えた。

 その月の真下──恐ろしいほど鮮烈な月光に晒されながら、二つの建物が、隣り合って佇立している。

 一つは風車。

 そしてもう一つの廃屋こそが、天道の目指していた場所である。

 人が住まなくなって永年経過しているだけあって、廃屋は確かに「出そう」な雰囲気を醸していた。そもそも、何故未だに取り壊さずにいるのかが疑問だ。かつて殺人事件のあった、曰くつきの建物だというのに……。まさか、怪談話の舞台としてわざと保存しているわけではあるまい。

 ──いい役者さんになってね。

 亡くなる直前、病室に置かれたベッドの上から、母──天道美千代が寄越した言葉を、思い出す。美千代の愛用していた、ヴォル・ド・ニュイの芳香と共に。

 気を紛らわせるどころか、次から次へと余計な考えが、頭に浮かぶ。やはり、こんな薄気味の悪い町に一人きりで留まったのは、失敗だったのだ。

 今更ながらの後悔を噛み締めつつ、天道は、リビングらしき空間の窓を、覗き込む。

 肝試しをしたいので、廃屋の鍵を貸してください──とは、さすがに言えなかった。その為、外から廃屋内の様子を、観察するしかない。

 初めは懐中電灯で照らそうとしたが、光が窓ガラスに反射してしまい、うまくいかなかった。仕方がないので、シャツの袖口で窓ガラスを拭き、改めて中を覗き込む。

 懸命に目を凝らしてみたが、特に変わったこともなく。月明かりに照らし出されたわずかな家具類──テーブルやソファーなど──が、物哀しく感じられた程度だった。

 面白くもない。別段何かが起こると期待していたわけではないが、思っていた以上に拍子抜けである。

「……何やってんだろ」

 思わず、一人ごちる。

 自分自身の無計画さと不器用さ──現実逃避すら満足にできないらしい──に、呆れて。

 すでに興が醒めてしまった感があるが、このまま引き返したのでは、あまりにも味気ない。何より、余計に嫌なことばかり考えてしまいそうで、憂鬱だった。

 ひとまず、他の部屋も覗いてみよう。そう思い、天道が窓を離れようとした──その時。

 視界の端に、()()()()()()()()()()()()

 初めは自身の懐中電灯の光が反射したのかと思ったが、違った。先ほどの光芒は、確かに廃屋の中で発生したものだ。

 天道は、慌てて体の向きを戻し、手が埃で汚れるのにも構わず、窓ガラスに張りつく。

 見間違いではないことは、すぐにわかった。月光よりも白みがかった細い光の筋が、ふらふらと揺れながら、次第に照らし出す範囲を広げ、近づいて来る。

 ──屋内(なか)に、誰かがいる。そう確信した天道は、反射的に窓から離れ、なるべく物音を立てず、かつ足早に、正面口へと移動した。

 天道はドアの前に立ち、恐る恐るノブを握る。

 果たせるかな、鍵はかけられておらず、廃屋のドアは、少しの抵抗もなく開いた。

 戸口から、暗い廊下を覗き込む。まだ相手の姿は見えないが、フローリングを踏み締める軋んだ音が、すぐ右手側に見える扉の向こうから、微かに聞こえた。

 正体を突き止めなくては。意を決した天道は、靴を履いたまま、家の中に上がる。

 当然、身の危険がある可能性を、考えなかったわけではない。かと言って、見過ごすこともできなかった。あまりありそうもない話だが、よからぬことを企む輩が忍び込んでいるとすれば、明日以降の撮影に、支障を来たす恐れがある。

 天道は足音を忍ばせながら、何者かの潜むリビングへと、近づいた。扉に嵌め込まれた磨りガラス越しに、先ほど目にしたのと同様の白い光が、チラチラと揺らめいて見える。

「…………」

 ドアノブに手をかけた天道は、息を深く吸い込み──そして、吐き出した。緊張感が高まると共に、鼓動が早くなるのを感じる。

 ──行こう。

 胸の内で呟き、天道は、ついにそのドアを押し開いた。


 その時目の当たりにした光景を、天道は今尚、鮮明に記憶していた。

 青褪めた月光によって満たされた部屋の中、()()は窓辺に佇み──天道が、ドアを開けるのとほとんど同時に、振り返った。

 彫像めいた白い顔には、瞬時に驚愕の色が広がり、見開かれた大きな瞳がガラス玉のように、天道の姿を映し出す。喪装を思わせる黒いワンピースを纏い、赤茶色の髪──月の光に晒されて、絹糸のように煌めいて見えた──を、生白い首筋に垂らした女は、シチュエーションも相まって、この世のものざる存在のように、感じられた。

 その若い女の右手には、細身の懐中電灯(ライト)

 そして、もう一方の腕に、花束を抱えていた。

 咲き誇る、カサブランカの大輪を。

 純白の花弁を先端が捲れ上がるほどに開いた花の集合体は、月明かりに沈むこの家に、酷く似つかわしい。

 数巡の間、天道とその女──当時二十だった天道よりも、わずかに歳上というだけなので、少女とも言える──は、互いに見つめ合ったまま、声を出さずにいた。

 先に話しかけて来たのは、向こうだった。

「……知ってる。キミ、俳優やろ」

 予想していたよりもハスキーな声で言い、カサブランカの女は、謎な笑みを浮かべた。

 予想外の言葉と表情の変化に、天道は少なからず動揺する。が、あくまでも、それを顔に出すことはなかった。

「この時間なら、誰もおらん思ってんけど……まだ残ってたんや。ジブン、何してたん?」

「……そっちこそ、何をしてたんだ? こんな時間に、こんなところへ忍び込んで。──というか、鍵は? 普段は施錠されてるって聞いたんだけど。どうやって入った?」

 天道は、わざと高圧的な態度を取ったつもりだった。しかし、彼女は少しも動じない。

「あたし、昔ここに住んでてん。で、その頃に使(つこ)てた鍵で開けたわけ」

「じゃあ、あんたはここで殺された夫婦の子供ってこと?」

 まさか、そんなはずはないだろう。そう思いながら尋ねると、豈図らんや、少女は「そ」と、最短の返事で首肯する。

「せやからこうして」

 彼女は、腕に抱えていた花弁の塊りを、部屋の中央にあるテーブル目がけ、ぞんざいに放り投げる。

「故人を偲ぶ為の花を、捧げに来てん。孝行娘やろ?」

 天道は花束を見下ろし、思わず眉を顰める。どこまでが本当のことで、どこからが冗談なのか。掴みどころのない言動に、困惑させられて。

「とにかく、もう遅い時間やし? お子様はさっさと帰りや」

「子供じゃないよ。俺は」

「天道琴矢クンやろ? この町で撮影しとる、()()()()ドラマの、主演俳優」

 ただ胡乱なだけでなく、いけ好かない女だ。彼女に対する天道のファーストインプレッションは、あまりいいものではなかった。

「何者なんだよ、そっちは」

 反射的に相手の姿を睨みつけながら、尋ねる。

 対する女は、揶揄うような笑みを湛えたまま、余裕綽々といった風に、形のいい唇を動かし、

()()()()()()()。気軽にリンカさんって呼んでや」

 約二十年前の夜。

 天道は、クラハシリンカと名乗る女と出逢った。

「白い家」の中で。


 ※


「クラハシリンカ? 鬼村聖子ではなく?」

 意外そうに片眉を釣り上げ、緋村が尋ねて寄越す。先ほど椅子を勧めた時には腰を下ろさなかったクセに、天道が語り始めて間もなく、緋村は勝手に椅子を引き寄せて座り、偉そうに長い脚を組んで、話を聴いていた。

「……ああ。スナックで働いている時も、その名前を使っていたよ。本人が言うには、『生まれ変わりたかった』らしい。父親と同じ姓を名乗るのが嫌だとも言っていた。君の想像したとおり、実の母親の境遇を知っていたからこそ、鬼村を憎んでいたんだろうね。『自分の過去を清算したい』とも言ってたっけ」

「もしかして、彼女が多額の借金を拵えた、本当の理由は」

「人生をやり直す為の資金だったらしい。たぶん、自分のことを知る人間のいない場所で暮らすつもりで、金を用意したんじゃないかな」

「そういえば、僕らが自己紹介をした時、倉橋さんの名前を聞いた橘さんは、たいそう驚いていましたね。あのリアクションは何によるものか、ずっと気になっていたのですが……合点がいきましたよ。かつて自身の殺めた女性と同じ名前を、その娘が受け継いだと知って、動揺したわけだ」

「……そんなところだろうね。まったく、美佳ちゃんはすぐ顔に出ちゃうから。こっちはずっと、気が気じゃなかったよ」

 愚痴るように言ってから、天道は体を仰け反らせ、真上を見上げた。視界に映るのは、あの家と同じ白い天井──

「……リンカから電話があったのは、俺が陣野と揉めた、数ヶ月後だった。『たまたま東京に来ているから、会えないか』って、突然。……初めは会わないつもりだったよ。気まずいし、何より仕事をなくして、腐ってたから」

「しかし、結局は聖子さん──いや、リンカさんと、再会したわけですね?」

「ああ。あいつ、顔に青痣を拵えてて……どうしたんだって聞いたら、『陣野に殴られた』って。で、『腹が立ったから殴り返して、そのまま逃げて来た』んだってさ。電話では『たまたま』なんて言ってたけど、初めから俺を頼るつもりで、わざわざ東京まで遠征して来たんだろうね。……それからなんだかんだ、半年も一緒に暮らした、今にして思うと、子供のママゴトみたいなもんだ。現実逃避とも言うか」

 しかし、それは確かに、幸福な時間だった。

「あいつが俺の前から消えたのは、妊娠が発覚してすぐだ。『絶対に迷惑はかけない』『赤ん坊は自分一人で育てるから、あなたは気にせず芸能界に復帰できるよう、頑張ってください』──そんな書き置きを残して、リンカはいなくなった」

 ──いい役者さんになってね。

 リンカの書き置きは、偶然にも、天道の母が遺したのと同じ言葉で、締め括られていた。

「それで、ケジメをつけたつもりだったんだろう。まったく、思い違いも甚だしい。俺からしてみれば、あいつやあいつとの子供が生きてるってだけで、迷惑でしかないのにさ。──ま、だからああなったんだけど」

 半ば自嘲するように、天道は顔を歪めた。リンカが消え、娘との関係を断ち切っても尚、「いい役者」にはなれなかった、と。

「で? 他に何かご質問は?」

「……天国洞からこの町へ向かう正確な道順(ルート)は、リンカさんから教えてもらったのですね?」

「そう。初めて会った夜、あいつと一緒に洞窟の中を歩いてね。なんでか知らないけど、夜食を奢ることになって……」

 白い廃屋の中で出逢った女は、不遜なだけでなく、厚かましかった。

 ──あたし、小腹空いて来たわ。なんか奢ってや。コンビニとかでええからさ。あんた、ゲーノージンやねんから、稼いどんのやろ?

 少し前まで「お子様はさっさと帰れ」と言っていたクセに。二人して廃屋を出た後、玄関の扉に鍵をかけたリンカは、そうのたまった。

 芸能人だからといって、必ずしも懐が潤っているとは限らない。特に、当時の天道は、役者の仕事だけでは食って行けず、幾つかアルバイトをかけ持ちしていたほどである。

 しかし、結局天道は、この謎の女にタカられることになる。

 金はあまりないし、リンカの態度も気に入らないが──それ以上に、一人でいるのが嫌だった。

 あるいは、リンカの纏う()()()()()()に、気がついてしまった為か。

 天道は、リンカに案内されながら、天国洞を通り抜ける。

 洞窟の外には、高級車が一台、停車していた。驚く天道に対して、リンカは面白くもなさそうに、

 ──旦那の車。貸してもろてるの。旦那言うても、籍は入れてへんけど。

 なら、さっさとその旦那の元へ帰って、夜食でも何でも強請(ねだ)ればいいではないか。天道がそう言うと、「これ以上借りを作りたくない」と、意味のわからない返事が寄越される。

 リンカの借金や、その肩代わりを内縁の夫──陣野がしていたことなど、この時の天道に、わかるはずもなかった。

 とにかく、天道はリンカの運転する高級車に乗り、最寄りのコンビニまで行って、軽食と缶コーヒーを奢ってやった。

 ──結局のところ、なんで一人でおったん? 肝試しがしたかっただけ、とは思えへんけど。

 サンドウィッチを平らげ、食後の一服を吸いながら、リンカが尋ねて来る。煙草の煙と臭いを、疎ましく思いながら……天道は、返事に迷った。

 ──なんか、悩んでるんやろ? あ、もしかして、例のドラマのこと?

 リンカはしつこく、そして鋭くもあった。

 ──あんなところで()うたんも、何かの縁かも知れんし? お姉さんに言うてみ。奢ってくれたお礼に、相談に乗ったるわ。

 そうは言っても……まさか、演技の相談をするのか? 初めて会ったばかりの、それも、こんな得体の知れない女に?

 酷く気が進まない。……が、しかし、一人で抱え込んで来た結果、追い詰められていることもまた、事実。

 迷いに迷い、悩みに悩んだ末──天道は、話してみることにした。

 無論、いいアドヴァイスをもらえるなどと、期待していたわけではない。ただ、胸に支えていたモノを、吐き出したかった。

 ──ふうん? つまり、役作りって奴? 別に、セリフなんか理解できんくても、台本どおりに喋ればええのに。

 予想したとおり、いや、それ以上にロクな返事ではなかった。

 ──なら、実際に作ってみたら? 砂の城。なんやったら、今から連れて行こか?

 行くって、どこへ?

 天道の問いに、

 ──せやから、海。

 リンカは、悪戯っぽく歯を見せて、そう答えた。


「──天道さん? 聞いていますか?」

 訝るような緋村の声で、我に返る。どうやら、天道の意識はまたしても、過去に乗っ取られていたらしい。

「……ああ、ごめん。何の話だっけ?」

「風車の扉ですよ。──風車の扉からは、三黄彦さんの指紋のみが、検出されたそうです。警察の事情聴取に対しても、三黄彦さんは、『インスピレーションを得る為に洞窟へ入った』と、答えました。これはおそらく、瑠璃子さんの指示で行われた、偽装工作だったのでしょう。つまり、天道さんが風車を出入りした痕跡を隠す為、三黄彦さんが、一芝居打ったのです」

 指紋を拭い去る、あるいは手袋を着用するなどして、そもそも指紋が残らないよう細工することは、容易である。しかし、それだけでは、「誰かが最近扉を開けた形跡」まで、消し去ることはできない。

 加えて「ごく最近、扉が開閉されたことは自明であるのに、誰の指紋も検出されなかった」となれば、少なからず警察は疑うだろう。そうならないよう、天道らが犯行を終えた後で、三黄彦に扉やノブなどを触らせて、「指紋の上書き」を行った。──緋村は、そのように推測しているらしい。

「さあ? そこまでは俺も知らないよ。……まあでも、あの婆さんの考えそうなことだ。三黄彦も、あの頃は特に金回りがよくなかったみたいだし。割りのいい小遣い稼ぎって感覚だったんじゃない?」

「『カーチャンの言うとおりにしただけ』か……」

 緋村は、独り言のように呟く。

「では、もう一つ。リンカさんを殺害した後、廃屋を施錠するのに使った鍵は、元々は彼女のものだった。つまり、事前に瑠璃子さんから受け取っていたのではなく、リンカさんから奪い取った鍵を、犯行後、瑠璃子さんに渡した。間違いありませんね?」

「……他に考えられる? あの家の鍵は、十七年前の時点で二本しかなかったのに」

 緋村は再び、黙り込む。首肯する代わりなのか、あるいは天道の言葉を、疑っているのか……。

「それより、あの()には、もう話したの? 俺のこと」

「いえ。何も伝えていませんし、僕の口から話すつもりもありません。部外者ですから。あなたとの関係を打ち明けるか否かは、彼女のご家族や、あなた自身に委ねます」

「だから、俺のところにも一人で来たわけか。──そういえば、お友達は連れて来なかったんだね」

「若庭のことでしょうか? 彼なら、一時間ほど前から姿を見ていません。廃屋に忘れ物を取りに行ったきり、どこかへ消えてしまったので」

 あまりにも平坦な口調で、意外なことを言い出すものだから、天道は少なからず面食らう。

「本当に? いいの? 探さなくて」

「探しましたが見つかりません。天道さんは、ご存知ないのですね?」

 油断ならない眼光を仄めかせながら、緋村はまっすぐに、天道のことを見据える。いい加減な受け答えをしようものならば、喉元に喰らいついて来そうなほど、鋭利な眼差し。天道は、思わず気圧されてしまったものの、すぐに本当のことを伝えた。

「当然だろ。信じてもらえないかもだけど、君らや美佳ちゃんと別れた後は、ずっと一人でいたよ」

「……そうですか。となると、やはり関与しているのは……」

 まるで、何者かが若庭を誘拐したか、どこかへ閉じ込めているような口振りだ。何か根拠でもあるのか。天道が尋ねようと、口を動かしかけた時──

 弱々しくドアをノックする音が、やけに大きく響いた。

 二人がそちらを振り向くと同時に、蚊の鳴くようなか細い声が、青いドア越しに寄越される。

「あ、あの、倉橋です。こちらに、緋村さんは来ていませんか?」

 よりにもよって、天道が今、一番会いたくない人物だった。

 しかし、ある種好都合とも言える。緋村の長広舌につき合うのも、リンカとの過去を思い返すのも、そろそろ疲れて来たところだ。

「……ああ、いるよ。入って来ていいから、さっさと連れ帰ってくれる?」

 間もなく、戸口から現れた少女は、怖しいほど母親の面影を感じさせた。しかし、不安げなその目つきは、リンカにはなかったもので……。

 どちらかと言えば、それはあの頃の天道自身と、重なるように思えた。

「お、お邪魔します。……すみません、何かお話し中でしたか?」

「若庭のことを尋ねていただけさ。天道さんも、見ていないらしい」

 答えてから、緋村は天道を一瞥した。「これで問題ないな?」とでも言うように。

「課題を見てやるって言ったのに、待たせて悪かったな。──天道さんも、お休みのところ押しかけてしまい、すみません。大変参考になりました」

 事務的に述べ、緋村は腰を浮かせた。それからすぐさま踵を返し、教え子を目顔で促して、立ち去ろうとする。

 天道はベッドに腰かけたまま、二人を見送る代わりに、俯いた。

 そして。


「──()()()


 緋村が足を止め、振り返るのがわかった。しかし、天道は自らの足元を、見下ろし続ける。

「……今、何と仰いましたか?」

「……鈍山って男だ。あの日、俺をここまで()()()()()のも、俺の犯行(しごと)()()()()のも」

 さしもの緋村も、予想だにしない言葉だったのだろう。相手の真意を推し量るように、天道の姿を凝視する。

 二人の様子から、ただならぬ雰囲気を、感じ取ったのか。凛果はいっそう不安げ、あるいは怪訝そうに、彼らの様子を見守っていた。

「では……橘さんではない、ということですか? この町での、共犯者(しごとあいて)は」

「……ああ」


 ※


 天道さんの家を出て後のこと。

 私と緋村さんは、しばし無言のまま、町の中を歩いていた。天道さんには、本当に若庭さんのことを尋ねただけなのか。先ほど二人が交わした、意味深長なやり取りは、何であったのか……。問い質したいことは、幾らでもあった。

 それなのに、私は何一つとして、尋ねられずにいた。なんとなく、訊いてはいけないことのように感じて。

 また、緋村さんは思考を巡らせるのに忙しいらしく、邪魔をしてしまうのが忍びない、という気持ちもあった。

「……どうしてわかったんだ? 俺が、天道さんのところにいるって」

 緋村さんの方から先に、こちらを見向きもしないまま、尋ねて来た。

「えっと、初めは大人しく待っていようと思ったんですけど……どうしても、緋村さんの様子が気になってしまって。それで、後を追いかけたんです。初めは、橘さんに用事があるんかと思って、そちらに向かったんですけど、来てへんって言われて……せやったら、天道さんの方なんかなって」

 私は、正直に答えた。

 ただし、ドア越しに言葉を交わした橘さんの様子が、少し()()()()()()()()ことは伏せて。

 あの時、橘さんは何故か、酷く狼狽えていたらしい。ドアを開けてくれさえしなかった。突然訪問したことで、驚かせてしまった──というよりかは、何かに怯えているようで、短いやり取りの中でもよくわかるほど、橘さんの声は、慄えていた。

 思い返してみれば、一緒に礼拝堂を訪れた辺りから、少し顔色が優れないように見受けられたのだけど……いったい、橘さんは、何を怖れているのだろう?

「そうか……なかなか勘がいいな。探偵業に向いてそうだ」

 皮肉や嫌味にしては、あまり()()がない。やはり、緋村さんは上の空なのか、尋ねるだけ尋ねて、私の返答には、さほど関心がなさそうだった。叱られなかっただけ、マシとも言えるか。

 細い通りを下りきり、借りている家のすぐ近くまで来た──ところで、またしても、緋村さんのスマートフォンが、着信を告げた。

「誰からですか?」

 先ほどバーの前で通話していた相手と、同じ人物に違いない。そう決めつけた私は、さり気なく尋ねてみる。

 スマホの画面に目を落とした緋村さんは、

「探偵だ。未だに信じたくねえけど」

 と、意味のわからない返事をし、通話に応じた。

 あまり聞き耳を立てるのはよくないと、思いつつ……やはり気にはなるので、私はその場で、緋村さんの電話が終わるのを待つ。

「探偵」とやらの声は、かなり大きいようで、ハッキリとした内容まではわからなかったものの、通話を始めてすぐ、何事かを捲し立てていた。

 そして、不思議だったのは、それを聞かされた緋村さんの、リアクションである。

 私が「前世の記憶」を告白した時と同等か、それ以上の驚愕と困惑が、緋村さんの横顔から、見て取れた。見開かれた瞳は動揺の為に揺れており、ゾクゾクと総毛立つ感覚が、傍目にも伝わって来るようで……。

 見ているだけのこちらまで、思わず胸がざわついてしまうほど、それは明瞭な異変だった。

 ──何かがあったのだ。おそらく、緋村さんでさえ予測していなかった、非常事態(なにか)が。

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