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白亜の町に死す ドラマツルギー  作者: 若庭葉
第四章:Unknown Recollection
32/42

審判の日

「『悪にならなくちゃいけない』。昔、師匠が俺にそう言ったんだ。どういう意味か、お前、わかるか?」

 菊の花で飾り立てられた仏壇の前で、喪に服した彼の父は、そう尋ねた。その肩越しに見える黒い額縁の中で、大きく引き伸ばされた彼の母親が、白い顔に微笑を湛えている。

 みな、笑っていた。父も、母も、供えられた菊の花ですらも。仏間の中では彼一人だけが、全くの無表情であった。

 白い花に縁取られた仏壇には、細く煙を棚引かせる線香と、母の愛用した香水──ヴォル・ド・ニュイの瓶が一つ。(あるじ)を喪った、黄金色の夜間飛行……。

「わかるかって。なぁ」

 無粋なダミ声が、再び、仏間に響いた。彼は、今すぐにでも、目の前にいる男のことを殴り倒してやりたい衝動に駆られる。病床に臥す妻を放ったらかしにして、普段どおり仕事をし、あまつさえ呑み歩き、女遊びに興じていたであろう、このクズのことを。

「──()()。俺ァな、ずうっと、考えて来たんだよ。師匠はなんでそんな言葉を、俺に寄越したのかって。けど、最近になって、ようやくわかって来やがった」

 天道琴矢の父──赤星日出雄(ひでお)は、得意満面、鼻高々に豪語(かた)った。

 早くその薄汚い口を閉ざしてほしい。赤星の一人息子は、心底からそう思った。こんな時にまで創作論を語るなど、亡き母に対する冒涜以外の、何であろうか?

「結局のところ、それがなくっちゃ超えらんねえんだよ。俺たちは」

「……殺すぞ」

 天道は、とうとうそう口にした。それこそ亡くなった人間の前で発するべき言葉でないことは、天道自身、百も承知だった。

 しかしながら、堪えられるほど生易しい感情でもない。

 ──いつか、俺がお前を殺してやる。十五歳だった天道は、心からの殺意を込めて、不世出の鬼才作家を睨めつける。

 赤星は、ほんの一瞬だけ、意外そうな顔を浮かべた。が、それはすぐにまた、下卑たニヤけ面へと変わり──かと思うと、ゲラゲラと声を上げて笑い始める。

 その狂ったような笑い声と連動し、瓶の中のヴォル・ド・ニュイが揺れていた。

 腹を抱え、身を捩り、何度も何度も畳みを叩き。それでも尚笑うことをやめない赤星の姿は、天道の目に、醜悪な化け物のように映った。

「アハハハハ! こいつはいいや! 俺を、殺す、か。ひぃ、ひひ──そりゃあそうだ! いいぞぉ琴矢! こんなクソ親父、ぶっ殺しちまえってんだ! アハハハハハハハ!」

 気づけば、天道は掌に指が食い込むほど、拳を握り締めていた。肌から滲み出た赤い血の雫が、畳に落ちてシミとなる。

「けどなぁ、琴矢ァ」脚本家は、涙を拭いながら続けた。「これだけは覚えとけ。──蛙の子は蛙。どうせお前も、俺とおんなじ道を辿るんだぜ?」

 果たせるかな、呪いのような赤星の言葉は、的中することとなる。

 天道は、心底から嫌悪し、殺してやりたいほど憎悪した父親と、同じ道を選んだのだ。


 悪になる道を。


 ※


 追憶を打ち切ると共に、天道はシャワーを止めた。キュッという甲高い音が、狭いユニットバスの浴室に響く。

 嫌なことを思い出してしまった。この町に来てからというもの、思い出したくもない記憶ばかりが、蘇る。

 天道は浴室の扉を開け、取手にかけておいたタオルを手繰り寄せる。──いや、正確にはこの町に辿り着くより前からだ。バスの終点に降り立ち、()()と顔を合わせた時から、天道は時折フラッシュバックのように、過去のことを思い出していた。

 ──サヨナラ。もう、二度と会いたない。

 ()()()は、最後にそう言って寄越した。その白い手に、()()()()を一つ、握り締めて。

 女の言葉は、現実となった。二人が会うことは、その夜以来、二度となかった。

「…………」

 体に付着した水滴をひととおり拭い取り、濡れた頭にタオルを被せる。天道は浴室から出た。そして、下着と白いズボンに脚を通し、黒いシャツを着ようとした──ところで、無遠慮なノックの音が、聞こえて来る。

 天道はボタンを留めていた手を止め、真向かいの壁に見える青いドアを、凝視した。

「緋村です。少しお話ししたいことがあるのですが、お時間いただけますか?」

 低い声を聞いた途端、あの小生意気な青年の姿が、思い浮かぶ。刑事のように鋭い目つきと、考えの読めぬ鉄仮面。

 ただでさえ気分が落ち込んでいるというのに、あんな愛想のない小僧と口を利く気になど、到底なれない。当然居留守を決め込もうとした天道であったが、どういうわけか、彼の両足はその意識に反し、戸口へと向かっていた。

 間もなく、開かれたドアの向こうには──()()()()()()()()()が佇んでいた。この暑いのにスーツを着込んだ男は、中折れ帽をヒョイと持ち上げ、脂汗の浮かんだ額を見せ──いや、違う。

 それは過去の映像であり、たった今天道の目の前にいるのは、間違いなく緋村だ。

「突然お邪魔してしまい、すみません。入っても構いませんか?」

 緋村は先ほど思い浮かべた通りの表情で、そう言った。ロボットのように無機的な声音。しかし、本心が窺えないという意味では、()()()()()()と相通じるところがある。

 そんなこと考えながら、天道の口は、やはり意識から独立して動いた。

「……ああ。いいよ。すぐに終わらせてくれるのならね」

 緋村を室内に入れると、天道はベッドに腰を下ろす。それからテーブルとセットになった椅子を、緋村に勧めたのだが、彼は座らなかった。緋村は佇立したまま、相変わらず抑揚の乏しい声色で、こんなことを言い出す。

「天道さん。あなたはかつて、オペラの『道化師』をモチーフにした舞台で、主演──カニオの役を務めたそうですね。……なんとも皮肉な配役だ。そう思いませんか?」

「は? 唐突すぎて話が見えないんだけど。何が皮肉なのさ」

「何もかも、ですよ。現実におけるあなたの立場は、カニオというよりも、むしろシルヴィオだったのですから。──わかりませんか? それとも惚けているのかな。

 では、これならどうでしょう。カニオは資産家の陣野という男、そして、カニオの妻でありながらシルヴィオと()()にあった女優──ネッダは、聖子さん。現実はこんな配役だったと言えば、伝わりますか?」

「……人のこと、間男って言いたいの? つうか、誰だよそいつら」

「知らないはずがありません。あなたが今から二十年ほど前に起こした傷害事件の、キッカケとなった人たちです。あなたは陣野から聖子さんを奪おうとして、彼に暴行を加えた。あるいは、聖子さんを救い出そうとしたのか……いずれにせよ、あなたと鬼村聖子さんは、相当親しい関係にあったのだと、推測しています」

 推測と言う割には、いやに断定的な口調である。

 天道はひとまず、溜め息を零し、頭に被せていたタオルを取り払った。湿った髪を指で梳かしながら、彼はあくまでも無関心を装う。

「オニムラって人は関係ないよ。確かに不祥事は起こしたけど、あの時は、酒が入っていたからね。気が大きくなって、つい絡んじゃったってだけさ」

「嘘ですね。少なくとも、あなたは聖子さんのことを、よく知っていたはずだ。……のみならず、十七年前の事件にも、あなたは深く関わっていた。天道さん、十七年前、本当はあなたもこの町を訪れていたんですね? 恋人だった鬼村聖子さんを、()()()()()()()()()()()()()()

 ──いつか、こんな時が来ると思っていた。聡明で勇気ある誰かが彼の「罪」に気づき、糾弾の声を放つ。そんな審判の日がやって来るのを、天道は永い間、待ち侘びてすらいた。

「……はあ? 俺が人を殺したって? 君さ、頭おかしいんじゃないの?」

 言い条、そう易々と認めるつもりもない。この昏い目をした青年(ガキ)は、本当に真相を見抜くことができたのか。ひとまずは、それを見極めなくては。

「そんな大それたことを言うからには、当然根拠があるんだろうけど……ちゃんと、納得のいく説明をしてくれよ?」

「……どうでしょうね。物的証拠という意味で言えば、何もありません。ほとんど直感を頼りにここまで来たので、ご満足いただけるかどうか」

「意外と弱気なんだ。さっきは、あんな気取ったことを言ったクセに」

「一応、勘は当たる方なので。それに、あなたと聖子さんには繋がりがあった──お二人が、かなり親密な関係にあったのだとすれば、納得できることが、一つあります」

「いやに回りくどい言い方だなぁ。何が納得できるって?」

 天道は「挑発的な態度」と「見下すような呆れ顔」を表現し、回答を促す。お前がどこまで見抜けているか、試してやるよ──そんな心積もりで。

 対する緋村は、眉一つ動じさせない。

「その話をする前に……まずは、あなたの()()()が聖子さんを殺害した方法について、語りましょう。──そう、あなたには、共犯者がいた。そして、実際に毒物を水筒のコップに投じたのも、その人物でした」

「共犯者? それってさぁ……」

「ええ、あなたのマネージャーである、橘美佳さんです。橘さんは、あなたよりも先に廃屋を訪れ、聖子さんと面会していました。毒物を携えて。そして、聖子さんと適当なやり取りを交わしながら、あなたが現れるのを、待っていたのです」

 天道は、内心あっけに取られていた。無論、冷笑的な笑みを崩すことはしなかったが……それでも、驚かずにはいられない。

「……酷い言いがかりだな。美佳ちゃんに人殺しなんて、できるわけないだろ。比喩とかじゃなくて、マジで虫も殺せない人なのに」

「虫一匹潰すより、よほど容易かったはずです。何せ、コップに毒物を投じるだけで済むのですから。──何度も言うようですが、犯人は、直接聖子さんの水筒のコップに毒物を混入させて、彼女を殺害しました。水筒の中身からは毒物は検出されていませんし、そもそもそういったやり方──事前に毒物を仕込んでおくのでは、仕留め損なう可能性が出て来ます。

 もちろん、アリバイを確保する為だとか、病死を装うのであれば、有効な手段でしょう。しかし、今回の場合は、どちらも当て嵌まりません。夜中のことで、アリバイの保証されている人間は少ない。加えて、毒物が現場に残されていました。犯人が、聖子さんの死を自殺に見せかけようとしたことだけは、間違いありません」

「本当に他殺だったとしたら、ね。さっきから、そのオニムラなんとかさんが殺された前提で、語ってるけどさ。そもそも、そこが間違ってるとは思わないわけ? 警察だって、自殺って判断したんだろ?」

「もう一本の廃屋の鍵と、警察の捜査資料を、鷺沼瑠璃子さんが所持していたそうです。瑠璃子さんの遺品からこの二つが発見されたことで、他殺の可能性が出て来ました。そして、犯行を指示した黒幕は、瑠璃子さんだった──少なくとも、宗介会長はそのようなお考えに至り、倉橋さんへ、事件の再調査を持ちかけたのです」

 ──そういうことかよ。

 天道は納得する。宗介が倉橋凛果(あのむすめ)を招いたことは、初めから聞かされていた。そのせいで、蒼一は天道らを呼び寄せる必要ができた、とも。

 しかし、状況が変わってしまったらしい。お陰で天道と橘は、とんだ茶番につき合わされる羽目になった。

「ちなみに、犯行に用いられた毒物は、無味無臭で水溶性の高いものでした。つまり、緑茶の味が変化することで、異変に気づかれる恐れはなかった。おそらく、あなたと橘さんは、毒を注ぎ入れた後も廃屋の中や、その周囲に留まり、聖子さんが緑茶を呑み干して、絶命するのを見届けたのでしょう。後はユックリと、殺人の痕跡を始末すればいい」

「……冷徹なことを考えるんだな、君は」

「計画的に人の命を奪うのですから、冷徹になって当然です。実際、あなた方もそうだったのでは?」

「知らないよ、殺人犯の気持ちなんて。そもそも警察も、現場が施錠されていただけで、自殺と断定したわけじゃないんじゃない? 他にも状況証拠って奴が、たくさんあったと思うけど」

「そうですね。特に決め手となったのは、指紋でしょう。──現場となったダイニングのテーブルの上には、毒物の粉末の入った小さな瓶が、残されていました。そして、その瓶と、蓋をしていたらしいコルク栓からは、聖子さんの指紋のみが、検出されたそうです」

「へえ、それは確かに決定的だ。そんなことまで知っているケセに、なんで他殺だと思うんだか」

 当然、あの女以外の指紋が、検出されるはずがない。天道には確信があった。だからこそ、こうして十七年もの間、天道たちは何の罪にも問われず、平然と生きて来られたのだ。

「簡単なことですよ」緋村の低い声が、白い部屋に反響する。「あなたたちが指紋を残さずその瓶に触れた後で、聖子さんに()()()()()のです」

「……つまり、こういうことか? オニムラさんが絶命した直後、俺と美佳ちゃんは、彼女の手に瓶とコルク栓を握らせて、指紋やら掌紋やらが残るようにした。人が死んだら、体の発汗機能も停止(とま)るから、死体の指紋はつかない。けど、絶命したすぐ後なら別だろう。──俺らがオニムラさんの死に立ち会ったのは、死体の指先から油分がなくなる前に、瓶に指紋を残す為でもあった。そう言いたいんだろ?」

 だとしたら、的外れとしか言いようがない。天道がそう続けようとした矢先、

「もちろん──違います。確かに、亡くなった直後であれば、死体の手から被害者の指紋を残すことは、十分可能でしょう。が、しかし、床に倒れ込んだ死体に瓶を握らせるとなると、どうしても『死体の腕を動かした形跡』が、残るはずです。

 何より、先ほども言ったとおり、瓶は()()()()()()()()()()()()()んですよ? たとえ死体の手から、指紋を転写することができたとして。その後、テーブルまで瓶を運んでいる以上、聖子さんの指紋は()()()()()()()はずです。ですから、『聖子さんの手に瓶が触れた後で、犯人がそれをテーブルに置いた』という順番は、絶対にあり得ません」

「……断言はできないでしょ。瓶の先だけ摘むようにして、うまくテーブルまで持って行ったのかも」

「瓶の本体はともかく、コルク栓はそうもいかないでしょう。そもそも、死体から転写した指紋に、警察が惑わされるとは思えません。一度自殺と断定された以上、聖子さんの指紋に、不自然な点はなかったと考えるべきです」

「……だったら、やっぱり他殺じゃなかったわけだ。だって、他にやりようなんて」

「ありますよ。実に単純な方法です。聖子さんが、自らの意思で瓶を開封するように、仕向ければいい。その為に、()()()()()()()()()()()を瓶に入れ、聖子さんに渡したのでしょう。聖子さんが栓を開けて、()()()()()()()()()()()()()を。

 それは、瓶の内側にコビリついたり、臭いなどの痕跡が、残ったりしないものだった。例えば、あなたからのメッセージが認められた紙切れだとか、そういった品です。──最後に、聖子さんの死を見届けた後、別の容器に入れていた粉末状の毒物を、瓶の中に注ぎ入れればいい。こうすることで、現場に残された小瓶を、あたかも初めから、毒の容れものとして使われたかのように、見せかけたのです」

 澱みなく捲し立てる間、緋村の黒い(まなこ)は、目の前にいる男の姿を、捉え続けていた。天道は、自分でも気づかぬうちに、視線を逸らす。

「……なるほど。確かに、単純なトリックだ。ホント、よく思いつくよ」

 ピシリと音を立て、微小なヒビの入るイメージが浮かんだ。演技という名の黄金で飾りつけた、仮面の端に。

 無情なほど無機的な眼差しを向けたまま、緋村は再び、口を開く。

「とにかく、お二人は確実な手段で、聖子さんを殺めることにした。そして、聖子さんのコップに毒物を投じる為には、彼女に隙を作らせる必要がありました。そこで、あなたの出番というわけです。

 十七年前のあの夜、あなたは天国洞を通って、この町へ侵入したのでしょう。大変都合のいいことに、天国洞は、廃屋の隣りに建つ風車と、繋がっています。それに、風車の扉は今とは違い、当時は鍵がなかった。誰にも気づかれることなくあの廃屋へ向かうには、絶好のルートだと言えます」

「……あの洞窟って、結構入り組んでるって聞いたけど? 農道の方からこの町までは、それなりに距離もある。迷わず風車まで、辿り着けるとは思えないけど」

「正しい道順(ルート)を知っていたのでしょう。その理由は、まだわかりません。が、すぐに天道さんご自身が教えてくださると、そう考えています」

 殺人犯だと疑う人間と対峙しているにも拘らず、緋村は生意気なほど、落ち着いていた。どれほど図太い神経をしているのか。

「かつて深い仲だったあなたが、突然現れることで、聖子さんの注意は、コップから逸れることにりました。そうしてできた『大きな隙』を利用して、橘さんが、コップに毒物を投じたのです。

 その後、お二人は、廃屋を訪れた痕跡を始末した上で、外から玄関を施錠しました。この時使われた鍵は、事前に瑠璃子さんから受け取っていたものです。もちろん、玄関のドアノブやツマミに、聖子さんの指紋が付着していることも、折り込み済みでした。おそらく、自殺に見せかける為に、何か理由をつけて、内側から施錠するよう、聖子さんに指示していたのでしょう。橘さんが廃屋を訪ねる前なのか、その後──天道さんが現れるまでの間──なのかまでは、わかりませんが」

 ここまで聞いた天道は、わざとらしく肩を竦めるジェスチャーをし、溜め息を吐いた。

「大した想像力だね。脚本家にでもなれそうだ。──そんなに疑うんだったら、そろそろ根拠を提示してくれよ。さっき証拠はないって言ってたけど、それならなんで、俺らが犯人だと思った?」

「先ほど、あなたが妙なことを仰ったからです。それで、『もしかしたら』と思いました。もしかしたら、天道さんは()()()()()()()()のではないか、と。……天道さん。礼拝堂の前でお会いした時、あなたは、こんな風に仰っていましたね?」

 ──亡くなった妹さんの為だかなんだか知らないけど、あんなハリボテみたいなもんで鎮まる御霊なんて、ありゃしないよ。あの婆さん、昨日は『死んだ家族に感謝しろ』なんて言っていたけど……本当は怖がってるんじゃないかな。こんな町で、暢気にバカンスしてたら、妹が化けて出るって。

 ──くだらない。お祈りなんかしなくても、とっくに成仏してるだろ。死んだら、それで終わりなんだから。

 緋村は気味が悪いほど正確無比に、かつて天道の口にした言葉を諳んじてみせた。

「……確かに、言った。けど、それが何なのさ。俺はただ、思ったことを口にしただけで」

「三十年前、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 言い放つ緋村の顔には、初めて、まともな笑みが浮かんでいた。

 勝ち誇るような、あるいはせせら嗤うかのような、悪魔じみた表情。それを目の当たりにした途端、天道は自らの「黄金(えんぎ)」が音を立てて砕け散るのを、感じた。

「……やはり、勘違いしていたらしい。鬼村医師の奥さんのが、紫苑さん──橙子さんや瑠璃子さんの妹であると。だからこそ、橙子さんは『紫苑さんのことを怖れるあまり、この町で祈りを捧げている』。あなたはそう考えて、あんな言葉を口にしたんだ」

 天道は、咄嗟に反論を試みる──が、適切なセリフを捻り出すことができず、結局すぐに、唇を閉じた。

 緋村の指摘したことは、事実だった。

「図星と受け取って、よろしいですね?」

 天道は答える代わりに、感情の消えた顔で、緋村の嗜虐的な笑みを、見つめ返す。二人の表情は、いつの間にか、当初とは正反対のものへと転換していた。


 ※


「あなたの勘違いに気づいた時点で、聖子さんとの間に、何らかの繋がりがあるのだと考えました。非常にややこしい話ではありますが、聖子さんの本当の母親は、紫苑さんである可能性が高いからです。

 おそらく、聖子さんから本当の母の名前を、教えられていた為に、『三十年前に殺された鬼村医師の妻=紫苑さんである』という図式が、天道さんの中で成り立っているのではないか?……この推察を後押ししてくれたのは、他でもない倉橋さんでした。倉橋さんは、なんと、()()()()()を持っていたのです」

「ぜんせ、の……きおく?」

「ええ」緋村は悠然と首肯する。「倉橋さんは、誰かに『シオン』という名前で呼ばれた記憶が、あるそうです。いつ、どこで、誰にそう呼ばれたのかまでは、定かではないそうですが……。とにかく、彼女はそれが、前世の名残なのではないかと考え、今まで悩んで来たのだとか。当然、前世や転生などといった、スピリチュアルな事象が実在するとは、思えません。倉橋さんが『シオン』と呼ばれたのは、間違いなく、今世でのことです」

「…………」

「ところで、人間が思い出すことのできる最も古い記憶は、何歳くらいのものになるか、ご存知ですか?」

「…………」

「自問自答してしまいますが、詳細に記憶できるのは、三歳以降に体験した出来事だそうです。それ以前の記憶は、基本的に忘れてしまう──幼児期健忘という奴ですね。特に、自分自身に関する記憶──エピソード記憶については発達が遅く、四歳頃になって、ようやく機能するのだとか。……倉橋さんの言う『前世の記憶』とは、おそらく、彼女が辛うじて思い出すことのできる、最も古い記憶。謂わば、()()()()()()()()()()()()なのでしょう」

「…………」

 天道は、最早何の感慨も浮かばず、ただ受容することしかできなかった。この、奇妙な体験を。

 たった今目の前にいる青年に、いつか出会った小太りの探偵の姿が、重なって視えた。

「倉橋さんは、幼い頃に大病を患い、入院していた時期がありました。彼女の言う『前世の記憶』とは、おそらく、この時期に体験したものかと。……そして、彼女のことを『シオン』という名前で呼んだのは──天道さん、あなたですね?」

「…………」

「何故、あなたはそんなことをしたのか。その理由も、なんとなく見当がついています。彼女を身篭った聖子さんから、聞かされていたのではありませんか?『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』と」

「…………」

「おそらく聖子さんも、自分の母親がどういった境遇を辿ったのか、知っていたのでしょう。紫苑さんは若くして、理不尽にも、残りの人生を奪われてしまった。だからこそ、今度は自由に自分の人生を歩んでほしい。そんな願いを込めて、聖子さんは本当の母の名前を、我が子に授けるつもりだった。そう、推測しています」

「…………」

「先程から、反応がありませんね。──まあいい。彫刻にでも話しかけているつもりで、先に進みます。

 倉橋さんは、本来は『凛果』ではなく、『紫苑』と名づけられるはずだった。ところが、出生届けを出すよりも前に、聖子さんは亡くなってしまいました。残された倉橋家の人たちは、聖子さんの望みを聞かされていなかったのでしょう。赤ん坊の父親は誰なのかさえ、知らなかったくらいです。──結果、聖子さんの産んだ赤ん坊は、今の『凛果』という名前を与えられることになりました。謂わば、彼女はその時点で『紫苑』から『凛果』へと、()()()()()()()のです」

「…………」

「通常、出生届は赤ん坊が産まれてから、十四日以内に提出しなければなりません。しかし、海外で出産した場合は、期限が三ヶ月以内に伸びます。聖子さんのご家族が、代理で出生届を提出する余裕は、十分にありました」

「…………」

「ところで、今回我々がこの町を訪ねることになったキッカケは、宗介会長からの手紙が、倉橋さんの元へ届いたことでした。倉橋さんは旅行に際し、事前にこの手紙の内容を、お父さん──満さんに見せたそうです。そして、旅行に反対するのであれば、知っていることを教えてほしいと頼みました。これに対する満さんの答えは、『あの人の都合もあるから、俺らが勝手に話すわけにはいかん』」

「…………」

「この話を聞いた時、満さんの口にした『あの人』とは、宗介会長を指しているのだと思いました。しかし、実際は違ったのでしょう。満さんは会長ではなく、あなたのことを気遣って、こんな答え方をしたのです」

「…………」

「今から十四、五年ほど前、倉橋家は探偵を雇い、凛果さんの本当の父親があなただということを、突き止めました。そして、病床に臥す凛果さんの元に、あなたを連れて行ったのです。あなたが思わず『シオン』という名前で彼女を呼んでしまったのも、この時だった。……あなたはそこで、倉橋家の人たちから、こう打診されたのではありませんか?『この()を自分の娘として、引き取らないか』と」

「…………」

「あなたはその申し出を断った。当然と言えば当然ですね。いきなり難病を持つ子供を引き取れと言われて、快諾できる人間の方が少ないでしょう。……特に、俳優業に専念したいあなたにとって、死んだ恋人の残した娘など、煩わしい存在でしかない」

「…………」

「聖子さんを殺害したのも、同様の理由からだと考えています。あなたが芸能活動を継続するに当たり、やはり聖子さんの存在は、邪魔だった。ただでさえ、一度不祥事を起こしているのです。これ以上スキャンダルが掘り起こされてしまうのは、是が非でも回避しなければならない。あなたと橘さんは、早急に彼女を抹殺する必要がありました。そこにつけ込んだのが、瑠璃子さんです。元々利害が一致していたからこそ、瑠璃子さんはあなたたちを、殺人の実行犯に指名した」

「…………」

 天道は、やはり無反応を貫くつもりだった。最早、否定も肯定も意味を成すとは思えず、ただ目の前で展開される緋村の「独壇場」を受容することだけが、彼の使命となった。

 それ自体が、天道の待ち望んでいた断罪。

 今や、白亜の彫像(モニュメント)と化した風情の天道に対し、緋村はダメ押しとばかりに、言い放つ。

「『作家は悪にならなくてはいけない』。脚本家だったあなたのお父さんは、そう仰っていたのだとか。……ある意味、あなたも悪になることを選んだと言えますね。一度は愛した女性を手にかけ、彼女が渡米してまで産んだ子供を、拒絶したのですから」

「…………」

「もっとも、本来は、全く違う意味の言葉だったのでしょう。僕自身、作劇や執筆といったものは門外漢ですし、うまく言えませんが……。ただ、これだけはわかる気がします。物語の登場人物に対して、筆者は『悪』になる必要がある。そうでなくては、読者にカタルシスを与えることはできません」

「……俺は」

「どうも、あなたはお父さんとの関係が、うまく行っていなかったらしい。芸名も、お父さんとは違う苗字を名乗っていますし、夕食の席では、お父さんのことを『クズ』とまで評していました。それから、家族のことを蔑ろにしていた、とも。……そんな父親が、『悪にならなくてはいけない』と発言していた。だからこそ、その息子である自分自身も、文字通りの『悪』になってしまうのは、ある種必定とも言える。むしろ、自分の仕事に徹する為には、そうせざるを得なかった──そんな風に言い聞かせることで、あなたはお父さんの言葉を、逃げ道にしたのでは?」

 緋村の指摘は、やはり、正しかった。

 天道は実に十七年もの間、逃げ続けて来たのだ。憎んでいたはずの父の言葉を、口実にして。

「言いたいことは以上です。感想や反論など、ありますか?」

「……偉そうに」真っ先に、天道はそう呟いた。しばらくまともに口を開いていなかった為か、その声は、老人のように嗄れて聞こえた。

「君の言ったとおり、俺があの()の父親だよ。遺伝子上はね。それと、あいつを殺したのも、俺だ」

「おや? 本当に認めてくださるのですね。少々意外な展開だ」

「……なんだよその言い方。俺を糾弾しに来たんだろ?」

「一応は。しかし、本当を言うと、あまり自信がなかったんですよ。あなたが、聖子さんと親しい間柄だった、という点以外は」

 その言葉を聞いた天道は、自らの罪を受け入れるように──あるいは、抗うことを放棄するように──、瞼を閉じた。

 そして、薄く──長い睫毛に縁取られた鳶色の瞳を、開く。

「……あいつと初めて逢ったのも、最後に別れたのも……あの家だった」

 現実は揺らぎ、記憶のフィルムが再生される。

 シーンは約二十年前のあの夜。舞台は言うまでもなく、白亜の町だ。

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