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白亜の町に死す ドラマツルギー  作者: 若庭葉
第三章:白い家の惨劇
20/42

白亜の町の涯

「橘さんは、以前から母と面識があったのですか? それとも、十七年前に初めて顔を合わせたのでしょうか?」

 ほどなくして、倉橋さんが尋ねた。端正な顔には、疲労の色が滲んでいる。自分の知らなかった事実を聞かされることに、疲れ果ててしまったのだろう。

「……元々顔見知りなのかまでは、わかりません。しかし、どうやらこの町にいる間に、何度か接触していたようです」

「何故、そんなことまでご存知なのですか? 橘さんから、教えてもらったとか?」

「直接は聞いておりません。ただ、橘さん自身が、そのように証言していたそうでして……」

 ──おかしい。先ほどから、宗介会長はやけに詳しく僕らの質問に答えている。それも、実際に捜査した警察にしか、わからないようなことばかり。

 緋村も同様の違和感を覚えたのか、「ふうん?」と訝しげな声を漏らす。

「とにかく、こちらの事情は、ご理解いただけたかと思います。今一度、お返事を伺ってもよろしいですか、倉橋さん。お母様を殺めた犯人を、知りたいと望むか否か」

 少々強引すぎやしないか? まるで、会長自身が、事件の再調査を希望しているかのようだ。

 しかし、そんなことをして、彼に何のメリットがあるというのか。

 真相が暴かれれば、自ずと鷺沼瑠璃子と犯人の繋がりも明るみに出るわけで、鷺沼グループからしてみれば、大幅なイメージダウンに繋がることは、自明だ。それどころか、実行犯自体も、家族の誰かである可能性が高いというのに。

「私は……」倉橋さんは、やはり迷っている様子だった。

 やはり、この場は答えを保留するのだろう。そう思ったのだが──

「知り、たいです。可能であれば、全ての真相を」

 決然とした表情で、倉橋さんは答えた。

 僕には少々意外であったし、本当にこれでいいのかという不安が湧いた。倉橋さんの選んだ道は、余計にその身を痛みつける、茨の道なのではないか、と。

「ご決断くださり、ありがとうございます。あなたは、勇気ある人間だ」

 少しも顔つきを緩めることなく、会長は賛辞を述べる。その言葉が、やけに薄っぺらいものに聞こえたのは、僕の気にしすぎだろうか?

「それでは、さっそく調査を始めたいと思います。まずは、現場となった廃屋を、ご覧いただきましょう」

「あ、あの、探偵を雇ったり、警察に相談したりはしないんですか?」

 まさか、自力で調査するつもりだったとは思わなかった。僕の問いに対し、会長は、

「ゆくゆくはそうするつもりです。ですが、今は内々で調査し、ある程度情報を整理しておく方が、無難かと……。私の妻が疑わしいことは事実ですが、そちらに関しても、確証があるわけではございません」

 何の考えもなしに提案したわけではない、と。僕は、ひとまず納得することにした。

「我々も、同行して構いませんね?」

 すかさず緋村が尋ねる。

「ええ。倉橋さんさえ、よければ」

「私は大丈夫です。むしろ、お願いしたいくらい。お二人がいてくれると、心強いですから」

 僕がついて行ったところで役に立てるとは思わないが……とはいえ、倉橋さんと宗介会長を二人きりにするのも、不安ではあった。

 それに、やはり興味がある。

 事件の真相はもちろん、緋村がどのような手法で、この「回想の殺人」を解き明かすのか、という点に。


 ※


 それから僕たちは、宗介会長に案内され、十七年前の事件現場へと向かった。

 屋敷を出る際、会長はリビングに居残っていた他の家族──面会を終え、一階に下りた時、橘さんと天道の姿はなかった──に対し、「倉橋さんを、あの家に案内して来る」とだけ告げた。

「今回のことは、完全に私の独断です。瑠璃子の遺品に関しても、まだ誰にも話しておりません。家の者に知られれば、調査を妨害される恐れがありますので。……特に、蒼一は絶対に認めないでしょう。会社の不利益に繋がるようなスキャンダルは、どんな手を使ってでも、握り潰そうとしてくるはずです。ここだけの話、荒事を任せられる()()を、雇っているくらいですから」

 再調査が決定した後、会長の言った言葉を思い出す。今のところ、蒼一社長に、暴力に訴えかけるようなイメージは湧かない。が、それでも、立場上あまりいい顔はしないだろうことは、容易に想像がついた。やはり、調査のことは伏せて行動するのが、ベターか。

 やがて、町を抜けた僕たちは、小高い丘に突き当たる。目的の廃屋は、この丘の上にあるのだ。

 雑草の繁茂する急坂には、切り出した石を埋め込んで造られた階段が、途中で折れ曲がるように向きを変えながら、頂上へと伸びていた。丘を登るには、この階段を使うしかないらしい。会長に手を貸す為に場所を入れ替わった緋村を先頭に、僕たちは十分ほどかけて、慎重に階段を上って行った。

 すると、青空を背に聳える二つの白い建物が、次第にその姿を現す。

 一つは、ズングリとした円筒形の風車で、先の削れた鉛筆のような屋根に、傘の骨を思わせる羽根車が生えていた。どうやら、実際のミコノス島にある、アノ・ミリの丘の風車をモチーフに、建造されたものらしい。

 その風車の左手側──五メートルほど離れた場所に目を移すと、そこには二階建てらしき白い家が、門戸を町の方へ向け、鎮座していた。先ほどまでいた鷺沼家の屋敷を二回りほど小さくしたようなギリシャ風の邸宅で、扉や窓枠に鮮やかな青色を用いていたあちらとは違い、壁以外の部分は、木の色が剥き出しになっている。加えて、廃屋というだけあって、長年手入れをされていない為だろう。白い壁は色味が燻んでしまっており、春空の下だというのに、非常に陰鬱とした雰囲気を醸していた。

 廃屋の裏手は、崖と呼んで差し支えないような急な斜面で、さらにその下には、雑木林が広がっていた。謂わば、ここが白亜の町の(はて)なのだ。

「遺体を発見した際、麗香夫人が覗き込んだのは、あの窓ですか?」

 灰色がかった壁に備わる二つの窓を見ながら、緋村が尋ねる。宗介会長は、「いいえ」と首を振った。

「一応、麗香さんはあの窓からも、家の中を覗いてみたそうです。しかし、遺体を発見したのは、別の場所でした。案内致しますので、ついて来てください」

 会長に連れられて、今度は風車と向き合っている方へと、回り込む。ちょうど覗き込みやすい高さの場所に、先ほど見たものと似たような窓があった──のだが、廃墟故に、砂埃(すなぼこり)が窓ガラスを覆っており、室内(なか)の様子は、あまり鮮明には見えない。

「先ほど見えていた窓の中は、リビングなのですが、こちらはダイニングでして……。聖子さんはあの夜、主にダイニングで過ごしていたようです」

「覗いてみても、構いませんか?」

 会長の許可を得ると、緋村は(おもむろ)に革手袋を取り出した。やたらめったら事件に巻き込まれ続けるうちに、現場検証用の手袋を持ち歩く習慣が、身についてしまったのだ。

 緋村は手袋を嵌めた手を、ワイパーのように動かし、砂埃を払う。だいぶ視界がよくなった。僕は両手を叩き合わせる友人と共に、窓の中を覗き込む。

 薄暗い為、ハッキリとは見えないが……確かに、キッチンらしき空間の先に、テーブルと椅子が置かれていた。

「聖子さんは、あのテーブルの傍らに、倒れておりました。頭をこちら側に投げ出し、横向きにした体を、くの字に曲げるような体勢です。あんなところで眠っているはずもありませんし、何より目を見開き、苦しげな表情のまま、微動だにされなかったので……。聖子さんがすでに絶命していることは、一目でわかりました」

 生々しい証言が語られる。最初に遺体を発見したのは麗香夫人だが、彼女の報告を受けた蒼一社長と宗介会長も、ここに立ち、同じものを見たのだ。

 しばし、屋内を観察する緋村につき合った後、僕たちはいよいよ、現場へと足を踏み入れる。

 会長は手ずから、玄関の鍵を解錠し、ハンカチ越しにノブを握ってドアを開けてくれた。中に入ると、カビと土の匂いが混ざったような独特の臭気が、まっさきに鼻をつく。溜まった塵が空気中に舞い上がり、微かに差し込んだ光を受けて、キラキラと反射していた。

「外で待っているか?」

 入ってすぐ、咳き込んでしまった倉橋さんを気遣うように、緋村が声をかけた。

「……すみません。もう、平気です」

 そう答える彼女は、少し意地になっているようにも見えた。《えんとつそうじ》でこの旅行のことを告げられた時も感じたが、案外気が強いというか、無鉄砲な性分なのかも知れない。

 廃屋なので、玄関で靴を脱ぐことなく、僕たちは土足のまま、フローリングの廊下に上がった。すぐ左手にはと、二階へ上がる階段とドアが並んでおり、その反対側にもドア──こちらはリビングに入る為のもの──があった。そして、廊下の突き当たりに見えるドアの向こうが、現場となったダイニングらしい。

 ダイニングとリビングは、当然繋がっている。が、ひとまずは廊下側のドアから、直接ダイニングへ向かうことになる。

 こちらも、至る所に埃が積もっており、家主を失い長い年月が経過した寂しさを、感じさせた。

 幸い、割れたガラスが散乱しているようなことはなく、安全に歩き回ることができそうだ。おそらく、鷺沼家の私有地である上、ほとんど山の頂上に位置する為、面白半分で荒らすような輩も、訪れないのだろう。

「座っても構いませんか? 少し、疲れてしまって……」

 宗介会長は、テーブルとセットになった椅子の一つを引き寄せ、座面に積もった埃を払ってから、緩慢な動作で腰下ろした。

 そして、ひと息吐くと、キッチンの方に目を向け、

「今し方、外から覗き込んだのがあちらの窓です。そして、聖子さんが倒れていたのがあの辺り。先ほども言ったとおり、頭が窓の方──キッチンのシンクを向く形で、倒れていました」

「聖子さんの水筒のコップは、どちらに?」

「ちょうど、聖子さんの目線の先辺りに、落ちていたそうです。窓から覗いた時は、気がつきませんでしたが」

 聖子さんは亡くなる直前、テーブルとセットになった椅子の一つに腰かけ、水筒の緑茶を呑んでいたのだ。そして、毒物を摂取した彼女は、反射的にコップを放り出し、苦しみながら転倒した。

 そんな情景を思い浮かべながら、僕は会長の話をメモに取る。書斎で話を伺った時は、まだ調査を行うか決まっていなかったので遠慮していたのだが……やはり、気になったことは書き記しておかないと、落ち着かない。

「床に倒れていた女性は、間違いなく聖子さんだったんですね?」

 目に見えない死体を幻視するかのように、フローリングを見つめたまま、緋村が意外な問いを発した。

「え、ええ。……もしかして、あの時私が見た女性は、本当は別の人だったのではないかと、お考えですか?」

「もちろん、本気でそう思ったわけではありません。ただ、どんなにあり得なさそうなことであっても、念の為、確認しておきたくて」

「なるほど、大事な心がけですね。ですが、間違いなく、あれは聖子さんでした。先ほども申しましたとおり、お顔が見えていましたから。それと、服装に関しても、前日にお会いした時と、全く同じでした」

 そうでなくては困る。というか、わざわざ誰かが聖子さんと入れ替わったり、あるいはマネキンか何かを用意して、会長たちの目を欺く理由がない。

「すみません、愚問でしたね。今のは忘れてください」言いながら、緋村は会長へと向き直る。「ところで、根本的な疑問なのですが……そもそも何故、聖子さんはここに留まっていたのでしょう? かつて自身が生活していた場所とはいえ、廃屋で一晩過ごすのですから、何かしら目的があったはずです。会長は、ご存知ありませんか?」

「……いえ、全く。私も、まさか聖子さんが一晩中この家に残っているとは、思わなかったものですから」

「この家の鍵が返却されていないことに、翌朝までお気づきになられなかったんですね?」

「気づいてはおりました。ただ、気に留めていなかったんです。てっきり、私と顔を合わせるのが気不味くて、返却せずにそのまま帰ってしまわれたのだと、思ったので」

「資金援助を断った直後ですから、そうお考えになるも、仕方ないことでしょう」

 ひとまず、同意を示すことにしたらしい。

「では、他のご家族の方はいかがですか? 聖子さんの目的について、何か知っていそうな方は、いらっしゃいましたか? 直感でも構いませんので、教えてください」

「……わかりません、と答えるしかありません。もしうちの人間の中に犯人がいて、密かに聖子さんと接触し、ここに留まらせたとしても、本当のことを言うはずが、ないでしょうし。……ただ、当時この町にいた家族は、()()聖子さんと、言葉を交わしていたようです」

「全員? 確か、昨日伺った話では、直接聖子さんと話したのは、会長と社長のお二人だけ、ということでしたが」

「おそらく、口裏を合わせて誤魔化したのでしょう。実際には、話をする機会は、あったはずです」

 やはり、鷺沼家の本音としては、スキャンダルに繋がりそうな過去を、掘り起こされたくないのだろう。彼らの中に本当に実行犯がいるのであれば、尚のこと。

「聖子さんは、ここで何かを探していた、という可能性はありませんか?」

「なかったようです。このダイニングとリビングを歩き回った形跡があったくらいで、二階や他の部屋には、誰も踏み入っていないようでした」

「そうですか。だとしたら……」

 思考を整理する為か、緋村は口を噤む。

 すると、彼と入れ替わるように、倉橋さんが、おずおずと声を発した。

「もしかしたら、誰かを待っていたんやないでしょうか? 例えば、犯人の指示で、人目を忍んで会いたいから、夜中までここで留まるよう、言われたとか」

「あり得る話です」宗介会長は、納得したように頷く。

 僕も同意見だった。というか、今の段階では、他の理由を考える方が、難しい。

「となると、犯人がいつ聖子さんと接触したのかが、重要になるな。宗介会長と面会する前なのか、それとも後なのか」

「前しかないんじゃないか? 聖子さんの方から、しばらくここに残りたいって申し出たんだから」

 僕がそう言うと、緋村は険しげな顔つきで首を振る。

「まだ断言はできねえよ。もしかしたら、その時は単に諦めがつかなくて、ここに留まっただけかも知れない。そして、ようやく腹を括って、帰り支度をしていたところへ犯人が訪ねて来た、というパターンも考えられる」

「それもそうか……。あの、宗介会長は面会の後、すぐにお屋敷へ戻られたんですよね?」

 僕は宗介会長に、確認しなくてはならないことがあった。

「ええ。寄り道せずに、まっすぐ帰りました」

「その時、お屋敷には、ご家族全員が揃っていたのでしょうか? それと、会長が帰られた後で、外に出た方は、いましたか?」

「ははあ、つまり、聖子さんの元に向かった可能性のある人間、ということですね? 一つ目のご質問ですが、そうです。家族は全員、リビングで私の帰りを待っていました」

 宗介会長は、聖子さんの素性や話した内容について、家族から尋ねられたという。彼らの問いにひと通り答えた後は、書斎に引き上げ、読書をして過ごそうとしたところで、当時の秘書である麗香夫人が、訪ねて来たのだ。

 その対応を終え、玄関まで秘書を見送ってからは、夕食の時間まで、リビングで寛いでいたらしい。

「反対に、麗香さんを送り出し、再びリビングに戻った時には、誰もおりませんでした。私たちが仕事の話をしている間に、皆それぞれ出かけていたようです。夕食が始まる頃には、橘さんも含め全員が屋敷にいましたが、誰がどの順番で帰って来たのかまでは、よく覚えておりません」

「その間、それぞれどこで何をしていたのかも、聞いていらっしゃらないのですね?」

「ええ。ただ、蒼一に関しては、橘さんのところを訪ねていたはずです。仕事の打ち合わせをしていたと思うので。……それから、紅二はバーの準備をしていたようです」

「バーがあるんですか?」

「といっても、あまり本格的なものではなく、ここに滞在している間、紅二が遊びでやっているだけですが」

 紅二さんのバーは、広場を囲む建物の一つだそうで、休暇の間、彼がそこでバーテンダーの真似事をし、家族に酒を振る舞うのが、慣例となっているのだとか。

 店名は、《バー ディオニューソス》。葡萄酒と酩酊、あるいは狂乱の神か。どういう意図があってのネーミングかは知らないが、紅二さんの裏の顔を仄めかしているように、思えてしまう。

 いずれにせよ、準備の間はずっと一人だったらしく、紅二さんのアリバイを証明できる者は、誰もいなかった。

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