ボヘミアン・ラプソディ
この永遠の旅路を人はただ歩み去るばかり、
帰って来て謎をあかしてくれる人はない。
気をつけてこのはたごやに忘れものをするな、
出て行ったが最後二度と再び帰っては来れない。
予定されていたとおり、晩餐会は十八時から始まった。会場となったのは別荘の庭であり、青々とした芝生の上には、バーベキューセットと人数分の椅子、食器類やオードブルなどを乗せた白い丸テーブルが五脚、設置されている。
調理や配膳を担当するのは、由井夫妻だ。
「ちょっとお父さん! そこのお肉焦げとるやないの!」
「アホ。こんくらい焦げたうちに入らんわ。それにお前、お客さんに生焼けのもん食べさすわけにいかんやろ」
「あーあ、もったいないわぁ。せっかくいいお肉やのに」
広い額に鉢巻のように手拭いを巻き、バーベキュートングを握る夫に、横から妻が口を出していた。
「由井さんたちが引き受けてくださって、本当に助かりましたよ。いつもお願いしているシェフと都合がつかなくなった時は、久し振りに自炊する羽目になるかと思いました」
蒼一社長が声をかけると、夫の方の由井さんは手を止め、浅黒い顔を綻ばせた。
「会長様直々のご指名とあっては、断るわけにはいきませんから。大してお役に立てんかも知れませんが、何なりとご用命ください」
どうやら、由井夫婦への依頼は、宗介会長が行っていたらしい。どういった経緯で、この二人をオファーすることになったのか、少し興味が湧いた。
「ありがとうございます。──ところで」
蒼一社長は、バーベキュー台の傍らに置かれた椅子の上へと、視線を移す。そこには、今時珍しいラジカセが鎮座していた。
「それは、由井さんたちの?」
「はい! 音楽があった方が盛り上がるかと思いまして……あの、余計でしたか?」
「ああ、いや、別に構いませんよ。私も、クイーンは、若い頃によく聴いていました」
苦笑混じりに社長はそう言った。厳格そうな敏腕社長と、エモーショナルなロックミュージックは、あまりにも不釣り合いな組み合わせである。おそらくは、単なる社交辞令だったのだろう。
その後、全員に飲み物が行き届いたところで、蒼一社長が乾杯の音頭を取り、食事会が始まった。生ビールをいただきつつ、高そうな肉に箸をつけてみたのだが……大して食が進まない。
先ほど田花さんから聞いた話と、緋村の語った推察が、頭から離れないせいだ。
鷺沼家には、闇がある。五十年の密室殺人に始まり、三十年前の鬼村夫妻惨殺事件、そして、十七年前の、聖子さんの服毒自殺。これだけ多くの人の死に関わって来た一族と共に、一夜を過ごさなければならないのだ。田花さんも言っていたとおり、何が起こるかわかったものではない。
警戒しなくては。そう考えれば考えるほど、食欲が減退してしまう。
「口に合いませんか?」
不意に声をかけられ、僕は慌てて顔を上げる。対面の席にかけた紅二さんが、不安げにこちらを見つめていた。
「い、いえ、美味しいですよ」とだけ返し、僕は冷めた肉を口に運んだ。
と、同時に、通話を終える間際、田花さんから聞かされた話が、脳裏に蘇る。
──鷺沼家の中でも、特に要注意なんは次男の紅二やな。奴は一度、不同意猥褻の罪で、起訴されかけとる。
──なんでも自宅に招いた知人女性とやらに薬を盛って、意識を失くさせた上であれやこれや楽しんだらしい。謂わゆるデートレイプドラッグって奴やな。
──最終的にはべらぼうな額の示談金を積んで、どうにか不起訴にさせたそうや。一時は常習犯の疑いもあったようやけど、結局その辺りは有耶無耶のまま。ほとぼりが冷めた頃には、紅二もケロッとした顔で、会社に復帰しとったらしい。
最後の最後で、とんでもない爆弾を投下して来たものだ。
正直、鷺沼家の面々の中で、紅二さんが最も信用できそうだと考えていた僕にとっては、かなりショッキングなエピソードだった。柔和な物腰や親切な言葉はすべて偽りのもので、その裏には、卑劣な強姦魔の顔が隠されている──のだろうか? あまり信じたくはないが……もしそうなら、男同士であっても嫌悪感が湧くし、恐ろしくもある。
「たくさん食べてくださいね。食糧は、大目に用意してもらってますから」
「あ、ありがとうございます……」
善人然としたその顔から逃げるように、僕は目線を逸らした。
そして、形ばかりの食事を続けながら、他の人たちの会話に耳を傾ける。
「不躾な質問かも知れませんが、橘さんは今おいくつなんですか?」
「別に気に致しませんよ。今年で四十八になります。自分では、まだまだ若いつもりでいたんですが……いつの間にか、スッカリおばさんになってしまって」
蒼一社長の問いに、橘さんが答える。
「ということは、私の一つ下ですか。とてもそうは見えないな。見た目の若さで言ったら、私の妻と、そう変わらないですよ。──もちろん、お世辞じゃありません。実は、初めてお会いした時も、マネージャーではなく女優の方だと、勘違いしたくらいです」
社長たちのやり取りを聞いて、思い出す。田花さんは、他の鷺沼家の人間に関しても、情報を集めていた。
──宗介の長男で、鷺沼グループの代表でもある蒼一は、変わった経歴をしとってな。まあ、経歴っつうか、学歴なんやが。
──蒼一は大学時代、経営学やのうて、人類学を学んどったそうや。しかも、アメリカの大学で。どういう経緯で進路を決めたんかは知らん。が、とにかく蒼一はアメリカで四年間過ごした後、日本に帰って来てから、一社員として、グループの傘下企業に就職したらしい。
──五十手前って若さで社長の座に就任できたんは、宗介の体調面を考慮して早めに代替わりした、って理由もあるみたいやが……そもそもの話、実力がなければ任されんわな。
──今んとこ蒼一にキナ臭い話は一切聞かんが……まあ、用心するに越したことはないやろ。社長の蒼一が、鷺沼家の過去をあれこれ掘り返されるんを、容認するとは思えん。
実際、久住さんが再調査を依頼することに関して、いい顔はしなかったらしい。僕と緋村が五十年前の事件を知り、好き勝手に推理していたことは、社長には伏せておくべきか。
「ねえ、天道さん。私、あなたが出ていたあのドラマ、大好きだったのよ。毎週ハラハラしながら観ていたんだから」
「それはどうも。みなさんが撮影に協力してくださったお陰で、いい作品になったんでしょう」
今度は橙子さんと天道さんのやり取りが、聞こえて来る。俳優の受け答えは、どこか素っ気ないものに感じられた。
「そんなこと、あまり重要じゃありませんよ。ドラマが成功したのは、あなたが主演として、お芝居を頑張ったからです。特に、あのセリフが好きでねぇ。ほら、『人生は砂のよう』とかっていう」
「『人生は、砂の城を築くのに似ている』ですね。俺が、死ぬ時のセリフだ」
「そうそう、それ! 本物が聴けるなんて、感激です。──脚本をお書きになった赤星先生も、さぞや誇らしかったでしょうね。ご子息が、自分の書いた物語の主人公を、立派に演じきったんですもの」
どうやら、例のドラマの脚本を手がけたのは、天道さんのお父さんのようだ。親子で別々の苗字を名乗っていることが気になったが、どちらかが芸名、あるいはペンネームなのだろうか。
「……どうだか。あの人、俺の演技には関心がなさそうでしたけど」
「面と向かって褒めるのが、照れ臭かったんじゃないかしら。昔の男の人って、そういうところがあるでしょう?」
「別に、そこまで昔気質って感じの人じゃありませんよ。むしろ、真逆というか……ハッキリ言って、親父のことは、ただのクズだと思ってます」
あまりにも辛辣な物言いに、聞き耳を立てながら驚く。これには橙子さんも面食らったらしく、「まあ!」と声を上げ、大袈裟に体を仰け反らせた──かと思うと、
「いけませんよ、亡くなったご家族のことを、悪く言っては。あなたのことを、護ってくださっているんだから」
「守護霊って奴ですか?──ないない。生きている間ですら、家族のことを蔑ろにしていたような奴ですよ? お袋が病気で死にかけていた時だってそうだ。ロクに見舞いにも来ずに、平気な顔で仕事して、飲み歩いて……守護霊になるどころか、地獄に落ちてなきゃおかしいくらいだよ」
「そう思うのなら、尚更あなたが祈らないと。お父さんの魂が救われるようにね。たとえ亡くなった後でも、家族の絆は残り続けるんですから」
橙子さんは至って真剣な口調で諭す。が、天道さんの心には響かなかったらしく、彼は閉口したとばかりに唇を歪ませるのだった。
──三兄弟の叔母である橙子は、二十年くらい前に、事故で大怪我を負ったことがあるそうや。一命は取り留めたものの、何日か意識不明の状態が続いたらしい。その後、橙子は奇跡的に快復し、数年後には、何の問題もなく、日常生活を送れるようになった。
──オモロいんはこっからで、橙子曰く、九死に一生を得ることができたんは、『紫苑が護ってくれたから』。橙子は夢の中で紫苑に励まされ、そのお陰で、意識を取り戻すことができたんやと。
──以来、橙子は人が変わったように、派手だった暮らしぶりを改め、寄付やらボランティアやらの慈善活動に勤しむようになったらしい。何で俺がこんなこと知っとるかっちゅうと、橙子はこの臨死体験について、実費で出版した啓蒙本擬きのエッセイん中で、述懐しとるからや。
──紫苑が殺される原因を作ったかも知れんクセに、虫のいい話やで。
これも同意見だった。実際に、橙子さんの嘘が事件の引き金となったのかどうかは、不明である。しかし、少なくとも橙子さんは、長姉の瑠璃子に追従していたようだ。そんな彼女を、紫苑さんの霊が守護するというのは、なんとも図々しく聞こえる。
「あ、あの、緋村さん。よかったら、後で宿題を見ていただけませんか? 一応、持って来たんですけど……」
「ああ、別に構わねえ──あ、やっぱダメだ。酒をいただいちまった。申し訳ないが、課題は一人でやってくれ。どうしてもって言うなら、また明日見るから」
倉橋さんも緋村も、特段変わった様子はなく、他の人と同じように呑み食いしている。倉橋さんの方はまだいい──感情を整理する時間は、十分あっただろうし──として、緋村に関しては、羨ましくなるほどの図太さだ。
「倉橋さんって、高校生なんやっけ? 今、何年生なんや?」
二人の会話を聞いていた三黄彦さんが、話に加わった。ちなみに、晩餐が始まってからは、彼はウィスキーではなく赤ワインを呑んでいた。
「えっと、二年になりました」
「そう。それじゃ、今が一番楽しい時期やろ。羨ましい。できることなら、俺もそんくらいの年齢から、人生をやり直したいもんやな」
最後は呟くように言って、グラスの中のワインを呷る。倉橋さんは何と答えたらいいかわからなかったらしく、不安そうな顔をしていた。
すでに相当酔っ払っている様子の三黄彦さんであったが、グラスが空になると、すぐさまワインを注ぎ足そうとする。が、そちらにも中身が入っていないようで、
「おーい、おばちゃん! 酒、持って来てや」
乱暴な口調で、由井夫人にオーダーする。
「あのぉ、こんなこと言うんもあれですけど、ちょっと呑みすぎなんとちゃいます? お体に障りますよ?」
「はっ。体なんて、今更気にしても遅いねん。いいからさっさと持って来いや! まだ同じのがあったやろ!」
何か言い返そうとしたらしい妻の肩に、夫が手を置いて制した。
「同じ物でよろしいんでしたね? 私が取って参りますんで、待っとってください」
彼は手にしていたトングを妻に渡し、足早に、屋敷の中へ向かって行った。
──三男の三黄彦だけは、鷺沼グループの経営には一切携わってへん。それどころか、あまり長く仕事が続かんたちらしく、今も職を転々としとるそうや。
──一応、映画監督っつう肩書きやが、それだけで食っていけるほど売れてへん。ま、当然っちゃ当然やけどな。そもそも、三黄彦の作る映画は、謂わゆる『B級』って奴や。そん中でも、特に人を選ぶような、グロいスプラッタホラーばっか撮影しとるらしい。
ちなみに、三黄彦監督の代表作は「拷問偏執教」シリーズというそうだ。人体を痛めつけることに快感を見出した主人公が、毎度標的となる相手を拉致して来ては、手を替え品を替え、拷問を行うのだとか。現在、同シリーズは四作目まで続いているらしい。
──俺も、試しに一作目だけ観てみてんけどな。ハッキリ言うて、少しもおもんなかったわ。ストーリーはあってないようなもんで、最初の何分か以外、ずうーっと拷問しとるだけ。ま、低予算ながらにインパクトのある画を作ろうと努力しとったのは評価するけど……そこに執着する余り、それ以外の全てを疎かにしとる印象やった。
と、大学時代、演劇部に所属していた先輩は酷評する。
──纏めると、長男次男に比べてだいぶ落ちこぼれってわけやな。ちなみに、三黄彦は一応、俺らの先輩らしい 阪芸の映像学科に在籍しとったそうで、卒業した後も、大阪に居着いとそうや。
だから、鷺沼家の人間の中で唯一、関西弁を使っているわけか。
「さすがに態度が悪すぎるんじゃないか? 由井さんだって、お前のことを心配して言ってくれたんだろうに」
紅二さんが窘めるも、弟は気に留めていないらしく、憮然と鼻を鳴らした。
「知らんわそんなこと。俺は今を生きとんねん。“一瞬をいかせ”や」
「……『ルバイヤート』か。お前、昔からあの詩集が好きだったな」
十一世紀ペルシアの詩人、オマル・ハイヤームによる四行詩集、『ルバイヤート』。数学や天文学、医学に歴史学、そして哲学など、様々な学問に通暁していた学者、ハイヤームの死後に公表された詩集であり、タイトルの意味は、そのままペルシア語で四行詩を指す「ルバーイイ」の複数形──すなわち「四行詩集」。無常観や生への懐疑、イスラム教への批判、虚無感といったものが、美しい文体と風刺的な表現で綴られている。
「ああ。あの本には、真理しか書かれてへんからな。誰だっていつかは死に、無に帰す運命。せやったら、好きなだけ酒を呑んで、今生を目一杯楽しむべきや。至極真っ当な主張やで。兄貴かて、そう思うやろ?」
「……まあ、な。確かに、ハイヤームの主張は理解できる。けれど、お前の場合、ただ自棄になっているだけじゃないのか?」
「しゃあないやろ。自棄にもなるわ。なんたって、俺たち全員──“無の手筥”にしまわれる運命やねんから」
──無の手筥。その印象的な言葉も、『ルバイヤート』からの引用なのだろうか?
それはそうと、僕が気になったのは、三黄彦さんの言葉を聞いた、他の家族の反応だった。話していた紅二さんだけではなく、蒼一さんや橙子さんまでもが、食事の手を止め、みなハッとした様子で、三黄彦さんのことを凝視しているではないか。
まるで、忌避できぬ破滅を、予言されたかのように。
沈黙する鷺沼家の人々に釣られてか、他の参加者も、みな自然と口を噤ぐむ。
同時に曲目が切り替わり、フレディ・マーキュリーの哀切な美声が、バーベキュー会場に響き渡たった──『ボヘミアン・ラプソディ』だ。
人を殺めてしまった青年が、自らの過ちと絶望、そして“ママ”へ想いを、歌っている。
「すみません、お待たせしました。同じようなワインがあって、どっちかわからんかったもんで、両方持って来たんですが……あれ? みなさん、どうかされたんですか?」
異様な雰囲気を感じとったらしく、困惑した様子で首を傾げる。が、誰もそれに答えられる者はおらず、座を彷徨った由井さんの視線は、最終的に彼の妻に留まった。彼女は夫の問いに答える代わりに、元から短い首をさらに短くして、肩を竦めるのだった。
※
夕食の後、僕たちは由井夫妻と一緒に片付けを手伝い、それが終わってお暇する頃には、二十一時を過ぎていた。
僕たち三人は、貸してもらった懐中電灯の灯りを頼りに、帰路に就く。空に浮かぶ雲は疎らで、普段よりも近い夜空から、月と星の光がシラジラと降り注いでいた。それを浴びた白亜の町は、建物も路面も青白く染まり、まるで海底に沈んだ遺跡の中を歩いているような気分だ。
昼間とはまた違う、神秘的且つ不気味な景観であるが、緋村たちがいてくれるお陰で、さほど心細い思いをせずに済んだ。
いや、むしろ、酔っ払った友人のせいで、雰囲気がぶち壊されたとも言えるか。
酒の弱い緋村は、別にしこたま呑まされたというわけでもないのに、食事会が終わる頃には、スッカリできあがっていた。下戸のクセに、出された酒を断らないせいだ。
そんなわけで、懐中電灯で足元を照らす役を、倉橋さんに任せ、僕は千鳥足の緋村に肩を貸してやりながら、幻想的な海底の町を歩く。「本物の白亜の町に白塗りの建物が多いのは、白いペンキが安かったから」だとか、「その点あの屋敷はマーブル模様」だとか……平時にも増して、脈絡のないことをひたすら喋り続ける緋村を、適当な相槌であしらうこと、約十分。
それまでホモ・サピエンスと他の旧人類との違いについて、滔々と語っていた緋村が、突如、原始人じみた呻き声を発した。
「悪い、そろそろ限界みてえだ……」
まさか、こんな幻想的な町に吐瀉物をぶちまけるつもりなのかと憂いが、違った。緋村の言う限界とは、禁煙のことだった。そういえば、あまり体の丈夫ではない倉橋さんに配慮してか、食事会が始まってから、これまで一本も吸っていなかったか。
「二、三本吸ったら追いかけるから、お前らは先に行っててくれ」
そう言って、僕の腕を肩から解くと、フラフラと蹌踉めいてから、道端に座り込んでしまう。完全に、面倒臭い酔っ払いのそれだ。
「一人で歩けるのか?」と尋ねると、「何言ってんだ。今までだってちゃんと一人で歩いてただろ」と返される。安心できる要素はカケラもなかったが、かといって、倉橋さん一人で帰らせるわけにもいかない。
結局、昼間この町に着いた時のように、僕らは少し離れた場所で、緋村を待つことにした。
図らずも倉橋さんと二人きりになったわけだが、ちょうどいい機会だ。かねてより気になっていたことを尋ねてみるか。
「あの、唐突な質問になっちゃいますけど……結局のところ、どうして緋村に同行をお願いしたんですか? 前にあいつに訊かれた時は、『頼り甲斐があるから』って、答えていましたけど……」
本当は、他にも何か理由があるのではないか? 僕はそう考えていた。無論、根拠のある話ではない。けれど、「助けてくれそう」という予感だけで、ここまで個人的な相談事を、持ちかけるものだろうか?
僕の問いを聞いた倉橋さんは、一瞬だけ目を瞠ったかと思うと、こちらの視線から逃れるように、俯いてしまう。
「すみません、言い辛いことだったら、答えてもらわなくて大丈夫です」
「い、いえ……そういうわけや、ないんですけど……」
打ち明けるべきか否か、悩んでいる様子だった。無理に急かすのも忍びないし、僕は何も言わずに、続きを待つ。すると、
「……若庭さんは、前世って、あると思いますか?」
反対に質問し返されてしまった。それも、全く予想だにしなかった問いである。
僕は困惑しつつも、ひとまず「信じてはいない」と答える。つまらない返答だと落胆されるかと思ったが、そのようなことはなく。倉橋さんはただ「そうですよね」と、呟くのみだった。
「あ、すみません。おかしなことを言ってしまって……。あの、私、実は」
倉橋さんが、何事かを打ち明けようとした矢先──こちらへ近づく足音が、聞こえ始めた。
倉橋さんもそれに気づいたらしい。続く言葉を呑み込み、顔を上げて、背後の通りを振り返る。僕も同じ方に目を向けると、間もなく、左手の曲がり角の先から、白い光芒が見え始めた。
「あれ? 何やってんのさ、そんなところで」
現れたのは、懐中電灯を握る天道さんだった。ディナーの後、天道さんは片づけを手伝うことなく、一足先に、自分の家へ引き上げていたのだ。
そちらこそ、こんな時間にどうして出歩いているのか。尋ね返すよりも先に、天道さんは、座り込んで煙草を吸う緋村の姿を見て、状況を察したらしい。
「ああ、彼を待ってんのか」
「そうです。天道さんはどちらに」そこまで言いかけて、僕は行き先に気づく。「あ、もしかして、橘さんを迎えに行くところですか?」
橘さんは、まだ屋敷に留まっていた。
「まあね。本当は、さっき俺と一緒に帰ればよかったんだ。美佳ちゃんが気い遣うもんだから、二度手間だよ。……あんな奴らに囲まれていても、息苦しいだけなのに」
華麗なる鷺沼家の一族を、「あんな奴ら」呼ばわりか。単に斜に構えているだけなのか、それとも彼らの抱える闇に、天道さんも勘づいているのか。
「おっと、口が滑ったな。ま、あんま長居させるのも迷惑だし、さっさと迎えに行って来るよ」
取り繕うように爽やかな笑みを浮かべ、天道さんは体の向きを変えた。
そのまま歩き去るのかと思いきや、天道さんは数歩進んだだけで、足を止めてしまう。
「……君らも、早く家に戻った方がいい。この町、夜になると出るから」
「『出る』って、何が、出るんですか?」
スポットライトのような月光を浴びながら──俳優は振り向きもせず、酷く冷淡な声色で、答えた。
「……幽霊さ。三十年前に殺された、女の霊だよ」
背筋の凍るようなことを言い、天道さんは、今度こそ去って行った。僕は倉橋さんと一緒に、金縛りにでも遭ったかのように立ち尽くし、その懐中電灯の灯りが遠ざかるのを、見送る。
そして、またしても脳裏に、田花さんの声が蘇った。
──天道琴矢? へえ、あいつまでその町にいてるんか。
──天道って言えば、二十年くらい前に、傷害事件を起こしとるな。ちょうど主演を務めとったドラマの放送が、終わった直後や。
──なんでもスナックの店内で他の客とやり合うたらしい。一応酔っ払い同士の喧嘩ってことで、不起訴にはなったものの……子役時代から清純さをウリにしとった天道にとっては、大きなイメージダウンやった。
──で、そこからあることないことゴシップが広まった結果、天道はテレビから姿を消したっちゅうわけや。
──は? なんでそんなに詳しいかって? そらお前、元演劇部員やからに決まっとるやろ。……文句あるか?
別に文句はないが、理由にもなってない気がする。
鷺沼家の人間だけでも相当濃いメンツが揃っているのに、また一人、曰くつきの登場人物が現れてしまった。
と、そんなことを思い出しているうちに、ようやく煙草を吸い終えた緋村が、千鳥足でこちらへ近づいて来た。金縛りから解き放たれた僕は、意味もなく倉橋さんと目配せし合ってから──彼女も心細そうに、僕の目線を見返した──、二人揃って、緋村の元へと駆け寄る。
かくして、僕は、直接尋ねる機会を逸してしまったのだ。
倉橋さんがあの時、何を言おうとしたのかを……。