ウルトラC
「鷺沼紫苑を襲撃した目出し帽の男──その正体は虻田と考えるのが妥当でしょう。現場に指紋が残されていたとか、物的証拠はなかったようですが……虻田には事件当時のアリバイがなく、拳銃を扱うことができ、人を殺し慣れていました」
『んなこと、今更言わんでもわかるわ。それより謎なんは、虻田が現場を密室にした『方法』と『理由』やろ。どないな手を使たら、ブーゲンビリアの花を踏まずに逃走できた? いや、もちろん誰も気づいてへんだけで、何らかのトリックを用いればそれが可能やったとしても、や。そもそもの話、なんで密室にしてん。明らかな他殺やねんから、そんなことしても、意味ないやろ』
「それと、虻田がすぐに立ち去らずにピアノを弾いていたことも、大きな謎ですね。単なる狂気の表れでなく、合理的な理由があるとしたら、ですけど」
個人的には、こちらの方が大きな謎というか、奇妙な行動に思えたので、二人に割り込んだ。
『せやなァ。しかも、虻田は宗介たちが帰って来るまで、三十分近くも『猫踏んじゃった』を弾き続けた上で、現場を密室にしてから逃げたわけやろ? なーんでそんな、リスクのでかいこと、せなあかんかったのか。──この辺の謎も、全部解けとんのか? 緋村チャンよォ』
「解けたというか、考えていることはあります」
平板な声で答えた緋村は、それから僕らに、意外な問いを寄越した。
「ところで、虻田の行動の中にもう一つ、不可解なものはありませんでしたか?」
何かあっただろうか? 少しだけ考えて、ピンと来た。
「もしかして、久住さんと家政婦さんに、目隠しをしたことか?」
「ああ。正確には、部屋から追い出す直前に、一度立ち止まらせて、視界を塞いだ。ついでに、ガムテープで手足の自由を奪ってな。──もちろん、通報を遅らせるのが、一番の理由でしょうが……そんなことをしてまで行われたのがピアノの演奏『だけ』というのは、少々不可解です」
『密室を作るトリックを、邪魔されん為ちゃうか?』
「それなら、ピアノなんて弾いてないで、さっさと済ませてしまえばいい」
『まあ、確かに。──つうか、結局なんで虻田はピアノなんて弾いてん。そこまでした以上、何か理由があるんやろ?』
「考えられる理由は、一つだけ。誤魔化す為ですよ。部屋の中の物音を」
『はあ? 物音って、何のや』
僕が思ったのと全く同じレスポンスを、田花さんが発する。
犯行後、盗まれた品はなかったと、久住さんは言っていたはず。それなのに緋村は、虻田が室内を物色していたと、考えているのだろうか?
「さあ? 実際に何が行われていたかまでは、俺にもまだわかりません。しかし、ピアノを鳴らした理由──その行為によって得られるメリットは、『音色によって、他の音が搔き消されること』だと考えるのが、一番合理です。久住さんたちの聞いた『猫踏んじゃった』の演奏はかなり激しいもので、しかも途切れることなく続いた。これは単なる狂気の発露ではなく、少しの物音も聞き取らせない為の、策だったのでしょう」
「ちょっと待った。確かに、ピアノを演奏した理由としては、納得できる。けど、そもそも物音なんて、するわけないだろ。その時、室内には虻田の他に、誰もいなかったんだから」
堪らずそう指摘すると、どういうわけか、緋村は口角を吊り上げる。
まるで、獲物が罠に掛かったとばかりに。
「答えを言ってるようなもんだな。──いたのさ。虻田の他にもう一人、生きた人間が」
予想だにしない返答に、困惑するしかなかった。
やはり、虻田には共犯者が存在し、その何者かの手を借りて、足跡のない現場を作り上げたと言いたいのか?
『もしかして、紫苑のことを言うとんのか? 紫苑は死んだフリをしとっただけで、ホンマはまだ生きとったって?──あり得んやろ。二人の人間が、撃たれる瞬間を間近で見とったんやで? 久住に至っては、額に空いた傷口も目にしとる。そんな状態で生きとるとは思えんし、射殺されたように見せかけるなんて、それこそどんなトリックを使たらええねん』
「もちろん、わかってますよ。俺が思い浮かべているのは、全く別の人間です。──とにかく、虻田には共犯者がおり、その人物の立てる物音を隠す為に、三十分近くもピアノを弾き続けた。ここまではいいですね?」
『いやよくないわ。お前の言うとおり物音を消すんが目的やとしたら、わざわざピアノの演奏なんてせんでも、耳栓か何かを使たらええだけやないか。その方がずっと簡単やし、合理的とちゃうか?』
「あんた、偶に鋭い指摘して来るな。──確かにその通りです。しかし、思うにピアノの演奏には、もう一つ別の目的もあったんでしょう。それが何だったのかは、後で説明します」
『なんや、後回しにすんのかい。──耳栓のことを抜きにしても、まだ納得できんで? ホンマに共犯者がおったとして、そいつはいつ、部屋に入ってん。事件が起こる前、室内には、久住たちしかいてへんかったはずや。
もし、紫苑が撃ち殺された後で、誰かがやって来たんやとしたら、さすがに気づかなおかしい。久住と高部は、部屋の真ん前に転がされとった。幾ら錯乱状態とはいえ、足音なり気配なりで、わかったはずや』
加えて、室内に人が隠れられるスペースはなかった。よって、久住さんと紫苑さんが部屋に入るよりも前に忍び込み、身を潜めていた──という可能性も、考えられない。
で、あるならば、虻田の共犯者は、いったいどこから侵入したのか……。
「──そうか! ベランダか! 共犯者は久住さんたちが部屋を追い出された後で、ベランダに通じる扉から入って来たんだ! もちろん、鍵は虻田が中から開けておいた。そういうことだろ?」
僕なりに自信のあるアイデアだったのだが、豈図らんや、緋村の反応は芳しくない。
「残念ながら、それだけは絶対にあり得ない。事件当時、外は土砂降りだったんだ。にも拘らず、現場のカーペットには、濡れた足跡が一組しか残されていなかった。どう考えてもおかしいたろ? もし共犯者がベランダから入って来たのだとしたら、どうしてももう一組、濡れた足跡が残ったはずだ」
『ほんなら、共犯者は部屋には入らんかったんちゃうか? つまり、虻田はピアノを弾く前、ベランダの扉の鍵を開けた。で、そのついでに、紫苑の死体を扉のすぐ近くまで、運んだわけや。扉は外開きやったから、開けたらすぐ死体を取り出せる』
「だとしても、やはりおかしい。現場の部屋は二階だったんです。大雨が降る中、ベランダまでよじ登るなんて、危険すぎませんか? わざわざそんな命がけの冒険をするくらいなら、虻田がベランダから死体を外に落とせば、済む話でしょう」
言われてみれば。
結局のところ、犯行のリスクとそれによって得られるメリットが釣り合わないという問題は、変わらない。
「それに、久住さんと高部さんが部屋を追い出されてから、ピアノの音が聞こえ始めるまで、数秒しか間が空かなかった。もし仮に虻田が中から扉の鍵を開け、死体をすぐ近くまで移動させたのだしたら──ピアノを弾き始めるまで──、もう少し時間がかかってもいいはずです」
「じゃあ、共犯者はどこから」
「簡単な話だ。──共犯者は、廊下側のドアから、普通に中に入った」
何を言い出すかと思えば。そんなことをしたら、久住さんたちがすぐに気づいたはずだと、先ほど田花さんが指摘したばかりではないか。
そう反駁しかけた矢先、
『……ナルホド。その為の目隠しやったんか。虻田の共犯者は、タオルで視界を塞がれた久住さんたちと入れ替わる形で、部屋に入ったわけや。──二人は廊下に放り出されるより前に、目隠しをされた。そして、虻田が紫苑を撃ち殺した時点で、共犯者が部屋のすぐ前まで来っとったなら、目の見えんくなった二人に気づかれずに、室内に入ることができる』
これまた言われてみれば、だった。確かにそれなら、土砂降りの中二階までよじ登るより、遥かに安全だ。
「俺もそう考えました。──おそらく、虻田と共犯者は、一緒に別邸へやって来たんでしょう。そして、虻田が部屋に入った後で、共犯者は扉のすぐ近くまで来て、タイミングを窺っていたんだと思います」
『その後、目隠しをされた久住と高部が部屋を出るのとほぼ同時に、共犯者は素早く部屋に入り──それを見届けた虻田が、ドアを閉めた、と』
「ええ。共犯者が、その後何をしていたのかまでは、わかりません。ただ、少なくともすぐに終わるようなことでは、なかったのでしょう。だからこそ、虻田はピアノを弾き続ける必要があった」
田花さんは納得してしまったようだが、僕は口を挟まずにはいられなかった。
「いや、それもおかしいだろ。どんな方法で共犯者が部屋に侵入したにせよ、濡れた足跡が一組しか残らないなんてあり得ない。さっき君自身がそう否定したばかりじゃないか」
「いいや。一つだけ、その矛盾を解消する術がある。そして、それはそのまま密室の『答え』に繋がるんだ」
いったいどんなウルトラCを使ったら、そんな芸当が可能なのか。身構える僕を他所に、緋村は涼しい顔つきのまま、話を再開する。
「つまり、虻田の共犯者は靴を脱ぎ、足を拭いてから、屋敷に上がった。自身の存在した痕跡が、足跡として残らないように」
正直に言って、肩透かしを食らった気分だった。
『えらく行儀のええ共犯者やな。ま、理に適ってはいるか。──で? そんな小細工が、どう密室と繋がんねん。てか、いい加減トリックを教えろや』
「トリックなんて、大袈裟なものは必要ありません。ただ──虻田が扉からベランダに出た後で、部屋に残った共犯者が、中から鍵を閉めた。それだけでの話です」
呆気に取られるあまり、僕はすぐに言葉を発することができなかった。
犯人は窓からベランダに出た──その際、何らかの方法で、ブーゲンビリアの絨毯を踏み締めることなく逃走した結果、「足跡のない現場」が完成した。今まで僕たちはそう考えていたはずだ。それなのに、そもそも犯人は窓からは脱出しておらず、扉の鍵も共犯者がただ中からかけただけだなんて……。
いや、確かにそれなら、花を踏んだ形跡がなかった理由もわかるし、大雨の中現場から脱出する苦労も、大したものではなくなるだろう。
紫苑さんの遺体はベランダから落とせばいいだけだし、虻田自身も──よじ登るのと違い──泥濘んだ地面に飛び降りるだけならば、手摺にぶら下がりながらゆっくり降下すれば、さほど命がけの行為とも言い難い。それこそ、サーカスの空中曲芸と比べたら、屁でもないはずだ。
しかしながら……緋村の推理は一つ、明確な破綻を来たしている。
「部屋に残った、って……そんなことをしたら、久住さんたちが中を確認した時、鉢合わせていたはずだ。人が隠れられるスペースは、なかったそうだし」
「その時には、共犯者はすでに部屋を出ていたんだ。こう考えれば、矛盾は生じない」
なんだそれは。僕はいつから、頓知話につき合わされていたんだ?
『いやいやいや。それはそれで、別の矛盾が生じてまうわ。お前は、「共犯者は廊下側のドアから部屋を出た」って言いたいんやろうけど……そっちには、久住と高部がおってんで? 仮に、二人は視界を塞がれとったせいで、気づかんくても、宗介たちはどないすんねん。ピアノが鳴り止むとほぼ同時に、二階に上がって来た三人が、部屋から出て来た共犯者を黙殺するなんてこと、あり得へん』
「それが答えです。──現場を密室にした虻田の共犯者は、宗介会長、久住さんのお父さん、そして鬼村医師の中におり、残る二人も、彼らの仲間だった。だから、共犯者が部屋から出て来る瞬間を目にしていながら、見て見ぬ振りをしたんです」
久住さんと高部さん以外の、現場に居合わせた全員が犯人と通じていたと、そう言いたいのか。──無茶苦茶じゃないか。
筋が通るように考えた結果なのだろうが……しかし、あの宗介会長までもが犯行に関与していなだなんて。容易に受け入れられることではない。
『また、とんでもないことを言い出したな。そんだけの人間が──それも社会的地位の高い人間までもが──、なんで寄ってたかって、十三かそこらの子供を殺さなあかんねん』
「動機までは、俺にもわかりません。ですが、そうとしか考えられないんですよ。──では、虻田の逃走を手助けし、現場を密室にした共犯者は、三人のうち誰なのか。その答えは、久住さんと高部さんの証言の中に、あります」
いったい、二人の証言のどこに、フォーカスすればよいのか。特にヒントとなるような発言があったとは、思えないのだが。
なんとか緋村と同じ答えを見出そうとしたのだが、彼は猶予を与えてくれない。
「久住さんの目隠しを外したのは、彼のお父さんでした。ピアノの音が止んだ直後、お父さんが名前を呼びかけ、それから目隠しのタオルが取り払われた。一方、高部さんに声をかけ、目隠しを外したのは、宗介会長だったそうです。二人はほぼ同時に視界を取り戻し、その時にはでに、宗介会長たちは全員、そこにいた」
確かにそう言っていたが、それがいったい何だと言うのか──
「共犯者が部屋を出たタイミングは、当然ピアノが鳴り止んだ後から、久住さんたちが視界を取り戻すまでの、わずかな時間です。その間、二人が声を聞いていない人物が、一人だけいました」
「そ、それじゃあ、共犯者の正体は」
「そう。──鬼村庄司医師だ。鬼村医師は、宗介会長たちが屋敷に着いた直後、虻田の脱出経路であるベランダの扉を施錠し、素早く廊下側に出た。そして、あたかもたった今、自分も会長たちと一緒に屋敷へ戻ったかのように、見せかけた」
そう捲し立てた緋村は、僕たちの感想を待つかのように、悠々と煙草を揉み消し、すぐさま新しい一本を、吸い始める。
僕は、即座に反応することが、できなかった。緋村が名指ししたのは、倉橋さんの祖父と思われる人物であり……今回倉橋さんをこの町に招いた宗介会長までもが、犯行に関与していた。緋村は、そう考えているのだ。