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白亜の町に死す ドラマツルギー  作者: 若庭葉
第二章:ザ・サギヌマ・マーダー
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オモロいやんけ

 語り終えた久住老人は、ほっと息を吐くと、再び湯呑みに手を伸ばした。音を立てて緑茶を啜り、それから改めて、ひと心地ついた様子で息を吐く。そんな依頼人の姿をテーブル越しに見つめながら……松谷は、しばし呆気に取られていた。

 久住の語った「体験談」は、あまりにも突飛で、現実離れしたものだ。資産家の令嬢が射殺されたというだけでもセンセーショナルな事件だが、殺人犯は魔法のように密室状態の部屋から消え去り、今尚全ての真実が未解明だなんて……。

 ──あり得へん。推理小説やあるまいし。

 もしかしたら、この爺さんはすでにボケていて、自分は狂人の与太話につき合わされているのではないか。そこまで考えたところで、久住の縋りつくような瞳が、こちらを見上げた。

「それで、いかかですか? 調査、引き受けていただけますか?」

「──え? えっとぉ……」

 松谷は返事に窮し、視線を泳がせる。引き受けるか否かを迷ったというよりは、どのようにして断るべきかを悩んだ。

 すると、いつの間にかソファーの真横に立っていた沢渡と、目線がかち合う。普段は他人のことなど微塵も関心のなさそうな彼女だが、意外と噂好きなのか、今の話に聴き入っていたらしい。

 誤魔化すように咳払いをし、そそくさと自分の席へ戻って行く沢渡を見送ってから、松谷はようやく返す言葉を決めた。

「申し訳ありませんが──」

「喜んで、引き受けさせてもらいましょう!」

 言葉の続きを遮るその声は、松谷の背後から降って来た。

 吃驚しつつ──そして不吉な予感を抱きつつ──、松谷が振り返ると、パーテーションの向こうから、長髪長身の男が、のそりと姿を現す。

 予想するまでもない。この日、事務所に出て来ていたのは、松谷と沢渡の他に一名しかいなかった。また、松谷は気づかなかったが、久住の話が始まってすぐ、喧しい高いびきは、聞こえなくなっていたのだ。

 その後輩──といっても、年齢で言えば、松谷より二つも上だが──、田花純は、やたらと不敵な笑みを浮かべ、割りかし逞しい胸板を張って、仁王立ちしていた。ブライアン・メイに影響されたとしか思えないモジャモジャのパーマヘアーと、筋の通った鼻梁に乗せられた丸いサングラス、それから整えられた口元の髭──その風貌を形成する要素の何もかもが、胡乱であった。かなり上背があることも合わさって、国籍不明な印象を受ける。

 また、服装に関しても、曲がりなりにも背広を着ている松谷と違い、この日は血のようなワインレッドの開襟シャツに、どこで売っているのかわからないゼブラ柄の革ズボン、そして長い両脚の先には、何故か便所サンダルを履いていた。

 この巫山戯た出で立ちだけでも小馬鹿にされているような気がして腹立たしいのに、こいつはたった今、何と言った?

 松谷は慌てて立ち上がる。

「勝手に返事すんなや。お前には関係あらへんやろ」

「あん? 何イキリ立っとんねん。パイセン、機嫌悪いんか?」

 怒鳴りたくなるのを堪え、松谷は不遜な後輩を、パーテーションの裏へと引っ張って行く。

「お前、いつから聞いてた?」

「あ? 確か、なき女王のなんとかっちゅう、曲のとこからや」

「なんでそう平然と──ええわ、もう。……聞いとったんなら、わかるやろ? フツーの依頼とちゃうねん。さっきの話が全部ホンマやとして、俺らの手に負えるわけあらへん。お客さんには、俺の方で丁重にお断りしとくから、それまで静かにしといてくれんか? 頼むから。な?」

 肯んじない子供に言い聞かせるように、松谷は声を潜め、誠心誠意頼み込む。

 が、田花はヘラヘラとした薄ら笑いを浮かべるばかり。

「心配すんなや、親友(モ・ナミ)。俺はこういうんがやりたくて、探偵になったんや。大金持ちの一族に、密室からの消失──オモロいやんけ。ようやく来たわけや。この灰色の脳細胞を、フル回転させる時が」

「……もしかして、本気で解決するつもりなんか? 尾行すらまともにできひんクセに?」

「あんなもんお前、犯罪者のやることやで」

「こいつ──くそっ、ホンマにこいつは!」

 顳顬に青筋が立ち、ピクピクと痙攣するのが、松谷自身にもわかった。

「……お前、この間自分がやらかしたこと、忘れたわけちゃうやろな? お前が出しゃばったせいで、調査対象から訴えられかけたんやぞ? マジで、そろそろ調子こくのやめろや。ええ歳したおっさんが、いつまでも学生気分か? ええ?」

 怒りを抑え込めなくなった松谷は、思わず相手の胸倉を掴み、しかし声を張り上げてしまわぬように努めながら、凄んでみせた。恫喝やパワハラと言われようが、この際構わない。このチャランポランにも、いい加減我慢の限界だ。

「…………」

 ほんの数瞬、田花は口を噤む。そのサングラスのレンズに、激憤した自分の顔が反射するのを、松谷は見たような気がした。そして──

 突如、左頬に凄まじい衝撃を受けた松谷は、反射的に胸ぐらを掴んでいた手を離し、思わず蹌踉めいてしまった。

 ()()()されたのだ。

 松谷はジンジンと痛む頬を左手で庇いながら、茫然と床を見下ろしていた。痛みよりも困惑の方が大きく、咄嗟にやり返すことができない。

 そのすぐ傍らを、田花は何事もなかったかのように、便所サンダルをペタペタと鳴らし、通り過ぎて行く。

「お待たせしましたー。久住さんでしたっけ? 話まとまりましたんで、続きをお願いします」

「はあ。あのぉ、何かえらい音がしましたけど……」

「ああ、気にせんといてください。ちょっとこう、喝を入れて来たんですわ。がははは」

 それから、二人の間でトントン拍子に話が進んで行くのを聞きながら、松谷は混乱の治らぬ頭で考える。自分は絶対に正しいことを言い、正し選択をしたはずだ。それなのに、何故、頬を()たれなければならないのか。

 甚だ理解ができなかったが、確実に言えることが、一つ。松谷はまたしても、あの男の暴挙を止められなかった。

 酷く惨めな心地で顔を上げると、デスクに座る沢渡と、目が合った。普段の鉄仮面ぶりはどこへやら、沢渡は憐れむような表情で、こちらを眺めていた。そして、彼女は何も言わずに、胸の前で十字を切った上で、拝むような仕草をしてみせる。どうやら、「ご愁傷様」ということらしい。


 ※


 その後、松谷はトボトボと応接用のスペースに戻り、仕方なく、田花の隣りに腰を下ろした。こうなってしまった以上、田花が馬鹿なことを仕出かさぬよう、目を光らせておかなくては。そう、自分自身に言い聞かせて。

 松谷が戻った時、田花はあろうことか煙草を吸っていた。お客さんの前やぞ? あり得んやろ。そう思ったが、もう何も言う気にならなかったので、口にはしなかった。

「パイセンも、やる気になったようやな」鼻と口から紫煙を吐き出しつつ、いけしゃあしゃあと言う。「ほんじゃあ久住さん。幾つか、質問してもええですか?」

「はい、なんでしょう?」

「まず、被害者の鷺沼紫苑さんについて。どのような人やったんでしょう? 鷺沼家のご令嬢ということですけど」

「紫苑お嬢様は、とにかく美人で気立てがよくて、素敵な方でした。亡くなった人やから下駄を履かせとるんやのうて、ホンマにそう思っています。私なんぞにもお優しくて、『完ちゃん』と呼んで、可愛がってくださりました」

「ほほう、そら結構。しかし、そんな優しい人が、どうして襲撃されなあかんかったんでしょう? 心当たりは?」

「全くない、と言えば嘘になります。あの頃の鷺沼家は、たぶん……相当恨まれとったでしょうから」

「どういうことですか?」

 未だにヒリヒリと頬が痛むのを感じながら、松谷は尋ねた。

「さっきも少し言いましたが、事件のあったお屋敷の建っとった場所は、鷺沼グループが開発に携わった土地でして。元々あった集落を丸ごと買い上げて、新しく町を造りはったんですが……その時のやり方が、かなり強引やったそうなんです。昔からその土地に住んではった人の中には、鷺沼家を恨む人も、少なくなかったのだとか」

「ナルホド。ま、動機にはなり得るでしょうな。ただ、わざわざ紫苑さんを狙った理由がわかりません」

 田花の言葉に、久住も「ですよねぇ」と頷く。これには、松谷も同意見だった。

「他には? 紫苑さん自身が、誰かの恨みを買っていた、ということは?」

「それはないと思います……おそらく。私も当時は幼かったんで、気づいてへんかっただけかも知れませんが。──ただ、これは曖昧な記憶なんですが、お姉さんたちとは、あまりうまくいってへんかったようです」

「紫苑さんには、お姉さんがいてたんですね」

「はい。鷺沼豪造様のご息女で、長女の瑠璃子(るりこ)お嬢様と、次女の橙子お嬢様です。紫苑お嬢様は、三姉妹の末っ子でした」

 鷺沼家の三姉妹は、それぞれ母親が違うのだという。豪造はその生涯で二人の妻を娶っており、戦後間もなく亡くなった最初の妻との間に瑠璃子を、二番目の妻との間に橙子を儲けていた。が、三女である紫苑に関しては、誰が母親なのか、ハッキリとはわからないらしい。

 表向きは、友人の娘を引き取って育てたことになっていたが……実際には愛人の子だろう、というのが、定説だったそうだ。

 そのような複雑な家族関係に加え、紫苑は上の二人の姉たちとは歳が離れていたこともあり、あまり反りが合わなかったのではないか──久住はそう述懐した。

「それ以外の人らとは、仲ようされてはりました。瑠璃子お嬢様の婿養子である宗介様とのご関係も、良好やったと思います」

「ご家族以外ではどうですか? 家政婦さんや鬼村さん──それと、久住さんのお父さんとも、仲がよかったんでしょうか?」

 田花の問いに、松谷は内心驚いていた。依頼人の父親を容疑者扱いするつもりなのか、と。

 しかし、久住は特段気にした様子もなく、微笑を湛える。

「そうやったと思いますよ、私の知る限り。まあでも、正直言って、鬼村先生のことは、私にもようわかりません。あまり話したこともあらへんし、ちょっと、内向的な感じの人やったんで。医者としての腕は、確かやったんでしょうけどね。豪造様からも、たいそう信頼はされていましたから」

 また、久住の父親である久住五郎については、雇い主である鷺沼家──正確には、宗介の運転手が主な仕事だったらしいが──に対し、絶対的な忠誠心を持っていたという。そんな父が、鷺沼一族の人間を害するなど、あり得ないことだ、とも。

「自分のことを、殿様に仕える武士か何かのように、思っとったんでしょう。それくらい、父は真面目というか、堅物(カタブツ)でしたから……」

「ふむ。では、高部という家政婦さんも同じですか? もちろん、念の為伺っているだけで、本気で疑うわけやありません」

「そりゃもちろん。むしろ、瑠璃子お嬢様や橙子お嬢様よりも、二人の方がホンマの姉妹なんちゃうかと、思っとったほどです。──まあ、気になるんでしたら、直接本人に訊いてみてください。実は、ここへ来る前、宗介様から高部さんの居場所と連絡先を、教えていただいたので」

「今回の依頼に関しては、宗介会長もご存知なんですね?」

 久住は首肯した。

「ご家族とも関わることなので、一応許可はいただいています。まあ、蒼一社長は、あまりいい顔をなさらんかったようですが」

 それはそうだろう、と松谷は思う。鷺沼グループからしてみれば、五十年も経って、わざわざスキャンダルの種を掘り起こされるようなものだ。

「久住さんは、未だに鷺沼家のみなさんと、おつき合いがあるんですね」

「ありがたいことに、昔からよくしてもろてます。若い頃は、グループの末端会社に勤めていました。それから仕事を転々としたあと、宗介様に拾っていただいて、最近まで運転手をしとったんです」

「お父さんと、同じ仕事をしてはった、と」

「ええ、まあ」

 久住は照れ臭そうな、それでいて誇らしげな顔で笑った。

「高部さんには、後で連絡させてもらうことにします」

 短くなった煙草を揉み消しつつ、田花がやけに淡白な声色で言う。

「ところで、現場のあった町というのは、どこなんでしょう? 大阪なんですよね?」

「ええ。千里ニュータウンはご存知ですよね? その、すぐ近くです」

 千里ニュータウンは、千里丘陵に広がる都市で、日本で初めての大規模ニュータウンとして知られている。今から約六十年前の一九五八年に、大阪府企業局の主導での開発が決定され、おおよそ十年ほどかけて、様々な施設や住居、路線などが、建造および開通された。

「そもそも、鷺沼グループが買い上げた村も、本来ならこの千里ニュータウンの一部に含まれる予定の土地でした。しかし、土地の人間からの反発が予想されるとかで、大阪府はこの集落を開発対象から除外しとったそうです。万博の開催に間に合わせる為に、余計なイザコザが起こるんは、避けたかったんでしょう」

 万博と聞いて、松谷が真っ先に思い浮かべたのは、あいりん労働福祉センターであった。現在も日雇い労働者と役所との攻防が続いているあの建物も、万博の開かれた年に建てられたのだ。

 そして、鷺沼家の事件が起きたのも、今から五十年前──すなわち万博の開催された年の、一年前である。この符合に何か意味がある、とは思えないが、面白い偶然だ。

 そんなことを考えながら、松谷はしばし、二人のやり取りを傍聴する。

「しかし、当時の社長やった豪造様は、そのようなことは気になさりませんでした。万博には、鷺沼グループもパビリオンを出しとったので、むしろ他の企業よりも目立つ心積もりやったんでしょう。そもそも、村の近くには鷺沼病院もありましたし、自信がおありやったのかと」

「で、見事に地上げをやってのけたわけですか。──けど、ただの土地開発やったら、わざわざ元いた住民を根こそぎ追い出さんでも、ええような気がします。さっきの話やと、事件当日、周辺には誰も住んでへんかったそうですけど……その辺り、何か理由があったり?」

「さあ? 私も詳しくは……。ただ、元々鷺沼家と縁のある村やったそうで、最初の奥様が、戦時中に疎開してはった場所やと、聞いています」

 ということは、戦時中世話になった場所へ恩返しのつもりで、開発に乗り出したのだろうか?

 松谷はそう考えたが、すぐに打ち消す。それならば「強引なやり方」はしないだろうし、元々住んでいた人間を立ち退かせるのは、恩を仇で返すのと同義ではないか。

「その鷺沼家の別邸は、今も残っとるんですか?」

「警察の捜査が落ち着いた後、アッサリ取り壊してしまわれました。敷地についても、とっくに手放してもうてるはずです」

 ただでさえかなりの時間が経過しているというのに、現場へ足を運ぶことすら叶わないのか。今更そんな事件を調べ直すというのは、やはり現実的ではない。

 流れで仕事を引き受けることになってしまったが……賃金を請求できるほどまともな調査にはならないだろう。松谷はすでに、この依頼に見切りをつけていた。

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