四巻(二)
ハエルヌン・ブランクーレ(二)
翌七日の朝、近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]は、執政府高官との取り決めにより、兵五百のみを引き連れて、コステラ=ボランクに入京した。残りの四千五百はセカヴァンに留められた。
まずは鳥籠[天鷺宮]に入り、病の重い国主[ダイアネ五十五世]の代わりに、摂政[ジヴァ・デウアルト]に拝謁し、金の延べ棒十本を献上した。
つづいて、薔薇園[執政府]に向かい、執政官[トオドジエ・コルネイア]と会談したが、訪問は表敬の域を出ず、政に関する具体的な話は出なかった。
その際、薔薇園に漂う香りのせいか、公は始終不機嫌であった。公は薔薇の臭いが嫌いであった。
その後、コステラ=デイラに姿を見せ、鹿集館で公女[ハランシスク・スラザーラ]に面会した。
五年ぶりの再会は、まず二人きりで庭を散策することから始まったが、予定の時間を切り上げて、二人は饗応の間へ戻って来てしまった。
その話を聞き、それぞれの側近であるサレとウベラ[・ガスムン]も打ち合わせをやめて、場に急いだ。
近北公がサレに耳打ちするには、「こちらはとくに、ふたりきりで話すことはないし、公女のおっしゃることは私にはよくわからなかった」とのことだった。
「ただ、近北州に天文台を建てたいという話は理解できたので、それは了承した」
近北公の言葉に、サレは「ああ、その話ですか」と応じた。
「どうも、公女は各州に天文台を置いて、研究を進めたいらしいのです。そのために鳥籠へ許可を申請中です」
「鹿集館にひとつあるではないか。それだけではだめなのか?」
興味なさげに近北公が疑問を口にすると、サレが首を横に振った。
「だめらしいです。理由はよくわかりませんが」
そのようにサレが答えたところ、「わからんのか」と近北公があきれ顔で苦笑した。
「金は各州が出すのか?」
「いいえ、スラザーラ家が出します。公女の趣味に付き合っていただくのですから」
「まあ、それはそうだな。……南衛府監もたいへんだな」
近北公の言に、サレは言葉を返そうとしたが、饗応の間にタレセ[・サレ]が入って来たので、そこで会話はおわった(※1)。
四人は席につき、タレセの淹れたお茶を飲むことになった。
近北公は近習に毒見をさせた後、椀に手持ちの酒をすこし注ぎ、一口つけてから公女に話を向けた。
「散策中におたずねしなかったが、前の大公[ムゲリ・スラザーラ]さまがお決めになった我々の婚約について、公女さまがどのようにお考えなのかお教え願いたい」
公女は茶椀を持ったまま、右隣りのサレに対して、困惑の表情を見せた。
しかし、彼が助け舟を出さなかったので、公女はうつむいたまま、「公の思う通りになされればよい」と応じた。
それに対して近北公は、髪をかるく掻き分けながら、「思う通りにですか?」と微笑を浮かべた。
「それは、公女としてはどちらでもよい……、ということですかな?」
再度の質問に公女はまたサレを見たが、乳兄弟に口を開く気配がなかった。
しかたがないので、公女が首を縦に振ると、近北公もひとつうなづいた。
「それならば私が決めましょう。この滞在中にご返事を差し上げる。それでよいですかな?」
自分で判断せずに済んだためであろう、常にはめずらしく公女が笑顔を浮かべた。
サレはウベラと視線を交えてから、なみなみと酒が注がれつつある近北公の椀を見た。
※1 そこで会話はおわった
天文台の件は宮廷の許可が下り、各州の為政者の承諾を得たのちに造られ、その観測結果が、ハランシスク・スラザーラのもとへ送られた。
近西州はロアナルデ・バアニ、遠西州はゼルベルチ・エンドラに、それぞれハランシクは書状を出したが、これについて、スザレ・マウロはとくに口を挟まなかった。
話が学術的なものであったからか、それとも、ハランシスクの権威に気兼ねしたためなのか、もしくは別の理由があったからなのか。その点は不明である。




