三巻(二十七)
通過儀礼(九)
盛春[五月]十二日夜。
鹿集館の一角に建てられた天文台の前で、公女[ハランシスク・スラザーラ]は執政官[トオドジエ・コルネイア]に面会した。
始終不機嫌そうに事の経緯を聞いていた公女は、「それで私に何をしろというのだ」と、興味なさげに、執政官ではなく、天体を観察しているタレセ[・サレ]を見ながら言った。
「執政官として、わたくしがお聞きしたいことはひとつ。公女さまに、前の大公[ムゲリ・スラザーラ]さまの仇を討ちたいというご意志がおありになるかどうかです」
「いくさごとについてはノルセンに任せている。私にはわからん」
「なるほど。南衛府監にお任させになられても結構です。しかし、大公どの[スザレ・マウロ]の動きを見ますれば、このままでは、再度の西征が招来されるにちがいありません。先の西征では三千の西南州の兵が犬死にいたしました。次の西征でも犠牲者は出るでしょう。その西征の際、お父上への弔いを名分に使われたとしても、公女さまとして何の思うところもないということでよろしいですか?」
執政官に意見を求められた公女は、彼を見ないまま、再度、「私にはわからん。執政官のよいようにすればよい」と言い放ち、持っていた本を芝生の上に叩きつけた。
久しく声を荒げたことがなく、そのために咳き込む公女の背中をサレが優しくさすりながら、口を開いた。
「執政官どのの質問にお答えいただけなければ、夜が明けようが、この場にいていただきます。あなたさまが望んだことではないにしろ、前の大公さまのご長女として生まれて来てしまった以上、今のまま子供でいられる時間は過ぎたのです」
諫言を受けた公女は、サレの手を振り払い、彼をにらんだ。
「今まで甘やかしておいて、その物言いは何だ」
「今まで楽ができたのです。僭越ながら、感謝されこそすれ、罵られる覚えはありません。ハランシスク・スラザーラ?」
公女の命令で星を見ていたタレセが天文台から降りてきて、サレをにらんでいる公女に椅子を勧めた。
着座すると公女は、「執政官」と、抑揚なく声をかけ、しばらく黙り込んだのち、やはり彼を見ることなく、言葉を与えた。
「父上に大義なるものがあるにせよ。彼はどれくらいの人を殺めて来たのだ。七州を統一するためと称して、どれくらい後ろめたいことをして来たのだ?」
「……わたくしにはわかりかねます」
「私も知らん。しかし、コ……、コレア・ノテなる者が討たぬとも、いずれはその業のため、だれかに討たれていたのではないのか?」
黙ったまま答えられない執政官に対して、公女は話を続けた。
「執政官は、自分の父親を殺した刀に恨みを抱くか。抱かぬであろう。つまりはそういうことだ。父上は自ら作り出した歴史に殺されたのだ。歴史は殺せん。だから、私はそのコレア・ノテだったか。その者に恨みはないとは言わんが、近西州まで出向いて、その一族や家臣を討つことなどに関心はない。コレア・ノテが生きているのならまだしもだ」
公女が眉間に皺を寄せながら、「これでいいか、ノルセン」と声をかけると、サレは「とりあえずは結構です」と頭を下げた。
「もういいだろう。今日の観測の記録を書かねばならん。……ノルセン、当分、おまえの顔は見たくない。早々にここから立ち去れ」
公女のか細い怒声に対して、サレと執政官は無言のまま一礼し、場を後にした。




