三巻(十七)
第二次西征(四)
九日の日が沈もうとしていた時刻、ホアビウ[・オンデルサン]の幕舎に[タリストン・]グブリエラが姿を現した。顔を紅潮させ、鎧は泥と血にまみれていた。
ホアビウとサレらが席を立ち上がって出迎える中、グブリエラは上座に立つと、手にしていた兜を長机の上に叩きつけた。
「おまえたちはこんなところで何をしている。この責任をどう取るつもりだ」
いまにもサレに斬りかからんという勢いの声であったが、サレは常の態度を崩さず、右手で着席をうながした。
グブリエラは無言で坐ると、従者の用意した水筒に口をつけた。
「お怒りはごもっともですが、我々にも考えがあって、この場に留まっていたのはご理解いただきたい」
「兄と父を見捨てて平気なうえに、金と地位に執着するような下種の考えることなど、わかってたまるか」
そう言い捨てると、グブリエラは手にしていた水筒を握りつぶし、床に叩きつけた。
グブリエラの言に対して、サレは眉ひとつ動かさずに話を続けた。
「それではご理解いただける事実、現在の我々の置かれている状況をお話しいたしましょう」
「状況……。何かあったのか?」
「お気を確かに聞いていただきたいのですが、西に放っておいた者によりますと、遠北州のゼルベルチ[・エンドラ]が不戦の約定を破り、ストゥーバレ街道にて西南州軍といくさ中とのことです」
グブリエラがサレを睨んでいた顔を下に向けてから、ホアビウを一瞥したので、彼は無言でうなづいた。
「なぜだ」とグブリエラは机を何度も叩いたのちに立ち上がった。
「お前たちも[トオドジエ・]コルネイアも、西南州のやつらはどいつもこいつも……、どうして無能がこれほど集まれる」
グブリエラの怒声に対して、サレはあくまでも冷静に話を進めた。
「現在の状況では、それはどうでもよいことです。それよりも、これからどうなさいますか?」
「どうするとは?」
「どのように、お逃げになられますか?」
「逃げる……」と言ったきり、グブリエラはまた下を向き、右手を震わせたまま黙り込んでしまった。
「……急ぎボレイラ街道を抜け、少なくともライリエまで後退しなければ、全滅の可能性もありますが?」
「わかっている。いま考えているのだ。黙っていろ」
「いえ。黙っているわけにはいきません。時がありません。近西州軍の追撃だけでなく、反ノテ派三千の兵が身近にいることをお忘れですか?」
充血し、涙をにじませた瞳を向けるグブリエラを無視して、サレは彼の側近たちの方を向き、口を開いた。
「皆様方はいくさをされたばかりです。ここは、オンデルサンどのの兵二千五百を先行させ道中の露払いとし、私の兵五百がしんがりを務めて、皆様は早くライリエに退かれるのが上策と思われますが、いかがか?」
問われたグブリエラの側近たちは、主の様子をうかがうばかりで、答える者はいなかった。
みなの視線がグブリエラに集中すると、それに気がついた彼が苦い顔をつくった。
「おまえたちに挟まれながら、私に南進せよというのか。それは断る」
グブリエラが怒声で答えた直後、幕舎の外が騒々しくなり、伝令が飛び込んで来た。
「反ノテ派の一軍が兵を挙げました。サレどののご配下といくさに入った模様」
サレは机の上に置いていた兜を手に取り、かぶりながらグブリエラへ一方的に伝えた。
「東南公、お急ぎを。私の家臣であるゼヨジ・ボエヌを同行させましょう。折衝などで役に立つ男です」
サレの言を受けてもまだ決めかねているグブリエラに対して、今度はホアビウが強い口調で言い放った。
「連れて来ている私の弟はまだ若いですが、刀の腕は確かです。護衛の端にお連れください。……これでいいでしょう。東南公。時間がありません」
放心状態のグブリエラを無視して、彼の側近たちの同意を得てから、サレとホアビウは幕舎から出て行った。
「先ほどは出まかせを言ったが、反ノテ派の軍が動き出したということは、ストゥーバレで、本当に事が起きたのかもしれない」
馬を並べているホアビウにサレがつぶやいた。
「どうでしょうか。しかし、遠北州が動かねば、我々は手づから東南公に斬り殺されそうですね。怒り狂っていましたから」
「もう少し下手に出るべきだったのだろうが、やはり、恨みのある人間には言葉尻が強くなってしまう。私もまだ若いようだ」
「しかし、あなたの兵だけでしんがりを務めるのはむずかしいのではありませんか。五百ほどお貸ししましょうか?」
「いや結構。東南州の残兵を当てにするさ。……ゼルベルチが約定通りにストゥーバレへ流れ込んだとしても、その後の約束まで守るかどうかはわからない。気を付けてくれよ」
「それは[ロアナルデ・]バアニも同じこと。それと、事が成就したとしても、お互い手ぶらで帰るわけにはいきませんからな。ある程度は武功を立てねば……。ご武運を」
言い終えたホアビウが夕闇の中へ消えて行き、入れ替わるようにポドレ・ハラグが現れると、サレは眉をひそめた。
「おまえがここにいるということは、オントニア[オルシャンドラ・ダウロン]が指揮を執っているのか?」
黙って頷くハラグに、サレは舌打ちした。
「東南公に従う兵は七千ほどのようですな」
「寝首を掻くには少し多すぎる。まあ、ゼヨジを人質に出してしまったからな。次の機会を待とう」
「それは残念です」
「それよりも、今回、新規に集めたいくさびとたちに伝えろ。活躍次第によっては直臣に取り立てると。私の直臣であるということは、公女[ハランシスク・スラザーラ]さまの従者になれるのだと」
ひとつ頷いてから、「気前の良い話ですな」と応じたハラグに、「問題ない。たいして生き残らんだろう」とサレは冷たく言い放った。




