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三巻(九)

蜃気楼(九)

 二十七日。

 公女[ハランシスク・スラザーラ]の乗ったお召し船は、コステラ=デイラからコステラ運河を南へ進み、西南州の南端にある自由都市ラウザドへ下向した。


 道中、川岸にはみやこびとが立ち並び、公女の姿を一目見ようと集まっていた。

 公女は白色の面をつけ、素顔を隠していたが、それでも、その姿を目にした者たちからは「万歳」の声が上がった。


 港につくと、オルベルタ[・ローレイル]を筆頭に、ラウザドを統治している大商人たちが出迎え、貴族の女性らしく(かずら)をつけ、きらびやかな衣装をまとった公女に贈り物を献じた。

 公女は、海外の書物と地球儀に対しては喜びを見せたが、宝石や織物には関心を示さなかった。

 公女に代わり、侍女長のタレセ・サレがオルベルタたちに謝辞を述べた。


 タレセは侍女になってしばらくすると、侍女たちを取りまとめる役を家宰どの[オリサン・クブララ]から任せられるほど、公女の信任を得ていた。

 船中でも、自身に対するみやこびとの歓声がうるさいと文句を言う公女に、「いつもそのようなことばかり。それではいっそう鼓膜を破いて差し上げましょうか。音に悩まされることがなくなりますよ」と冗談を言っても許されていた。

 両耳をふさぎながら「痛いのは嫌だ」と言う公女を見て、「うまく行っているようだ」とサレはポドレ・ハラグに告げた。


 ラウザドに到着すると、公女は(えっ)(けん)を求める者たちに会い、交易、簿記、船舶、星による方角の計測などについてご下問され、公女の興味を引く話をした者には、タレセを通じて、めずらしく褒美を(あた)えた。


 昼前の海辺では、公女の護衛として連れて来たラシウ[・ホランク]が、不思議そうに水平線を眺めていた。

 泳ぎたいと言い出して、サレに止められた公女は、そのとなりで、太陽と水平線を交互に指さし、紙に筆を走らせているタレセに何事かを説明していた。

 その様子を見ながら、大傘の下で、サレとハラグはラウザドの商人たちと酒を()()わした。


 都に[タリストン・]グブリエラがいる状況下で、サレ家の家宰であるハラグが、屋敷にて主の留守を預からずに同行していることで、これがただの酒席でないことが、事情を知る者には見て取れただろう。

「再度の西征はないと見てよろしいので?」

「バージェの穀物が動かない限り、ないだろうな。普通に考えれば」

 サレの杯を満たしながら、オルベルタが重ねてたずねた。

「バージェ候[ガーグ・オンデルサン]次第だと?」

「普通に考えればな」

「何か、別の手立てがあるのでしょうか?」

「別に穀物が手に入るのは、バージェだけではないだろう?」

「マルトレですか?」

「あそこは半ば独立しているが、近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]の承諾なくして、穀物を動かすわけにはいかんだろうね、さすがに」

「近北公に話をつければ?」

「そうなれば、可能性は低いが、近北公が西征に介入するかもしれん。モウリシア[・カスト]あたりは嫌がるだろうよ。彼らは西征の栄光を自分たちだけで独り占めしたいのだから」

「そうなると後は……、東部州ですか?」

 サレは答えを与えず、砂浜で何かを探している公女を眺めた。

「……東部州から穀物を我々の港に運び、薔薇園[執政府]に売りつけろと?」

「いい商売になると思わないかね」

「しかし、大量の穀物となりますと、どなたかに東州公[エレーニ・ゴレアーナ]とお話をつけていただかなければ……。我々ではむりですし」

 商人たちの視線がサレに集中すると、彼は手を振った。

「私にはむりだよ。あいさつぐらいしかしたこともないし、なにより、身分がちがいすぎる」

「執政官さま[スザレ・マウロ]なら?」

「あのお二人が水と油なのは、おまえたちのほうがよく知っているだろう?」

「では、どなたなら?」

「都の人間にはいないな。人間には」

「人間にはいない……?」

 オルベルタはしばらく考え込んだのち、はっと気がついて、サレを見つめた。

「……あのお方ならば、我々とご縁はあります」

「書状を出すなら、私が届けてやれるぞ。ちょうどよく、会う名分がある」

 会話が終わると、商人たちの話し合いがはじまったので、サレとハラグは席をはずした。


 サレが予想していたよりも早く、オルベルタが彼を呼んだ。さすがはラウザドを引っ張る商人たちだけあって、決断が早かった。

「我々にとってはよい商売となりますので、是非お願いしたい。お力添えいただいた方へはもちろん……。しかし、よろしいのですか、市井では(なん)(えい)()()さまは西征に反対だとお聞きしておりますが?」

「私はどちらでも構わんよ。もちろん、いくさなどないほうがいいがね。……私はいくさびとだ。上から言われれば行くだけさ」

 「さようですか」と困惑した声でサレへ答えたオルベルタに、「細かいうち打ち合わせはハラグとしてくれ」と、その肩を叩き、サレは浜辺に向かって歩み始めた。


 昼食はそのまま砂浜で取ることになった。

 砂上に(もう)(せん)を敷き、侍女たちが机のうえに食事を並べた。

 公女は、鶏肉を麺麭で挟んだものを片手に、本を読みはじめたが、同席したオルベルタはとくに驚くこともなく、タレセと雑談に興じていた。

 煙草を吸いながら水平線を見ていたサレが、「確かに、端が曲がっていますね」と公女に話しかけたが、彼女は「そうか」とだけ答え、顔を上げることもしなかった。

 「本ばかり読んでいて、お目が悪いので、公女さまに聞いてもむだですよ」とタレセが補足したところ、「ちがう」と公女が応じた。

「少し考えてみればわかることだったが、大地が丸いと考えた場合、その巨大さからして、人の目が見る事の出来る範囲の水平線が丸いわけはない。おそらく、水平線の端が丸く見えるのは、人の視覚が見せる錯覚だろう」

「ハランシクさまは相変わらずですな」

 本から目を離さずに話している公女に、サレが再度、声をかけたが、彼女は返事をしなかった。

 公女の態度に慣れていたサレは気にせず、オルベルタに「地球が丸かろうが、平らかだろうだが、我々のやることに変わりはないさ」と、彼の杯を酒で満たした。

 礼を述べたのち、オルベルタが「我々はなにをやるのですか?」と問うと、「おまえは金儲け、私は人殺し」とサレは答えた。

 「なるほど」と応じたのち、オルベルタが、恐るおそる、公女に声をかけた。

 「うん、なんだ」と目を上げた公女に対して、オルベルタは海の方を指さした。

「公女さま、ラウザド名物の(しん)()(ろう)でございます。あれも、人の目のせいで起きる現象なのでしょうか?」

 オルベルタの言を受けて、公女が興味深げな声でサレに「本当か? 私にはよくわからぬが、目のよいおまえならば見えるだろう」とたずねた。

 サレが目を向けると、水平線の向こうに、ラウザドの街らしきものが見えたので、「たしかに。不思議な現象ですな」と彼は答えた。

 サレがタレセに視線を移すと、公女から言われる前に、筆を手に蜃気楼の様子を紙へ写し取っていた。

 「ラウザドの者たちは、蜃気楼を見ると良いことが訪れると信じております」とオルベルタが公女に話しかけたが、迷信に興味のない公女は言葉を与えなかった。


 海に飽きたラシウが海岸から戻って来たので、そろそろ帰り支度を指示しようとサレが立ち上がったとき、蜃気楼の絵を見ながら、ひとり(つぶや)いている公女の服の袖を、タレセが引っ張った。主が自分の方へ体を向けると、タレセは公女の耳元で何事かをささやいた。

 すると、公女は「そうだった」と言い、サレに声をかけた。

「なあ、ノルセン。天文台を作ってくれないか?」

「天文台……ですか。あの星や月を観る?」

 突然の話に戸惑っているサレに構わず、公女は早口で話をつづけた。

「そうだ。ウストリレの天文学の書物に書かれていることが事実なのか確かめたいのだ」

「お目が悪いではないのですか?」

「私の代わりにタレセが観測するから問題ない」

 サレが茶を飲んでいるタレセを(いち)(べつ)すると、「私も目はいいのよ」とのことだった。

「ずいぶんと金がかかりそうですが、その書物に書かれていることが事実だと、どのようなよいことがあるのですか。学問上の話ではありませんよ?」

「……そうだな。もっと正確な(こよみ)をつくることはできるぞ」

 「暦ですか……。まあ、まずは、どれだけ金がかかるのかを計算してください。それをもとに、ロイズン・ムラエソと相談します」と、金がかかりそうだったので、サレが話を打ち切ろうとしたところ、オルベルタが口を挟んで来た。

「よりよい暦ができるのならば、我々も協力いたします。また、東方諸国から、暦に関する書物が手に入れば、公女さまに献上いたしとう存じます」

 サレがオルベルタに与えた、「あまり甘やかすなよ」という苦情を無視して、「そうか。頼むぞ」と公女は声をかけた。そして、きわめてめずらしいことであったが、(ほほ)()みをオルベルタに与えた。

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