二巻(二十二)
ウルマ=マーラ(三)
八九五年晩冬[三月]における公女[ハランシスク・スラザーラ]の生活は、八九二年晩夏[九月]に起きたコイア・ノテの乱以前のそれと、大きく変わってはいなかった(※1)。
相も変わらず鹿集館の自室に籠って、書物ばかりを相手にしており、政治に対しては興味関心を抱かず、極度の人見知りで薔薇園[執政府]の高官でも会うことが叶わないでいた。
サレが鹿集館に参上し、事情をかいつまんで説明しようとすると、公女が手元の書物を机に叩きつけた。静寂に包まれていた室内の静けさがさらに深まった。
「来るのが遅い」
めずらしく大声を出したために公女が咳き込むと、お付きの侍女が背中をさすった。
「とにかく、外の喧騒をどうにかしろ」
サレは下げていた頭を上げ、「それならば、衛兵を入れ替え、また、外の音が気にならないように、お屋敷を補修したいと思います。そうですな、ふた月ぐらい、ご辛抱をお願いいたします」と応じた。
それに対して、「ならん。十日で何とかしろ」と命令をすませると、公女は机に向かい、書物を読みはじめてしまった。
慌てたそぶりを見せる侍女を尻目に、サレは構わずに話をつづけた。
「改修の間は、我が屋敷をお使いいただければと思います。ここよりも静かですよ。ラウザドのオルベルタ・ローレイルより献上された異国の書物を読みながら過ごされてはいかがでしょうか。我が母も公女に会いたがっておりますし」
サレが話し終わっても、公女の本を読む手は止まらなかった。しかし、しばらくすると、彼女はサレの方を向き、「ラエ・サレがか?」とたずねた。
「はい、ラエ・サレがお待ちしております」とサレは頷いた。
「おまえの家に出向いても構わん。ただし、十日で戻るぞ」
「はい。十日以内に、かならず」
公女の同意を得たサレは、侍女に身支度を依頼した。
※1 大きく変わってはいなかった
ハランシスクが家長であるスラザーラ家は、もともと七州を治める国主の家柄であった。そのスラザーラ家の出で、実の兄である国主を弑し、国権を簒奪したのが、ダイアネ・デウアルトであり、彼女のためにスラザーラ家はデウアルト家の傍系に追いやられた。
とは言え、スラザーラ家の権威は高かったため、ムゲリはスラザーラ家の女婿となり、自らの権威付けに役立てた。
そのスラザーラ家の正室とは政略結婚の関係でしかなく、ムゲリには多くの愛妾がいたが、皮肉なことに、彼の子を宿したのは、その正室だけであった。
名家スラザーラ家の当主であり、かつムゲリの一人娘であるハランシスクには権威があり、それを利用したいと思う者は多数存在した。とくにムゲリの臣下であった者たちにとって、ハランシスクは利用価値の高い存在であった。
しかしながら、ムゲリが一代で築いた体制は彼の死と共に崩壊し、東南州と東部州では、ムゲリに任命された州馭使の後継者と、彼に踏みつぶされた勢力が巻き返しを図って争いを繰り広げるなど、どの勢力も余力がないために、ハランシクは放置されていた。
それが、八九五年三月における、彼女を巡る状況であった。
【修正情報】2023.09.03 19:45
・二巻(二十)
以下、『』の部分を追記。
※4 完膚なきまでに叩きのめされた
一連の戦いは、第一次大掃討と現在では呼ばれている。『とくに、スザレ・マウロの異母弟である外務監オヴァルテン・マウロが、卓越した差配を見せた。』
・二巻(二十一)
以下の部分を追記。
※2 名を高めた
モウリシア・カストの軍功については、本来、オヴァルテン・マウロに帰すべきものを、スザレ・マウロがオヴァルテンに頼み込み、寵臣モウリシアに箔をつけさせるため、彼のものにさせたという説がある。歴史の敗者であるモウリシアには、この手の話が多いが、真偽は不明である。
【お礼】
修正の件、失礼いたしました。
青切と申します。
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(カクヨムとはちがい、評価者がわからない仕組みになっているのですね)
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