一巻(十三)
西征(十三)
ノルセン[・サレ]が兄アイレウンの死を伝えると、父ヘイリプは唖然として何も答えなかった。
ノルセンは父から指示をもらうことをあきらめて、自分で兵を動かすことに決めた。
「もうすぐ敵兵がくる。この場所の両脇は隠れるのにちょうどいい。功を求めて追って来た敵兵をここで討つ。ただ逃げるより、そちらのほうが生き残る確率が高まるからだ。早く隠れろ」
そのようにノルセンは叫んだが、家臣たちにとってアイレウンが、サレ家の繁栄を約束する存在であったため、その若者を失い、彼らの士気が目に見えて落ちていた。
反応の薄い家臣たちに向かって、次に叫んだのはオントニア[オルシャンドラ・ダウロン]であった。
「おまえたち、アイレウンさまの仇を取らなくていいのか。それでもいくさびとか」
オントニアに言われて、ようやく家臣たちは気を取り戻し、ノルセンの指示に従って、それぞれ国道沿いの林の中へ隠れはじめた。
ノルセンは黙ってオントニアの肩を一つ叩くと、まだ現実を受け入れられていないヘイリプの腕を握り、ともに林の中へ消えた。
勢いに乗る敵兵を伏兵で迎え撃つというノルセンの策はうまく行った。
いや、うまく行きすぎて家臣たちの暴発を止めることができず、彼らはノルセンやポドレ・ハラグらの静止を振り切って、逃げ惑う敵兵を追いはじめた。
東方へ逃げるためには無用な行為に思えたが、復讐心に駆られた人間を止めるすべを、この時のノルセンはまだ知らなった。
家臣たちを止められないまま、敵兵を追い散らすうちに、ノルセンはとうとうアイレウンが落馬死した場所まで戻ってしまった。
ノルセンがそのあたりを探してみると、胸によく見知ったあざのある死体があったが、身ぐるみをはがされ、人馬に踏まれたその肉の塊には、首だけでなく、左手首がなかった。はめていた指輪を目当てに、手首ごと切り取られたのだろう。
よくあることだと、兄の死体を眺めているノルセンに、ゼヨジ・ボエヌが教えてくれた。
「どうしますか?」
「これなら、兄の遺体とはわからないだろう。申し訳ないが、このままにしておこう。みなに撤退を伝えてくれ」
そう指示を出すと、ノルセンは跪き、「土から生じたものは土へ。天から降りて来たものは天へ。すみやかに戻りますように」と祈りを捧げ終えてから、ひとりつぶやいた。
「さて、おそらくこれからが本番なのだろうな、生き残りを賭けた旅路の。……ホアラは遠いな」
ノルセンがふと横を見ると、人馬に踏まれた黒揚羽蝶の軍旗が目に入った。このたびの西征のために、大公[ムゲリ・スラザーラ]が作らせたものであった。




