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一巻(十二)

西征(十二)

 馬上で槍を振るい、全身血まみれのアイリウン[・サレ]は、乱戦の末に兜を失い、長髪を振り乱していたが、それがいっそう彼を美しく気高い存在にしていた。

 その兄に向って、こちらは泥まみれの弟ノルセンが叫んだ。

「兄上、もういいでしょう。父上がお待ちです。引き時です」

 アイリウンは首だけを弟のほうへ向け、(いち)(べつ)したが、その瞳からは侮蔑の感情が見て取れた。

「追ってくる敵兵を皆殺しにして、ゆっくりと引けばよいのだ。黙っていろ、いくさびとでない者は」

「そんなものになりたいと思ったことはありません。それよりも、私はこんなところで死にたくないのです。いくら敵の首を取ろうとも、死ねば犬死のいくさで」

 ノルセンの言に、「おまえ」とアイリウンが叫んだ時のことだった。

 こぶし大の石がアイリウンの頭部を直撃し、その勢いで彼は仰向けに落馬すると、石畳に後頭部を激しく打ちつけた。

 数瞬後、アイリウンの後頭部からの出血によって、石畳がどす黒い赤色に染められた。

 ノルセンが近づいてみるとすでにアイリウンは事切れており、眼孔から両の目が飛び出していて、二度と見られぬ姿であった(※1)。

 近北州のルウラ・ハアルクンと合わせて、大公[ムゲリ・スラザーラ]から「デウアルトの(そう)()」と称揚され、将来を嘱望されていた若者は、不名誉な人生の終わりを迎えた。


 アイリウンは死ぬことで何も考えずにすむようになったが、ノルセンはそうではなかった。迫りくる敵兵を切り抜けなけらばならなかった。

 オントニア[オルシャンドラ・ダウロン]が盾となり、ノルセンを逃がそうとしたが、彼はそれを制して、敵兵に向かって叫んだ。

「大公の覚えめでたき、アイリウン・サレの首があるぞ。刀があるぞ。鎧があるぞ。おまえたち、恩賞は欲しくないのか」

 ノルセンの大音声を受けて、敵兵たちはアイリウンの死体に群がり、同士討ちをはじめた。

 その間にノルセンたちは東方へ退いた。

 道中、「いいのか」と問うオントニアに、ノルセンは「この世は生きている者のためにあるのだ」と忌々しげに吐き捨てた。



※1 二度と見られぬ姿であった

 この記述には疑義を唱える者が多い。落馬が原因で死亡する例は多いが、投石が重なったとはいえ、即死した者は聞いたことがない。この時点でアイリウン・サレは生きていたが、ノルセン・サレが敵から逃れるために、兄を見捨てたと考える者が大半である。その事実はともかく、兄を見捨てたという汚名は、ノルセンに一生ついてまわった。

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