一巻(五)
西征(五)
盛夏[八月]二十八日の夕刻。
サレ軍三千は中継地である、近北州の副都ライリエ(※1)に到着し、サレ父子は老公(※2)の幕舎にて歓待を受けた。
前の大公[ムゲリ・スラザーラ]より下賜された葡萄酒を、老公はサレ父子に振る舞い、ねぎらいの言葉をかけたのち、状況をたずねた。
それに対して、ヘイリプが、明日の昼にソルジエ・コミラとオスピーニョで合流することを告げると、老公が次のように忠告した。
「千騎長(※3)に言うのはおこがましい話かもしぬが、コミラには注意を怠らぬことだ。表面上は大公さまに忠誠を誓っているが内心はわからぬ……。西征をここまで急がねば、あのような男は千騎長の下につけずに、山賊の掃討でもさせたのだが」
それに対して、ヘイリプは「ご忠告ありがとうございます。十分気をつけます」と応じた。コミラについては、ヘイリプも警戒しており、息子二人にくどいほど注意をうながしていた。
酒が進む中で、次のような会話が老公とヘイリプの間でなされた。
「今回の西征で戦功を立てれば、千騎長の右騎射昇格はまちがいない。そうなれば、ご長男が後を襲って千騎長か」
「いや、私にも息子にも、それはまだ早いように思います」
「大公直属の軍での右騎射は、格としては、他州の万騎長に匹敵する。お互い、よく出世したものだ。あなたは中流騎士の出、私などは名ばかりの騎士の出だ。我々は仕える方をまちがえなかった」
ヘイリプが黙ってうなずきながら、老公の杯に酒を注いだ。
「しかし、今回の西征は急ぎ過ぎている。六十を過ぎた私から見れば、まだまだ大公さまにはお時間があるように思えるが……。確かに、ウストリレは軍閥の専横が激しく、国力が低下している。とくに七州と領土を接する東部は中央の統制から外れており、つけいる隙は十分にある」
「かつての七州の宗主国が情けない限りですな」と話を終わらせようとするヘイリプに構わず、老公はちらりとノルセンを一瞥してから話をつづけた。
「五日以内に大公さまがここに来られる。その際に、もう一度、ウストレリ進攻についておたずねするつもりだ。もはや、お攻めになるなとは言わぬが、時期がずらせぬものかと」
「私にはわかりかねる話ですが、しかし」と言いかけたヘイリプの声に、長男アイリウンのよく通る声が重なった。
アイリウンは端正な顔を少し赤らめながら、老公にたずねた。
「物事には時機というものがあり、大公さまが、今がその時と思われたのならば、我々は黙ってそれに従うべきではないのでしょうか?」
若者のぶしつけな問いかけだったが、老公に気分を害した様子はなかった。
「であるならば、大公さまと兵士だけがおればよい。私のような州馭使も、あなたの父上のような千騎長もいらない。我々は間違いを犯さぬとされている、異教の神に仕えているわけではないのだ。立場ある者は疑問があればおたずねしなければならないのだ」
「そういうものでしょうか?」
「私はそう思う……。しかし、百騎長のはやる気持ちはわかる。ウストリレで活躍すれば領地は切り取り次第でいただけるかもしれんからな」
老公が覗き込むように言うと、アイリウンは気恥ずかしそうに目を伏せた。
「そこまで大それたことは考えておりませんが、今回の西征で、自分の力がどこまで通じるか。自分の限界というものを知ってみたいと考えています」
アイリウンの回答に、「若者はいいな」と老公はヘイリプにほほ笑んでから、話をつづけた。
「私のような年になると、もう自分のことよりも後のことが気になる。……息子には先立たれたが十歳の孫がいる。どうにか自分の跡を継がせてやりたい。どうにかな。それが今の私の一番の願いだ。だから、重臣の職責として、大公さまに一言申し上げるが、無理をするつもりはない。安心してくれ、千騎長」
言い終わると、老公は杯を空け、それを裏返した。
「それを聞いて安心いたしました。バージェ候[ガーグ・オンデルセン]があのようなご処置を受けたうえに、老公までが大公さまのご勘気を蒙っては、我らは成り立ちませんから」
「そうかな。私がいなくなれば、千騎長には大出世の道が開けるぞ」
立ち上がる老公に合わせて、「ご冗談が過ぎます」と言いながらヘイリプも立ち上がった。それに合わせて、アイリウンとノルセンも腰を上げた。
「ご次男とは話す機会がなかったな。大公さまや公女さまとのやりとりを聞きたかったが、それはまた、別の機会としよう」
小柄で枯れ枝のような老人に対して、ノルセンは何と答えてよいのかわからなかったので、無言のまま頭を下げた(※4)。
※1 ライリエ
近西州東管区所属の都市。
※2 老公
近北州州馭使コイア・ノテのこと。
ムゲリ・スラザーラに見いだされ、軍務政務の両面で卓越した手腕を発揮し、異例の出世を遂げた。
「短い内乱」期には、すでに老境へ達しており、畏敬の念から「老公」と呼ばれていた。
※3 千騎長
いくさ人の職位は、上から、万騎長、左騎射、右騎射、千騎長、百騎長。
各州馭使がデウアルト家に推挙する形を採っていたが、「長い内乱」期になると、デウアルト家の承認は取られなくなった。
もともとは、職位により指揮できる兵数が規定されていた。
※4 無言のまま頭を下げた
この章は、乱を起こす直前のコイア・ノテの様子について、ゆいいつ信用に値する記録である。サレ父子に、ノテが内心から語っていたのならば、この時点で乱を起こす考えは彼になく、諫言が受け入れられなかったのち、事に至ったと推測される。




