四巻(八)
ハエルヌン・ブランクーレ(八)
十日の朝。
この日に近北州へ戻る予定の近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]は、コステラ=デイラの郊外に陣を構えると、あらかじめサレに命じて集めさせておいた、孤児や職のない若者らを検分した。
検分の目的は、見込みのある男子を近北州へ連れて行き、公直属の兵に育てるための人集めであった。
事前に要請を受けた際、「兵が足りていないので?」とサレがたずねたところ、「地縁や血縁で結びついている者たちは信用できない」と、公は答えた。
「私は、私にだけ忠誠を尽くす兵が欲しいのだ」
「なるほど……。全員を連れて行くのですか?」
「そうだ。その中で、行軍について来られた者を養う。歩けぬ兵は使い物にならないからな」
「……途中でついて来られなかった者は、どうなさるおつもりですか?」というサレの問いに対して、公は「知らん」とだけ応じた。
検分を終え、椅子に坐って頬杖を突いていた公のもとへ、サレとラシウ[・ホランク]が姿を現した。
公が呼んだのは剣聖[オジセン・ホランク]であったが、当日になって姿をくらませてしまったので、弟子の二人が名代としてあいさつに訪れた。
「剣聖どのは私に会いたくなかったのかな。よい酒を用意したのだが」
「あるいはそうかもしれませんが、何分、雲のようなつかみどころのないお方ですので、わたくしにはわかりかねます」
「ふむ」とだけ返事をすると、公は衛兵の横に立っているラシウを見た。
対するラシウは、じっと大きな眼を公に向けていた。
「南衛府監。この子は強いのかね」
「はい。毎朝、一緒に稽古をしておりますが、才能だけならば、わたくしより上です」
「それは怖いな。かわいい顔をしているのに」と公が口にしたところ、ラシウが口を尖らせて無言の抗議を行ったので、それをサレはたしなめた。
「才能だけなら、ということは、まだ南衛府監のほうが上なのか?」
「まだ人を人として斬っています。花を斬るがごとくに、人を斬れるようにならなければ、我が花折流では一人前とはみなしません」
「ずいぶんと狂った流派だな?」
「否定はいたしませんが、いくさ場ではずいぶんと役にたちます」
「そうだろうか。いくさは、弓、馬、槍だよ」
そのように言葉を返すと、公はラシウに声をかけた。
「おまえはずいぶんと恐ろしい流派の使い手らしいが、いま、この場で私を斬れるか?」
公の言にラシウは、「兄上が邪魔をしなければ」と応じながら、するりと刀を抜いた。
ラシウの行動に、公の背後に並んでいた衛兵たちが血相を変えて主の前に立つと、彼ら越しに、「これでも私を殺せるか?」と、公の声がラシウに届いた。
その問いかけにラシウは、自分の前に並んでいる男たちを、顔色を変えずに一瞥した後、抑揚のない声で、「どうしますか。やってもいいですか?」と、サレに問うた。
それに対してサレが、「いいわけがないだろう。刀をおさめろ」と冷ややかに応じると、ラシウは無表情のまま、手早く、刀を鞘に戻した。
ラシウが刀を鞘に納める音に合わせて、公が右手を振ると、彼の前に立っていた衛兵たちが、元の場所へ戻って行った。
それから、ラシウに対して、公が機嫌のよさそうな声色でたずねた。
「ラシウとか言ったな。親兄弟は健在か?」
「いません。私は孤児です」
「そうか。それは私には都合がいい。南衛府監、この子を私にくれないか?」
そう問われたサレは戸惑いつつ、「それは本人次第です。彼女はわたくしの従者ではありませんので」と応じた。
「そうか」とひとつ頷くと、公はラシウをまじまじと見つめた。
「そうだな……。俸給は、年に金の延べ棒二本でどうだ。私の護衛の端に加わらないか?」
始終無表情だったラシウがはじめて困惑の表情を浮かべ、サレを見上げた。
「自分で決めなさい。刀の腕は問題ない。おまえが断るのならば、私がなりたいほどの高給だ」
サレの言葉を受けたのち、ラシウは公にたずねた。
「俸給の半額を先にいただけますか?」
少女の要求に、「構わんよ」と公は微笑で応じた。
「兄上、お師さまにお金を渡しておいてください。私は兄上のご家族と一緒に近北州へ出向きます」
「いいのか?」とサレが口にすると、ラシウは首を縦に振った。
「お師さまには兄上の方からお伝えください。どこにいらっしゃるのかわからないので」
「いや、別れのあいさつなどはどうでもいいが、おまえの金を渡してもいいのか?」
「酒家につけがだいぶ溜まっていますので」
「仕方のない師匠だな」
二人の会話が終わると、公が、陣幕の端に置かれていた酒樽を指さしながら、サレに声をかけた。
「ついでに私が用意しておいた酒も、剣聖どのに渡しておいてくれ」と。
その後、公が酒杯をサレに与えた。
話題が移り行く中で、公が、息を吹き返した塩賊を危惧する旨を口にし、サレに金の延べ棒を十本与え、塩賊退治の費用に充てるよう告げた。
その援助の代わりに、公から塩賊退治に関して、戦闘中は別として、捕虜の殺害をやめるようにサレは要求された。とくに女・子供には寛恕の心を示すように諭された。
そして、上の件に加えて、サレは次のように釘を刺された。
「今までとはちがい、これからは、南衛府監の行動によっては、私と近北州の名が汚される可能性があることを、よくよく考えてほしい」
サレが不請不請ながら承知すると、公は馬上の人となり、本隊の待つセカヴァンへ旅立った(※1)。
※1 本隊の待つセカヴァンへ旅立った
本書では触れられていないが、この六月十日に、ラウザドで反オルベルタ・ローレイル派の大商人たちが追放され、コステラ=ボランクのモウリシア・カストに庇護を求める事件が起きた。
セカヴァンに滞在中の近北州軍のために、スザレ・マウロの軍が動けないことを見越しての行動であった。ウベラ・ガスムンが、ハエルヌン・ブランクーレの側近モルシア・サネに宛てた書状の中で、サレがハエルヌンに同意を求め、それを彼が了承した旨の記述がある。




