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腹ペコハンス

作者: 阿久根 想一


    1


 私はトラネコ。名はノラコ。


 今日も情薄い飼い主一家の下で、幸薄い毎日を送っている。先日、この家でも冬に備えてコタツが茶の間に設置された。しかし私は部屋を汚すからという理由で、コタツの中はおろか茶の間にも入れてもらえない。首を伸ばして覗き込むだけである。


 その日は朝から秋晴れで、柔らかい陽射しが降り注いでいた。愛想笑いをして尻尾を振っても誰も相手にしてくれないので、日向ぼっこでもしようと庭に出た。この家の飼い犬、雑種犬のジョンの食器には食べ残しのソーセージが何本か残っている。思わず食指が動きかけたが、頂くのは奴が散歩に行ってからにしようと思い、芝生の上に腹ばいになった。


(ああ、いい気持ち──)


 と背筋を伸ばしたところで何者かの視線を感じ、私は振り返った。生垣の上から物欲しげな二つの眼がこちらを見下ろしている。──ハンスだ。最近この辺に住み着いた雄猫で、いつも腹を減らしており、私やジョン、その他の犬猫の食べ残しを狙っている。私は背中を丸め、全身の毛を逆立てて脅してやった。


「ハンス、私の食べ残しを狙おうったって、そうはいくものか。お前になんかやらないよ! とっととどこへでも行きな!」


 そう言ってやるとハンスの奴はおとなしく生垣から飛び降り姿を消した。まったく、油断も隙もあったものじゃない。ただでさえお粗末な私の食事、あいつなんかにやるものか。


 ハンスがいなくなった方を睨みつけてやってから部屋の中を覗くと、この家の娘二人が我先にとハムスターになにやら餌を与えている最中だった。──見てろ、きっとそのうちに寝首をかいてやる──。そう思いながら、ただ指を咥えることしかできない我が身が恨めしかった。


     2


 ジョンの奴が散歩に行っている隙に、首尾よくソーセージの残りにありつけた私は、日向ぼっこの続きをしようと日当たりの良い場所に移動しだした。と、先程私に脅されて、逃げたはずのハンスがいつのまにか戻ってきており、またもやジョンの食器を伺っているではないか。その姿を見た途端、私の全身の毛が逆立った。


 ハンスの奴に気付かれないように、足音を立てず忍び寄っていく……。一歩一歩近づいて、後ろ足に力を込めて跳びかかろうとした時、奴は私に気付き逃げようとした。


「逃がすものか!」


 と、まさに跳びかかろうとした刹那、ガラス戸が開いて今までハムスターにかかりきりだった娘二人が姿を現した。


「ノラコじゃないの。それに、何よこの子猫」


 と上の娘。下の娘も、


「どこの猫だろう? でもかわいい!」


 と、ハンスの奴を抱き上げて部屋の中へ連れて行ってしまった。


(何よ、この家の猫は私なのに……)


 私も後に続き部屋に上がった。憎々しげに口を開けていると、部屋に戻った娘がハンスの事を話したのだろう。夫人がやって来て、


「あら、その子猫かわいいじゃない。どこの猫かしら。……ノラコ! お前、今何しようとしていたの! さてはこの子をいじめようとしていたね! この性悪が!」


 あっと思う間もなく首根っこを掴まれ。庭に放り投げられた。なんとか着地をして振り返ると、三人は事もあろうに、ハンスに私のソーセージを食べさせていた。地団太を踏んでもソーセージは帰ってこない。腹立たしいったらありゃしない。


(ハンス──。あの腹ペコが! この借りはいつかきっと返すからね)


 そう思いながらも、そこは飼われている身の悲しさ。それ以上は何もできずにすごすごと日向ぼっこの続きをしに戻るしかなかった。


     3


 目の前で戸をピシャリと閉められるという心無い仕打ちをされた私は、昼寝をするべく庭に寝そべりながら考えた。


 私たち猫はもとより、犬も池の中の金魚に至るまで、生き物には生まれながらの色と形がある。それを人間は、自分たちの勝手な価値基準に従って、かわいいものとそうでないものに分け、様々な面で差別する。食事一つにしたって、かわいがられていればハムやソーセージをふんだんにもらえるが、私のようにそうでない者は猫まんまに煮干しの出がらしが定番である。まことに不公平であると言えよう。


 そんな事を考えてながらうつらうつらとし始めたところで、いきなり水をかけられ跳び起きた。何者のしわざかは分かっている。池の空き瓶に住む、白い金魚の奴が、私の隙を狙って池の水を跳ねかけたに違いない。


 池の方を睨んでみたが、奴はもう池の底の空き瓶の中へと逃げてしまった後だった。となると、水の苦手な私にはもうなす術はない。恨めし気に水面を眺めながら元の場所に戻るしかなかった。


(おバカさんね──)


 池の中の空き瓶に住む白い金魚のタオは、すごすごと退散していくノラコを見ながら呟いた。


(水の中ならこっちのものよ。あんな猫なんかに)


 それにしても──、とタオは思う。最近水の温度が下がってきたようで、身体を動かすのが辛くなってきた。


(こんなことをしてないで、早めに冬に備えた方がいいのかもしれない……)


 もう一度水面へと顔を上げ、既に誰もいなくなった外を眺めて、


(本当に、おバカさん)


 タオは誰にか、もう一度、そう呟いた。


     4


 しかし、ここでの生活も悪い事ばかりではない。その日の朝、私が家の脇の道端を歩いていると、ツナの空き缶が転がっていた。駆け寄ってみると、まだ三分の一ほど残っている。これ幸いとかぶりつこうとした時、横から飛び出した何かが私の鼻先を掠めていった。


(何奴……?)


 と、横を向いて目が丸くなった。ハンスの奴が必死の形相で空き缶に口を突っ込んでいるではないか!

 毛が逆立つばかりか、全身の血液までもが逆流したようであった。


「こいつ! 私のツナ缶を!」


 研いだばかりの爪で跳びかかろうとした時、またしてもガラス戸が無情にも音を立てて開いた。


「お母さん! ノラコが、ノラコが!」


 娘二人である。


「ノラコが子猫をいじめてる!」


 ああ、こうなったらもう万事休すだ。


「またそんな事をやってるのかい、この性悪猫が!」


 と、夫人にまたしても首根っこを掴まれ、案の定庭へと放り投げられた。


 ハンスの方はというと、夫人と娘二人に、かわいいかわいいと、喉を鳴らしてツナ缶にかぶりつくその背中を撫でられていた。


「さ、二人とも。お昼の用意ができてるわよ。こんな猫放っておいてお昼にしましょう」


 あんまりな言い草だ。言い返せない自分がなんとも悔しい。


 やがて昼飯の美味しそうな匂いが、私の所まで漂ってきた。


 ああ、無情。


 三人の食事風景を指をくわえて見ているしかない自分が悔しくて、そして情けなかった。


     5


 ハンスの奴の傍若無人ぶりは日を追うごとにエスカレートしていき、やがて昼間から部屋に上がり込むようになった。首を伸ばして部屋の中の様子を覗いてみると、夫人と娘二人に背中や喉を撫でてもらいながら、眼を細くして喉をゴロゴロと鳴らしている。私なんぞは窓のサッシに前足を掛けただけでも、見つかったらつまみ出されるというのに。不公平と言わざるを得ない。


 ある日、どんな気まぐれか、昼食の時に夫人がソーセージを一本入れてくれたことがあった。早速ありがたくいただこうとしたところ、ハンスの奴が横からさっと躍り出て、ソーセージを咥えて持っていこうとする。取り返そうとしたが、奴は生意気にも前足を繰り出してきた。ネコパンチだ。ピンク色の肉球と針のような爪が私の顔に当たる──。


「なめんじゃないよ!」


 と、こちらもネコパンチをお見舞いしようとしたが、毎度の如く夫人に首根っこを掴まれ、庭の池のほとりへと投げ飛ばされる──だけでなく、着地した私の目の前に白い金魚、タオの奴が顔を出し、ご丁寧に水しぶきをひっかけてきた。


 水浸しになった顔で振り返ると、ジョンと、アヒルのガーコまでもが面白そうな顔をして私を眺めている。


「あんたたちまで、何よ!」


 と、叫んだところで、慰めの言葉一つ掛けてくれる者はいない。


「おぼえていらっしゃい!」


 そう捨て台詞を残して、木の上に逃げるのが精一杯だった。


「くそー、どいつもこいつも……」


 私の声がむなしく、空に吸い込まれていった。


     6


 番犬というと一般的に、一日中周囲に眼を光らせているというイメージがあるが、我が家の駄犬、ジョンにおいてはこの限りではない。日がな一日庭に寝そべり惰眠をむさぼっている。誰か家の前に来る者がいれば、近寄って食べ物をねだる。


 そんなジョンの様子がある日おかしかった。その日、近所で小さな会社を経営している、金山家の夫人が白い犬を抱いてやってきた。トイプードルというやつだ。私はああいった愛玩犬という犬には興味が無かったので木の上からなんとなく眺めていると、それまで寝そべっていたジョンの耳がピンと立ち、立ち上がったかと思うと鼻息荒く金山夫人とトイプードルに向かっていった。驚いた、ジョンの奴、ああいう犬が好みなのかしら?


「あら、ジョンちゃん。こんにちは」


 金山夫人はにこやかに挨拶をし、ポケットから何やら取り出した。竹輪だった。なんだ、ジョンの奴のお目当てはトイプードルではなくて、こっちか。


「はい、これは猫ちゃんの分」


 なんと、金山夫人は私にも餌をくれるらしかった。ありがたくいただこうとしたが、金山夫人は私のいる木とは見当違いの方を向き、そちらへと竹輪を投げた。


 またしても、ハンスか!


 見下ろすと、金山夫人は次から次へとポケットから食べ物をとりだし、それをトイプードルとジョン、そしてハンスに与え始めた。それを木の上から指をくわえて見ている事しかできない私。


(いつか……、いつか見てらっしゃい)


 そんな私のことなんて、3匹はお構いなしに、ソーセージや竹輪を美味しそうに食べていたのであった。


(食べ物の恨みはこわいんだからね……)


     7


 人間万事、塞翁が馬。


 とはよく言われる言葉であるが、これはどうやら人間ばかりではなく、我々にも当てはまるようだ。


 その日、金山夫人が上機嫌で我が家を訪れた。いつものように、庭の木の枝の上から見ていた私は、金山夫人が抱えているバスケットを見て眼をむいた。バスケットの中で丸まって、すやすやと眠っているのはあのハンスではないか。応対に出た我が家の夫人に金山夫人は、


「こんにちは。今日からうちの仔になったハンスよ。よろしくね」


「こちらこそ。お前、よかったわね。金山さんにもらっていただいて」


「とんでもない。雄の三毛猫なんて滅多にいませんもの。お礼を言うのはこちらのほうよ。子猫がいるって教えていただいて、ありがとうございました」


 捨て犬のジョンと捨て猫の私。それに縁日で買われたガーコの二匹と一羽は、皆あんぐりと口を開けて、薄汚い子猫から大金持ちの飼い猫に変身を遂げた雄の三毛猫──ハンスを見つめていた。まさに人生、いや猫生一発逆転の瞬間であった。


 金山夫人が何度も頭を下げた後、私たちは皆なんだか割り切れなさを感じつつ、バスケットの中で寝息を立てているハンスを見送った。なんと世知辛い……。そんな想いが、ジョンからもガーコからもひしひしと伝わってきた。


     8


(おやおや、騒がしい事……)


 池の中でタオはゆっくりと、最近またいくらか大きくなった尾びれを動かした。


 タオは他の金魚の餌を買ったお釣りで買ってこられ、このポンプもヒーターも無い池に放り込まれたのだった。それ以来、池にいた他の魚に追いかけられたり、時には弾き飛ばされたりしながらも、今日までなんとか生きのびてきた。


(不公平というなら、私だって)


 他の魚の食べ残しも文句を言わず食べてきたおかげで、自分はこの空き瓶の家を手に入れた。家の中へ入れば、猫やカラスにも手を出されないから安心していられる。


(私もいつまでここにいられるかわからない。いつかはこの池に浮かぶか沈むかする身だけど、せめてその日までは──)


 心安らかでいたいものだとタオは思って、段々賑やかになってきた水面を見つめていた。


(犬も猫もアヒルも、何をやっているのやら……。私みたいに空き瓶の一つでも見つけて、そこを家にすれば幾分かマシな生活が出来るでしょうに)


 尾びれをもう一振りして、タオは空き瓶の家へと帰っていった。


 ゆっくりと自分の家に泳いでいく白い金魚を眺めながら、私とジョンとガーコは鼻を鳴らした。なんだかんだ言ってこの家で一番いい生活を送っているのはあの白い金魚の奴じゃないか!


 たかが金魚のくせに……


 強い風が吹いてきて、私は思わず身体を丸め、その場にうずくまった。犬のジョン、アヒルのガーコに比べると、猫である私は寒さに弱いのだ。かといってコタツのある室内に入れてくれるわけもなし──。短い首を伸ばして、温かそうな部屋を覗くのが精いっぱいである。


     9


 かくして薄汚い捨て猫から、人もうらやむ金持ちの金山家の飼い猫に転身を遂げたハンスであったが、その後も度々顔を合わせた。どうやら、我が家の周りをナワバリに決めたらしく、我が物顔でのし歩く姿をしばしば見かけるようになった。日ごとに身体が大きくなっているようで、最近では貫禄もつき、近所の雌猫を追っかけたりしている。


 その日の夕食時、いつものように集まった私、ジョン、ガーコの顔を見渡しながら夫人が、


「ジョンや、いつもご苦労様。今日はご褒美をあげようね」

 と、大きなソーセージや肉を食器に入れたのだ。続いて、


「はいはい、ガーコも今日は特別サービスよ」


 と、ガーコの食器にも何やら入れ始めた。これは珍しいこともあるものだと思って見ていると、


「ノラコや、今日はお前にもご褒美をあげようね。数日前のイカだけど、お前なら大丈夫よね」


 と、私の食器にもご馳走を入れた。いつもの夫人らしからぬ態度に戸惑いながらも、歯ごたえがあり、味がしみ込んだイカを心ゆく迄味わった。


 その夜からである。私の腹が暴れ出したのは──。

 

翌朝、腹痛にのたうちまわっている私を主人が発見し、部屋へ上げタオルの上に寝かせてくれた。そこへやって来た夫人が、


「やっぱりイカがいけなかったようだね。意地汚く何でも食べているから平気かと思ったんだけど。ま、いい薬だわ」


 と、無情の一言。


ぐったりとしている私を、ジョンとガーコ、それにハムスターが興味津々といった様子で眺めている。ああ、今頃ハンスは……いや、やめよう。考えれば考えるほどみじめになる。人間万事塞翁が馬──言い換えれば、一寸先は闇。


「いつか覚えてらっしゃい!」


 私の声は、むなしく宙に吸い込まれていった。

Copyright(C)2022 - 阿久根 想一

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