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下野の風

作者: 岡崎哲夫

つばめが一羽、青空で大きく円を描くと、軒下に吸い込まれるように入って行った。

家の中から、のんびりした新内の声が聞こえてきた。

「春雨の、眠ればそよと起こされて、乱れ初めにし浦里は」

と三味線を弾きながら口ずさんでいるのは、この家の主、若旦那の哲吉である。

隣で常磐津の師匠、よし若がうちわを持って仰いでいた。

まだ五月の始めだというのに、家の中はむしむしとして暑かった。

「ごめん下さい。若旦那はご在宅で」

と店先から声がする。

「はーい。少々お待ちください」

とまの抜けた手代の声がして、それから手代が奥の離れにやって来ると

「若旦那、お客さんがお見えです」

「誰だい」

「宮島町の博親分です」

「分かった。すぐ行くよ」

と言って哲吉は三味線をよし若に預けると立ち上がった。

ここは、寺町通りの生福寺門前にある扇子屋、精嘉堂である。

「これは博親分、何か御用で」

「昨晩、前の生福寺に泥棒が入ったという知らせを受けて、ここら辺を見回りしている所だ」

「それはご苦労様でございます」

「何か変わった事はないか」

「いや、別に気が付きませんで。それで何か盗まれたものは」

「それが奇妙な泥棒で、荒らされた跡はあるのだがなにも盗まれていないらしい。実は、同じような事件が、俺の家のそばの能延寺でも起こっていて注意していた矢先だった」

この寺町通りには、能延寺、生福寺、法華寺、妙金寺、少し離れて清巌寺と五軒のお寺が有り、その周りにも慈光寺を始め四軒のお寺が有る、たくさんお寺が密集している地域だ。

そのわけは、ここが宇都宮城から東北の鬼門にあたる場所だからである。

「それでは生福寺の隣の法華寺でも、その隣の妙金寺でも泥棒に入られる可能性があるかも知れない」

「そこで今から若旦那に一緒にお寺に行って貰いたい。お寺は管轄が違うからどうも苦手で。若旦那のとこは、お寺に紙や扇子を納めているから顔が利くだろう」

そのころ、目明しにとって寺社は寺社奉行の管轄だったが、地方までは手が回らなかった。

哲吉の店はお寺に僧侶が使う大扇子から経の写しに使う紙まで色々納めていた。

仕方なしに哲吉は博親分と法華寺、妙金寺、清巌寺を回って、盗賊に注意するように言った。

その晩、哲吉たちの忠告にもかかわらず、法華寺に泥棒が入った。

哲吉は博親分と一緒に知り合いの法華寺の住職立会いのもと盗まれた物を探した。しかし、他の寺と同じように何も盗まれていなかった。ただし、仏像や金目の物は目もくれず、巻物や書付けだけが荒らされていた。それで、何かこの寺に重要な書付けがあるかと住職に聞くと、別にそんなものは無いと答えた。もっとも、もしそんな大事な書付けがあるとしたら簡単には答えないだろうと哲吉は思った。

哲吉は博親分と相談して、今晩から博親分の手下の孝吉と三人で、妙金寺の本堂の地下室に隠れて見張る事にした。実は、哲吉は大の捕物好きだ。というのも、江戸にいた時、時々、捕物の手助けをしていたのだ。

哲吉は江戸の生まれである。哲吉の店は江戸の神楽坂が本店で、哲吉は五代目だけど、初代が今の殿様の戸田様の転付の時に、一緒に宇都宮に来たのが始まりだった。哲吉の母シゲは、子供の時から唄や踊りが好きで、一人娘にも関わらず江戸の神楽坂の本店に行き、次男の哲吉の親父雪乃介を婿にするという条件で本店に住み着き、哲吉を産んだ後も神楽坂で常磐津や新内の師匠をしていた。哲吉が十歳の時、シゲの父親の三代目がなくなったので、親父と四歳だった弟章乃進を連れて、宇都宮の店に戻ったものの、哲吉だけは学問や他の色々な事を学ぶのは江戸だという店の方針で、江戸に残された。シゲは宇都宮の店でも離れで常磐津や新内を教えていたが、哲吉が十五歳の時に急の病で亡くなった。しかし、哲吉はその後も神楽坂の店で過ごした。学問は矢来学習堂、剣術は筑土八幡宮の宮司岩井庄五郎、新内は五代目鶴賀若狭掾に従事した。十八歳の時から神楽坂の店の三男坊の神楽坂の真吉親分の目明しの手伝いもした。そして、二十歳の時に親父の具合が悪くなり、宇都宮の店に戻った。

暗闇の中で、スーと黒い影が動いた。

哲吉は地下室から本堂に飛び上がると、ロウソクの付いた手裏剣を投げつけた。

辺りがパッと明るくなると、黒覆面の男が浮かび上がった。

それと同時に、博親分が

「御用だ」

と言って飛びかかった。

すると、黒覆面の男は、軽々と飛び上がると、一回転して本堂の外に飛び出した。

そして、墓の中の暗闇に消えた。

次の日、哲吉は祖母を伴って清巌寺を訪ねた。博親分を伴わなかったのは、警戒されると思ったからだ。清巌寺の住職の内儀は同じ町内の福田屋呉服店の娘で、哲吉の母親と幼馴染だ。

哲吉はお内儀を通じて、密かに何か大事な書付けみたいなものを預かってないか尋ねた。

すると、今から十年前に、精巌寺の檀家で上河原町の大工の棟梁から、死ぬ前に書付けと割符みたいなものを渡されて、棟梁が死んだ後、誰か割符を持って現れた者が、同じ割符を持っていればこの書付けを渡して欲しいと頼まれた事を話した。

哲吉は住職に、このところ寺町通りの四軒のお寺に泥棒が入って、昨晩は実際に妙金寺で、博親分と黒覆面の男に対面して、見事に逃げられた事を話した。そして、四軒とも盗まれたものは無かったものの、巻物や書付けの入った所が荒らされていたと言った。

住職がその書付けと割符の入った袱紗を哲吉の前に持参して、中を開けると、割符の上には矢印のような符号が書かれていて、書付けの中身は大工が線を引く時に使う墨汁のような物で絵図が書かれていた。

住職は十年間、誰も現れていないし、ここで泥棒騒ぎが起きている事を考えて、取り敢えず博親分に預けると哲吉に渡した。

その晩、清巌寺に泥棒が入ったが、本堂を荒らしただけで何も盗まれなかった。

明くる日、博親分が哲吉の店に来ると、奥の離れで例の書付けの中身の絵図を拡げた。

絵図を見ると、真ん中にお城の本丸のようなものが書かれていて、周りに幾つもの堀のようなものが書かれていた。どうやら、宇都宮城の絵図らしく、東の田川から西へ武家屋敷、南の本丸から北へ清水門、二の丸、二の丸門、三の丸、太鼓門、大手門、二荒山神社一之宮、二荒山神社本殿と書かれていて、赤い線が本丸から二荒山神社一之宮まで一直線に引かれていた。

「これは、お城に入る抜け穴らしい。これは大変だ」

と博親分は町奉行の所へ走った。

町奉行戸田三左衛門は絵図を見ると、慌てて二荒山神社一之宮に配下の者を走らせた。

そして、入念に周りを探索した。しかし、絵図は十年以上前のもので、穴の入口のようなものは何処にも見当たらなかった。

博親分は直ちに上河原の大工の棟梁の家に向かった。しかしここも、棟梁が死んだ後、家族は何処かに引越たらしく、別の家族が住んでおり、行く先を訪ねても分からなかった。

町奉行戸田三左衛門が哲吉を呼び出した。実は、哲吉の家は元、徳川家の家臣で、家光の時、京都の扇子屋より嫁を迎えたおりに下野して神楽坂で扇子屋を開き、同時に隠密に探索方を命じられた。今でも神楽坂の本店の長男は探索方で、三男が目明しをしている。戸田家が宇都宮に転付に成った時に、本店の次男が宇都宮に分家の扇子屋を出店して、隠密に探索方も命じられていた。だから親父も必然的に婿で入ったし、哲吉も江戸で育てられた。だから、苗字も密かに岡崎を認められていた。何故、扇子屋が探索方を命じられるかというと、扇子は庶民より武家や神社仏閣で使われる事の方が多く、特に城中では、お礼などの金銭の代わりに扇子が使われ、だから武家屋敷や神社仏閣に出入りが自由に出来るというのが理由だった。

町奉行が哲吉に

「どうも十年前の日光社参が絡んでいるらしい。その時、将軍の宿泊所の本丸を大幅に修復したので、大勢の大工が城に入った。上河原の大工はその時に何か細工をしたのではないか。将軍を脱出させる抜け穴は、吊り天井事件以来設置しているから別に目新しいものではない。しかし、これは絶対の秘密事項で、本丸と一之宮の出入口は厳重に閉じられていて、城の者でも一部の者しか知らず、外に漏れることは無い。この大工は何らかの方法で知ってしまったのではないか。そして死ぬ前に、誰かに伝えようとした。ところが分からないのは、十年間、誰も現れなくて、突然、何ものかがこの絵図を探し始めた。泥棒だという報告だが、博親分のいうのにはもの凄く身の軽い者で間者ではないかと言う。そちも会ったであろう。

どう思うか」

「確かにやたら身の軽い者で、黒覆面の姿からも間者ではないかと思います」

「しかし、もし間者としても幕府には届けてあるから、今さら探ったとしても仕方ないのではないか。すると、やっぱり泥棒か。でも今、どこの藩でも財政は厳しくて、宇都宮藩の金蔵でもせいぜい千両箱が二つか三つだ。たぶん、町屋の方がもっとあるだろう。お前のところだって、千両箱の一つや二つあるに違いない。それに盗むなら、お城より町屋の方がずっと楽だろう。まあ、とにかくお城の方でも詳しく調べてみるが、その方でも、もっと詳しく調べてくれ。何しろこの絵図を発見したのはその方なのだから。それと博親分にも言ってあるが、その絵図の事は絶対に内密に。しかと申し付けるぞ」

「ははー、承って候」

哲吉が店に帰ると、よし若がいた。よし若は隣の扇町の仕立屋の娘で、年は哲吉の二つ下で、子供の時から、哲吉の母親の常磐津の弟子だった。シゲが亡くなった後、シゲの跡を継いで、今でも哲吉の店の離れで常磐津と新内を教えている。器量も良いし、シゲの跡を継いでくれた事もあって、哲吉の嫁には申し分ないのだが、一つだけ問題が有った。それは哲吉の店の秘密だった。よし若も薄々感じていて、そこをどうするのか迷ったまま今に至っていた。

「お城に呼ばれたのでしょう」

「例の泥棒の件だ。町内のお寺の事だから、博親分に協力してくれという事だ」

「危なくないのでしょうね。博親分がいうのには黒覆面の泥棒だって」

「やたらすばっしこいから忍者かもしれない」

「忍者なんか今の時代にいるの。戦国時代の話じゃないの」

「いや、いる。実際に俺が会っている」

「何時、会ったの」

「この前の夜、妙金寺の本堂で博親分と一緒に見張っていた時」

「えっ、また捕物に行ったの。もう危ない事はしないって言ったばかりじゃないの」

哲吉はこの前の捕物で、無頼の者に囲まれて刃物で切られそうになっていた。

そこに博親分が手下の孝吉を連れてやって来た。

「死んだ大工の棟梁は確かに墓に刻まれている通り藤助と言うのだが、近所の婆さんが言うのには、十年前はほとんど仕事をして無かったというのだ。お城の普請の時は、ひょっこり甥っ子というのが訪ねてきて、代わりに普請を手伝ったらしい。普請が終わって、間もなくして藤助が亡くなった時、藤助には身寄りが誰もいなくて、その甥っ子が全部後始末をしたらしい。だから、お寺の住職に書付けを頼んだのはその甥っ子だろう。一度、婆さんと顔を合わせた時、江戸から来たと言ったそうだ」

「手掛かりはその甥っ子という訳か。でもなんで書付けをお寺に預けたのだろう。自分で持ち帰ればいいだろう。自分で持っていると危ないからか。という事はもうすでに殺されたか」

「書付けを取りに来なかったという事は、その書付けが何処の寺か知らせる事が出来なかったのではないか」

「それで、泥棒は片っ端からお寺の書付けがあるところを探し回ったのか」

「でも仮に書付けの絵図が見つかったとしても、お城の抜け穴には何もないと町奉行は言っているだろう」

「じゃあ、何のためにその絵図を手に入れるのだ」

「分からない。もう一度、詳しく絵図を見てみようか」

と言って、哲吉は町奉行に渡した絵図の写しを出して、みんなの前に拡げた。

絵図には、前に見た時と同じに本丸から一之宮まで赤い線が引いてあるだけで何も変わらなかった。今回気が付いたのは、お城の中の武家屋敷が細かく書かれていて、その中で戸田一族の武家屋敷だけが太い黒線で囲ってあった。殿様を始め、家老、勘定奉行、そしてもちろん、町奉行戸田三左衛門の名前も太い黒線で囲んである。戸田一族だけ目立つ様に囲むのも、当然と言えば当然だった。

結局、何も分からず、博親分は明日から町奉行所で、十年前に何か殺人事件や盗難事件がなかったか調べてみると言って子分を連れて帰っていった。

よし若が帰って、何時ものように祖母のフミと親父の雪乃介と弟の章乃進の四人で夕食を食べている時、十年前に宇都宮で何か事件がなかったか、哲吉は祖母と親父に聞いた。十年前といえば、祖父の善五郎が亡くなって、親父がシゲと章乃進と三人で神楽坂から宇都宮に移って来た頃だった。親父が

「そういえば、四月に例幣使が二人失跡して大騒ぎに成った。一人は田川で死んでいるのが見つかって、もう一人は最後まで見つからなかったが、結局、溺れ死んだだろうという事に成った。それと夏にも、将軍の日光参詣のための本丸改築工事のために来ていた大工が何人か失踪をした」

と言った。

その晩、哲吉はもう一度離れで絵図を拡げてみた。すると太い黒線で囲まれた戸田一族の名前の中に、例左衛門とか幣太夫とか使乃介とかいう文字が浮かんだ。その他に大五郎、谷衛門、多聞、気知衛門、山乃介、石平、神太郎、社左衛門、金乃輔、塊四郎などが目に付いた。それを並べてみると、例幣使、多気山神社、大谷石、金塊などの名称に成った。

その時、外廊下に黒い影が走った。哲吉は絵図と書き出した紙片を懐に入れると

「泥棒」

と叫んだ。黒覆面の男が飛び込んできて

「小僧、絵図を出せ」

と静かに言った。哲吉はとっさに身を沈めると、相手の懐に飛び込んで投げを打った。相手は一回転するとそのまま軽々と着地して、蹴りを入れて来た。哲吉はその足を両手で掴むといきなり横に捻った。流石の黒覆面も尻餅をつくかと思ったら、トンボを切って後ろに逃れた。その頃になって、家中の者が駆け付けて来た。そして、

「泥棒、泥棒」

と口々に叫んだ。それを見て、黒覆面は庭に出ると、軽々と外塀を飛び越えて逃げていった。その夜は、庭にかがり火を焚いて一晩中警戒をした。

次の日の朝、哲吉は博親分を伴って町奉行の屋敷に向かった。

奉行に昨日の晩、黒覆面の男に襲われた事を述べて、絵図と書き出した紙片を拡げた。そして、十年前に例幣使の二人が失踪して死んだ事を取り上げて、それをヒントに絵図の中から黒線で囲まれた戸田一族の名前を選び出して、紙片の言葉を書き出した事を告げた。そして、その言葉を繋ぎ合わせると、つぎのような名称に成ったと言った。お奉行は

「例幣使、多気山神社、大谷石、金塊」

と読み上げて、ふと思い付いたように言った。

「その例幣使が失跡した頃、大坂城から日光東照宮に例幣使の行列に伴って密かに金塊が運ばれたという噂が流れたのだ。その年の将軍の日光参詣の費用の一部だという。それからしばらくして、ちょうど本丸を改築していた時、今度はその金塊が例幣使の行列の最中に石ころにすり替えられたという噂が流れた。その時には、例の例幣使も死んだ後だったし、例幣使の行列も京に帰った後だったから、何の捜査も出来なかった」博親分が

「じゃあ、この絵図はすり替えられた金塊の隠し場所を示す絵図なのでは」

と言った。哲吉が

「それでは、この赤い線は抜け穴でなくて、金塊の場所を示すもの」

と言うと、お奉行が

「だいたい、抜け穴はこんな一直線じゃなくて、もっと複雑に曲がりくねっておる」

と答えた。それからお奉行を混じえて三人で色々考えたすえ、哲吉が

「この二荒山神社一之宮を多気山神社一之宮に置き換えてみると、本丸は金塊がある場所ではないのか」と言った。博親分が

「すると、本丸を示す場所に大谷石がある」と言うと、哲吉が

「この赤い線上にある清水門とか、二の丸門、太鼓門、大手門と何か印があるのではないか」と推測した。続けて哲吉が

「もしこの金塊が発見されたら、金塊はどうなるのか」

と言うと、お奉行が

「幕府に知らせても知らんふりをするだろうな。そして密かに我々を抹殺して金塊を奪回する」と言った。哲吉が

「といって黙っていても、あの黒覆面の間者には知られているから、何かをして来るな。あのなりふり構わず、俺を襲った事からしてただではすむまい」と案じた。

とにかく様子を見ようという事に成って、解散した。

それからしばらくして事件が起きた。よし若がかどわかされたのである。文が投げ込まれて

「取り戻したかったら、明日の昼の十二時に八幡山神社に一人でこい。奉行所に知らせたら娘の命はないものと思え」

と書いてあった。

次の日の十二時、哲吉は一人で八幡山神社に向かった。密かに博親分と子分の孝吉が後を付けた。

八幡山神社は二荒山神社の後ろにある八幡山の麓に有った。お祭りの時以外、普段はひっそりとしていた。

哲吉が境内に入ると、どこからか黒覆面の男が突然、現れた。

「絵図は持って来たか」

「よし若を返すのが先だ」

「恋女房はそこにいる」

と言ってサッと合図をすると、もう一人の黒覆面の男が、猿轡をして縛られた格好のよし若を抱えて現れた。

「金塊の場所を示した絵図はここにある」

「ほう、もう謎解きをしたか」

「ところで何で十年も放っておいた」

「盗んだ奴らが皆殺しにあって、絵図の隠し場所が分からなかった。やっとこの前、大阪で死んだ者の知り合いを探して、寺に関係していると分かった。しかし、同じ町内のお前に先を越された」

「絵図を返したところで、金塊のありかを知ってしまった我々はどうするのだ。お奉行にも知らせてあるし、金塊を埋めた場所にもすでに奉行所の者が何人も警備に付いている。そして、もうすぐ掘り出して、お城の金蔵に移すだろう。もうここまで公に成ってしまったら、老中なり、勘定奉行なりからお奉行の方にちゃんと話して返還してもらったら、どうだ。

それともお前たち間者が金塊を私腹するつもりなのか。それなら幕府に訴えてやるだけだ」

哲吉がそう言うと、黒覆面の男は暫く考えていて、それから合図をするとよし若を解放した。哲吉がよし若の猿轡と縄をほどいてやると、よし若は泣きながら哲吉に抱きついて来た。

哲吉が黒覆面の男に絵図を渡すと、男は去り際に

「探索といい、あの投げ技といい、お前は何者だ」

と言うのに、哲吉は

「ただの商人さ」

と答えた。

六月の中旬、哲吉とよし若の結婚披露宴が行われた。攫われた事件以来、祖母と親父がこのままにしておくとまた何が起きるか分からないと、とにかく一緒にしてしまおうと急いだ。披露宴の席に町奉行戸田三左衛門もお忍びで出席した。その時、こう説明をした。金塊は多気山神社一之宮から清水門、二の丸門と次々に石に書いてあり、辿り着いたのは大谷石の廃坑に成った石切場でそこら辺を掘り起こすと金塊が出て来た。金塊が石にすり替えたのは、金塊を極秘に運ぶように命じられた大阪城の役人で、二人とも例幣使として行列に加わり、日光の手前の文挟で手配していた人夫と一緒にすり替えた金塊を持って消え、金塊を埋めた後、一人の逃げた例幣使が人夫たちともう一人の例幣使を殺して、本丸普請の大工の中に紛れてこんだ。この例幣使が絵図をお寺に預けた大工だ。ほとぼりが覚めたら大阪の仲間と連絡を取って掘り出そうと思ったが、万が一を考えて絵図を預けたのだ。金塊をすり替えたのに気が付いた幕府の隠密がこの大工を殺してしまった為に、金塊のありかが分からなく成ってしまった。やっと十年経って、隠密が絵図をお寺に預けて有るらしいというのを聞き出して、今回の騒ぎが起こったという訳だ。老中が宇都宮藩に相談をしないで隠密に事を運んだのは誠に申し訳ないと金塊は五千両の価値があるのだが、その内の千両を宇都宮藩に下さる事に成った。これも偏にお前がこの絵図を解いてくれたおかげだ。金一封をやるから、あとで奉行所に取りに来い。

婚礼の翌日、神楽坂の真吉親分が訪ねて来た。

「えらい手柄を立てたそうじゃないか」

と言うと、

「実はある盗賊を追いかけて来たのだ」

と言った。下野の倉蔵と言って何年も前から江戸でお勤めをしていたらしい。その塒がひょんなことから宇都宮にある事が分かった。さっそく、博親分が呼ばれた。

「お噂はかねがね若旦那からお聞きしております。若旦那の勘働きも親分の仕込みの賜物と承っております」

「俺は何にもしちゃいねえ。こいつが勝手にやっている事よ。ところでここらで植木屋と言うと、どこにある」

下野の倉蔵の表の稼業は植木職だという。

「塙田の成高寺の裏に一軒あるけど」

それから、手下の孝吉を連れて四人で成高寺に向かった。植木屋は多くの樹々に囲まれた中に有った。孝吉を見張りに残して、成高寺に三人は聞き込みに行った。哲吉はもちろん、成高寺とも取引先だった。住職が三人を迎えて

「これは若旦那みずからおいでで、博親分もご一緒で何事ですか」

「ちょっと、聞きたい事があって訪ねて来た」

と、哲吉が言うと、裏の植木屋の事を尋ねた。

「ここの植木屋は店を開いてどのくらいになる」

「もう二十年ぐらいになりますか。でも植木屋の親父が亡くなって、甥っ子だと言うのが来てからはまだ四、五年ぐらいだと思いますよ。確か、その甥っ子は江戸の生まれだそうです」

「何か変わったことはないか」

「別に何もないですよ。ただその甥っ子は宇都宮より江戸の方が大きい商店や武家屋敷があるから、そっちの方が商売になると言って、この家には余りいないです。植木屋に何かあったのですか」

「いや、そういう訳じゃないのだが、ちょっとたれこみがあって、ここら辺を見回っているのだ」

「それはご苦労様です。この前は寺町の方で泥棒騒ぎが有った時、若旦那と博親分で捕まえたとか。うちのお寺は何も盗まれるような大事な物を置いてないけれど、こればっかりは相手次第ですから、見回りをよろしくお願いいたします」

と逆に励まされた。真吉親分が

「宇都宮にいないで江戸にしょっちゅう出掛けているのは、確かに怪しい」

それからしばらく、植木屋を見張っていたが、下働きの男と手伝いの婆さんがいるだけで他には誰もいなかった。その間、博親分と手下の孝吉が周りの家で聞き込みをしたが、別に変わった事は何もなかった。四、五日交代で植木屋を見張ったが、何も変わった事は怒らず、何かあったら連絡をすると言って真吉親分は江戸に帰って行った。

それから一週間経った日の朝、見張りをしていた孝吉から連絡が入った。博親分と哲吉は急いで植木屋に向かった。すると、四、五人の男が植木屋の庭で忙しく働いていた。哲吉は真吉親分から渡された人相書きを取り出して、倉蔵がいるか確かめた。人相書きには身体ががっちりしていて、ほほに傷があると書いて有り、その通りの男がいた。しばらくすると、倉蔵が家を出て東へ歩いて行った。哲吉と博親分は孝吉をその場にのこして、倉蔵の後を追った。倉蔵はすぐに田川に出て、用意していた舟に乗って田川を下って行った。

「しまった」

と、哲吉は思ったが、まだ植木屋に手下が残っているので取り敢えず引き返した。

こうなると、人手が足りないので、哲吉は町奉行所に向かった。そして、今までの経過をお奉行に話して、助成を頼んだ。お奉行は

「そんな盗賊を宇都宮にはびこらす訳には行かない。すぐに召し取れ」

と手下を四人程出した。そして、藩の御用舟を倉蔵が舟に乗った場所より上流に密かに待機させた。そして、成高寺の住職に事情を話して、見張り所にした。

三日後、倉蔵が戻ってきた。

次の日の午後、倉蔵が手下を一人連れて町に向かった。南に下って、宮島町を抜けて日野町に入ると、油問屋芳賀屋に入った。哲吉と博親分が見張っていると、一刻程して倉蔵と手下が外に出て来た。そして二人とも、植木屋に戻った。

明くる朝、倉蔵は大八車に大きな植木を積んで、四人の手下を連れて芳賀屋に向かった。そして二刻程、芳賀屋の中で作業をすると、空の大八車を引いて帰っていった。しかし店に入った時の四人の手下が、出て来る時は三人に成っていたのを、哲吉たちは見逃さなかった。

その日の晩から、哲吉たちは芳賀屋を見張った。二日目の晩、三つの影が芳賀屋を取り囲んだ。中にいた手先は奉行所の手で捕らえられていた。

「御用だ。御用だ」

と周りから一斉に声が挙がった。しかし、捕らえられた四人の中に倉蔵は居なかった。哲吉たちは急いで田川の舟着き場に走った。しかし、舟着き場には舟は無かった。慌てて、御用舟に行くと、見張り番が舟の中で倒れていた。植木屋の下働きと老婆を捕らえたが、二人とも前の亡くなった植木屋からの者で、新しい主人の事は何も知らなかった。こんな事なら、倉蔵が植木屋にいる時に踏み込んで捕らえておけばよかったと思っても後の祭りだった。

それから、奉行所で捕らえられた四人の取り調べが始まった。すると、四人とも今までほとんどお勤めは江戸で、今回の宇都宮は初めてだと言った。実は、江戸で住処に手入れが入り、慌てて逃げ出して、ちりぢりに成って宇都宮に集まった。この後、舟で待っている親分と合流して、川を下る段取りで行く先はその時に知らせる事に成っていた。親分は用心深い性格だから、つぎの行き先はその時にならないと、教えないと白状した。

明くる朝、哲吉と博親分と孝吉の三人は御用舟に乗って田川を下った。この前、倉蔵が一人で川を下って、何処かに行ったのが気になっていた。

御用舟はお城の東側を下り川田村に出て、横川村を下ると上三川村に入った。すると右側にお寺が有り、一艘の舟が止まっていた。三人は舟を下りると、延命院と書かれている門をくぐった。延命院には老尼が一人ぽつんといた。哲吉が

「そばの川に小舟が留まっているがここのお寺の舟か」

と尋ねると、老尼は

「このお寺には舟などは無い」

と答えた。博親分が

「この寺に他に誰か住んでいる者はいるのか」

と言うと、老尼が

「離れの小屋に下働きの男がいる」

と答えた。三人は離れの小屋に向かった。すると小屋の前の畑に老爺がいた。哲吉が

「そこの川に留めている舟はそちのものか」

と聞くと、老爺は

「それならこの先の農家の倉蔵のものだ」

と言った。三人は倉蔵と言う名前が出たので勇みだった。さっそく、三人はその農家に向かった。慎重にその農家に近づいて、中の様子を探ると、中に男の影が有った。

「誰だ」

と言う声で、三人は一斉に踏み込んだ。孝吉が

「御用だ」

と叫ぶと、倉蔵が

「やっぱりお前たちか。植木屋の周りや芳賀屋の周りでこそこそと影がちらついていたから、警戒していたが、舟を追いかけて来たのだな」

と身構えるように言ったが、逃げる素振りは見せなかった。

「でもよく宇都宮の植木屋が分かったな」

「お前は今年の春に、神楽坂の扇子屋の植木の手入れをしただろう。その時、扇子屋の親父に訛りが有るからと何処から来たと聞かれると、下野から来た倉蔵だと名乗ったのだ。親父がうちの出店が宇都宮にあると言うと、そこの生まれだと言う。それをその扇子屋の三男で俺の叔父貴の目明しの真吉親分が偶然聞いていて、捕物でお前の名前が出た時に、その真吉親分がわざわざ宇都宮まで出張って来たのさ。それを俺が受け継いで、この博親分と一緒に見張っていたのだ」

「するとお前はここの扇子屋の息子か。それが何で捕物なんかに手を出している」

「俺が神楽坂の店にいた時に、真吉親分の手伝いをしていたからだ。倉蔵、神妙にしろ」

「ここは俺の生まれた土地だ。植木屋に成って、ひょんなことから居残りをした時、簡単に盗みが出来た事から、仲間を集めてやり始めた。江戸の塒が知られた時、これは潮時だと思って辞めようと思ったが、辞めるのに金が足りなかったので、地方ではばれるからやらないのだけど、一回きりだと思って、前から植木の交換を頼まれていた芳賀屋を狙ったのさ。

ここの植木屋は子供の頃、預けられたところでその時、江戸から来たと言っていたから、ばれても身元は分からないと思っていた。舟を見た時も、田川の漁師だと思ったが、念のため気絶させて置いた。まさか、見張られているとは思わなかった。子分たちは全員捕まったか」

「居残りを含めて、四人全員だ。植木屋を見張っていた時も、確かに人相書きは似ていたけれど、確信は持てなかった。芳賀屋で植木の手伝いの四人が入った時、出て来る時は三人だったので居残りだと思って確信が持てた。ところで、芳賀屋で四人を捕まえた時、お前が居なかったのは何故だ」

「芳賀屋は昔からの知り合いだから、顔を見せる訳には行かなかった。それで子分だけで行かせたのが、失敗のもとだった。俺が居れば、事前に感づいていた」

「子分は四人だけか」

「そうだ。元々、四人とも真面目な植木職人だったが、金が欲しくて泥棒職に引き入れてしまった。金が貯まったら、また真面目に植木屋をやるつもりだった。仕方がない」

と言うと、倉蔵は大人しく縄に付いた。

七月の中ごろに梅雨が明けて、このところ蒸し暑い日が続く七月の終わりの午後、精嘉堂の離れから新内が聞こえて来た。

「言わねばいとど、せきかかる、胸の涙の、やるかたなさ、あの蘭蝶殿と夫婦のなりたち」

よし若が三味線を弾きながら、弟子を三人前に並べて、新内を唄っていた。よし若は哲吉と一緒に成った後でも、この離れで週三回、常磐津と新内を教えていた。そして今日は、八月に前の生福寺の境内で行われるゆかた会の為に、弟子に新内を更っていたのである。しばらくして休憩の時、弟子の美恵が

「大町の仏壇屋のお妙ちゃんがゆかた会に出られないかも知れない」

と言った。よし若が

「どうしたの。何か有ったの」

と聞くと、同じ町内の米屋の芳江が

「何でもここのとこ二回も輸送中に仏壇とか仏像が盗まれる被害に合って大変なのだって」

と答えた。

仏像や仏像は加賀や石川と主に北陸で作られ、それが北前船で江戸に運ばれて、江戸川、利根川、鬼怒川、田川を経て宇都宮に運ばれる。北陸から江戸に運ばれる時は海の上だから、よっぽどでない限り盗まれる事はなく、江戸から宇都宮に上る川の何処かで盗まれていた。

仏壇は盗まれても他の物で代替えが出来るが、仏像はほとんどが注文の品なので代替えが出来なかった。

その晩、よし若は哲吉に仏壇屋の災難の事を告げた。哲吉は

「これはお寺に関わる事だからほっては置けない」

と言って、

明くる朝、博親分と一緒に大町の仏壇屋玉泉堂に向かった。

するとすでに、曲師町の正吉親分に依頼していて、

「正吉親分が良いのであれば、是非捜索をしてください」

と玉泉堂の主はそう言った。

実は、博親分と正吉親分は師弟関係で、博親分は何かと正吉親分には頭が上がらなかった。そこで哲吉が実際に納めるはずの仏像を盗まれた東勝寺の住職から捜索を頼まれたと言って、一緒に捜索をする事に成った。それで、仏壇を輸送していた船頭に聞くと、二回とも田川の上三川付近で襲われたのが分かった。襲った時の舟は二槽で、それぞれの舟に二人乗り、前と後ろで挟み撃ちにして、一方の舟に船荷を移して、その舟が見えなくなるまでもう一方の舟が輸送舟を留めて置いて、見えなくなると輸送舟の櫓を川に流してその舟も立ち去っていた。上三川といえばこの前、植木屋の盗賊を捕まえた場所で、これも何かの縁と、哲吉と博親分と孝吉は御用舟を借りて、上三川を下った。まず延命院を訪ね、この前世話になった老爺に

「ここらに漁民以外で舟を持っているところはないか」

と尋ねると

「ここから南に下ったところに星宮神社が有り、そこに田川から水を引いた池が有って、そこに一艘の舟が有る」

と答えた。三人は南に下って、星宮神社に行った。すると星宮神社の境内に引き込まれた池に二槽の舟が泊まっていた。二槽の舟には荷物が積んであった。しばらくすると、その一艘の舟が静かに動き出した。哲吉が残って、博親分と孝吉がその舟を追った。するとその舟は田川に出ると、南に下って行った。博親分は直ちに孝吉を御用舟の迎えに走らせた。そして、御用舟を池の引込口より少し上流に留めた。その後、哲吉がもう一層の舟を追いかけて来て、三人で御用舟に乗ると、南に下るその舟を追った。その舟はどんどん南に下って、やがて鬼怒川と合流して、久下田河畔というところまで来た。すると、そこに大きな三百石船が泊まっていた。その舟は三百石船の隣に付けると、先に行った舟もそこに泊まっていた。三人は久下田河畔に上陸し、孝吉を見張りに残して三百石船の聞き込みをした。すると船の名前は海神丸と言って、江戸の米問屋米澤屋の船で、普段は鬼怒川の上流の阿久津河畔、石井、真岡、そしてこの久下田河畔から鬼怒川、利根川、江戸川を通って、江戸へ米を運んでいるのだという。孝吉のところに戻ると、二槽の舟の荷物は三百石の船にほぼ移され、出航するところだった。すると、空になった二槽の舟が戻り始めた。三人は慌てて御用舟に戻ると、二槽の後を追った。二槽の舟は田川を上って行ったが、東部村のところで二手に分かれ、一艘はもと来た上三川の方に、もう一艘は田川の支流を南に下った。哲吉たちは、一艘は上三川の星宮神社の池に戻ると思い、もう一艘の舟を追った。田川の支流は田んぼの中を曲がりくねり、やがて結城の城下に入って行った。そして、御嶽神社の河畔に舟を留めると、一味の者が神社の脇の屋敷に姿を消した。哲吉と博親分は孝吉を見張りに残して、結城城下の白銀町に向かった。実は、岡崎家は家康の次男秀康の家臣で、結城にまだ一族が残っていた。哲吉の祖母もここから嫁に来ていて、その屋敷があるのが白銀町だった。その家の長男が石島秀之進で、お役目は町奉行の配下だった。哲吉は秀之進に今回の大掛かりな仏壇窃盗事件の概要を話して、協力を願った。まず、御嶽神社の脇の屋敷の一味を見張る事だった。そして、動いたら何処に行くのか突き止めるように頼んだ。そして、博親分と孝吉はもう一艘の舟を追って、星宮神社の池に行った。

哲吉は結城から江戸に向かった。まず関宿に行って、夜、舟で江戸川を下った。これだと三百石船より先に江戸に着くはずだった。

翌朝、哲吉は江戸に着くと、真っすぐ神楽坂に向かった。そして、真吉親分に大掛かりな仏壇窃盗事件の概要を話した。その後、手下に海神丸の行方を探させて、蔵前の米問屋米澤屋に向かった。米澤屋の主人に合うと、びっくりして

「御公儀御用達の米問屋がそんな泥棒のまねをするはずがない。すぐに調べさせる」

と言って、江戸湾の月島に来る予定の海神丸に番頭を派遣した。それから、浅草寺門前の玉泉堂の取引先の金澤屋仏壇店に行った。金澤屋の主人は度重なる盗難に頭を抱えていた。

哲吉が

「米澤屋と取引が有るか」

と言うと、

「あそこの船頭とうちの仏壇の運送を任せている船頭は兄弟だ」

と言った。その後、哲吉と真吉親分は仏壇屋の主人を連れて、月島に向かった。月島には、ちょうど海神丸が到着した所だった。哲吉たちは米澤屋の番頭と一緒に海神丸に乗り込んだ。そして、船内を改めると、米俵の積み荷の中に隠された仏壇や仏像が発見された。直ちに船頭たちを捕らえると、襲撃の時に川に転落して死んだはずに成っていた仏壇屋の船頭がいた。真吉親分が捕らえられた船頭頭に、

「仏壇をこれから何処に運ぶつもりか」

を問い詰めると、

「上野広小路の仏壇屋白山堂の倉庫に運ぶつもりだ」

と白状した。すぐに哲吉たちは上野広小路の白山堂に走った。そして、白山堂の倉庫を改めると、最初に盗まれた仏壇や仏像が出て来た。真吉親分は白山堂の主人を逮捕した。

白山堂の主人の供述によると、今年の春に、金沢から北前船で大量の仏壇や仏像を江戸に運ぶ途中に難破して船が沈んだ。大量の仏壇と仏像を無くして窮地に追い込まれた白山堂の主人は、他の仏具店から品物を盗む事を考えた。店を襲う訳にもいかず、舟で運搬中に襲う事を思い付いた。それで、金澤屋と米澤屋の兄弟の船頭が博打好きな事に目を付け、上手く誘って借金を大量に作らせて、仲間に引き入れ、上手く仏壇や仏像を奪う事に成功した。

これに味を占めて、次の計画も立てていた。結城や上三川にいる一味は白山堂の手代たちで、哲吉は直ちに手配して、それらの手代たちを逮捕した。そして、船の上や白山堂の倉庫に有った盗まれた仏壇や仏像が金澤屋に無事に戻された。金澤屋の主人は哲吉や真吉親分に事件が解決した事に感謝して、新しい仏壇を贈る事を約束した。それからすぐに、取り戻した仏壇や仏像を宇都宮の玉泉堂に送る手筈を整えた。哲吉は、警備を兼ねてその舟で宇都宮に帰った。

八月のお盆の中日、生福寺境内で常磐津と新内のゆかた会が開かれた。

「縁でこそあれ、末かけて、約束かため、身を固め、世帯固めて、落ちついて」

よし若の蘭蝶の一節である。続いて、玉泉堂のお妙の深川竹である。

「これ、ここをよう聞かしゃんせや、私じゃとて根からの素人でもなあし」

玉泉堂の主人が哲吉に

「若旦那、この度はえらいお世話になりまして、言葉もありません。でもまさか同業者がこんな悪さをするなんて、思いもよりませんでした。でもよく、江戸まで行って、捕まえて来て下さいました。本当にどんなに感謝しても足りません。娘のお妙も今回は諦めていて、店を畳む覚悟もしていたのに、若旦那が解決してくれたお陰で、こうして舞台にも立つ事が出来ました。本当にありがとうございました」

「いやいや、運良く盗んだ品物を積んだ舟を見つける事が出来て、それを追いかけていっただけですから」

「でもよう舟を見つけてくれましたな」

「舟を襲われたのが、二回とも上三川付近だと聞かされ、上三川はちょうどこの前の植木屋の盗賊が潜んでいた所だったので、その付近の聞き込みをすると、星宮神社の池に舟が浮かんでいるという。行ってみると、盗まれたものを積んだ舟が偶然にも池に浮かんでいたので、追いかけて行ったら、鬼怒川の久下田河畔で大きな三百石船に積み替えて江戸に向かった。

久下田河畔で、船の名前と持ち主を調べたら、江戸の蔵前の米問屋米澤屋の持ち物だったので、江戸に先回りして捕まえたという訳です」

「しかし、若旦那のその素早い対応には頭が下がりますな」

「まあ、私は江戸で育って、神楽坂の本店にいた時に、捕物の真似事をしていたから、江戸でも土地勘がありました」

「それで、江戸の金澤屋さんの方から御礼に仏壇が若旦那に贈られると聞きましたので、うちの方からも何か差し上げようと思っております」

「いや、それはお構いなくて結構です。うちの商売もお寺さんあっての商売ですから」

というと、哲吉は舞台に上がる支度を始めた。そして、

「着きにけり、清姫は、おお、嬉しや嬉しや、この川こえ行かば、道成寺へは一と足」

と道成寺の一節を唄った。空には宗門高く道成寺の竜が舞う如く、入道雲が上がっていった。

九月に入ると、寺町通りをいきなり野分が吹き抜け、やっと静まった午後、博親分と孝吉が哲吉を訪ねて来た。博親分がいきなり

「赤門通りの料理屋金鍋でおかしな事が起こった。一度、盗んだ天目茶碗を返しに来た。実は、同じような事が他の店でも起こっているのだ」

と言った。

「それで、その泥棒の正体は分かっているのか」

「いや、分からない。でも、品物が盗まれる時に女の客がいるのだ」

「とにかく、金鍋の女将に話を聞いてみよう」

それから、哲吉は二人を連れて赤門通りの金鍋に向かった。女将が出迎えて

「あら、若旦那、お久しぶりです。茶碗が戻ったから、別に良いのですけれど、犯人が分からないのが何だか気持ちが悪いので」

と言った。そして、その天目茶碗の置いてある座敷に案内された。天目茶碗は床の間の横の棚の上に、木箱に収められて置いて有った。

「それで、間違いなく茶碗は盗まれたのですか」

「はい、盗まれた日の朝、座敷に行くと茶碗が木箱ごと無くなっていて、その場で家の者を全員集めて確認しても、誰も触った者はいなくて、それが次の日の朝になると、元の場所に戻っていて、中を確認するとちゃんと天目茶碗が入っていました」

「誰か夜中に侵入した者は居なかったのですか」

「はい、その晩はきちんと戸締りをしましたから、侵入した者は居なかったと思います」

「それにしても不思議な事が起きるものだ。実は、他の店でも同じような事が起きているのだ。江野町の武蔵屋さんでも利休茶碗が盗まれて、戻されていた」

「その座敷は前の日に誰か使っていたのか」

「ご贔屓の旦那さんが若い芸者を呼んで食事をなさいましたけど、二人が帰った後、片付けた女中は確かに茶碗が入った木箱は有ったと」

「武蔵屋でも前の晩は若い女を連れた馴染みの客が盗まれた座敷を使ったらしい」

「その芸者は何時も呼んでいる芸者なのか」

「いいえ、初めての娘です。何でも何時もの芸者が、具合が悪いと代わりで来ましたと。でも別に怪しい素振りは無かったですよ」

哲吉はその座敷を入念に調べると、床の間のすみに微かに埃が付いていた。天井を見上げると、微かに天井の板がずれていた。哲吉と博親分は、芸者置屋に走った。すると、盗まれた日の前日は、誰も金鍋に行ってはいなかった。二人は金鍋に取って帰ると、もう一度、天目茶碗を確かめた。すると、女将が

「実は、この天目茶碗は本物ではないのです。主人が天目茶碗にそっくりのものを注文した物で、だから盗まれてもあんまり驚かないのです」

「盗人はそれを見破ったか。しかしそうすると、他の盗人が入った店の茶碗はみんな偽物という事になる。それもおかしい」

哲吉は天目茶碗を木箱から出すと入念に調べた。しかし茶碗自体には何も懸念する材料は見当たらなかった。それから、哲吉は木箱の方も調べた。表側も木箱の中も何も不審な点は見当たらなかった。そこで、哲吉は木箱を振ってみた。すると、微かに音がした。その後、哲吉は木箱の底をこすったり、周りの四面を順繰りに動かしたりして、やっと底に小さな隙間を見出した。そしてそこに、小さい紙片を見付けた。そこには平仮名で「じこうじ・とのさま」と書いて有った。哲吉はその紙片を元に戻すと、からくりも戻して、天目茶碗を木箱に入れると、床の間の棚の上に置いた。その晩から、哲吉と博親分は交代で金鍋の天目茶碗の置かれた座敷に泊まった。

五日目の夜、哲吉が番をしている時、床の間の天板が静かに開けられた。哲吉は座敷のすみに移動して、賊が下りて来るのを待った。賊がひらりと床の間に下りて、棚の木箱に手を触れた瞬間、哲吉が

「御用だ」

と言って、飛びかかった。賊が小刀を突き出した手を、哲吉は抱え込むと、必殺の投げを打った。すると、賊は一回転して哲吉と向かい合った。微かに香の香りが漂った。黒覆面をした女忍だった。女忍が飛び上がろうとするのを、哲吉は女忍の片足を掴んで、思いっ切り捻った。女忍は頭から落ちると思いきや、バク転をしてなおも逃げようとした。哲吉はそれを遮るようにして言った。

「木箱のからくりは分かった。中に隠された紙片の意味も分かった。殿のお墓に有った書付けも回収した。もう、木箱を盗んでも何の意味もない。でもなんで、一度盗んだ物を元に戻していたのだ」

すると、女忍が

「盗んだままだと警戒されるからだ。最初は茶碗に細工してあると思っていたが、どうも違う事に気が付いて、ここに再度侵入した。それをお前に見破られた。許さない」

と言うと、今度は哲吉目掛けて攻撃をして来た。それを難無く交わして、投げを打った。哲吉は筑土八幡神社の宮司から剣術ではなくて柔術を習ったのである。その頃に成って、料理屋の人々も騒いで、座敷に駆け付けて来た。すると、女忍は

「覚えておれ。お前を必ず殺す」

と捨て台詞を残して、庭の闇に消えた。

次の日の朝、哲吉は町奉行戸田三左衛門に呼ばれた。

「昨日の晩、料理屋で賊に襲われたのだと」

「賊は女忍でした」

「書付けの中身を教えておこう。戸田家が島原にいた時に家康様から頂いた清国との貿易赦免状だ」

「鎖国の時代にそんなものは必要ないでしょう」

「いや、使い方に依っては、まだ有効だ。例えば、抜け荷を疑われた時はお墨付きになる。そのために、お城に保管していたのだけれど、いつの間にかに盗まれていた。極秘に捜索したのだけれど、分からなかった。誰かが殿の墓に盗んで隠したのだ」

「でも何で、茶碗の木箱に細工などして、書付けの場所が分かる紙片を隠したのだろう。金鍋の女将は、知らないと言っていたけれど。天目茶碗は金鍋の主人が作らせた物だから、木箱だけを誰かがすり替えたのでは。ところでそれを、何故、女忍が探さなければならないのか分からない。宇都宮藩は抜け荷などしていないから、もし、幕府が探していたとしても、べつに困らない。という事はその書付けを必要とする者がいるという事だ。でも、戸田家に出されたものだから、他の家の者が使っても無効なので、それが分からない」

「戸田家の名を使って、抜け荷でもするというのか」

「ところで、書付けは今何処にあるのですか」

「わしの屋敷に厳重にして保管している」

結局、真相が分からないまま、哲吉は奉行所を後にした。

二日後、精嘉堂にお城のお女中が訪ねて来た。若旦那に会いたいという。手代が奥の離れに案内すると、哲吉は一目で金鍋の女忍と見破った。哲吉が

「どんなご用件でございましょうか」

と言うと、お女中が

「私は元右筆の孫のお由美と申します。先日は失礼いたしました」

「何処かでお目にかかりましたか」

「ええ、貴方様に投げられました盗賊です」

「その盗賊が何の御用です」

「出来れば、赦免状を渡していただきたい」

「あれは町奉行の戸田三左衛門様の屋敷に厳重に保管してあります」

「あれは元々我が島原家に出された赦免状なのです。それを勝手に戸田家が取り上げました。祖父が右筆部屋で見つけて、何処かに隠したのです。私の父は前の藩主の弟君の小姓でした。弟君が支藩の足利藩に養子に出された時に、一緒に付いて行きました。だから、私は足利藩の者です。いま足利藩は財政が破綻しています。度重なる渡良瀬川の氾濫で米が半分も取れないのです。足利は織物の産地です。それでそれを清国と密貿易をして財政再建にしようと考えたのです。幸い私の一族が島原に残っています。実は、私は子供の時、島原に預けられて育ちました。我が家は島原忍びの流れをくむ者です。もちろん、昔から密貿易を生業にしていましたから、船も有ります。赦免状が有れば、清国とも楽に取引が出来ます。赦免状の事は父が祖父から聞いていたのですが、急に病で倒れた為に、料理屋に有る茶碗の中としか聞き出せなかったのです。それを貴方様に先に発見されてしまった。悔しくて、殺してやると口にいたしましたが、本心ではないのです。聞けば、この前の仏壇盗難事件も見事に解決されたし、その前の例幣使の金塊の謎もお時になったとか。ぜひ今回の事も、お奉行に口添えお願い出来ないでしょうか」

それから、お由美とお奉行の屋敷に行った。お由美は哲吉に話した事と同じ事を話した。

「お前が右筆の孫か。小姓だったおまえの父の藤右衛門の事は覚えている。足利藩は宇都宮藩の大事な支藩だ。その藩が苦境に立たされている。そのために赦免状がいるのなら、喜んで提供しよう」

とお奉行は言って、赦免状をお由美に渡した。

お由美が別れ際に

「でも貴方の私を投げ飛ばしたわざはなに」

と言うと、哲吉は

「江戸で習った柔術さ」

と答えた。

十月に入ると、しばらく秋雨が続いた。それも通り過ぎると、からっとした秋空が広がった。哲吉はよし若を連れて江野町の料理屋ながしまに行った。今宵は神無月の例会である。

「往く空に、響く櫓のトウカラと、打ち仕舞ふたる太鼓より、鳴り渡ったる猪名川と」

哲吉がよし若の上調子で新内「関取千両幟」を唄うと

「ようよう、哲吉様、出来ました」

と掛け声が掛かった。

座敷での演奏が終わって、一息付いたところにながしまの主人が顔を出した。

「どうもご苦労様でした。ところでちょっとお話があるのですが」

と言って話出したのは奇妙な話だった。夜になると、釜川の畔で大きくなったり、小さくなったりする黒い幽霊が現れるという。それに驚いて財布や娘が簪などを落とすという。

次の日の夜、哲吉は博親分と孝吉を連れてながしまに乗り込んだ。そして、釜川が見下ろせる二階の部屋に陣取った。

その夜、

「きゃあ」

と言う女の叫び声がした。哲吉たちが慌てて外を見ると、何やら釜川の上に黒い人影のようなものが見えた。そしてそれがだんだんと大きく成って、娘に迫っていた。哲吉たちは急いで下に降りると、娘のところに駆け寄った。すると、一瞬の内にその陰は逃げるように消えてしまった。哲吉たちは娘を助け起こして辺りを見回すと、周りには何もなかった。

次の晩、哲吉たちは、すぐに飛び出せるように、釜川の周りに潜んだ。ここ釜川添いの道は、昼も夜も大手門に行く近道で、人通りの多い場所だ。でも昨日の晩の騒ぎを聞いてか、今日の晩は人通りも少なかった。そこへ一人の旅人が通り掛かった。ここ江野町は町の中心部で旅館も多かった。すると、その旅人の前に黒い影が立ち、大きくなっていった。哲吉たちが飛び出すと、嘲笑うようにぱっと一瞬で消えた。

次の晩もその次の晩も、人通りが途絶えた場所に幽霊は現われ無かった。

次の晩、哲吉たちは策を立てた。孝吉を旅人に変装させて、釜川の畔を歩かせた。さっそく、黒い影が現れた。孝吉は大袈裟に驚いてみせて、気絶する振りをした。哲吉と博親分は飛び出さないで、様子を見た。しばらくすると、物陰から一人の男が現れて、孝吉の懐を探り出した。孝吉がむんずと両手を出して、その男を掴むと

「御用だ」

と言った。哲吉と博親分も飛び出して、その男を囲んだ。男は観念してその場に膝を付いた。哲吉が釜川の畔を捜索すると、長方形の箱が見つかった。箱の中には、大きなろうそくが立てて有り、その前にボウル紙で作った人形が置いてあり、箱の正面にレンズを取り付け、その窓を大きくしたり、小さくしたり出来る囲いが取り付けて有った。

ろうそくの灯りを人形にあてて、黒い影を作り出し、レンズの囲いで大きくしたり小さくしたりするからくりだった。

男の名前は房吉と言い、日野町の細工師だった。房吉は博打で多くの借金を作ってどうにもならなくなり、たまたま細工中にレンズで黒い影が大きくなったのから、幽霊で人を脅かして気絶させたところで金品を奪う事を思い付いた。

秋の日は釣瓶落とし、幽霊騒ぎのあった釜川の銀杏もあっという間に真黄色になった霜月の午後、精嘉堂に若い武士が訪ねて来た。年の頃は十六、七歳か、神楽坂の本店の紹介状を持っていた。出入り先の矢来町の御家人の息子で、父親を同じ矢来町に住む御家人に殺されていた。御家人は若者の姉を連れて逃げていて、その敵討ちの旅の途中だった。御家人は宇都宮藩の知人を頼って逃亡しているらしく、紹介状には一緒に御家人を探して貰いたいと書いて有った。

哲吉は若者を離れに案内すると、女房のよし若にお茶を持って来るように頼んだ。そして

「私は神楽坂の店の育ちで、昭之進様の矢来町の藤森様の御屋敷も、昭之進様の仇の秋月様も良く存じ上げている者です。それと一緒に逃げているお姉さまも、私と子供の時の遊び仲間です。そして、秋月様を匿っている宇都宮藩の御屋敷も出入りさせて貰っている者です」

と、哲吉は一気に言った。それから哲吉は

「昭之進様は、秋月様はもちろんですが、お姉さまもお切りになるおつもりですか」

と尋ねた。すると、昭之進は

「分からない。何もかも分からないのだ。父上と姉と秋月の三人でいる所で、秋月がいきなり父上を切り殺して、姉と共に逃げたのだ。その後、私が仇を打つという事に成って、敵討ち状を持って後を追った。そして、宇都宮にいるのが分かって、神楽坂の店から紹介状を貰って、ここに来た。それだけだ。今もどうしていいか分からない。しかし、仇は打たなければならない。でも、秋月は剣の使い手だ。きっと、返り討ちに会う。それでもやらなければならない」

と興奮して言った。それから、哲吉は近くの知り合いの宿に昭之進を案内すると、

「私が先方の屋敷に行って、様子を見て来るから、しばらくこの宿でじっとしているように」

と言って、その宿を出た。

次の日、哲吉は秋月が匿われている今小路町の屋敷に向かった。屋敷の主は野沢銀太夫と言って、向かいの生福寺の親類だった。銀太夫が哲吉を迎えて

「この前の例幣使の金塊の謎解きは見事だったぞ。勘定方として金塊の掘り出しにも同行した。お陰で、宇都宮藩の金蔵に千両もの金が入った。勘定方としては久し振りの喝采で有った」

「いえいえ、これも町奉行戸田三左衛門様のお陰です」

「そう、謙遜するな。ところで、今日は何の御用だ」

「実は、こちらの屋敷の滞在なされている、秋月様の事で伺いました。率直にどう思われますか」

「秋月の本家から頼まれた事で、厄介な事だと思っておる。何でもいきなり藤森の親父が切り付けてきて、それを返り討ちにしたとか、そばにいた藤森の娘を連れて逃げてきたと申しておるが、そこら辺の事情はよく分からん」

「息子の昭之進が敵討ちをすると言って、私の店を訪ねて来ましたので、取り敢えず、近くの宿にとどまらせておりますが、いかがいたしましょうか」

「秋月も藤森の娘もお前の知り合いと申すではないか。兎に角、会って見てくれ」

と言って、二人を哲吉の前に連れて来た。哲吉が

「お久しぶりでございます。明恵様もお元気な様子で何よりです」

と挨拶すると、明恵が

「弟がお世話になっておるそうで、ありがとうございます。私は弟に打たれてやるつもりです。私の不甲斐なさで父が死にました。私もあの時、自害すれば良かったのです」

と言った。すると、秋月が

「私もあの時に藤森様に打たれればよかったのです。二人の結婚を許さないから手討ちにすると言って、私でなくて、明恵様に切りかかったので、とっさに藤森様を切ってしまった。

それから、明恵様を逃がさなければと、手を引いて一緒に逃げてしまった。私もあの場所で自害すればよかったのです」

それから二人は抱き合って激しく泣いた。そして、しばらくして、哲吉が

「秋月様は、もし生まれ変わったらそれでも武士として生きられますか」

「いや、もう剣はこりごりだ。あの時だって、藤森様は本気で明恵様を切ったかどうか分からない。しかし、私はなまじ剣が使えた為に、藤森様を切ってしまった。もう武士はごめんだ。神楽坂のお前の店に行くと、みんな生き生きとして羨ましくてしょうがなかった。剣の修行なんか辞めて、扇子屋になろうと思ったものだ」

「だったら、死んで、扇子屋になったらいい。私がお手伝いします」

その後、哲吉は野澤屋敷を出ると、奉行所に向かった。

五日後の午後、奉行所の庭で敵討ちの試合が行われた。敵討ちをするのは、藤森家の長男の昭之進と助っ人の哲吉、打たれる方は秋月陽次郎と藤森家の娘明恵、お奉行の立会いのもとで試合が始まった。

あの日、哲吉は奉行所に行って、今回の事情をお奉行に話した。そして、奉行所での試合と立会人をお願いした。そして、昭之進の泊まっている宿に行って、五日後、奉行所の庭で、お奉行立会いのもと、敵討ちの試合が行われる事を告げた。相手は秋月陽次郎と姉の明恵、昭之進の助っ人を哲吉がすることになったと言った。

それから、生福寺の庭で昭之進と哲吉の剣術の稽古が始まった。昭之進は普通の少年よりは華奢で、体力も無かった。哲吉が力を入れて刀を打つとまともには受け止められなかった。これではとても、陽次郎に打ち勝つのは無理だった。それでも、何とか敵討ちの格好だけは整った。

当日の正午、哲吉は昭之進を伴って奉行所に出掛けた。奉行所の庭には、もう周りに白黒の垂れ幕が囲んで有った。立会人のお奉行はもちろん、野澤銀太夫、生福寺の和尚など関係者も周りに並んでいた。昭之進に陽次郎、哲吉に明恵が向かい合って立つと、開始の合図で陽次郎がいきなり昭之進を攻めた。昭之進は慌てて後退しながら、何とか陽次郎の刀を受け止めた。すると、哲吉がいきなり、明恵の腹を刀で刺した。すると、明恵のお腹から真っ赤な血が飛び出して、そのまま前に倒れた。昭之進が

「姉上」

と叫んで駆け寄るのを、陽次郎が後ろから切り付けた。そこへ、哲吉が横から陽次郎の腹に刀を差し込んだ。陽次郎の腹から真っ赤な血が飛び散って、陽次郎が横に倒れた。哲吉が昭之進を抱き起すと、背中に傷があるものの命に別条は無かった。昭之進はお奉行が

「あっ晴れ」

と言うのを、もうろうとして聞いた。陽次郎と明恵の遺体が幕の外に運び去られ、昭之進はお奉行から敵討ち免状に成就の書付けを貰うと、駕籠に載せられて、宿に戻った。

それから一週間程して、昭之進は歩けるように成ったので江戸に帰って行った。

その一週間の間に、姉が死んだ事を嘆いたが、哲吉が

「幼馴染の俺が姉を殺したのだから、恨むなら俺を恨め」

と言うと、昭之進は

「哲吉様には敵討ちの手伝いをして頂いて、感謝する事は有っても、恨む事などとんでもないことです」

と言って、納得したようだった。

昭之進が江戸に帰った次の日、哲吉はお奉行の屋敷に向かった。お奉行の屋敷には、陽次郎と明恵が匿われていた。実は、奉行所で開かれた敵討ちは、哲吉とお奉行と野沢銀太夫しか知らない芝居だった。お腹から飛び出した血は、牛の腸に血糊を入れたもので、派手に飛び出すようパンパンに血糊を入れて置いた。

その日、陽次郎は髪を町人に変えて町人姿を整え、明恵も町娘に支度を変えて、哲吉と一緒にお奉行の屋敷を出ると、水戸に向かった。水戸には宇都宮と同じに精嘉堂の支店が有った。しかし、水戸店は後継者もいなく、叔父夫婦も高齢で、近々神楽坂の本店から人を出す事に成っていた。三人は石井の渡しで鬼怒川を越え、芳賀城下を通って国境に出ると、那珂川を舟で下って水戸城下の水府河岸で舟を下りた。水戸は徳川御三家の水戸藩の城下町である。精嘉堂水戸店はお城のそばの宮町に有った。三人が店に入ると、店先に紙が山積みに成っていた。水戸店は扇子よりはむしろ水戸より少し北で生産される久慈紙を多く取扱う店だった。精嘉堂で扱う紙は、本店はもちろん、宇都宮店もほとんどが久慈紙だった。

叔父夫婦は陽次郎たちを出迎えると、若い夫婦が出来た事を素直に喜んだ。特に水戸店は紙をたくさん扱うことから、かなり重労働だった。そしてその夜、二人に精嘉堂のもう一つの仕事の探索方の話をした。

師走になると、精嘉堂は急に忙しくなる。お正月用の扇子を買い求める客が増えるためだ。

哲吉も商店やお寺や武家屋敷を廻って、お正月用扇子の買い替えやお店の名前を入れて配る扇子の注文を受けていた。

そんな日の午後、博親分と孝吉が飛び込んで来た。

「石町の八百屋の娘がかどわかされた。これで三人目だ。前の二人は長屋の娘だったので、黙って奉公に出るなり、家出したぐらいと親たちも余り心配していなかったので、見逃していたのだけれど、これは間違いなくかどわかしだ」

「それで何か犯人から要求があったのか」

「いや、何もない」

「かどわかされた娘は何歳ぐらいだ」

「八百屋の娘が十四歳で、後の二人は十三歳だ」

「長屋の娘の事は分からないが、八百屋の娘の時は飴屋がいて、集団で付いて行ったら八百屋の娘だけが居なくなった」

「これはまだまだ続くな。金銭の要求がないという事と見境もなくかどわかしている事と年齢を十三、四歳に絞っている事を見ると、娘たち自体が目的かも知れない」

「娘たちを何処かに売り飛ばすというのか」

「分からない。とにかく、十三、四歳の娘に的を絞って、一人で出歩かないようにと、むやみに物売りの後を付いて行かないように手分けして、注意して廻ろう。それから、田川周辺の蔵を廻って監禁されてないか見て廻ろう」

哲吉たちの見回りにも関わらず、上河原の長屋の娘と千手町の味噌屋の娘が相次いでかどわかされた。哲吉たちはかどわかされた娘たちの親に聞くと、二人の娘とも八坂神社の祭礼に行っていたという。哲吉たちはすぐに、八坂神社に向かった。祭礼は終わっていたが、香具師の連中が残っていた。

「飴売りはいないか」

と聞くと、香具師の一人が

「先ほど帰ったよ」

と言うので、哲吉が

「ねぐらは知らないか」

と聞くと、

「田川の上流に、錦川と合流する所に小屋が有って、連中はそこをねぐらにしている」

と答えた。哲吉たちは、御用舟に乗って、合流地点に向かった。すると、合流地点の三角州の薮の中に小屋が有った。哲吉たちが舟で近づこうとすると、見張りがいた。仕方がないので、手前に舟を留めて見張る事にした。三日間、交代で見張ると動きがあった。三日目の晩、屋形船が田川を上がって来て、小屋の前に付けた。すると小屋の中から、猿轡をされて両手を縛られた娘たちが連れ出されて、船に乗せられた。そして、前後に提灯を持った男が陣取り、船頭がゆっくりと櫓を漕いで田川を下って行った。哲吉たちはすぐ御用舟で後を付けた。

屋形船は上三川を通って、やがて鬼怒川に出て行った。すると、久下田河畔に仏壇事件と同じように三百石船が留められていた。屋形船は三百石船に付けると、娘たちを三百石船に移した。暗闇の中で、哲吉はろうそくをあてて船の名前を確認すると龍神丸だった。哲吉は考えた。仏壇事件と同じように、江戸に下るとは限らなかった。利根川に出て、下って銚子出れば、太平洋を何処に行くのか分からない。利根川に出る前に捕まえなければならない。今は夜だ。夜のうちは、三百石船は動くまい。哲吉は博親分と孝吉を御用舟に残して、龍神丸を見晴らすと、農家を叩き起こして馬を借り、結城に向かった。結城に着くと、秀之進を叩き起こし

「川島に行って船を出してくれ」

と頼んだ。

「忙しい奴だな。今度は何だか」

「今度は、人攫いだ。五人の幼い娘たちが危ない」

秀之進はこの前の仏壇事件で哲吉たちを助けて、宇都宮藩から金一封を頂いている。すぐに御用方を総動員して、鬼怒川の川島で船止めをした。

朝靄の中を、龍神丸はゆっくりと川島に近づいてきた。後方に博親分と孝吉が乗った御用舟が有った。哲吉と秀之進たち御用方が龍神丸を停めると、一斉に船の甲板に上がった。船の甲板には飴売りたちと船員たちと哲吉が見知りの首領らしき男がいた。哲吉が

「やっぱりあんたか。この前の仏壇事件の時はお縄に出来なかったけど、天網恢恢疎にして漏らさず、信濃屋、神妙にしろ」

と叫んだ。信濃屋は宇都宮では玉泉堂と並ぶ仏壇屋だが、この前の仏壇事件の時、一味の者ではないかと疑われたが何とか逃れていた。

「お前のお陰で、白山堂が潰れて仏壇が入って来なくなった。このままでは店を閉めなければならないと思った時、仏壇事件で捕らえられた船頭の仲間から幼い娘たちを集めたら、上方で高く売ってやると言われたので、娘を集めた。銚子で船頭から金を貰う為に、船に乗ってきたが、またお前にやられた」

と悔しがった。

哲吉は博親分と孝吉に娘たちの宇都宮への護送を頼み、秀之進たちの御用方を連れて、龍神丸で銚子に向かった。銚子で首領の船頭を捕獲すると、龍神丸で久下田河畔に戻り、信濃屋をはじめ、飴売りたち、船頭たちを秀之進たち御用方の力を借りて宇都宮に護送した。

哲吉と秀之進一行が宇都宮の上河原河畔に着くと、お奉行が出迎えて

「この度はご苦労様でした。かどわかされた娘たちの親も感謝している。信濃屋はとんでもない奴だ。財産没収の上、島送りを申し付ける。首領の船頭は取り調べて、上方での人攫い売買の全容を明らかにする事にする。結城藩の皆様にはこの度もまたお世話になりました。藩主水野勝剛様には藩主戸田忠延より後ほど御礼を申し上げます」

と述べて、労いをした。

この年の大晦日は珍しく雪になった。哲吉は町内の梅寿庵から年越しそばを出前して店の者に配った。そして、よし若と生福寺の除夜の鐘を聞きながら静かに年越しを迎えた。

明けて元日は晴天に成った。哲吉とよし若、祖母と親父、弟の章乃進、手代たちと神棚とお稲荷さんに新年の挨拶をした。それから、和やかにお正月のお節料理を頂いた。そして、

哲吉がよし若の三味線で

「とうとうたらり、たらりら、たらりあがり、ららりとう、所千代まで、おわしませ」

と子宝三番叟を唄って、新年の祝いが始まった。

七草粥の日、離れでよし若の新内のお弾き始めが有り、よし若の弟子十人が集まった。その中で、漆器屋のおみつと布団屋の幸江の店が新年早々に取り込み詐欺にあったと言う。

その場にいた哲吉が二人に詳しく聞くと、年明け早々に母親が娘を連れて二人の店にやって来て、松の内に結婚式を挙げるからすぐに選んだ品物を届けて欲しいと言って、品物を選んでいった。布団も漆器も二人の店では最高級品で、届け先は今小路町の野沢銀太夫の屋敷の隣だった。二人の店はすぐに品物を届けると、屋敷は工事中らしく、母親が出てくると、取り込み中だから、二日後に代金を取りに来て欲しいと言われ、他にも呉服屋や箪笥屋などがいたためにその場は品物を納めたまま引き返した。二日後、二人の店の者が代金を取りに行くと、屋敷はもぬけの殻で、他にも騙された店が五、六店有り、大騒ぎに成っていた。

次の日、哲吉は博親分と孝吉を連れて、野沢銀太夫の屋敷を訪ねた。銀太夫は家にいた。

「陽次郎の件では世話になった。お陰で水戸では元気にやっているらしい。これもお主のお陰だ。かたじけない。ところでまた、正月早々何の御用だ」

「お隣の御屋敷の件で参りました。お隣にはどなたがお住みになっていたのですか」

「お隣にも困ったものだ。実は、わしは何も知らないのだ。工事をしていたのも、事件が起きたのも本当に、知らない。住んでいたのは、鳥居小五郎というお納戸役で子供が居なかったので養子を取ったのだけれど、これが家になつかずすぐに出ていってしまい、そのうちに妻が病気で亡くなって、気落ちしたのか、後を追うように昨年の暮れに亡くなった。継ぐ者がいないので、家は断絶に成っていた。だから、工事などをしているのも分からず、そこで取り込み詐欺が行われた事も気が付かなかった。面目躍如で申し訳ない」

それから、おみつの漆器屋に行って、親子の様子を聞いた。

「母親は実に上品で、どこかの御殿女中かと思われる程で、娘も初々しくて今にもお嫁入りしそうな雰囲気で、ころっと騙されました。でも輪島塗の最高級品を選ぶ目は確かであれでは騙されても仕方がない」

と意外と主人はさばさばとしていた。

幸江の布団屋に行っても同じで、主人は何処かでちゃんと結婚式を挙げて、布団が新婚の夫婦に使われているならそれでいいとまで言っていた。

それから一ヶ月経った二月の始めに、結城の秀之進が部下を連れて訪ねて来た。この前の人攫い事件で宇都宮城主から結城城主に御礼の金品が渡され、その返礼にやって来たのだ。

「実は先月、その事件で活躍した部下が、宇都宮藩の娘を嫁に貰ったので一緒に連れて来た。ところが今日、城中で部下の嫁の実家の名を出すと、昨年の暮れ、当主が亡くなって跡継ぎが無く、家は断絶したと知らされた。どうも、意味が分からない。跡取りがいなければ、婿を迎えればいい話で、わざわざ家を断絶してまで、嫁にやる事が腑に落ちない。それも、父親の死を隠してまでする事が分からない。それに、豪華な婚礼用品を持っての嫁入りだ。

断絶した家ではそんな事は出来ない」

と言った。それで哲吉は連れて来た部下に色々と問いただした。すると部下は

「嫁は鳥居奈美恵と申しまして、父は本当の父ですが母は違いまして奈美恵についてきたお女中が母です。だから、婿を取らないで嫁に出したのは分かります。でも、父が亡くなって、家が断絶しているのに隠して嫁に来たのが分からない。正直に言えば、何も問題がないのに」と言うのを、哲吉が

「正直に言うと、断られると思ったのではないですか」

と言うと、

「馬鹿な、子供の時から知っているし、嫁に来るのも子供の時から決まっていたのに」

と反論した。

「だから、余計に父が亡くなった事を隠したのではないでしょうか。ところで、貴方は宇都宮藩に婿に来る気はありますか。それとも、今のまま、結城藩に仕えますか。多分、鳥居様は貴方を婿にするつもりだったのでは、ないのですか。鳥居様の嫁女が生きているうちは駄目ですが、嫁女が亡くなった時から貴方を婿にする手続きをしたはずです。だから貴方との結婚式を延ばしていたのではないですか。でも不幸にして、間に合わないまま、鳥居様は亡くなってしまった。それで、焦って貴方のお嫁さんは父が亡くなった事を隠して嫁に行った。それで分からないように、豪華な婚礼衣装で身を固めたと思いますよ」

それから三人で色々と話し合った。哲吉は

「貴方のお嫁さんのお母さんは鳥居家の嫁になりたかったと思うし、貴方のお嫁さんも鳥居家の娘になりたかったと思いますよ。だから鳥居家から貴方の所に嫁に行くために噓をついた」

と言うと、秀之進が

「結城藩だって、宇都宮藩だって奉公は同じだ。もし、嫁さんがそれを望んでいるなら、俺は喜んで貴様を宇都宮藩に出すよ。どうせ、お前は斉藤家の次男坊なのだから、どうって事ないだろう。俊次郎」

と励ました。すると、俊次郎が

「もし妻と母親がそれを望むので有れば、そうします」

と答えた。

次の日、哲吉はお奉行の屋敷を訪ねた。そして、断絶した鳥居家に起った事を話した。

お奉行は

「確かにお前の言う通り婿の申請と娘の結婚の届は出ていた。しかし、娘は外に産ませた子だし、婿は結城藩の者なので、調べるのに時間が掛かった。そのうちに鳥居本人が亡くなってしまって、娘がすぐそばにいて存続を申し立てれば良かったのだが、それがないままに断絶にしてしまった。藩ももう少し急がずに考えてやれば良かった」

と言った。哲吉が

「ところで鳥居家ですが、娘が申請すれば断絶は解けますか」

と言うと、お奉行は

「藩にも責任が有るのだから、仕方が無いだろう」

と答えた。

哲吉は店に戻ると、離れに滞在している秀之進と俊次郎にその事を報告した。それから三人は鳥居家に行って、取り込み詐欺をした商店を集めた。そして、主人たちに

「私が鳥居家の娘を嫁に貰った斎藤俊次郎です。鳥居家が断絶してしまって貴方がたに婚礼の品物の代金が払えなくなってしまって大変申し訳ございません。このたび、藩にお詫びをして断絶を許して貰い、わたくしが鳥居俊次郎として、鳥居家を継ぐことになりました。妻がまだ支払っていない婚礼の品物の代金は私が払いますので、もうしばらくお待ちください」

とお詫びした。すると、騙された店の人たちは口々に

「我々は騙されたとは思っていません」

「あれは差し上げたものです」

「奥様に使っていただいていれば幸せです」

と答えた。

二月の末の吉日、鳥居家に俊次郎、奈美恵、母親の静香の三人の姿が有った。俊次郎はあれから結城に戻ると、妻と母親に宇都宮に行って知った事を話した。すると、母親は

「貴方様が宇都宮に行った時から、鳥居家の断絶が分かるだろうと、思っていました。私と小五郎様は貴方と奈美恵の婚約が決まった時から、貴方様をどうにか鳥居家の婿に出来ないものかと考えて来ました。しかし、小五郎様の奥様がいらっしゃるので、それは不可能だと思っていました。何しろ、私の存在も認めていませんから、奈美恵の事などなおさらでした。ところが昨年の夏、奥様が病で急にお亡くなりになりましたので、小五郎様は貴方を婿にするために、宇都宮藩に掛け合いました。しかし、私は宇都宮藩の御殿女中だったので、二十年前とはいえ、御殿女中と小姓との関係は御法度なので、ましてやその娘の存在を認める事に難色を示しました。そんな時に小五郎様が亡くなってしまわれました。実は小五郎様は何年も前から胸の病に侵されていたのです。小五郎様は婿養子です。私と小五郎様は子供の頃から結城城下の長屋で暮らしました。小五郎様の家は小姓組、私の家は今でもお納戸組です。小五郎様が縁有って鳥居家の婿になったころ、私も宇都宮藩の御殿に上がりました。そして懐かしくて、関係を持ってしまったのです。もちろん、関係は御法度なので、奈美恵が身ごもった時は、黙って結城に帰りました。奈美恵が五歳の時に小五郎様が結城に参られて再会して、年に何回か来られるようになりました。貴方様の長屋もおそばだったので、小さい頃から奈美恵と遊んでいるのを見て、次男坊だったので婿養子と願ったのです。しかし、奥様が反対をなされて、小五郎様の実家から養子を迎えられました。しかし、奥様と気勢が合わず数年で戻ってきてしまいました。その方は今よその家に養子に行ってらっしゃいます。このままでは奈美恵と貴方様の縁談がだめになると思って、急遽、鳥居家に乗り込み、私の兄の家の者に手伝って貰い、家を改装しているふりをして、将来はここに住むと兄を騙して婚約の荷物を運ばせました。誠に申し訳ございません」

と言った。俊次郎は

「私は結城藩であろうと宇都宮藩であろうと、どっちでもご奉公が出来ればそれでいいのです。鳥居の父が亡くなって、鳥居家が断絶になった事も私に取ってそんなに大切な事ではありません。それよりも、奈美恵と一緒になる事の方が大切です。正直に言って下されば、どうという事はなかったし、あんな事までして、婚礼衣装を整える事はなかったのです。私は奈美恵だけ来てくれればそれで良かったのです。幸い、哲吉様のお働きに依って、鳥居家の断絶も取り止めになりましたし、私の鳥居家の相続もお許しになりました。婚礼衣装を騙し取られた商店の方も、代金を支払って頂ければ喜んで提供すると言って下さいました。もう何も心配はないのです」

と二人に安心させるように言った。

哲吉がお奉行と一緒に鳥居家を訪れると、お奉行はその場で俊次郎に小姓頭を任命した。

哲吉の家の離れの庭の梅が満開を迎えた三月の始め、よし若の弟子の大町の米屋の娘芳江の結婚式に招かれた。

「鳴るは滝の水、鳴るは滝の水、日は照るとも絶えずとうたらり、ありうどの神代の昔」

と、哲吉が三番叟の一節を唄うと、

「やっさ、さっさ、さっさ」

と掛け声が挙がった。婚礼の席に博親分も招かれていて、

「隣町の石町の同じ米屋の会津屋の娘がかどわかしに会っているらしい」

と、哲吉の耳元で囁いた。哲吉が

「会っているらしいとはどういう事か」

「それが会津屋の主がはっきり言わないのだ。しかし、家にいない事は確かだ。もう、三日目になる」

次の日、博親分が哲吉を訪ねて来て

「あれから、会津屋に脅迫状が届いて、やっと誘拐を認めた」

と言った。とにかく、哲吉と博親分と孝吉は会津屋に向かった。三人が会津屋の主人から脅迫状を見せられると、脅迫状には

「明日の晩、釜川と田川が合わさる中洲に主人一人で、二百両を持ってこい。奉行所に届けると娘の命はないと思え」

と書かれていた。

次の日の晩、会津屋の主人は一人で二百両を持って、下河原の中洲に向かった。哲吉と博親分は孝吉を御用舟で田川の畔に待機させて、こっそり会津屋の後を付けた。

会津屋が中洲に着くと、二人の黒覆面の男が会津屋を囲んだ。そして、一人の黒覆面が二百両を受け取ると、いきなり田川の方に走った。そして、もう一人の黒覆面が会津屋の手足を縛ると、釜川の方に走った。博親分が釜川に走った方の後を追った。哲吉は会津屋の縄をとくと、田川の方に走った。田川に行くと、孝吉が舟に乗った黒覆面を追い掛ける所だった。

哲吉はすぐに御用舟に飛び乗ると、黒覆面を追った。しかし暗闇の中での追跡は困難を極め、いつしか見失ってしまった。横川村付近まで追ったが何も見えず、明日もう一度明るくなってから捜索するしかなかった。哲吉が孝吉を連れて、中洲に戻ると、会津屋が店の者とそこにいて、間もなくすると、博親分も戻ってきた。

「釜川を越えて、古田橋の方に走ったが、途中で武家屋敷の方に入って行って、そのまま見失ってしまった。すばしっこい奴だった」

「俺たちの方も、横川村の方まで追い掛けたのだけど、暗闇の中に消えてしまった」

会津屋はまんまと二百両を取られて、娘も帰って来ないのでがっくりと膝を落とした。

仕方なく、会津屋に戻るしか、無かった。

次の日の午後、哲吉たちが会津屋に詰めていると、その前に一台の駕籠が着いた。中から目隠しをした娘が降ろされた。会津屋の娘だった。哲吉が駕籠屋に問い質すと、

「上河原河畔で呼び止められ、覆面をした二人の侍が舟から目隠しをした娘を連れて来て、駕籠に乗せると石町の会津屋に行けと言われて、娘を連れて来た」

と言った。それから、娘に問い質すと、最初は興奮状態で何も話せなかったが、落ち着いて来ると、少しずつ話し出した。

「踊りの稽古の帰り、上河原でいきなり二人の侍に囲まれて、駕籠に乗せられた。そして、田川の畔で駕籠のまま船に乗せられると、目隠しをされて何処かに運ばれた。しばらくすると、田川の支流みたいな所で降ろされて、小屋の中に入れられ、そのまま監禁された。小屋の中では目隠しを外されたが、ずっと目隠しをされていたので、何処に連れて来られたのかは分からない。窓も閉ざされていて、外は見えなかったが、にわとりの鳴く声がしたから、農家の納屋でないかと思う。帰りも目隠しをされて駕籠のまま船に乗って来たので、何も分からず、気が付いたら、我が家の前にいた」

明くる日、哲吉たち三人は、御用船に乗って、田川を下った。しかし、支流といっても、たくさんありすぎて、前の事件の時のように、物が乗っているとか、人が乗っているのなら分かるが、今回のように日にちが経って、誰も乗っていない状態では探しようが無かった。念のため、この前の仏壇事件の池にも行ったが、何も無かった。

会津屋では二百両は取られたものの、娘が無事に帰ってきたのでそれ以上は騒ぎ立てなかった。それをいい事にかどわかしが次々に起こった。しかし、哲吉たちに知らせたのは、お金を払って娘が無事に帰って来てからだった。そしてお金を引き渡した所も警戒してかそれぞれ別の場所だった。だが、共通している事は、かどわかす時は駕籠を使って、田川から駕籠のまま舟に乗せているし、金を引き渡した後も金を持った者は舟で逃げているし、もう一人は武家屋敷で姿を消していた。かどわかしの有った店も一軒は大きな瀬戸物屋だし、もう一軒も質屋で、両方とも二百両払っても、困る店ではなかった。

五件目が哲吉たちの町内で起こった。同じ町内の丸井屋呉服店の娘がかどわかされたのだ。流石に、同じ町内では哲吉たちに隠しておく訳には行かない。奉行所の方でも、五件目となると、もう見逃す訳には行かなかった。そして、金の受渡場所は清巌寺の北側の田川の畔だった。哲吉たちと奉行所の手の者は、まず田川の清巌寺河畔の上流と下流に一艘ずつ配置した。それから、清巌寺の墓の中とその周りを囲むように手の者を伏せた。

その晩、二人の黒覆面の舟が下流から上がって来た。そして、二人の黒覆面は舟を下りると、丸井屋の主人の所に行った。そこで、二百両を受け取ると、受け取った黒覆面が舟に乗り、もう一人の黒覆面の男は丸井屋の主人を縛ると、清巌寺の墓の中に入って行った。哲吉は上流の舟の中にいた。当然、黒覆面の乗った舟は下って行くと、思っていたら、哲吉の乗った舟の方に近づいてきたので、哲吉は慌てて無人の舟のようにするために藁をかぶって身を隠した。黒覆面の舟はゆっくりと上流へ漕ぎ上がって行った。哲吉は闇の中で見失わないように後を付けた。田川は曲がりくねりながら八幡山の方に近づいて行った所で、黒覆面の男は舟を下りた。すると、畑の中にぽつんと一軒の小屋が立っていて、黒覆面の男は中に入っていった。小屋の中から何人かの男の声が聞こえた。哲吉が見張っていると、下流いた奉行所の舟に乗った取り方が追いついて来た。そして朝まで、哲吉は取り方と一緒にその小屋を見張った。

朝になるとその小屋に、八幡山の方から若い武士が歩いて近づいて来て、中に入った。

すると、博親分と孝吉が現れた。そして

「今入った若侍が墓の方に逃げた黒覆面の男だ。この前見失った古多橋の近くの丹羽兵左衛門様の屋敷に入った。そして、朝見張っていたら、屋敷から今の若侍が出て来た。覆面はしてないが、姿、形はそっくりだ。北に向かって歩き出したので、二人で後を付けると、赤門通りから八幡山の東側に沿って歩いてここに来た」

「すると、二人の黒覆面の男がここにいるという事だな。かどわかされた娘もここにいるのだろうか。とにかく、しばらく様子を見るしかないだろう。騒いで、娘が殺されたら元も子もないからな」

それからしばらく、見張っていると、お昼ぐらいに成って、小屋から一台の駕籠が出て来て、前後を二人の若侍が担いでいた。二人は田川に出ると、そのまま舟に乗せて、田川を下って行った。哲吉は奉行所の取り方を小屋に踏み込ませると、博親分と孝吉の三人で舟に乗って若侍たちを追った。すると、若侍たちの乗った舟は上河原河畔に付けて、まず一人の若侍が舟を下りて駕籠を探して連れて来ると、舟の上の駕籠から目隠しをされた娘を連れ出して、探して来た駕籠に乗せた。娘を乗せた駕籠が走り出すと、一人の若侍が後に付いて行って、それを確認するように、もう一人の若侍が空駕籠を乗せた舟を漕ぎ出した。博親分と孝吉が娘を乗せた駕籠を追い掛け、哲吉は空駕籠を乗せた舟を追った。すると、舟は古多橋の所からお堀に入り、御番所の舟蔵に入って行った。哲吉はお堀に舟を留めると御番所を見張った。すると、船に乗っていた若侍が出て来て、哲吉が後を付けるある御屋敷に入って行った。

哲吉が門番に

「このお屋敷は誰のお屋敷ですか」

と聞くと、門番が

「丹羽兵左衛門様のお屋敷です」

と答えた。

「今、入って行かれた若様はどなた様ですか」

「次男の小次郎様です」

哲吉が丹羽屋敷のそばで見張っていると、娘を乗せた駕籠を追って行った若侍が丹羽屋敷に入って行った。するとその後から、博親分と孝吉が付いて来た。そして博親分が門番に

「今、入って行った若侍の名は何と言うのか」

と聞くと、

「小姓の大野新太郎様です」

と言った。哲吉が博親分に声を掛けると、博親分が

「これで二人、揃いましたね」

と答えた。

哲吉と博親分は孝吉を丹羽屋敷の見張りに残して、奉行所に走った。そして、お奉行にかどわかしの全容を語った。お奉行は直ちに哲吉と博親分を伴って丹羽屋敷に向かった。

二人を召し出して問い詰めると、最初は知らないと言い張っていたが、哲吉がお納戸屋敷の舟と大曾村の小屋の事を持ち出すと、観念したのかすらすらと供述をした。

女と博打で多額の借金をしてしまい、返済を迫られて、かどわかしを借金相手のやくざからそそのかされた。大曾村はやくざの物で、奉行所の取り方が踏み込んだ時にいたのもそのやくざ者だった。一回目の会津屋が成功したので、借金を返した後も、誘拐金は折半ということで、続けて来たと供述した。小次郎はお役目がお納戸付きでお城の船も駕籠も自由になったので、黙って持ち出しても、だれも咎めなかった。その後、奉行所の者がやくざ者の博打場に踏み込んで一味の者を全員捕らえた。丹羽家は断絶して小次郎と新太郎は切腹、やくざの首謀者は島送り、他の者は遠追放の処分と成った。そして、誘拐金はかどわかされた店に返還された。

慈光寺の彼岸桜が散り、八幡山の桜が満開になった四月の始め、哲吉はよし若とよし若の弟子たちを誘って、八幡山に花見に行った。日頃世話に成っている博親分と孝吉も誘った。

高台の平らな所に陣取ると、哲吉が

「落人の、為かや今は、冬枯れて、すすき尾花は、なけれども、世を忍ぶ見の、後や先」

と新内の傾城恋飛脚を唄うと、よし若が受けて

「これ、忠兵衛さん、ほんに此処は剣の中、こうしていても大事ないかえ」

と唄った。すると、遠くで

「スリだ、スリだ」

と言う声がして、それがだんだん近づいて来た。後ろで

「ガタン」

と音がすると、若い男が飛び込んできて、よし若の弟子の輪の中に入ったと思うと

「ごめんなすって」

と言って遠ざかって行った。それからしばらくして、弟子の絵里が

「えっ、これ何あに」

と言って立ち上がった。袂から袱紗に包まれた蠟の塊が出て来た。哲吉が蠟の塊を受け取るといきなり真ん中から、パカッと割れて中から鍵が出て来た。

「何処かの蔵の鍵だ。さっきの飛び込んで来た男が、とっさに絵里の袂に投げ込んでいったのだ」と哲吉が言うと、博親分が

「じゃあ、さっき飛び込んで来たスリは泥棒か」

と言った。それから哲吉は博親分と色々と相談をした。

「まず、泥棒はあの鍵を取り戻しに来るだろうな」

「すると、絵里が危ない」

「しかし、何であの鍵を泥棒が擦ったのだろう」

「仲間割れか」

泥棒はさっそく現れた。哲吉たちが花見を終えて、八幡山神社の参道を下りている時に、

参道の木の陰から現れた。

「先ほどそのお嬢様に預けた品物を取りに来たのですが」

「この蠟の塊か」

哲吉は袱紗に包まれた状態のまま突き出した。

「へえへえ、それでございますよ」

すると哲吉が中の鍵を取り出して

「この鍵はどこの蔵の鍵だ」

と泥棒に言った。その時、博親分と孝吉が泥棒を捕まえようと走り寄った。すると、泥棒は後ろに一回転して距離を置いた。哲吉は

「この鍵と鍵型は博親分に預けて置く。欲しければ、博親分の所に取りに来い」

と言うと、泥棒は踵を返して遠ざかった。すると弟子の一人の七重が

「あの人を見たことある。うちの町内の味噌屋の手代よ」

と言った。哲吉たちはよし若の弟子たちを手分けして店に届けると、日野町の味噌屋今市屋に向かった。泥棒の手代はしばらく田舎に帰っているらしく店にいず、鍵を差し出すと蔵の鍵とピタリと一致した。哲吉は敢えて手代の事は言わず、偶然に鍵を手に入れた事にして、

盗賊が狙っているから、厳重に注意するように言い置くと、店を後にした。

哲吉は家の離れに戻ると、博親分とさっそく鍵と鍵型を前にこれからの探索を検討した。

「手代が店をでる時にこっそり蔵の鍵の型を取って、密かに何処かで鍵を作った。それを型ごと誰かに盗まれた。それを八幡山の花見の席で手代が掏り取った。それを見つかったので逃げる時に、絵里の懐に投げ込んでいった。手代の正体は分かったが、手代が掏り取った相手は分からない。でも分からないのは、店を辞めてない奴が自分の店にわざわざ合鍵を作って泥棒に入るか。店にいる時に盗んで、こっそり抜け出せばいいだろう。それに、花見の時に素顔を晒して、鍵を返してくれと現れた。町内の知り合いの娘がいたにも関わらず、これでは捕まえてくれと言わんばかりだ。もし、泥棒でないなら正直に言えばいい事だろう。それなのに博親分が捕まえようとしたら、逃げてしまった」

すると孝吉が

「スリの手代を追いかけて来た奴の中に、この前のかどわかしで遠追放になった奴がいた」

と言った。博親分が

「遠追放に成った奴は何年も宇都宮に戻れないのに、いるのはおかしい。すぐに調べよう」

と言って、孝吉を連れて哲吉の離れを出て行った。しかし、元のヤクザの博打場に人影は無かった。

三日後、曲師町の質屋に盗賊が入った。蔵が破られ、三百両が盗まれた。深夜、音もなく侵入して、質屋の誰もが気が付かなかった。そして二日後、杉原町の酒問屋にも盗賊が侵入して、蔵が開けられ、二百両が盗まれた。立て続けに起こった盗難事件に奉行所も手も足も出なかった。哲吉と博親分は奉行所に行って、味噌屋の手代が鍵型を掏り取った事件の事を報告した。奉行所は直ちに町内の細工師などの捜索を命じた。すると、中河原の長屋の細工師が行方不明になっている事が分かった。それと同時に、味噌屋の手代も同じ長屋に住んでいた事も分かった。長屋の住人の証言によると、一週間程前に細工師健吉の長屋で騒ぎがあって、その後から行方が分からなくなったと言う。他の住人の証言のよると、健吉は博打が好きでかなりヤクザに借金が有ったという。という事は、俊吉が健吉に蔵の鍵の製作を依頼して、その鍵をヤクザが借金の形に取り上げて、それを俊吉が掏り取ったという事か。俊吉は健吉に他の店の鍵も依頼していて、すると一連の盗賊は俊吉という事になる。一体、俊吉は何者なのかと哲吉は思った。

明くる日、哲吉と博親分は味噌問屋今市屋に行った。そして哲吉が

「実は、この鍵は俊吉が花見の客から掏り取ったもので、田舎に帰るどころか八幡山の花見の席にいたのだ」と言うと、今市屋の主人は

「俊吉は私の生まれの今市の百姓の倅で、十五の時に私の店に奉公に来て、ずっと住み込みで働いていて、手代になった時に通いなり、今の中河原に住む様になった。真面目に働いていて、何も問題はなかった。今回、今市の両親の具合が悪くなったので、様子を見に行くと行って出掛けただけだったので、また戻ってきて仕事をする事に成っていた。何でこんな事をしているのか分からない」

と言った。

博親分と孝吉は今市に向かった。しかし、今市には俊吉は居なかった。両親は病気どころかピンピンとしていた。俊吉はここ五年間、ほとんど帰ってこず、時々お金を送ってよこすだけだった。ただ、俊吉は子供の時からすばしっこく、日光の山に入って何日も帰ってこず、帰って来た時にはウサギなどを捕まえてきた。そして、細工師の健吉は俊吉とは幼馴染で、一緒に野山を駆け巡る中だった。江戸に出た時も一緒で、俊吉は味噌屋に、健吉は細工師の所に、それぞれ住み込んだ。健吉の家は健吉が江戸に出てしばらくすると、親父が亡くなり、母親と妹は健吉を頼って江戸に出ていた。しかし、健吉の長屋にはその影は無かった。

今市から博親分が帰ってきた翌日、哲吉の店に意外な客が訪ねて来た。俊吉だった。

「この前は大変失礼いたしました。別に逃げなくても良かったのですけど、今、私の周りが大変な事に成っていて、捕まる訳には行かなかったのです。私は泥棒ではありません。でも、一連の盗賊騒ぎも、味噌屋の合鍵の話も私の周りの者が関連しているのです。取り敢えず味噌屋の盗難だけは防ごうと、花見の席で味噌屋の合鍵を鍵型と一緒に掏り取ったのです。でも、見つかって、やもうおえず親分さんのお仲間の袂に入れたのです。後で親分さんが味噌屋に鍵を確かめに行ったお陰で、私が未だに店に帰れずにいる。誤解を解いて貰うためと、事件を解決するための手助けをして頂きたく参上しました」

「それで、どうして貰いたい」

「最初から、お話します。もう、お調べで分かっていると思いますが、この合鍵を作った細工師の健吉と私は今市の生まれです。それと私は今市の両親の子供ではありません。小さい時に貰われて来たのです。日光にマタギの集団が有って、そこから貰われて来たのです。それを知ったのは健吉がマタギの子供だったからです。だから子供の時、よくマタギの部落に行って遊びました。十五の時に健吉と一緒に江戸に出て、私は味噌屋に、健吉は細工師に成って今に至っています。五年前に健吉の父親が亡くなって、母親と妹はマタギの部落に行きました。そして去年、いきなりマタギの部落から私を男が訪ねて来たのです。味噌屋で奉公させてくれという。味噌屋の主人の実家の事を知っているらしく、主人に紹介すると、すぐに雇ってくれました。それがこの前、健吉の所に行くと様子がおかしので、問い質すと、母親と妹の命が危ないという。それと同時に、ヤクザからも脅されているという。騙されて、博打に誘いこまれて、大きな借金を作ったという。そして気がつくと、味噌屋のマタギの男から合鍵を依頼されたという。私は主人に、田舎の両親が病気だからと噓を付いて、健吉を見張っていると、ヤクザが合鍵を取りに来たので、追いかけて行き、八幡山の所で上手く掏り取ったのを見破られて、追いかけられたので、花見をしていた親分さんの所に逃げ込んだという訳です。数年前、日光のマタギの部落は幕府に依って日光を追われて山を下りて、宇都宮の北の羽黒山を根城にしています。それと、この前のかどわかしで遠追放に成ったヤクザと一緒に成って盗賊をしています。ヤクザが上手く商店の手代を博打に誘い込み、借金を作らせ、脅して合鍵の型を取らせて、健吉に作らせ、その合鍵を使ってマタギの連中が店に忍び込んで金品を盗むという訳です。何しろ、私もそうですけどマタギの連中は山を駆け巡って木に登り、獲物を取る生活をしてきたので身が軽い。店に忍び込むなど簡単な事です」

と一気に話した。

「それで、どうして捉える」

「それは今まで、数々の捕物をものにして来た名人の親分さんが考えることです。今、健吉は羽黒山の麓の田原にヤクザと一緒にいますし、健吉の母親と妹は羽黒山神社に囚われています」

哲吉は博親分と孝吉を呼んで俊吉を引き合わすと、四人でマタギとヤクザの混合盗賊を捕えるための相談をした。まず、健吉を救い出してヤクザたちを捕え、それから、健吉の母親と妹を救出してからマタギの連中を捕獲する段取りを決めた。

哲吉と博親分は奉行所に行って、お奉行に今回の捕物の要請をした。ヤクザの捕獲は問題ないが、マタギの連中の捕獲は難しいので、目付の腕の立つ者を応援に選んだ。

明くる日、哲吉たちと奉行所の撮り方五十名が羽黒山に向かった。前の晩から羽黒山に向かわせた密偵の報告によると、ヤクザの方が十名、マタギの方が女、子供、老人を除いた男が十名だった。まず、博親分がヤクザの所に踏み込んで、目を逸らした隙に俊吉が健吉を助け出し、その後、一部の取り方が踏み込んでヤクザ全員を捕獲した。それと同時に、残りの取り方が羽黒山に踏み込み、マタギの男たちと対峙している隙に、哲吉と孝吉が羽黒山神社に踏み込んで健吉の母親と妹を救出して、その後、目付の侍が切り込んでマタギの男たちを捕獲した。

精嘉堂の軒下の燕の巣に燕が戻ってきた五月晴れの日、哲吉は祖母とよし若を伴って、慈光寺に祖父の命日の墓参りに行った。慈光寺は宇都宮城の真北に辺り、代々の宇都宮城主のお墓があるお寺だ。岡崎家も戸田家に付いて宇都宮に来たので、慈光寺が菩提寺になった。慈光寺は正面に赤門が有り、それから五十段の階段を上ると、本堂が有る。階段の途中には樹齢三百年の彼岸桜が有る。本堂から西に八十段の階段を上ると、そこに墓地が広がっていて、北側の正面に城主のお墓、その周りに戸田家のお墓が並び、岡崎家の墓は西の外れに有った。墓参りを終えて南の方を見ると、西側に二荒山神社が有り、正面に宇都宮城が聳え、眼下に宇都宮城下が広がっていた。祖母が

「あんまり景色が良いので娘は早くここに来たのよ」

とポツンと言った。母の命日は二月二日だった。階段から下を見ると、立派な女駕籠が止まっていた。代参の駕籠だった。哲吉が

「今日は前の城主の月命日か」

と呟いた。哲吉たちがゆっくりと階段を下りて行くと、代参の御殿女中が本堂から出て来た。哲吉たちは階段の中段に膝を付いて頭を下げた。御殿女中の乗った駕籠がゆっくりと階段を下りて行った。哲吉たちが本堂の前に下りた時、階段の中頃の彼岸桜の所に差し掛かった代参の駕籠を二人の侍が襲い掛かった。哲吉は慌てて駕籠目掛けて走った。そして、お供の者が応戦している前に出て、一人の侍に飛びかかると大きく投げを打った。そしてもう一人の侍に飛びかかって行くと、階段の下に投げ下ろした。哲吉が最初に投げた侍に向かうと、踵を返すように階段を下りて、階段の下に侍を助け起こすと、一目散に逃げていった。哲吉は代参の駕籠を本堂に戻すと、お城から警備の者が来るまで、本堂で付き添った。御殿女中はお牧の方と言い、城主の奥方の上臈年寄だった。

次の日、哲吉はお奉行に呼ばれて奉行所に行った。

「困った事になった。殿がお牧の方を襲撃した事にお怒り成って、徹底的に襲撃した侍を探し出せと命じられた。実際にその侍と対峙したのはお前だけだから、一体、どんな侍だ」

「若い侍でしたよ。でも二人とも余り剣術は強く無かった。もし強ければ、一撃で駕籠を貫いていたはずですから。立派な身なりをしていましたけれど、一人はもしかしたら町人かもしれないし、もう一人も城中の方ではないかもしれません。ところで、お牧の方はどのような方なのですか」

「お牧の方は今の奥方が芳賀藩の姫様で、宇都宮藩に嫁がれた時にお付きとして一緒に来られた方だ。今、奥の事はほとんどお牧の方が采配をしていて、奥方様の最も信頼の置ける方だ。それが襲われたのだから、奥方様も大変お怒りに成って、殿に犯人を探す様にやんやと催促しているから、殿も我々に催促する以外方法が無いのだ。と言って、お牧の方を襲撃した事は公に捜査をする訳には行かない。何しろ奥の事だから、闇雲に藩士を疑って捜査をする事も出来ず、困っているのだ。お前が藩士で無いかもしれないと言うなら町うちを探ってくれ。くれぐれも内密に捜索するように」

哲吉は奉行所の帰り、しばらく思案しながら歩いていて、ふと思いつくと、日野町の油問屋芳賀屋に向かった。哲吉は

「お牧の方が芳賀藩の出身なら、芳賀屋も芳賀の出なのではないか。そうだとすれば、何か関係が有るかもしれない。芳賀屋はこの前の植木屋の盗賊を未然に防いだから、こちらの問いに素直に答えて貰えるかもしれない」

と思った。芳賀屋に行くと、芳賀屋の主人が

「いやあ、若旦那、この前は植木屋の盗賊を捕まえて頂きまして誠にありがとうございました。まだ、御礼も差し上げてなくて、恐縮です。ところで、今日はどんな御用です」

と言った。哲吉が

「芳賀屋さんは、芳賀の出身なのですか」

「はい、元々芳賀の油問屋で親父の代に宇都宮に参りました。だから私は芳賀の生まれです」

「宇都宮藩の奥方様は芳賀藩のお姫様とお聞きしましたが、ご存知ですか」

「はい、お姫様の時からよく存じ上げています。今でもお城にお伺いいたします」

「では上臈のお牧の方もご存知ですか」

「はい、お牧の方様はうちの親戚です。子供の時は私の家でよく遊んだものです。今でも、色々な事を頼まれます」

「頼まれごとか何かで困った事はないですか」

「別にこれという事はないのですが、一度だけ見習いに上げた娘を戻された事が有ります。わざわざ、芳賀から連れて来た娘なのですが、何か城中で粗相をしたらしく、家に戻っても今でも放心状態らしく、親に何があったのだと問い詰められて、困っています。この間も、その娘の兄と許婚がやって来て、誰が妹をあんなにしたのか、相手に怒鳴り込んでやると申しますので、なだめて追い返えしたのですが、本当に困った者です」

「その若者たちは今、どうしていますか」

「さあ、あれから訪ねて来ないところをみると、諦めて帰ったと思いますよ」

その後、博親分と孝吉を連れて日野町の旅籠を訪ねた。博親分には、慈光寺でお牧の方が襲われた事は内緒にした。ただ芳賀屋から捜索の依頼を受けたとだけ話した。町中に御殿女中襲撃の噂が広まる事を避けたかったからだ。御殿女中の襲撃はそれほど重大な事だった。もし噂が広まれば、宇都宮藩にとって重大な過失にもなり兼ねない事実だった。たまたま、慈光寺での襲撃の時には周りに人影は無かったので、よし若と祖母にも襲撃の事を周りに漏らさないように命じた。

若者二人は日野町の釜川に面した小さな旅籠に、ひっそりと隠れていた。そのうちの一人は、哲吉に階段の下まで投げ飛ばされたために、足を骨折していた。旅籠では、

「お参りの際に暴漢に襲われ、階段を突落された」

と言っていた。哲吉は、

「芳賀屋さんがあれから訪ねて来ないので、心配している」

とだけ伝えて、襲撃の事には触れなかった。二人とも襲撃に夢中だったのか、哲吉に投げ飛ばされた事などは覚えていなかった。しかし、兄の佐吉は妹の事に触れ

「お城で何があったか分からないが、妹が可哀想だ」

と言った。許婚の長吉も

「お城でのいじめは許さない」

と骨折した足をかばいながら言った。哲吉が

「芳賀屋さんが心配しているが、これからどうするのだ」

と聞くと、佐吉が

「分からない。でも長吉がこんな具合だから、当分の間はジッとしているしか方法がない」

と言うので、哲吉が

「もう一度、芳賀屋さんを通じて、お城に妹さんの事を聞いて来るから、それまでは旅籠でジッとしていろ」

と念を推して旅籠を後にした。それから、芳賀屋に行って、佐吉たちが近くの旅籠にいる事を告げて、お牧の方との面会を願った。

次の日、哲吉は芳賀屋と連れ立ってお城に向かった。お牧の方との面会はすぐに許され、二人はお牧の方に挨拶をすると、哲吉だけが残った。

「この前はお駕籠の前を汚しまして、失礼いたしました」

「いや、町人とは思えない素早い身のこなし、感心して見ておりました」

「恐縮でございます」

「ところで、今日は何の御用です。お奉行から例の襲撃の者の探索を命じられたとか」

「そのことでございますが、芳賀屋が言うのには、芳賀屋が行儀見習いにお城に上げた娘が宿下がりに成ったと申しておりますが、どのような事でそうなったのでございますか」

「ああ、あの事か。実に他愛のない事なのだが、奥方様が用を言いつけた事を忘れてしまって、奥方様が大変お怒りになったので、他の者の手前、ほっておくことも出来ず、宿下がりにした。可哀想な事をしたと思っております。後で奥方様の勘違いだと分かったのだが、宿下がりをした後だったので、そのままにしてしまった」

「実は芳賀屋が申しますのには、その娘は宿下がりに成った日から、ずーっと放心状態でいるようで、兄や許婚が心配して芳賀屋に詰め寄っているようなのです」

「それは気が付かないで気の毒な事をした。芳賀屋ももっと早く言ってくれればいいものを、そうすれば何とか娘を元通りにお城勤めに戻したのに」

「それがつい最近に分かったものですから、ご相談に上がろうと思っていたところだそうです」

「それで、その娘と今回の襲撃事件と何か関係が有るのか」

「それが大有りでございまして、本人はまだ何も申してないのですが、襲撃したのはこの兄と許婚のようなのです。私が旅籠を訪ねましたところ、許婚の方が階段で暴漢に突き落とされたと、左足を骨折しておりました」

「でも我々を襲った者は武士だったのではないか」

「多分、お駕籠に近づくために、武士の扮装をしたのではないかと思います。兄の方は刀を握っていましたが、ほとんど力なく、私に投げられてしまったし、許婚の方は刀を抜く事もせずに、私に階段の下まで投げ落とさてしまって、おまけに骨折をして、気の毒な事をしました」

「そういえば、駕籠のそばで何か叫んでいたようの気がしたが、その方が来たので止めてしまった」

「本人に聞いて見なくては分かりませんが、今思えば、殺意などは無かったのではないかと思います。いずれにしましても、この度の事はいかがいたしましょうか」

「殺意が無かったのであれば、こちらもその方の手助けで何の被害もないし、我々が襲われた事など有ってはならない事なので事件にはするつもりはない。元々奥方様の勘違いから起った事なので、襲った許婚も怪我をしている事だし、殿と奥方様には事実を申し挙げて許しを買うて、娘の早苗も直ちにお城に戻るように、お前に言いつけます。お奉行に申して、兄と許婚には何の咎めもないようにしますから、お前の方からよく言い聞かせて下さい」

「承って候」

「ところで、お前は新内が得意だそうな。芳賀にいた時はよく新内流しを聞きましたよ。事件が解決したら、お城に来て、新内流しを披露してくれ。奥方様共々楽しみにしています」

「承知致しました」

と言って、哲吉は芳賀屋と共にお城を後にした。哲吉は芳賀屋に

「今回の早苗の宿下がりは勘違いだったらしく、直ちにお城に戻るようにとの事だ。早苗と親たちにその方から伝えてください。旅籠の二人には私から伝えます」

と言った。それから、哲吉は一人で二人が泊まっている旅籠を訪ねた。哲吉は

「先ほど城中に行って来た。お牧の方にお会いして、早苗さんの事を聞いて来た。真相は奥方様の勘違いだそうだ。もっと早く伝えるべきだったのだが、色々城中の行事が重なって伝えるのが遅くなったそうだ。先ほど、お牧の方様から直ちに早苗さんは城中に戻るように、指示を受けた。今頃、芳賀屋が早苗さんのもとに走っているだろう。お前たちが駕籠を襲撃した事は分かっている。お前たちは気が付いていないかもしれないが、慈光寺の階段でお前たちを投げ飛ばしたのは俺だ」

と言うと、二人して

「えー、」

と驚きの声を挙げた。そして佐吉が

「道理で強いはずだ。旅籠の女将も、扇子屋の若旦那だけど、盗賊やかどわかしの犯人を捕まえている名うての親分さんだとか」

「まあ、それはいいけど、お前たちはその腕で武士の格好までして、本気で殺そうと思って駕籠を襲ったのか」

「いや、とんでもない事でございます。武士の格好をしたのは町人では相手にされないと思い、薄着たない浪人の格好でも駄目だと思って、芳賀藩の知り合いの侍に借りました。駕籠に近寄った時も殺すなど出来るはずもなく、ただ脅かすつもりで刀を抜いて、駕籠のそばで、お牧の方様へ早苗の宿下がりの真相を教えてくださいとお願いしていたのです。そこへ、親分さんがいきなり現れて、二人を投げ飛ばしたものだから、これは敵わないと、長吉を背負って逃げた次第です」

「そんな事だと思ったよ。お牧の方様は殺意が無いのなら、事件にするつもりはなく、何の咎めもするつもりはないそうだ。これでお前たちも水に流して、長吉は早苗さんのお城のお勤めが終わるまで、大人しく待っておれ。その頃には、俺が折った足も良くなっているだろう。くれぐれもやけを起こすな」

それから、知らせを聞いた早苗は別人のように成って、お城に向かい、佐吉と長吉は足を引きずるようにして、芳賀に帰っていった。

六月に入ると雨が連続で降り続き、田川の水が溢れて清巌寺の墓地が水浸しになり、寺町通りまで水が溢れそうになった日、精嘉堂水戸店の陽次郎が訪ねて来た。

「道中どこも水浸しで、鬼怒川を渡るのに往生したよ」

「明恵は元気か」

「うん、秋には子供が生まれる」

「ところで、今日は何の御用だ」

「用事は陰の御用の方だ。日光の源蔵という盗賊がいる。これが水戸の城下でさんざん盗みを働いて、こっちへ逃げて来ているらしい。それで追いかけて来た。こいつ、めっぽう腕が立つと見えて、盗みの前に辻斬りもするという凶暴な奴だ。日光の源蔵と言うくらいだから日光を塒にしているのだと思うのだが分からない」

「よし、盗賊の事なら博親分に聞いてみよう」

と、哲吉が言って、小僧に博親分を迎えにやった。さっそく、博親分と孝吉がやって来た。

「またあいつが出やがったか。五、六年前さんざん城下を暴れ回って、手下は捕まえたのだが、本人は雲のように消えてしまった。今度こそ、捕まえてやる」

それから、四人で色々と日光の源蔵の捕獲を相談した。博親分が

「源蔵は盗みをする前に人を傷つけ騒ぎを起こし、その隙に盗みを働くという手口で行う」

と言うと、陽次郎が

「そう、その手口でさんざん振り回された」

と答えた。

「五年前に日光に源蔵の事を調べに行った。源蔵は日光の町道場の倅で子供の頃から腕っぷしが強かったそうだ。十歳の時に親父が亡くなり、そばに身寄りが無かったので、何処かに行ったという。道場は今でもあるが、朽ち果てていて誰も寄り付かないようだ。つかまえた子分どもの話によると、道場にいた剣客が源蔵を連れて旅に出て、旅先で盗みをしながら源蔵を育てたらしい。旅先でその剣客が死んで、源蔵がその後を付いたという」

当分の間、博親分と孝吉が見回りをして、陽次郎は哲吉の所で待機する事にした。

そして三日後、事件が起きた。まず、中河原通りで大工の富造が何者かに切られた。その騒ぎに合わせるように、上河原町の質屋吉田屋に盗賊が入った。賊は四人で、夕方、騒ぎに気を取られている隙に押し込まれ、主人に刃物を押し当てて金庫を開けさせ、疾風のように二百両を盗んで行った。

哲吉と博親分と陽次郎は、最初に自身番に担ぎ込まれた富造のところに行った。

富造は腕を切られていたが命に別条はなかった。富造は

「切ったのは編笠を被った武士で、すれ違い様にいきなり切りやがった」

と証言した。

それから、哲吉たちは質屋吉田屋に行った。吉田屋の主人は

「首領は頭巾を被った武士で、子分たちも普通の町人姿をしており、手拭いで目から下を隠していた」

と言った。

この盗賊は普通の格好で町の中に溶け込むと、バラバラに逃げていた。

二日後、石町で左官の梅吉が切られると、元石町の米屋塩原屋に盗賊が入り、主人を部屋に押し込め、二百両を奪って逃走した。

その三日後、今度は千手町で下駄屋の勘吉を切ると、馬場通りの味噌屋益子屋を襲って、百五十両を奪った。

そして二日後、宮島町で福田屋呉服店の手代の亀吉が切られた。

「宮島町で人が切られた」

と、精嘉堂の前で声がした時、哲吉と陽次郎とよし若は離れにいた。哲吉はすぐに、祖母と親父のいる二階に上がり、陽次郎とよし若は離れの庭に隠れた。するとすぐに、盗賊が入って来た。哲吉は祖母と親父を二階の隠し部屋に隠すと、盗賊が二階に上がって来るのを待ち構えた。盗賊は手代と小僧とお手伝いを縛り上げると、頭巾を被った侍が二階に上がって来た。哲吉は階段の所で待ち構えると、侍の刀を捕まえて、階段の下へ投げ落とした。侍は刀を落としながら、階段の下で何とか受け身を取った。哲吉は階段を飛び降りると、侍に蹴りを入れた。侍は後ろにトンボを切って逃れた。哲吉は

「ここをどこだと思っている。哲吉親分の店だと知って盗みに入ったのか。飛んで火にいる夏の虫、御用だ、神妙にしろ」

と叫ぶと、十手を抜いて、侍を牽制した。すると、三人の子分たちが匕首を抜くと、縛られている手代たち三人にそれを向けた。しばらく、膠着状態が続くと、侍が

「ひけー」

と声をあげて、盗賊たちは一斉に店の外に飛び出した。その時、陽次郎が庭から店の入口に移り隠れていて、すぐに、盗賊の後を追いかけて行った。哲吉とよし若とで手代たちの縄をほどいていると、博親分と孝吉が駆け付けて来た。博親分が

「哲吉親分の所に盗賊が入るなんて、何とゆう間抜けな盗賊だ。宮島町で辻斬りが有ったから、何処へ盗賊が入るのかと思っていたらここだった」

と言うと、祖母と親父が二階から下りて来た。哲吉が博親分に

「今、陽次郎が盗賊の後を追いかけて行った。上手く塒を突き止めると良いが」

と囁いた。夜遅く成って、陽次郎が戻って来た。

「盗賊はみんなバラバラに逃げた。武士の後を追いかけて行ったが、田川を渡ったところで姿が消えた。更に追いかけて行くと、神社の所を中へ入って行く町人がいたので、中に入りあたりを見まわしたが、何処かに消えてしまった。するとまた一人町人が、神社の中に入って消えた。しばらく見張っていたが、その後は誰も来ないので引き返して来た。どうも、あの神社が怪しい」

次の日哲吉は、陽次郎と博親分と孝吉の四人で盗賊が消えたという川向うの神社に向かった。神社の名は八坂神社だった。四人は境内の中を隈なく調べたが、盗賊が潜んでいるような場所は無かった。すると能舞台の後ろに、裏に出る小さな門が有った。門を出ると畑が広がっていて、その中にポツンと一軒家が立っていた。四人がそっと近づくと、そこは小さな剣術の道場だった。中を覗くと、奥の床の間に道場主が座っていて、弟子の二人が稽古の打ち合いをしていた。博親分が

「怪しい。確か源蔵は日光の剣術道場の倅だ。道場を持っていてもおかしくはない」

と言うと、陽次郎が

「水戸で一度、源蔵を追い詰めた事が有るが、道場の辺りで消えた事が有る。でもその時は武士だとは思っていないので、道場は調べなかった」

と言った。そして、しばらく二人ずつ交代で見張る事にした。

三日後、事態が動いた。ちょうど、四人が揃って見張りをしている時、道場から、四人が出て来た。一人は武士の格好で編み笠を被り、他の三人は町人姿だった。四人は田川を渡ったところでバラバラになりながら、西に進んだ。哲吉と陽次郎が武士の後を、博親分と孝吉が町人たちを追った。伝馬町に入ったところで、編み笠の武士はいきなり通り掛かりの町人を切り付けた。同時に哲吉が武士に向かって小石を投げた。そして、陽次郎が刀を抜くと武士に切り掛かった。哲吉が

「日光の源蔵、御用だ」

と叫ぶと、源蔵に十手を向けた。陽次郎がさらに切り掛かると、源蔵が後ろに逃げるのを、哲吉が捕まえて投げを打った。源蔵は大きく回転をして、地べたに叩き付けられた。

その時、清住町の材木店の前でウロウロしていた三人に、博親分と孝吉が

「御用だ、神妙にしろ」

と叫んで飛び掛かって行った。哲吉たちが四人の盗賊を奉行所に連行する時、源蔵が

「まさか扇子屋が親分の店だとは気が付かなかった。あれが失敗のもとだ」

と言うと、哲吉が

「ここにいる陽次郎はお前を水戸から追いかけて来たのだ。天網恢恢疎にして漏らさず、それが、俺の店に導いたのさ」

と答えた。源蔵は今泉の道場の床下に、千両近い金を溜め込んでいた。日光の道場を再建するためだという。陽次郎は源蔵の水戸での盗みの詳細を調べて、盗んだ金の一部を返還してもらうと、水戸に帰って行った。

八月に入るとうだるような日々が続いていた日、生福寺の境内に打ち水をして、ゆかた会が開かれた。よし若が

「跡に尾上は伊太八が、顔をつくづくと打ながめ、私という者ないならば、こうした身にも」

と新内の尾上伊太八を披露すると

「よう、日本一」

と境内から勇ましい掛け声が上がった。この日、よし若にはもう一つお目出度事が有った。妊娠したのである。三ヶ月だった。ゆかた会の後、哲吉の家の離れでささやかな宴が開かれた。招かれた博親分が席上で

「お祝いのところで申し訳ないが、江野町の旅籠で枕探しだ。それもまた奇妙な奴で財布の中の金を狙わないで、書付けばかり狙う変な奴だ」

「また、宝さがしか」

「分からない。夜中にそっと現れて、スーと消えてしまうそうだ」

次の日、哲吉と博親分と孝吉は江野町の旅籠上田屋を訪ねた。女将によると

「お客さんの声がしたので、部屋に行くと、庭に人影が有り、見ると何処かに消えてしまった。探して見たが、何処にも見当たらなかった」

と証言した。それから、三人で部屋や庭を隈なく探したが何も見当たらなかった。三人は交代で上田屋を見張る事にした。三日の間に二度程、隙を見て忍び込まれた。孝吉の時にチラッと庭で姿を見たが、黒装束で随分と小柄な男だった。そして、妙な事が分かった。狙われたのは何れも、日光からの旅人だった。博親分は急遽、孝吉を日光に派遣した。

二日後、孝吉が帰ってきて、東照宮の宝物殿で大掛かりな盗難騒ぎが有った事を報告した。それからしばらく、日光からの客は無かった。そして日光から親子の客がやって来た。哲吉が警戒して見張りに付いた。夜更けに親子の部屋でコトッと音がしたので、哲吉が出向くと黒い影がスーと庭の方に走った。哲吉が駆け寄るとその影は庭のすみに消えた。哲吉が近づくとそこに小さな井戸が有った。

明くる朝、哲吉と博親分は孝吉を井戸の中に探索に入れた。すると、驚くべき事実が有った。

井戸の途中に横穴が有ったのである。穴は人が寝そべって通れるぐらいの穴で、外の釜川の壁のところに通じていた。哲吉は泊まっている親子に

「何か盗まれた物は無いか」

と尋ねると、

「別に何もない」

と答えた。哲吉が親子に

「まだしばらく滞在するのか」

と尋ねると、

「人と会う為に、この旅籠に来た。その人が来るまで、滞在する」

と答えた。哲吉と博親分はしばらく親子の様子を見守ることにした。そして、孝吉に釜川の横穴の出口を舟で見張らせた。

次の日、親子のところに客が訪ねて来た。大店の主人風の成りをした男だった。哲吉は襖の陰に身を隠すと密かに二人の会話を盗み聞きした。ときおり、東照宮とか宝物殿とか言う声が聞こえた。一刻程話をすると、その男は上田屋を出た。そして、釜川に待たせて有った舟に乗った。博親分は孝吉に合図をすると、大店の男の後を追わせた。親子は大店の男との対面が終わると上田屋を後にした。親子は店をでると、日光街道に向かった。博親分が後を追った。哲吉は念のため、釜川の横穴の出口を見ると、何時の間にか上田屋に侵入していた盗賊が町人姿で横穴から這い出して来て、親子の後を追った。哲吉はその後を追った。親子は日光街道に出ると、徳次郎を通って、杉並木を抜け、今市に入り、滝尾神社に入って行った。盗賊は、しばらく滝尾神社を見張っていたが、近くの味噌屋上澤屋に入って行った。こうなると哲吉と博親分ではどうにもならない。博親分は知り合いの今市の勘吉親分に助っ人を頼んだ。博親分は勘吉親分に

「どうも滝尾神社にいる一味と上澤屋は、東照宮の宝物殿盗難事件に関係しているのではないかと思う」

と言うと、勘吉親分が

「いや、日光奉行から探索の依頼を受けているが、全然分からなくて生きず待っていたところだ。これがもし東照宮の盗難事件に関係しているとしたら大手柄だ」

と言って、子分たち数人で滝尾神社と上澤屋を見張る事にした。哲吉は博親分を今市に残して、ひとまず宇都宮に帰った。

哲吉が精嘉堂に戻ると、孝吉から手紙が着いていた。手紙には、

「上田屋から追いかけた男は釜川から田川に出て、田川を下って鬼怒川の久下田河畔に留めて有る三百石船に乗った。船の名は新宮丸で、大阪の酒問屋灘屋の持ち船だと言う。これから阿久津河畔で荷物を積んで上方に戻るそうだ。至急、阿久津河畔に応援をお願いします」

と書いて有った。哲吉はすぐに、奉行所に行って、お奉行に今までのいきさつを話した。

日光東照宮の宝物殿盗難事件に関係していると話すと、

「これは大変だ。直ちに出陣する」

とお奉行自ら部下を連れて、阿久津河畔に向かった。

今市でも滝尾神社の一味が動いた。一味は神社を出ると、大谷川に向かった。そして、隠していた舟に乗ると、大谷川を下った。すると。上澤屋の面々も大谷川を舟で追った。それを、博親分と勘吉親分一家が用意していた舟で後を追った。

哲吉とお奉行一行が阿久津河畔に着くと、三百石船は河畔に横付けされていた。哲吉とお奉行一行はそこで待機した。そこに孝吉が現れて

「船の中に、灘屋と船員の他に浪人が四人乗り組んでいます」

と報告した。

しばらくすると、鬼怒川の上流から一艘の舟がやって来て、三百石船に横付けされた。そして次々に、舟から三百石船に荷物が移された。

その時、鬼怒川上流からもう一艘の舟がやって来て、荷物を三百石船に移している舟に突っ込んだ。上澤屋の面々だった。その後、博親分と勘吉親分一家の舟も突っ込んで来て、辺り一体大混雑に成った。こうなると哲吉とお奉行一行も黙っては居られない。一斉に三百石船に乗り込んだ。船の上で大乱闘が始まった。奉行所の剣客の面々が浪人どもに打ちかかった。哲吉は灘屋を探した。すると、三百石船の後方に留めて置いたもう一艘の舟で逃げようとしていた。哲吉はその舟に飛び降りると

「灘屋、御用だ、神妙にしろ」

と叫んで、灘屋の首筋に十手を叩き付けた。三百石船の上の騒ぎが落ち着いたころには下の小舟の騒ぎも治まっていた。

上澤屋は日光奉行から隠密に探索を任されていた者たちだった。上田屋に忍び込んでいた盗賊も日光奉行の間者だった。東照宮から宝物を盗み出した盗賊の連中が、上田屋で上方の連中と接触するという情報を聞き込んで、隠密はその証拠の書付けを奪うために上田屋に忍び込んでいたのだ。古井戸の横穴は昔同じような探索を上田屋でした時に偶然に発見したもので、今回の事に利用していたと隠密が白状した。

滝尾神社の一味は元々、上州で神社仏閣の盗みをしていた者で、元東照宮の大工が生活に困り、宝物殿の盗みの手引きをした。

灘屋は大阪から江戸に酒を運ぶ船が難破して店が傾き、宝物殿の品物を上方で売りさばいて一儲けしようと企んだ。

お奉行はこの前の例幣使の金塊事件に続いての事件の解決に、日光奉行からお褒めの言葉を述べられ大変喜んで、哲吉と博親分に金一封を贈呈した。

九月に成ると、今年も三日間野分が吹いてやっと治まった日、鬼怒川温泉からよし若に新内の依頼が来た。弟子の亜美の大工町の乾物屋箕面屋の母親の実家が鬼怒川温泉夢屋で、秋の新内の会を開いて欲しいという事だった。当日は箕面屋の母親と弟子の亜美も同行する事になり、身重のよし若と箕面屋の母親が鬼怒川温泉までの通し駕籠に乗り、哲吉と弟子の亜美が徒歩で行く事に成った。

秋空が晴れ渡った日、哲吉は弟子の亜美と二台の駕籠に乗ったよし若と箕面屋の母親を連れて、日光街道を鬼怒川温泉へと向かった。徳次郎を過ぎ、杉並木の中を通って、大沢から右に曲がって、大谷川を渡ると、鬼怒川温泉の入口に出た。夢屋は渓流の上の断崖のところに有った。宿に着くと、哲吉はさっそく露天風呂に行った。露天風呂は渓流の傍に有り、哲吉は急階段を下りた。哲吉が露天風呂でくつろいでいると、階段の方で

「きゃあ」

という女の叫び声がした。慌てて駆け付けると、倒れていたのは箕面屋の母親だった。傍に娘の亜美がいた。幸い階段の下までは転げ落ちずに、途中にとどまっていたために、軽い打身と捻挫だけで済んだ。哲吉が辺りを隈なく調べると、釣り糸のような物が見付かった。誰かが意図的に母親を転落死させる目的で仕掛けた物なのか、そのことを哲吉は誰にも言わなかった。

次の日、夢屋の大広間でよし若の「秋の渓流新内の会」が開かれた。

「案じいる、折から表へ合羽がけ、あいや申し、鳥渡お頼み申しましょう、余衛門様」

よし若が哲吉の三味線、亜美の上調子で鬼怒川物語を唄っていた。

広間には宿泊者や地元の旅館の旦那衆など大勢の人がよし若の新内をジッと聴いていた。

会が終わると、夢屋の女将が哲吉の所に来て、

「本日は大変ありがとうございました。師匠の名調子に若旦那の名三味線、皆さん、大いに喜んでいました。そこに、妹が階段を踏み外して怪我をする不調法、誠に申し訳ございません。師匠はお腹にお子様がいらっしゃると仰せでございましょう。露天風呂へは転んだりして危ないですので、内湯をお使いくださいませ。それでいつまで滞在されますか。当方としましてはいつまでも滞在して頂きたいのですが」

と言った。哲吉は

「ちょうど良い機会なので、しばらく滞在させて頂きます。ちょっと、気になることもあるのでお願いします」

と答えた。

明くる日、哲吉は箕面屋の母親を宿に残し、よし若と亜美を連れて近くの龍王峡の方へ散歩に出掛けた。歩きながら、哲吉は亜美に夢屋の女将の事を聞いた。

「女将さんは夢屋の長女で、主人はお婿さんで同じ上河原の乾物屋津布久屋の次男です。その縁で、うちのお母さんは嫁に来ました。夫婦仲は悪くないと思うけど、女将さんが強いから主人は遠慮しているところは有ると思う」

龍王峡の所に来ると、吊り橋が有り、その袂に茶屋が有った。三人は中に入って茶を頼み休憩していると、奥の衝立の方から話し声が聞こえて来た。すると、亜美が

「夢屋の叔父さんだわ」

と言った。哲吉は広間での新内の会に主人が顔を出さなかったので、顔を知らなかった。

「釣り糸で引っ掛けて上手く転ばしたのですが、大怪我には至らなくて申し訳ございません」

「いや、良いのだ。余り大怪我させてしまうと、返って大袈裟に騒がれて不味い事になる」

「それで、娘の方はいかがいたしましょうか」

「少し様子を見よう」

哲吉は慌てて、亜美を縁台の足元に隠した。しばらくして、夢屋の主人が茶屋の外に出たが、哲吉たちが茶屋の中にいたのは気が付かなかった。哲吉は亜美とよし若に、この事を母親や女将に当分の間、伝える事を禁じた。それで、亜美に十分に気負付けるように言った。

その後、哲吉は今市の勘吉親分の所に使いを出して、手下を一人借り受けた。そして、手下に夢屋の主人の見張りを頼み、その動向を随時知らせるように頼んだ。

二日後、勘吉親分の手下が哲吉のところにやって来て申すのには、

「夢屋の主人は川治の権蔵一家と何かを企んでいるらしい」

と言う。哲吉は夢屋の女将に

「何か近頃、ご主人と揉め事は無いか」

と聞くと、女将は

「仲居の他に男の世話をする女中を置きたいと言うので、そんな品のない事は嫌ですと反対している。それと、旅館の離れを賭博場に貸したいというものですから、とんでもない事ですと断った」

と言った。

「なるほど、これが原因だな。箕面屋の母親に怪我を負わせ、娘をかどわかして女将を恐喝するつもりだ。そこに、川治の権蔵一家が絡んでいる。主人は何か弱みを握られていて、権蔵一家に脅かされているのだろう」

と、哲吉は思った。そんな最中、隙を付くように亜美が攫われた。こうなるともう哲吉は黙っていなかった。さっそく、夢屋の主人を問い詰めた。するとあっさり

「川治の権蔵一家の賭博に誘われて、多額の借金を背負わされ、旅館に女を入れる事や旅館の離れを賭博場に貸す事を約束させられた」

と白状した。そして、夢屋の女将がいう事を聞かない事から、ちょうど旅館を訪れた妹に怪我させる事や娘を攫う事で女将を脅かして、要求を受け入れさせようとした。女将は余りの事に驚いて、寝込んでしまった。哲吉は主人に亜美が何処に連れ去られたか問い詰めると、藤原の夢屋の今は使われていない寮だという。哲吉はすぐに、勘吉親分たちの助けを借りてその寮に踏み込んで、亜美を助け出した。そして、日光奉行の手を借りて、権蔵一家に乗り込み、一家全員を召し取った。哲吉は今回の事件は単に亜美のかどわかしてと夢屋への恐喝だけとして、夢屋の主人の事は罪に問わなかった。旅館の評判や夫婦の将来の事を考えての処置だった。女将は大変喜び、主人はひたすら反省とお詫びを述べた。箕面屋の母親には最後まで階段の事は事故で通した。一週間後、箕面屋の母親の怪我も良くなり、哲吉たち四人は鬼怒川温泉を後にした。

その年の元日も昨年に続いて雪に成った。岩田帯をしたよし若の腹もそろそろ臨月を迎え、正月のお弾き初めは哲吉とよし若の弟子だけに成った。

「鳴るは滝の水、日は照るとも、絶えずとうたり、これ子宝の三番叟、ひとさし舞おう」

と、哲吉が弟子の亜美の三味線で子宝三番叟を唄った。そこに、神楽坂の真吉親分が現れた。

「相変わらず、お前はいい喉をしている」

「いやいやまだまだ駆け出しで、真吉親分には敵いませんよ。ところで正月早々、どんな御用で」

真吉親分は神楽坂の新内鶴賀若狭掾の一番弟子だ。

「大掛かりな抜け荷を追いかけて来た。宇都宮にその拠点が有るらしい」

真吉親分の話によると、発端は神楽坂の遊郭だった。遊郭の女が麻薬で中毒死した。調べると、たくさんの阿片が女の部屋から発見された。持ち込んだのは、女と一緒にいた金沢の金箔師だった。金箔師を問い詰めると、金箔師は仏像に金箔使う時に、仏像の中に阿片を仕込んで、江戸に運んでいた。実は阿片だけでは無かった。ご禁制の様々な物を仏像の中に仕込んで運んでいた。仏像を運ぶ経路も変わっていた。まず、金沢から船で越後の新発田に運び、阿賀野川を舟で遡って会津城下に行き、さらに遡って会津田島に行き、陸路で山王峠を越えて、上三依から舟で男鹿川を川治温泉に下り、さらに鬼怒川を下って鬼怒川温泉、船生を通って阿久津河畔に運んだ。そこからは三百石船で何時でも江戸に運べた。その阿久津河畔の中継地点として、宇都宮の何処かにアジトが有るらしい。そのアジトを一緒に探して欲しいという訳だった。

次の日から哲吉は、博親分と孝吉に手伝って貰って、真吉親分と抜け荷のアジトを探した。

まず阿久津河畔に行って、鬼怒川を下って来る舟を調べた。でもほとんどが近郊の米や野菜を運んで来る舟ばかりで、仏像を運んで来る舟の話は聞かれなかった。二日程探して、阿久津河畔に何もない事が分かると、四人は鬼怒川の河畔を上流へと遡って行った。小倉を過ぎて、大宮の渡しを通り過ぎると、南に下る川に出た。農民に聞いて見ると

「西鬼怒川だ」

と言う。博親分が

「何処に通じているのか」

と聞くと、農民は

「途中から御用川に分かれて、宇都宮の城下の方に流れている」

と答えた。さらに博親分が

「舟は通れるのか」

と聞くと、農民は

「時々、おらも米や野菜を積んで宇都宮の城下に売りに行っている」

と答えた。真吉親分が農民に

「今から、我々を乗せて宇都宮の城下に舟をこげるか。礼は弾むぞ」

と言うと、農民は

「お安い御用だ」

と言って、舟を用意した。

四人を乗せた舟は、西鬼怒川を下り、途中から御用川に入って、田原村、白沢村を通り、やがて錦川と名を変え、塙田の所で田川に合流して、上河原河畔に着いた。

次の日、哲吉たち四人は、御用舟で田川から錦川に入った。まず、合流地点の三角州にある人質事件で監禁の場所に成った小屋に行き、中を点検した。それから、昨日下って来た時に見た酒蔵に行った。昨日見た時に、大谷石で出来た酒蔵の真ん中に舟で中に入れる通路が有るのが気になっていた。舟で中に入ると、船着き場の周りは厳重な囲いになっていて、その中に酒以外の色々な物が山住に成っていた。人影は見当たらず、哲吉たちは上陸すると、孝吉が囲いをよじ登って中に入り、山住に成っている品物を調べた。すると、ご禁制の品物が出て来た。どうやらここが抜け荷の一味のアジトらしい。哲吉たちは、一旦舟を外に出して酒蔵を見張る事にした。しばらくすると、一艘の舟が近づいて来た。哲吉が隠れて舟に乗っている人物を確かめると、意外な人物が乗っていた。顔見知りの馬場通りの酒問屋大阪屋の主人だった。そして、もう一人の人物は勘定奉行藤田弥七郎だった。

「これは大変な事に成った。下手すると、宇都宮藩が取り潰しになるかもしれない。と言って見逃す訳には行かない」

哲吉は博親分と孝吉を見張りに残すと、真吉親分と奉行所に向かった。奉行所で人払いをすると、お奉行に真吉親分がこれまでの経過を説明した。お奉行は

「これほど、大掛かりな抜け荷は宇都宮藩の勘定奉行や一人の商人で出来る事ではない。越前の加賀様や幕府の要人が加わっての事だろう。これは慎重に事を運ばなければならない。真吉親分にはすまないが知り合いの老中に手紙を書くゆえに、隠密に届けて欲しい。そうは言っても、城下での抜け荷は阻止しなければならない。哲吉親分には博親分と奉行所の手の者で、密かに抜け荷の現場を捕らえて欲しい。とにかく、事件事態も隠密に運ばなければならないので、くれぐれも外に漏れないようによろしく頼む」

「承って候」

真吉親分はお奉行から親書を受け取ると急いで江戸に帰って行った。帰り掛けに

「江戸でも神楽坂以外の遊郭で阿片が広がっていると思う。江戸城に手紙を届けたら、そっちの方を探索する。多分、誰か繋ぎが行くと思うのでよろしく頼む」

と言い残して行った。哲吉たちと奉行所の手の者は、酒蔵の周りだけでなく錦川や御用川、西鬼怒川と幅広く見張りを置いた。

そんなある日、江戸から一人の武士が精嘉堂を訪ねて来た。武士は井上彦之丞と名乗った。

哲吉は一目で例幣使の金塊事件でよし若を攫った隠密だと分かった。

「どんな御用件でしょうか」

「お内儀を拉致したのは大変申し訳ない」

「すると貴方が黒覆面の隠密ですか」

「そういうな、分かっていると思うが」

「それで何の御用です」

「老中から内密に抜け荷の探索を命じられた。協力して欲しい。聞けばもう抜け荷のアジトは分かっていると。金沢の方には手下の隠密を向かわせたから、もうすぐ何か言って来るだろう。抜け荷を指導しているのは、長崎の海産問屋西海屋だ」

「すると、そろそろ抜け荷が宇都宮に到着するかも」

それから、哲吉は彦之丞を酒蔵に案内した。そして、近くで見張っている博親分に彦之丞を紹介した。

「こちらが泣く子も黙る隠密様ですか。よろしくお見知り置きを」

その後、二人はお奉行の屋敷に向かった。

先に動いたのは、お奉行だった。勘定奉行藤田弥七郎を罷免して屋敷に蟄居させた。

二人に向かって

「金沢藩でも勘定方の役人が何人か関わり合っていて、全員罷免して蟄居させた。西海屋は長崎に逃げたらしく、幕府が長崎奉行に連絡して、取り締まるよう命じた。馬場通りの大阪屋は極秘に捕らえて御用屋敷に閉じ込めて有る。お前は知り合いだと言うから、行って真相を確かめて来い」

と言った。

哲吉と彦之丞は御用屋敷に向かった。大阪屋の娘愛子は哲吉の母親シゲと幼馴染で、亡くなった後もちょくちょく遊びに来ていた。大阪屋の主人進次郎は婿養子で、愛子に付いて哲吉の新内の会に顔を出していた。哲吉は一人で大阪屋の主人と面会した。

「大阪屋さん、この度はどうしました」

「若旦那、申し訳ない。勘定奉行の藤田様には江戸からの知り合いで、こちらに婿に入ってからも色々と世話に成っていたので断り切れなかった」

進次郎の生家は江戸本郷の酒問屋能登屋で、加賀藩の上屋敷の傍だった。勘定奉行藤田弥七郎は加賀藩の作事奉行の次男で、若い時は進次郎など商人の子供たちを連れて遊び歩いていた。そして、宇都宮藩の勘定奉行の家に養子に入り、進次郎が大阪屋の婿に成った時にまた付き合い出した。哲吉が

「今回の抜け荷に本郷の能登屋は関係しているのか」

と聞くと、進次郎は

「今回の抜け荷の張本人は、能登屋の兄貴と弥七郎様の兄様の加賀藩の作事奉行と長崎の西海屋の三人で仕組んだ事です。私と弥七郎様は江戸の命令に仕方なく従っただけです。

ですから、宇都宮はあくまでも、抜け荷を中継して置いとくだけで、阿片や他のご禁制の品物の売買は一切やっておりません」

と答えた。すぐに、隠密の彦之丞が江戸に走った。

明くる日、西鬼怒川を一艘の舟が荷物を満載にして、下って来た。舟はやがて御用川に入り、錦川を通って酒蔵に入った。そして、待ち構えていた博親分に捕らえられた。一味は全員、御用屋敷に監禁された。

一週間後、真吉親分と彦之丞が精嘉堂にやって来た。真吉親分が

「阿片の流れを調べるのは大変だった。吉原から千住、新宿、品川、深川までほとんどの遊郭に流れていた」

と言うと、彦之丞も

「ご禁制の品物や阿片が大奥にまで流れ込んでいた。作事奉行の前田様は罷免されて、禁門と成った。能登屋もお取り潰しで財産没収だ」

と言った。それから、哲吉は博親分を入れて四人で、お奉行の屋敷に向かった。お奉行は

「勘定奉行の藤田家は長男に家督を継がせて、弥七郎は金品紛失監督不行き届きに付き切腹、大阪屋進次郎は、店はそのままで隠居、一味の者は極秘に江戸に護送、全てのご禁制の品物も極秘に江戸に護送する事にする」

と仔細を述べた。実は真吉親分と彦之丞は極秘にこの江戸への輸送を幕府から命じられていた。まず、酒蔵にあるご禁制の品物を何回かに分けて、舟で田川を下り、鬼怒川の久下田河畔に横付けされた三百石船に運んだ。そして、最後に一味の者を護送した。哲吉と博親分は久下田河畔まで付き合った。

二月の節分の日、哲吉とよし若に子供が生まれた。男の子だ。名前は祐太郎と付けた。

二月の吉日、精嘉堂の離れで、長男祐太郎のお披露目の会が設けられた。

「面白や、神も岩戸を明け初むる、大門口の飾り松、幾千代見草翁草、太夫といふも」

哲吉が弟子の亜美の三味線で新内「初日の松」を唄った。

そして、祐太郎が生まれて三十一日目、哲吉は祖母に祐太郎を抱かせて、よし若と二荒山神社にうぶすな参りをした。お参りを済まして、階段を下りようとすると、博親分と孝吉が階段を上って来た。哲吉が

「博親分、今日は何の御用です」

と聞くと、

「お神輿の鳳凰が盗まれたらしいのだ」

と答えた。哲吉は祖母と祐太郎を抱いたよし若を先に返すと、博親分の後を追った。宮司は

「普段、神輿殿は鍵が掛かっていて入れないが、春の天王祭の準備のために、神輿殿に入ると、神輿のてっぺんに有る鳳凰が無かった」

と言った。博親分が

「神輿殿の扉の鍵は掛かっていたのですか」

と聞くと、宮司は

「しっかりと鍵は掛かっていた。秋の天王祭が終わって中に入れる時は、鳳凰は有った」

と答えた。博親分たちは神輿殿の中をくまなく捜索をした。神輿殿は屋根と壁の間に風を取る隙間が有るだけで、人が忍び込むような所は無かった。博親分が

「神輿に何か変わった事はなかったか」

と聞くと、宮司が

「秋の天王祭で神輿をもんだ時、下に落として少し破損したので、修理に出した。でも修理が終えて戻って来た時も鳳凰はちゃんと付いていた」

と答えた。

二荒山神社を後にすると、博親分たち三人は大工町の宮大工兆治の所に行った。博親分が

「去年の秋に二荒山神社の神輿の修理を頼まれただろう。何か変わったことは無かったか」

と聞くと、兆治が

「神輿を結構激しく落としたらしく、あちこちが破損していて大変でしたよ」

と答えた。さらに博親分が

「その時、鳳凰はどうした」

と聞くと、兆治が

「飾り物も少し傷んでいて、ここで直せないので、大町の飾り職千吉の所に回しましたけど」

と言った。三人はすぐに大町の千吉の所に行った。ところが、千吉は昨年の暮れに病で急死していた。娘が対応に出たが、

「何も分からない」

と答えた。仕方なく、その日は三人とも黙って引き上げた。

それから一週間経った日、博親分と孝吉が哲吉の店の離れに訪ねて来た。

「どうも妙な事に成って来た。八坂神社の神輿や日野町や上河原の神輿でも、神輿の周りの飾り物が盗まれているのだ。それも、調べてみると、全部大町の千吉が手掛けた物らしい」

「千吉の出はどこだ」

「日光だ。元々日光東照宮の陽明門や日光二荒山神社の飾り物の職人の家の者で、独立した時に宇都宮に来たらしい」

「今でも日光には親戚は残っているのか」

「分からない。すぐ孝吉を調べにやろう」

それから、孝吉を日光に派遣すると、哲吉と博親分は大町の千吉の家に向かった。娘に

「今、親戚はどうなっている。これからの生活はどうするのか」

と聞くと、娘は

「日光に叔父さんがいて、前から行ったり来たりしている。母親は十歳の時に亡くなって今は一人ぼっちだが、近々叔父さんの所の弟子と祝言を挙げる事に成っている」

と言った。

孝吉が日光から帰って来た。哲吉の店の離れで孝吉が

「どうも日光では千吉の急死に戸惑っているようだ。弟子の巳之吉と娘の美里の婚礼が済む前に亡くなったものだから、千吉がしていた仕事が分からなくて、困っているらしい。どっちみち、巳之吉がすぐ仕事を継ぐために宇都宮に来るようだ」

と報告をしていると、思いがけない男が現れた。彦之丞だった。哲吉が

「今日は何の御用ですか。子供のお祝いでも持って来てくれたのですか」

と言うと、彦之丞が

「そうだ。これを担いで来た」

と言って背中から藤のゆりかごを降ろした。それからおもむろに

「ちょっと厄介な事が起こった」

と言った。

「毎年、佐渡の金山から江戸に小判の鋳造の為に金が運ばれている。それに伴って日光に東照宮や二荒山神社や輪王寺の飾り物の修復の為の金も運ばれている。その金が必要以上に運ばれていて、贋金造りに利用されていると言うのだ。そのアジトが宇都宮にあるらしい」

元々、金は色々な装飾に使われている。しかし、ほとんどの場合が外側を金箔で覆うだけだった。ところが東照宮とか輪王寺とか幕府や有力なお寺の飾り物は金そのものを使う事が多かった。名古屋の尾張藩の天守閣の鯱などは純金だった。だからそういうものを修復する細工師にはその都度金が支給されていた。

哲吉と彦之丞は、日光奉行所に行って、佐渡から日光までの金の流れを追った。金はまず佐渡から三国峠を越えて前橋に運ばれ、ここで江戸に行く一行と分かれて、足利、栃木、鹿沼を通って日光に運ばれていた。佐渡から江戸への輸送は道中奉行の配下の者が運んでいたが、前橋から日光への輸送は日光奉行の配下の者が運ぶことに成っているのを、実際は鹿沼の勘助一家に任せていた。そして、金は直接日光奉行の所に届くはずが、実際は細工師の千吉の兄修造の所に届いていた。修造は金を自分の所の金蔵に入れて、書類だけを日光奉行に届けていた。彦之丞が奉行所の役人に

「何故、細工師に直接金を受け取らせているのか」

と聞くと、役人は

「金は全て細工師が使うものだし、金の量も少ないから管理する必要もない」

と答えた。彦之丞は細工師が提出した書類を見せて貰った。入荷した金の量と使用した細工物の金の量は一致していた。それから、彦之丞と哲吉は修造を訪ねた。

「亡くなった千吉の事で話が有る。お前の所に金を運んで来る鹿沼の勘助一家は宇都宮の千吉の所によく出入りしていたというではないか。それに千吉が修理したという宇都宮の二荒山神社の鳳凰が盗まれている。千吉は贋金造りに携わっていたのでは無いのか」

哲吉は修造にカマを掛けた。と言うのは千吉の娘の美里に

「修造以外に誰か出入りしていた者はいないのか」

と聞くと、美里は

「よく鹿沼の勘助親分が父の所に来ていた」

と言ったのを聞いていたからだ。すると、修造は

「我々は贋金造りなどをしておりません。しかし、ここ数年、勘助一家に脅かされて、飾り物に使う金の量を減らしています。それに、純金の飾り物を修理すると言って半分以下の金の量の物と取り替えています。そうして、手に入れた金で勘助一家は贋金造りをしているとのです。実は知らなかったのですが、私の嫁の兄が勘助一家の者で、言う事を聞かないと嫁と子供を人質に取ると脅かされているのです。千吉の所にもゆう事を聞かないと兄同様に娘を人質に取ると言って脅かして、飾り物の金の量を減らしていたのです。ところが、千吉が急死した為に、どれに金がたくさん入っているのか分からなく成って、勘助一家が手当たり次第に、盗みをしているというのが現状です。こうなった以上我々はどうなっても仕方が無いので、勘助一家を取り押さえて下さるようお願いします」

哲吉と彦之丞は宇都宮に戻ると、直ちにお奉行に贋金造りの事を報告した。そしてすぐに、哲吉たちと一緒に取り方を鹿沼の勘助一家に差し向けた。勘助一家は突然に現れた取り方の出現に手も足も出なかった。贋金造りのアジトは勘助一家のすぐそばの蔵の中で行われていた。その蔵の中には、盗まれた鳳凰や神輿の飾り物などが贋金造りの材料にされる為に、置かれていた。そして勘助一家は江戸の両国の両替商と結び付いていた。修造の家と亡き千吉の家は、日光奉行と宇都宮藩の町奉行が相談の上、東照宮や二荒山神社に有ってはならない事を勘助一家から脅かされてやもおえずにやったという事として、飾り物の金の量を元の通りにするという事で許された。勘助一家が簡単に二荒山神社の神輿殿や町の神輿倉に簡単に入る事が出来たのは、元々修理の時に預かっていた鍵の型を取っていた為に、合鍵を使って入っていたのだ。

彦之丞が勘助一家を江戸に護送して行った。

そしてその日、哲吉の家の離れに下野の風が吹いた。


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