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透明なひと  作者:
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第七章 過去の人 十

 軽く芹香の傷の手当てをした後、四人は藤堂馴染みの定食屋を訪れた。休憩中の札が掛かってはいるものの、店内には明かりが灯っている。カウンターに着いた人影が、外からでも見て取れた。藤堂は今時珍しい手動の引き戸に手を掛け、ゆっくりと開く。

 愛想の欠片もない店主の野太い声が、おう、と軽く告げる。藤堂はそれに輪をかけて無愛想に、黙ったまま片手を挙げて見せた。休憩中にも関わらず入店してきた事に対しての、お咎めはない。

「よう、質屋」

 聞き慣れたダミ声が、藤堂に向かって掛けられる。カウンターに一人腰を下ろした禿頭の男は、ビールの入ったグラスを持った手を、軽く挙げた。

 カウンターの内側では、先ほど声を掛けてきた店主が、立ち尽くしたまま腕を組んで俯いていた。藤堂は真っ直ぐにカウンターへ近付き、親父の横に腰を下ろす。

「儲かってるそうだな。良かったじゃねえか」

 禿頭の親父はそう言って笑い、ビールを飲み干した。空になったグラスが差し出されると、店主は黙って酒を注ぐ。どことなくぎこちないやり取りに、向こうはもう、こちらが何をしに来たか分かっているのだろうと、藤堂は思う。

 芹香は藤堂の隣に座ったが、渚とゆなはテーブル席に向かい合って腰を下ろした。藤堂はジーンズのポケットから煙草を取り出し、火を点ける。

「んなこたどうでもいいんだよ。この期に及んで誤魔化すのか」

 店主の腕が伸び、芹香と藤堂の前に、ビールが注がれたグラスを置いた。彼も何がしか関わっているのかも知れない。

 芹香は店主に軽く頭を下げたが、藤堂は置かれたそばからグラスを取って、一気に中身を飲み干す。独特の苦味が喉に染みた。

「うちの両親はなあ、それなりに有名な浄霊屋だったんだよ」

 金貸しの親父は唐突に切り出して、一呼吸置く。それから彼はグラスに口を付け、舐めるように酒を飲んだ。誰一人、口を挟もうとはしない。

「俺には親譲りのバカ強い霊感だけはあったんだが、生憎足が不自由でな。家業は姉貴が継ぐ事になってた。でも姉貴は、成人する前に死んじまってよ」

 藤堂は正面を向いたまま、タバコの煙を目で追っていた。カウンターから出た店主が、ゆなと渚の前に、麦茶の入ったコップを置く。渚は少々心外そうに眉をひそめたが、文句は言わなかった。

「交通事故だった。海の見える、見通しのいい場所だったんだけどなあ」

 藤堂は目を見開き、親父をまじまじと見た。彼はカウンターに視線を落としたまま、口元に寂しげな笑みを浮かべている。そんな場所に、藤堂は明と二人で行った覚えがある。

 空になった藤堂のグラスを取った店主は、更にビールを注いで、彼の目の前に置いた。

「嘆き悲しんだのは両親よ。姉貴には才能も、強い霊感もあった。正義感も人一倍でさ。浮かばれねえでフラフラしてる所を、高屋敷の奴に頼んで札に封じてもらったんだわ。強力な術かけて、透けねえようにしてもらってな」

「……当時の高屋敷家と手を組んでいたのは、最高の除霊屋と謳われていた夫婦でしたね」

 芹香が口を挟むと、親父は彼女を見て眩しそうに目を細めた。藤堂の目には、何かを懐かしんでいるようにも見えた。

「あんた産まれてねえのに、よく知ってんなあ……姉貴を封じてすぐ、オヤジもオフクロも、幽霊屋敷に突っ込んでって死んじまった。残されたのは、俺と姉貴封じた札だけよ」

 渚が唇を引き結んで、俯いた。ゆなは感情の読み取れない顔を親父に向けたまま、黙って話を聞いている。

「姉貴は、両親の遺志を継ぐなんて抜かしやがった。てめえも死んでやがるってのにさ……幸い刀も手元に戻ってきてたし、姉貴は霊だが、充分力もあった。でもなあ、俺が浄霊屋やったって、姉貴の邪魔になるだけだろ」

「不自由な足で浄霊の場に立ち会うのは、確かに無理がありますわね」

「そう。だから俺は両親の遺産で金貸し始めて、姉貴は一人で浄霊屋営んでた。お前と会うまではな」

 藤堂は煙草をもみ消しながら、小さく溜息を吐いた。グラスを取って、再び一息に中身を呷る。

 飲まなければ聞いていられなかった。真っ向から向き合わなければと思うのに、それが出来ない。考え込んでしまう性質の藤堂は、飲んで頭を空っぽにしないと、何を言い出すか自分でも分からないのだ。

 親父は懐から古びた紙切れを取り出し、カウンターに置いた。文字は掠れ、所々破けているが、それは確かに札だった。

 ここに、明は毎日帰っていたのだ。そして今も恐らく、この中に居る。きっと今はまだ、傷ついた体を癒やしている。

「姉貴は……明は、霊だよ。俺の霊力使って、未だに実体化してんだ。透けてねえし喋れるんだが」

「痛覚は、ないのですね」

 親父は苦笑いを浮かべ、ゆなに向かって頷いた。藤堂は煙草に火を点けながら、グラスにビールを注ぐ店主の手元を眺める。

「アンタなんで、金貸しやってんの?」

 煙を吐き出しながら、藤堂はようやく発声した。酒のせいか煙草が悪いのか、僅かに声が掠れている。金貸しは遠くを見るような目で、何もない虚空を見詰めていた。

「金がない人ってのは、幾らでもいるんだよ。俺には幽霊退治なんか出来ねえから、せめてそういう人を救いたかった。中には借りっぱなしでトンズラこいた奴だっていらァな」

「あんた自身は儲かんねえワケだ」

 余計な口を出すと、親父は鼻で笑った。

「儲けようと思ってやってんじゃねえよ。俺の貸した金を元手に興した事業が成功して、倍以上返って来ることだってある。そん時返しに来た人の笑顔がさァ、忘れらんねえんだ」

 いい親に育てられたのだろう。明が真っ直ぐなら、この男も真っ直ぐなのだ。藤堂は知らず口元に浮かべていた笑みを誤魔化すように、酒を呷る。

 金が全てではない。大事なのは、それを使う人の方だ。金で買えないものはあるし、金で買えるものの価値は、金でしか決まらない。持てば持つほど意味を失くすものなど、欲しがっても仕方がない。その為に他人を陥れようなどと、愚かにも程がある。

「ああ、ヤダヤダ。死んだワケでもねえのに、しんみりしちゃってよ。もう死んでっけど」

 親父は大きく伸びをして、首を鳴らした。藤堂もそうだが、彼も辛気臭い話は得意ではないようだ。

「で、こっからは内緒話なんだけどな」

 ビールを一口飲んでから、親父は満面の笑みを浮かべて椅子の背もたれから身を乗り出し、再び口を開いた。ひそめた声がわざとらしく思え、藤堂は小さく鼻を鳴らす。

「姉貴がよく話してるんだよ、ゆなちゃんの事」

 ほう、とゆなが相槌を打った。親父はとろけるような笑顔を浮かべ、彼女に向かって頷いて見せる。所帯は持っていないものと思われるが、案外子供好きなのかも知れない。

「俺も霊媒体質でさ。今は高屋敷さんとこから札貰って抑えてるが、昔はひでえもんだった」

「ゆなと同じなのですね」

「そうさ。どんなに辛くても、俺みてえに泣き言垂れずに、お前さんは頑張ってるってよ。才能もあるし、努力も人一倍だって。いい霊媒師になるってな」

 なあ、と呟いて、親父は擦り切れた札に視線を落とした。札は何も応えないが、明がこの場にいたら、勝手に話すなと怒っていただろう。

 明は、弟とゆなを重ねているのかも知れない。弟と同じようにゆなを大事に思い、彼女の成長を見守っている。段々とたくましくなって行くゆなを、明はどんな気持ちで見ていたのだろう。そう考えると、藤堂には切なくも思えた。

「渚ちゃんにはさ、家への恩があるだろ。昔ちょっとモメた時も、姉貴ヘコんでたよ」

 コップに口をつけていた渚は、一口麦茶を飲んだ後、顔を赤らめて俯いた。彼女自身にとっても、あまりいい思い出ではないのだろう。

「だから今こうやって一緒に働くようになって、喜んでんだ。恩返しとかじゃなくてさ、同年代の友達が出来たって」

 若くして死んだ明は、まだまだ遊び足りなかっただろう。明は対等に、真っ直ぐに、渚と向き合っていた。渚は顔を赤らめたまま、はにかんだように笑う。

 親父はグラスの底に残った中身を飲み干した芹香に視線を移し、目を細めた。

「あんたはいい退治屋だ」

 芹香は空になったグラスをカウンターに置いて、藤堂越しに親父へ向き直った。

「うちは母親が元々退治屋でよ。あんたみたいに、本当なら救いたいって言う珍しい人だった」

「……お母様が」

「ああ、刀使って浄霊してたのは親父の方だ。あんた見ると、オフクロ思い出すよ」

 芹香に憧れていたのは、事実だったのだろう。ただし明は、母親に対するそれと重ねているのかも知れない。度を超していたのは、感情に歯止めが効かない霊故だったのだ。

 霊は歳をとらないし、姿形も変わらない。精神的にも死んだ時の年齢のままだから、明は辛かっただろう。本当のことを言えないまま、結局こうなるまで、彼女は隠し通してしまった。

 明は、全員を想っている。しかし誰が彼女に、彼女自身の事を聞いただろう。他人のことばかり気にして自分の話が出来ない明は、結局今の今まで、言いそびれてしまっていたのだ。

 少しでも、気遣ってやれば良かった。そうすれば少しは、違っていたかも知れないのに。藤堂はそう考えて、後悔の念を抱く。明日になれば、彼女は何事もなかったように、事務所に顔を出すだろう。それでも、何もなかったことにしてはいけない。

 向き合わなければならない。誰の過去とも、自分自身の過去とも。深い付き合いはしたくないと、忘れた振りをして、拗ねている場合ではないのだ。

「お前の事も言ってたぞ、質屋」

 考え込んでいた藤堂は、その声で現実に引き戻された。横を見ると、親父はにやにやと笑っている。

「ヒトの乳しか見てなくて、どうしようもねえってよ」

「ああ、そりゃしょうがねえわ」

「藤堂さんはゆなだけ見ていればよろしいのに」

 抑揚のない声でゆなが言うと、渚が噴き出した。彼女は随分とゆなの発言に慣れたようだが、芹香は苦笑している。

 親父は札を藤堂の前へ滑らせ、頭を下げた。禿頭に反射した蛍光灯の光が直撃し、藤堂は目を細める。札に添えられた指が、かすかに震えていた。

「頼む、お前がこいつを持っててくれ」

 藤堂は危うく煙草を取り落とすところだった。眉根を寄せ、怪訝に親父のつるりとした頭を見下ろす。

「姉貴には痛覚がねえから、俺が持ってても、危ない時に戻してやれねえんだ」

「それはいいが……あんたは」

 いいのか、と言葉を続ける前に、親父は勢いよく顔を上げた。その真剣な表情に圧倒され、藤堂は身を引く。しかし芹香に背を押され、引いた分だけ再び近付いた。

 向き合えという事だろうか。藤堂は煙草の火を消して、金貸しと視線を合わせる。

「姉貴は死んでるんだよ。札から出しゃいくらでも会えるっつっても、俺にとっちゃ死んでんだ。それが事実だ。いつまでも、引きずってるワケには行かねえ」

 藤堂は黙って、札を受け取った。よれた頼りない札は、安っぽい灯りに照らされて、それでも輝いて見える。

 親父はそっと札から手を離し、藤堂に体ごと向き直った。

「姉貴を、頼む」

 彼は、疲れた顔をしていた。きっと、悩んだのだろう。悩んだ末に、この決断を下したのだろう。

 それならばと、藤堂は煙草の火を消す。応えてやるのが、彼へのせめてもの労いなのだ。断りたい訳ではない。寧ろ、大事な肉親をただの同僚が預かっていいものなのかと思う。けれどそれも、彼が決めた事だ。

 藤堂は押し黙ったまま、深く頭を下げた。膝の上に置かれた親父の手が、きつく拳を握っている。顔を上げると、彼は笑っていた。

「頼むぜ」

 カウンターを向いてグラスの中身を呷った男の背中が、やけに小さく見えた。

 藤堂の背後で芹香が立ち上がり、店を出て行く。渚とゆなも、顔を見合わせて席を立った。藤堂も立ち上がりかけたが、ふと、思いとどまる。

「カネさん、あんた、名前は」

 親父は深い皺の刻まれた顔を藤堂に向け、徐に手を出した。

知恩院晃ちおんいんあきらだ」

「姉弟揃って輝いてんな」

「しゃらくせえ、頭がかい。お前は」

 藤堂は差し出された手を握り返しながら、目を細めて笑った。

「藤堂匡。アンタの姉貴には、また世話んなるわ」

「精々ケツ拭ってもらえ」

 男は手を離し、藤堂に向かって振った。彼はそれ以上何も言わず、店を出る。肉親に会いたいと、何故か無性にそう思った。


「結局口出さなかったな、このオヤジ」

 意味もなくグラスを揺らしながら、晃は笑う。無愛想な店主は鼻を鳴らして、空のグラスを片付ける。

「あんたに似てたから誘ったなんて、ヤロウには口が裂けても言えねえな」

「そんなに似てっかい」

「似てるよ、アイツ。無口で無愛想で不器用で、でもちゃんと、大事なモンは分かってる。向こうの方が男前だがな」

 店主はまた、鼻で笑った。晃は煙草に火を点け、藤堂が使っていた灰皿を引き寄せる。

「結局所帯は持たなかったなあ、あんたは」

 空になったグラスに、店主は酒を注いだ。何かしていないと、落ち着かないのかも知れない。昔は何もしていなくても落ち着いていたが、歳をとったという事なのだろう。

「昔の女が年中来るからな。怖くて結婚なんか出来ねえよ」

「ちげえねえ」

 喉を鳴らして笑い、晃はビールを呷る。水滴がグラスの表面を滑り、彼の手を濡らした。

 晃はカウンターの中へ手を伸ばし、ビール瓶を取った。

「あんたも飲めよ」

 瓶の口を向けられると、店主は素直にグラスを取って差し出した。晃はグラスの縁に瓶の口を着け、目一杯中身を注ぐ。白い泡が溢れた所で、彼はようやく瓶を置いた。

 店主はグラスの縁に口を着けて泡をすすり、口元を拭いながら扉を見た。

「メイは、幸せかな」

 煙を吐き出しながら、晃は喉の奥で笑う。

「幸せさ。聞くんじゃねえよ」

 その後、二人は一言も口を利かなかった。黙り込んだまま、夜が更けきるまで、静かに飲み続けていた。

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