表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
透明なひと  作者:
46/75

第六章 交錯する記憶 二

 三代が去ってから、五人は暫く暇を持て余していたが、三十分もすると携帯に依頼が入り、明が出て行った。やはり依頼人も、この暑い日に外へ出たくはないらしい。

 明と入れ違いに来た若い女性の依頼人は、カウンターに座った芹香を見るなり挙動不審になって大騒ぎし、握手を求め始めたので、芹香と一緒に追い出した。彼女がここで働いている事は公にしていないから、偶然来ただけなのだろう。

 その後、三代の従兄弟と名乗る男性から藤堂の携帯に連絡が入ったので、様子を見に行くと言った渚が出て行き、結局残ったのは藤堂とゆなだけだった。藤堂だけが残るのはいつもの事だが、ゆなが一緒に留守番をするのは初めてだろう。

 静かな午後だった。藤堂は欠伸を漏らしながらぼんやりと外を眺め、こんな日に外へ出たくはないものだと考える。これ以上客が来ても今日中の依頼は請けられないから、対応が面倒なので、誰も来ないことを祈るばかりだ。

 藤堂が相手をしないので暇を持て余したゆなは、ひたすら問題集を解いていた。この調子なら普通に進学してもいいところまで行きそうだが、本人にその気は全くないようだった。霊媒師をやるより堅実だろうにと、自分の事でもないのに藤堂は残念に思う。

「勉強好きなの?」

 ゆなは顔を上げて藤堂を見て、無表情のまま首を傾げてから、再び視線をノートの上へ落とした。

「好きか嫌いかなどありません。やらねばならぬので、やるだけのこと」

「真面目だね」

 ふうむ、とゆなが鼻を鳴らした。その手は一定の速度を保ったまま、ノートに解答を書き続けている。

「学生の本分は勉強です。勉強だけしていれば良いのだと、ゆなは小学生の時までは思っておりました」

 また妙な価値観を持っていたものだ。藤堂が小学生の頃など、どうすれば疑われずに学校を休めるかと、そんな事ばかり考えていた。藤堂は生来不真面目な性分だ。

 ゆなは小さな手で分厚いテキストのページを捲り、少し悩んだ後、またノートにシャープペンシルを走らせる。藤堂には、彼女が何を書いているのか全く分からない。字が汚いせいもある。

「でもゆなは中学校に上がった頃、とうとう取り憑かれてしまったのです」

「悪霊に?」

「そうです。もう、すんごいのに」

 抽象的すぎて藤堂には全く分からないが、あの札だらけのヘルメットをものともせず取り憑いたなら、確かに凄い悪霊だったのだろう。

「父上様と母上様が、とても泣いておられました」

 藤堂はゆなの両親を思い出して、あの両親ならそれは泣くだろうと考える。

「ゆなにはそれが見えていたのに、体が言う事を聞きませんでした。とんでもなく歯がゆかったのです。ゆなの大事な人を泣かせる霊が、恨めしかったのです」

「それで霊媒師になりたがってたのか」

 ゆなは頷き、図形や文字で埋め尽くされたノートを捲る。ゆなの手は止まる事がなく、見る見る内にまっさらなページへ解が書き込まれて行く。

「皆が言うように、勉強しているだけではいけないのだと思ったのです。だからゆなは、霊媒師さんのところに弟子入りしたかったのです。でも」

「反対されたから、あんな事になったワケね」

 ゆなは心なしか文字を書くスピードを緩めて、小さく頷いた。

「父上様と母上様の泣くところを見るのが嫌で、霊媒師になろうと志したのに、ゆなは本当に愚か者でした」

 ゆなの手は止まらないし表情も変わらないが、彼女は悔いているのかも知れなかった。藤堂は黙ってゆなの小さな頭に掌を乗せる。

「志が高いのはいい事だよ」

 ゆなは藤堂に顔だけを向けて、微かに頬を染めた。小さな唇が笑みの形を作るのを見て、藤堂は好ましげに目を細める。

「どっちかじゃなくてな、両方やりゃいい。お前器用だから、適当に出来るだろ」

「はい。必ずやり遂げてみせます」

 ゆなは間違いなく、変人の類だろう。それでも藤堂より遥かに真面目だし、性根は真っ直ぐで、夢もある。突拍子もない発言にばかり気を取られて、馬鹿だ馬鹿だと言っていた己を恥じた。馬鹿と言う方が馬鹿とは、真実だったのだろう。

 実際、藤堂は馬鹿だった。勉強は出来なかったし、勿論浄霊も出来ない。志を持つゆなに、何もしてやることが出来ない。だからせめて、近くで見守っていたいと思う。

「でも、なかなか浄霊は出来ませぬ。救いたいと強く念じれば、出来ると聞いたのに」

 藤堂は煙草に火を点けながら変な顔をした。念じれば出来るというのが、よく分からない。そんな曖昧な事でいいのだろうか。

 しかしそれならば、霊体であるコウが易々と浄霊してみせた理由も分かる。霊は体という壁をなくした魂だけの存在だから、抱いた感情がより強く発露する。その分霊の感情が他人に及ぼす影響も大きく、悪霊がいるだけで悪寒や耳鳴りがするのは、その為なのだと明は言っていた。

「人を救うということは、ほんとうに難しいものです。メイさんはすごいのです」

 ゆながそう締めくくった時、視界の端で自動ドアが開いた。

「あれ、今日二人?」

 顔を上げると、入口に常連客が立っていた。目と目の間が少々近く、彫りの深い顔立ちをしている。赤味を帯びた茶髪は短く切られており、焼けた肌と相俟って彼女を若々しく見せていた。

 新藤祐子はベアトップの上に着た薄手のカーディガンを脱ぎながら、カウンターに歩み寄って腰を下ろした。相変わらず強調された胸元を見て、藤堂は暑さを忘れる。つくづく単純な生き物だと、自分でも思う。

「こんにちは祐子お姉さん」

「なにその歌のおねえさんみたいな呼び方……あら、勉強してんの? 偉いわねえ」

 祐子が頭を撫でると、ゆなは誇らしげに胸を張った。そんな彼女を見てどこか嬉しそうに微笑んだ後、祐子は持っていたコンビニの袋をカウンターに置く。

「差し入れ。みんな帰ってきたら食べて」

「ワリーね。アイス?」

 吸いさしの煙草を消して、藤堂は袋の中身を探る。祐子がその手を叩いたが、彼は動じなかった。

「がっついてんじゃないわよ」

「いいだろ別に」

 棒アイスの袋を破りながら、藤堂は忘れかけていた三代の手土産を横目で見た。中身は確認していないが、生ものだったらこんな所に置いておいてはまずい。

 視線に気付いたのかゆなが立ち上がり、コンビニの袋と紙袋を無造作に掴んだ。藤堂は袋を持って家へ続く扉を開けたゆなの姿を、横目で追う。

「冷蔵庫に入れます」

「ヨロシク」

 扉の向こうに消えたゆなの背を見送ってから、藤堂は祐子に向き直る。彼女は目を伏せて、薄く笑みを浮かべていた。どこか寂しげなその表情に、藤堂は思わず視線を逸らす。

 今更気まずいなどという感情は、祐子に対しては抱かない。ただ、見てはいけないものを見てしまったような気がした。

「平和だね」

 は、と間抜けな声を漏らすと、祐子は小さく笑った。カウンターに頬杖をついた彼女の目は、真っ直ぐに藤堂を見上げている。

「色々、忘れたワケじゃないけどさ。馬鹿だったなって思う」

 独り言のように呟く彼女の表情は、懐古するようなものだった。伏せた目から、感情は窺えない。口を挟むのも良くない気がして、藤堂はアイスを齧る。冷たいそれは飲み込むと同時に、急激に体温を下げた。

 俯いた祐子に、芹香の寂しげな表情が重なる。何故今思い出すのか自分でも分からなかったが、祐子にしろ彼女にしろ、しっかりと向き合って欲しかったのではないかと思う。

 それなら、とんでもなく失礼な事をしでかしてしまったことになる。しかし人の話を突っ込んで聞くのは得意ではないし、少しでも嫌な顔をされると、藤堂は何も言えなくなる。

 他人と深く関わり合う事を避けていたから、藤堂は今でも、込み入った話をするのが苦手だ。従業員達とはたまに話す機会もあるし、聞いた方がいいのではないかと思う事もあるが、自分からは聞き出せない。それが申し訳なくも、もどかしくも思う。

 明に家庭の事情を聞いた事もないし、芹香が会社を辞めた理由も、結局聞いていない。明はともかく芹香の方は、聞かなければならないような気がしている。そもそも藤堂は、最初に彼女と長く話した時以来、気になって仕方がなくなっていた。

「なくしたから、忘れられないんだよね。新しく彼氏作っちゃえば良かったのに、そうも行かなかった」

「今から作ればいいだろ」

 祐子はふと真顔になって、藤堂を見上げた。射抜かれたように、目が離せなくなる。黙っていないで何か言ってやろうと思っていたのに、結局何も言えなくなってしまった。

 祐子は暫く無言のまま、穴が空くほど藤堂の顔を見つめていた。やがて開いた唇がやけに赤く見えて、藤堂は目を奪われる。

「藤堂君、付き合ってくれる?」

「え、ゴメン」

 藤堂は祐子の言葉より、即答した自分に驚いた。不誠実に過ぎるが、今まで告白を断った事など、ただの一度もない。祐子が嫌という訳ではない。寧ろ彼女ほどの器量を持ったひとなら、願ったり叶ったりだ。

 それがどうして、咄嗟に口を突いて出たのが典型的な断り文句だったのか。祐子は驚いたように両眉を上げていたが、藤堂は更に驚いた。とんでもない返答をしてしまったような気がして、頭が焼けるような錯覚に陥る。

 いつもこうだ。返答に窮すると、心にもないことを口走る。心にもなかったのかどうかは、藤堂自身にも判断出来ないのだが。

 お互いに、暫くそのまま無言でいた。冷や汗と一緒に、溶けたアイスが指先まで垂れてくる。祐子はそれを見て唐突に噴き出し、藤堂から離れるように椅子へ凭れた。

「変わったね」

 朗らかに笑う祐子に、藤堂は困惑して眉根を寄せた。また、いつもの冗談だったのだろうか。とてもそうは見えなかった。そうは思いたくない。

 どことなく恥ずかしいような気になって、藤堂は視線を落とす。溶けかけたアイスを口に放りこんで、べたつく指を舐めた。頭の芯が一気に冷える。

「あんたは変わんねえな」

「そう? これでもちょっとはスッキリしたのよ」

 言いながら、祐子は亀のように首を突き出して藤堂をじっと見た。祐子の顔は、いつでもすっきりしているように見える。あっけらかんとした口調が、そう思わせるのかも知れない。

「キミ、好きな人いるんでしょ」

 は、と間の抜けた声を漏らして、藤堂はにやつく祐子の顔をまじまじと見た。祐子の意図は酌めないし、藤堂にそんな自覚はない。そもそも高校生の頃理不尽に痛い目に遭って以来、恋をしたような覚えはない。

 それを拒んでいたのではないかとも、今では思える。またあんな目に遭ったらと思うと、安心して恋愛など出来なかった。痛い目に遭った事などすっかり忘れていたが、一種のトラウマとなっていたのだろう。

「いい事よ。ゆなちゃんには残念だけど」

「いや、何の話……」

「なにをニヤニヤしているのです」

 いつの間にか、藤堂の背後にゆなが立っていた。祐子に気を取られていたので全く気がつかなかったが、その口振りから、告白辺りの会話は聞いていなかったのだろうと推測する。

 ゆなは両手に、ガラスのコップを持っていた。小さな手では非常に持ちにくそうだが、藤堂の家にはトレーがないので、手で持って来るしかなかったのだろう。

 コップを一つ祐子の前に置き、残った一つを持ったまま、ゆなは藤堂の隣に腰を下ろした。中身の残ったカップがあるから当然だが、藤堂の分を持ってくる気はないようだ。

「あら、ありがと……まあねえ、だらしない弟がやっとしっかりしてきたから、嬉しくて」

「ほう、ご兄弟がいらしたのですか」

 祐子は笑いながら頷いた。ゆなが出した麦茶を一気に飲み干す彼女を眺めながら、間違いなく自分の事だろうと、藤堂は思う。弟と言われても悪い気はしないが、告白されたすぐ後では、複雑な心境になる。

 藤堂はカップの底に残ったコーヒーを飲み干して、一つ息を吐く。ゆなは彼につられて、両手で持ったコップに口をつけた。

「妹もいるわよ。小さいのと大きいのと、一人ずつ」

 頭を撫でた祐子を不思議そうに見上げた後、ゆなはふっくらとした頬を林檎のように赤く染めた。小さいのとはゆなの事だろうが、大きい方は芹香だろうか。そう考えると微笑ましく思える。

 知らず笑みを浮かべていた藤堂の頬を、ゆなが人差し指でつついた。

「兄妹ですね」

「そーね」

 祐子は二人の様子を見て満足そうに笑うと、膝に乗せてあったカーディガンを腕に引っ掛けながら立ち上がった。

「じゃ、そろそろ帰るね。ごちそうさま」

「またどうぞ」

 ゆなの台詞に、祐子は満面の笑みで応えて店を出て行った。ガラス越しに大きく伸びをする彼女が見えた後、フラレちゃった、という呟きが微かに聞こえた。ゆなが目を丸くし、藤堂を見上げる。

 藤堂はゆなから顔を背け、首を竦めた。途端、藤堂の携帯が鳴り始める。液晶には、高屋敷と名前が出ていた。

 何かあったのだろうかと訝りながら電話を取った瞬間、藤堂は大声で怒鳴られた。怒鳴られたはいいが、声が大きすぎて何を言っているのか全く分からない。

「……何?」

 スピーカーを耳から遠ざけて問い返すと、早く来いという渚の怒鳴り声が答える。藤堂は傍らで聞いていたゆなと顔を見合わせ、同時に肩を竦めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ