第一章 指輪に憑いた想い 三
藤堂はメイに引っ張られるまま鳳の二人を探し回ったが、結局見つからなかった。諦めて定食屋付近まで戻ってきたメイは、肩を落として駐車場の隅にしゃがみ込む。疲れた溜息を漏らしていたが、そう疲れているようには見えなかった。息が上がっているような様子もない。若さゆえだろう。
反対に疲れきった表情の藤堂は、懐から煙草を取り出して火を点けながら空を仰ぎ見た。定食屋を出た時はまだ西日が差していたが、今はもう、かなり暗くなっている。何時間探していたのか、考えたくもない。
藤堂は銜え煙草のまま、傍らにあった自動販売機から缶コーヒーを二つ買い、片方をメイに差し出した。ふてくされたような表情で膝に頬杖をついていたメイは、目を丸くして彼を見上げる。その顔を見下ろしながら、目が零れ落ちそうだと藤堂は思う。
「だから言ったろ、もういねえって」
「うん……ごめんねお兄さん。ありがと」
おずおずと両手でコーヒーを受け取ったメイは、曖昧に藤堂へ微笑みかけた。元々垂れ気味の目尻が更に下がって稚児のような顔になるが、反面、表情の作り方が随分と大人びている。
藤堂は違和感も覚えたが、仕事をしているならそうもなるだろうと、敢えて何か言う事もしなかった。あまり若い娘に余計な事を言うと、セクハラだなどと糾弾されて一方的に訴えられてしまう。覚えがあるわけではないが、身の回りで何人か、慰謝料を請求された人間がいる。
「そういえば、名前も聞いてなかった」
缶を両の手のひらで挟み、メイは思い出したように言った。コーヒーを一口飲み、ああ、と藤堂は生返事をする。随分と今更だ。
「藤堂。藤堂匡」
「知恩院明よ。……ごめんね藤堂さん、連れ回しちゃって」
申し訳なさそうな声に、反省はしているのかと、藤堂は些か意外に思う。あれだけ自分勝手に藤堂を連れ回した娘と、同じ人間には見えなかった。
「芸能人追っ掛けるのと同じような感覚だろ。よくわかんねえけど。まあ、いいよ」
適当に答えると、明は益々肩を落とした。藤堂は気を遣うのが苦手だ。
「ごめんなさい」
そこで、会話が止まった。元々余計な口は利かない主義の藤堂はなんとも思わないが、若い明は気まずいだろう。
「……あの、お兄さん、ほんとに知らないの?」
「何?」
躊躇いがちな問いかけに、藤堂は短く問い返した。我ながら全く愛想がないと、彼は自分に呆れる。
「白銀さんのこと」
そういえば探している最中に、そんなに有名なのかと聞いたら、当たり前だと突っぱねられた気がする。どうもこの娘は大人しそうな外見の割に、一度熱くなったら周りが見えなくなるようだ。
「知らねえ」
「テレビによく出てるよ?」
「俺、滅多にテレビ点けねえから」
明は残念そうに、そっか、と呟いた。コーヒーの缶を見つめたまま、彼女は小さく唸る。やはり無言の間は苦手のようだ。藤堂は申し訳ないような気分になったが、この場で切り出せるような話題もないので、結局黙っていた。
「鳳コーポレーションて、結構悪評が立ってるの。誰も頼んでないのに勝手に幽霊退治して、退治してやったんだからって、お金巻き上げたりするって……まあ鳳に限らず、退治屋って大体みんなそうなんだけど」
「ヘエ」
生返事をしながら排水溝に煙草を捨て、藤堂は新しいものに火を点ける。繁華街から少し逸れた人気のない静かな路地に、安いライターの音が響いた。
嫌煙家が声高に煙草を根絶しろと叫ぶ昨今だが、反面、タバコの煙が悪霊を遠ざけるというデータが出ているのも事実だ。別段、その為に吸っている訳ではないが。
「でも、あの人は違うの。幽霊と見れば見境なしの過激派グループに対抗して、皆の為に悪霊を退治するの」
「そんなん、皆知ってんのか。社内の事情だろ」
明は静かに首を振った。
「鳳の社員しか知らないよ。私、社員に友達がいるから」
「ああ……」
藤堂が納得した声を漏らすと、明は満足そうに笑って、更に続けた。自分の事ではないのに自慢話でもしているような、得意げな表情だ。よっぽど好きなのだろう。
「あの人、凄く強いの。テレビとか出てるのも、鳳の社内で一番凄い退治屋だから。憧れるよ、こういう仕事してたら」
生憎藤堂は退治屋ではないどころか霊感もないので、明の気持ちは分からない。しかし強いものに憧れるというのは、子供らしくて良いと藤堂は思う。
引きずり回されていた時は迷惑甚だしいとしか思えなかったが、理由を聞いてみれば、微笑ましくも感じられる。あれほどまでに熱狂する気持ちは、やっぱり理解し難いのだが。
「あそこ、藤堂さんのお店?」
ふと明が指さした先は、確かに藤堂が経営する質屋だった。一瞬何故分かったのかと疑問に思ったが、そういえば金貸しの親父が、藤堂を質屋だと紹介していた。今時質屋など滅多に見かけないから、明でなくともすぐに分かるだろう。
「見てもいい?」
「店?」
怪訝に眉を顰め、藤堂は携帯灰皿に煙草をねじ込む。
「見たって面白いモンなんかねえぞ」
「面白いかも知れないよ。いい?」
ふうんと鼻を鳴らして、藤堂はコーヒーの缶に口を付けながら店へ向かう。ひょいと立ち上がった明は、急ぎ足でその後を追った。
明がついて来ているのを肩越しに確認して、藤堂は自動ドアの鍵を開ける。出掛ける時にシャッターを閉め忘れていた事を、今更思い出した。シャッターを開けていようが閉めていようが、客が来ない事には変わりない。
店内は狭くも広くもないが、両の壁際に大きなガラス製のキャビネットが置かれているせいで、圧迫感があった。大人の腰ほどの高さのショーケースが中央に並び、その中に売られてきた品々が所狭しと陳列されている。明は大きな目を輝かせて、壁際のキャビネットに近付いた。
「すごい! きれいね」
陳列された貴金属類を覗き込みながら、明は感嘆の声を上げた。藤堂は首を捻って、困ったように顎を掻く。
こうして商品を褒められるのは珍しい事ではないが、結局誰も買って行かないのだから複雑な気分になる。明に買えとは言わないが、美術館などと同じように思われても、店主としては困りものだ。
「過去の遺物だよ。売れやしねえ」
「でも、きれいだよ。……あれ?」
キャビネットに沿って横移動していた明が、怪訝な声を漏らした。藤堂はその背中越しに、陳列された商品を見る。
明が見ていたのは、あの指輪だった。シルバーの土台に小さなダイヤが嵌った上品な意匠のものだが、どこか禍々しい空気を纏っている。霊感のない藤堂が見ても底知れない不安を覚えるのだから、退治屋の明が見れば、そこに何が憑いているのかなど、一目瞭然だろう。
指輪を見詰める明の表情が、段々と険しくなって行く。そんなに嫌なものが憑いているのだろうか。
「どうしてこんなもの、放っておいたの」
振り返って藤堂を見上げた明は、怒りも露わに眉をつり上げていた。どうしてと言われても、どうしようもなかったとしか答えようがない。除霊を頼む金など藤堂にはないし、売り払おうにも買い手がつかない。客に何も説明しないまま、売り払ってしまえばいいという話でもないが。
霊が憑いていると知りながら物を売れば、罰せられる。霊感のない藤堂が糾弾されることはないだろうが、寝覚めは悪い。
藤堂は困ったように顔をしかめ、明から視線を逸らす。あまり易々と言いたいような事ではないが、責められるのは嫌だ。
「見えねえんだよ、俺。そいつも、ついこないだ買い取ったばっかで、詳しい事は知らねえの」
「見えないの?……そう」
ださいと言われるかと身構えていた藤堂は、少々拍子抜けして明を見下ろす。彼女は既にショーケースの方を向いており、藤堂の位置からは小さな頭しか見えなくなっていた。
見えない事で、ださいだの時代遅れだのと言われる事が嫌で、藤堂は余計な口を利かない。世間の風評を知らない事で時代遅れだと言われるのは、特に気にはならない。それは藤堂自身が知ろうとしないのが理由だからだ。
しかし霊感を持たずに生まれてしまった事をなじられても、藤堂にはどうする事も出来ない。霊が見えない事で困ったような覚えはないし、見えてどうなる、という気持ちもある。負け惜しみに過ぎないのも、分かってはいるが。
「生霊」
神妙な面持ちで指輪を見つめていた明は、唐突にそう呟いた。藤堂は怪訝に眉を顰める。幽霊関係に疎い藤堂でも、それが穏やかならぬ単語である事は分かった。
「生霊が憑いてる。これ、借金のカタに取られてからずっと、色んな人の所を転々としてるみたい。早くなんとかしないと、大変な事になるよ」
訝しげな表情のまま、藤堂は指輪に視線を移した。生霊といえば人間に憑くものと思っていたのだが、それとは違うのだろうか。知識も見識も浅い彼には、よく分からない。
なんとかしないと、と言われても、生霊をどうすればいいのか、藤堂は知らない。困り果てて顎を掻きながら、首を捻る。
「除霊すりゃいいのか?」
「排除してもムダだよ」
呆れたような声だった。ころころ表情が変わるのは、若い証拠だろうか。
「そうじゃなくて、本来の持ち主に返すの。『生霊』だから、持ち主は死んでないはず……そうだ、迷惑かけたお詫びにタダでやるよ。どう?」
タダという単語に反応した藤堂が一も二もなく頷くと、明は少し笑った。
「それじゃあちょっと、調べてみるね。その指輪、触っちゃダメだよ。危ないから」
「悪いね嬢ちゃん」
切り揃えられた黒髪を揺らして、明は左右に首を振った。
「お詫びだから、気にしないで。何か分かったら連絡するね。番号教えて」
言いながら、明は制服の胸ポケットから携帯を取り出した。最後に異性と番号を交換したのはいつだっただろうかと、藤堂はどうでもいい事を考える。異性どころか同性とさえ、ここ数年出会っていないような気もする。
藤堂は元来ものぐさな性分で、他者との交流さえ面倒だと思うような人間だ。親が経営していた質屋を継ぐと決めた時は、当時つるんでいた友人達から一斉に止められた。
皆、お前に接客は無理だと口を揃えて言った。顔だけならホストにでもなんでもなれたのにと、力一杯残念がられた。残念なのは藤堂だ。
「それじゃ、またね」
携帯を閉じて胸ポケットへ落とすと、明は手を振りながら店を出て行った。藤堂はおう、だかああ、だかと曖昧な返事をして、スカートを翻して去って行く明の背中を見送る。
口下手でさえなければと、思う事もある。思うが、直す気はない。今のところはこれでなんとかやって行けているし、幸い顔がいいから、喋らなくとも女性関係で不自由した事はない。余計な事を言わない代わりに、周囲に流されるままだらだらと生きるのが、当然のようになっていた。
それを不満に思った事はない。寧ろ、どうでもいいと考えている。そうして割り切らなければ、見えないものに蝕まれたこの世界では生き辛い。
「……くだらねえ」
吐き捨てるように呟いてから、藤堂は今度こそシャッターを閉めるべく、店の入り口へ向かった。