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透明なひと  作者:
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第四章 終わりなき連鎖 五

 夕方頃、里佳の家から戻ってきた三人は、それぞれ何故か憂鬱そうに肩を落としていた。渚は疲れきった表情で黙り込んだまま時折溜息を吐き、ゆなは藤堂の正面で客用の椅子に座り、カウンターに突っ伏している。すっかり定位置になった藤堂の隣に腰を下ろした明は、頬杖をついて遠い目をしていた。三人が三人ともこの状態では、何があったのか聞く事も躊躇われる。

 空気が重い。藤堂は煙草を灰皿に押し付けながら、重苦しい空気を打ち消すように深い溜息を吐いた。何があったのか知らないが、戻るなりこれでは困る。何か言われない限りは黙っているのが藤堂の基本スタンスだが、流石に放っておく訳にも行かなかった。

「何お前ら、報告もナシ?」

 明が虚ろな視線を藤堂へ向け、すぐに逸らした。暫く何か言いたげに口が動いていたが、結局何も言わず、疲れ切ったようにうなだれる。全員先ほどから、溜息ばかり吐いていた。

「ゆなは疲れました」

 伸ばした両腕の間から顔だけを上げて、ゆなが呟いた。大きな目が半分閉じられており、こちらも言葉の通り、珍しく疲れ果てているようだ。

「あれが修羅場というものなんですわね……」

 呆然と独りごちた渚は、頭痛を堪えるように額を押さえていた。そう言われても、事情を知らない藤堂には何の事やらさっぱり分からない。果たして依頼人の家で、何が起きたのだろうか。

 怪訝な表情のまま煙草に火を点けた藤堂を、明が縋るような目で見上げた。そんな目で見られても、何も聞かされていない藤堂は困るばかりだ。

「あのね、里佳さんの家にいたのは、お父さんの霊だったの」

「ヘェ」

「でね、里佳さんの彼氏がギャンブル狂だから別れろって、伝えたかったみたい」

 明はどうも、話す事で気を紛らわそうとしているらしかった。それならばと、藤堂は黙って聞く姿勢を取る。元々、相槌を打つぐらいしか能も無いのだが。

「伝わって満足して、お父さんはちゃんと成仏したよ」

「そりゃ良かったな」

 明は嬉しそうに、少し笑う。藤堂は頭でも撫でてやろうかと思ったが、ゆながうるさそうなのでやめた。

「里佳さんも分かってくれたんだけど、問題はその後」

 思い出してしまったのか、明は表情を曇らせて口ごもった。しかし藤堂が急かすより先に、疲れた表情で黙り込んでいた渚が口を開く。

「依頼人には、今すぐ別れの電話を入れるけど、心細いから居てくれと言われたんですわ」

 溜息混じりの声に、明が続ける。

「それならって、話が済むまで一緒にいるって事になったんだけど……怒鳴り込んで来ちゃったの」

「……彼氏が?」

 明と渚は、同時に頷いた。話も半ばだが、藤堂は聞いているだけで疲れてくる。

「大変だったんですのよ。里佳さんは泣き出してしまって話も出来なくなるし、彼氏の方は逆上して暴れるし」

「罵倒の嵐でした。コップは投げるわ鏡は割れるわ壁は壊れるわ、そこら中ボロボロだったのです」

「執事さんが何回つまみ出しても、また部屋に入って来るし」

 それでは十代の二人も二十歳になったばかりの渚も、参ってしまうだろう。擦れていない娘等にとっては、見るに耐えない修羅場だったに違いない。執事も災難だったようだが、三人とも、よくぞ怪我なく帰ってきてくれたものだ。

 自分もついて行ってやれば良かったと藤堂は思ったが、浄霊をしに行って修羅場に巻き込まれるなど、誰が予想出来ただろうか。何より一緒に行っていたところで、藤堂は何もしなかっただろう。彼は酔っ払いの喧嘩を見かけると、ギャラリーに混じって見物してしまう方だ。

「結局、ゆなちゃんが収めたんだけどね」

 驚いてゆなを見ると、彼女は誇らしげに胸を張った。またぞろ下らない事を言って黙らせたのだろうと、藤堂は呆れた顔をする。

「なんつったの?」

「うちの所長は貧乏でだらしない上に無口ですが、ギャンブルもしないし女性を泣かせたりもしないと言いました」

 やっぱり下らないことを言って呆れさせたのだ。藤堂は辟易して、鼻の頭に皺を寄せる。

「……そんだけ?」

 明と渚は顔を見合わせて苦笑した。何やら嫌な予感がする。

「里佳さんがね、口から生まれたようなあんたに貢ぐくらいなら、余計な口出さない藤堂さんに貢ぐって言い出して」

「それでショック受けたんですわね、彼。喋りに自信があったのでしょう。すごすご帰って行きましたわ」

 藤堂は脱力した。下らないプライドもあったものだ。夜の客商売でもしていた男だったのだろうか。

「無論、藤堂さんにはゆなが貢ぐ予定なので、丁重にお断り致しました」

 ゆなの言葉を聞き流し、それでは父親も浮かばれなかっただろうと、藤堂は考える。

 口だけが取り柄の駄目な男に貢いでしまう女の気持ちは、彼には判らない。ろくでもない男に惹かれるのは母性本能のせいだと、藤堂の母は父を睨みながら言っていた。そういうものなのかも知れないと思う。

「散々罵倒した挙句、女性に手を出す男なんて、最低ですわ」

 渚はカウンターに凭れて、憤慨した調子でそう言った。ゆなが大きく頷く。

「その通りです。ゆなの父上様も言っておられました。どんなに喧嘩しても、最終的に手を出すような男は絶対に選ぶなと」

 ゆなの熱い視線を受け流しながら、あの父親なら、相手が誰であろうと反対するだろうと、藤堂は思う。

 喧嘩したら最終的に手が出るのは、男も女も同じことのような気がした。罵倒されても聞き流す藤堂は、女と喧嘩はおろか口論さえした記憶もないが。自分ならゆなの父親が言う条件に合うかも知れないと考えたところで、ぞっとしてやめた。

「問題は喧嘩云々じゃないよ、あのヒト、里佳さんに貢がせてたっていうんだから」

 眉をつり上げた明は、憤慨した調子でそう言った。逐一よく怒る娘だ。

「解んないなあ。里佳さん、どうしてあんなヒト好きになったんだろう」

 明は不思議そうに、首を捻ってぼやいた。眉の位置で切り揃えられた前髪が、さらりと揺れる。そんな事は、本人以外には到底理解出来ないだろう。

 他人が口を出すことではない。恋路を邪魔するわけではないが、依頼人の好みに口出しすべきではないだろう。

「蓼食う虫も好き好きだと、母上様は言っておられました」

 首を捻ったまま、明がゆなを見た。口元が笑っている。

「ソレお父さんのこと? 藤堂さんのこと?」

「カラくねえよ俺は」

 さも愉快そうに、明が笑った。笑うと元々下がり気味の目尻が、更に下がる。ようやく調子が戻ったようで、藤堂は安堵した。乗られると困るが、悪いとなんとなく、こちらも沈んだ気分になる。

「理解出来なくとも、そんな男を選んだのは本人ですわ。私達が口を出す事ではありませんわね」

「そりゃそうだ」

 しかしそんな男に貢がされる娘を、父はどんな気持ちで見ていたのだろう。すぐ傍にいる娘に気付いて貰えない事は、どんなに歯痒かっただろう。どんなに叫んでも伝わらないことは、どれほど悲しかったろう。考えても仕方のない事だが、考えずにはいられなかった。

 それでも父親は、救われた。具体的に彼女達が何をしたのか知らないが、霊を浄化するというのは、そういう事なのだ。迷う人を救う事、それが浄霊なのだとしたら、成り行きながらこの仕事に就いてみて良かったと藤堂は思う。誰かの役に立ちたいなどと大それた事を考えているわけではないが、何の役にも立たないよりはましだろう。

 無論、藤堂には何も出来ない。直接的に霊と対話する術もない。だからこうして彼女達の愚痴を聞くという、些細なことに関してだけでも、役に立っていればいいと思う。

 藤堂が満足感に浸っていると、誰かの腹の虫が鳴いた。明と渚が慌てて首を振り、藤堂を見る。彼が首を振って否定すると、二人の視線がゆなに向いた。

「ゆなはお腹がすきました」

 あっさりと片手を挙げて自供したゆなは、腹を撫でながら藤堂を見上げる。無表情ながら、その大きな目は期待に満ちていた。藤堂は思わず嫌な顔をする。

「……食いに行きてえの?」

「いいえ、作って下さい」

「俺が?」

「無論です」

 こくりと頷いて、ゆなは藤堂のポロシャツの袖を軽く引っ張った。家に帰れば母親の美味い手料理が待っているというのに、わざわざ男の作った不味い飯など食べたがる気持ちが分からない。それ以前に、夕飯時にはまだ早い。

「何もねえぞウチは」

「それでは今からお買い物に行きましょう」

「また店空けろってのか」

 生地が伸びるほど服を引っ張って駄々をこねるゆなを見て、明が朗らかに笑った。困惑した面持ちで、藤堂は明へ視線を移す。助けを求めるような目だったが、明は気付かない。

「いいじゃない、作ってあげなよ。買い物しに行って帰って来たら、いい時間なんじゃない?」

 ゆなは満足そうに口元を緩めたが、藤堂は渋い表情を浮かべた。経済的にはいいのだろうが、面倒だ。

「ついでにこれから、ゆなのお昼ご飯は藤堂さんが担当で」

「なんでそうなるんだよ。弁当あるだろお前」

 怪訝な面持ちで三人を眺めていた渚が、首を傾げた。

「あなた、男性なのに作れるんですの?」

 藤堂は片眉を上げて、渚を見上げる。ウェーブを描く金髪を指先で玩んでいた渚は、すぐに顔を逸らした。

「一人暮らししてんだから、作れねえと困るだろ」

 藤堂が答えても、渚は得心が行かないような表情を浮かべていた。どんな家で暮らしてきたのだろうと、藤堂は訝る。お嬢様育ちというのは、庶民と感覚が違って当然なのかも知れないが。

「渚さんは作らないのですか?」

 ゆなが聞くと、渚は見下すような視線を彼女に向けた。ゆなはカウンターの上に伸ばしていた腕に頭を乗せ、首を傾げる。

「これでも調理師免許を持っておりますの」

「ヘェ、すげえな」

 気のない声だったが、渚は一気に耳まで赤くなった。ゆなが不満げに唇を尖らせる。馬鹿にされても気にしないくせに、こういう時は口を出してくるのが彼女だ。

「と、当然ですわっ」

「ゆなも作れるのです」

 藤堂の服の袖を掴んだまま、ゆなが小さな手を高々と挙げた。明は遠い目で三人を見ている。いかにも輪に入りたくなさそうな面持ちだったが、当然だろうと藤堂は思う。明の性格なら、好き好んで料理自慢などしたくはないだろう。

「じゃ、明日から昼飯は交替で作るか。お前らもうちょっと早く来い。いいだろ高屋敷」

 長い睫毛を伏せたまま、渚は頷いた。

「メイは?」

「私は無理、お昼は家で食べてきちゃうから」

 明が申し訳なさそうに首を振ると、ゆなが残念そうに肩を落とした。提案したはいいが、何故従業員と交替で昼飯を作る羽目になるのかと藤堂は思う。

 しかし、悪くはない。昼飯代の節約にもなる。

「まあ、買い物行くか」

 藤堂が立ち上がると、ゆなは丸い頬を仄かに赤くした。嬉しいのだろう。藤堂は子供を持ったような錯覚を抱いた。

「私は帰るね。なんか疲れちゃった」

 つられて立ち上がった明は、大きく伸びをした。制服の短い裾が持ち上がって、白い腹が露になる。滑らかな肌に一瞬釘付けになったが、藤堂は慌てて視線を逸らした。

「高屋敷は行くか?」

 引き出しから財布を取りながら藤堂が聞くと、渚は凭れていたカウンターから離れて腕を組んだ。

「行ってあげないこともないですわ」

 ん、と生返事をして、藤堂は店を出た。財布も気分も、随分と軽い。

 全員が外へ出てからシャッターを閉める途中、藤堂は、あ、と声を上げた。

「お前ら、依頼料は?」

 三人は目を丸くして、あ、と呟いた。

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