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透明なひと  作者:
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第三章 向こうは見ない 六

 高屋敷がいつ幽霊屋敷へ行くのか調べると言った翌日、明はまたもや事務所に現れなかった。成り行きで立ち上げた浄霊屋とはいえ、自由なものだ。店には明どころか客が来る気配もなく、藤堂とゆなは一日中クロスワードパズルを解いたり掃除をしたりと、有意義に過ごした。

 更にその翌朝ゆなを伴って現れた明は、バットを持っていた。やはり行く気なのだと、藤堂は心中嘆く。

「……今日なの?」

 半分目を閉じたままの藤堂が聞くと、明は真剣な表情で頷いた。バットを持ったまま真面目な顔をされると、なにやら怖い。

 日曜日の朝早くから迎えに来られたゆなは、欠伸を噛み殺していた。ゆなを連れて来る必要はあったのだろうかと藤堂は思ったが、連れて行かなければ呪うなどと言っていたので、明も律儀に迎えに行ったのだろう。

「高屋敷さんは今日、下見に行くみたい。今ならまだ間に合うよ」

 藤堂は一体どうやって調べたのかと疑問を抱く。しかし漏れた欠伸に邪魔をされて、質問の言葉は出なかった。

 屋敷の最寄り駅で降りた瞬間、体の奥から這い上がってきた悪寒が、全身を駆け巡った。顔をしかめた藤堂は、寒気の理由を確かめようと眼鏡を掛ける。

「……あれ?」

 レンズ越しの視界には、ごく普通の風景しか映らなかった。駅構内には、浮遊霊さえ見当たらない。

 さては故障かと訝って歩きながら足元へ視線を落とすと、最初ここを訪れた時と同じように、コウが腰にしがみついているのが見えた。壊れたのではないらしい。首を捻って、少女らを振り返る。しかし二人の怯えきった表情を見て、藤堂は思わず眉を上げた。

「おい、大丈夫か」

 明は今まで見た事もないような、不安げな表情を浮かべていた。肩を竦め、身を固くして周囲を窺っている。藤堂には、行き交う通行人の姿しか見えないのだが。

 被ったヘルメットを両手で押さえるゆなの足取りは、目に見えて分かるほど重かった。普段から青白い顔が、更に青褪めている。

 二人の様子を見る限り、この間より状況が悪化している事は明白だった。それにしても、あれほどふらふらと浮遊していた霊の姿が全く見えないのは、一体どういった了見なのだろうか。人間霊どころか、動物霊さえ見当たらない。いるのはそこかしこで喧しく鳴き喚くカラスと、暗い表情の住人ばかりだ。

「屋敷の方から、いやな空気が漂ってきます。タヌキの方は、果たして生きていらっしゃるでしょうか」

 藤堂の表情が凍りついた。ゆなは最早、足を引きずるようにして歩いている。

「不安を煽るような事言わないの。大丈夫だよ藤堂さん、いきなりころっと死んじゃうことなんてないから」

 いきなりでなければ、死ぬ可能性があるのだろうか。藤堂は明の言葉に、更に不安を覚える。

 見えてきた屋敷を睨むような目で見つめたまま、明は唇を引き結んだ。こちらも顔が青褪めている。常なら血色の良いはずの頬は、紙のように白くなっていた。

「高屋敷さん、大丈夫なのかな」

 明の言葉に、ゆながふうむと呟いた。

「高屋敷さんが屋敷で幽霊退治とは、なかなか寒いシャレですね」

 全身から、一気に力が抜けた。明も呆れた顔をしている。ゆなには緊張感というものがないのだろうか。

 肩の力が抜けた明は、よし、と小声で意気込んだ。いつもの顔に戻っている。ゆなの場違いな発言もたまには役に立つものだと、藤堂は感心する。

「止めに行くだけなんだから、大丈夫よ。大丈夫。行こ!」

 自分に言い聞かせるような台詞だった。同時に、明の足取りは軽くなる。吹っ切れたのか自棄になったのか、藤堂には判断出来なかった。しかし彼女のその姿を、心強く思う。明のお節介に振り回されているという状況にある事など、既に忘れていた。

 屋敷の前には、黒塗りのリムジンが止められていた。この細い路地にどうやって入ってきたのか、藤堂は疑問に思う。

 錆びて朽ちかけた門扉の前に、道路を背にして金髪の女が立っていた。きつめに巻かれた髪は背中まで伸び、優美な曲線を描いている。これが、高屋敷だろうか。

「渚さん」

 びくりと肩を竦めて振り返った女は、西洋人めいた顔立ちをしていた。つり上がった細い眉に、尖った顎。くっきりとした二重のつり目は上を向いた長い睫毛に縁取られ、重たそうにも見えた。確かにゆなの言う通り、性格の悪そうな顔だ。

 ブラウスの胸元を彩るフリルが風に靡き、さざ波のように揺れている。黒のミニスカートから伸びる足はすらりと細く、華奢なヒールがよく似合っていた。

「あら……知恩院さん」

 高屋敷渚たかやしきなぎさはそれまで浮かべていた、驚いたような表情を消して、華やかに微笑んだ。明を知っているのだろうかと藤堂は思ったが、そういえば明も、彼女を下の名前で呼んでいた。しかし高屋敷の面々は家族で退治屋を経営しているそうだから、一般的に名前で呼ぶのかも知れない。

「どうなさったの? 怖い顔をして」

「聞きましたよ。一人でやるそうですね」

 渚の言葉にも明の返答にも、どこか棘があるように思われた。因縁でもあるのだろうか。

「それが何か? また私が仕事を取ったなどと、言いがかりを付け始めるのではないでしょうね」

 藤堂はゆなと顔を見合わせて、脱力した。明はそんな事ばかりしているのだろうか。

「違うよ!……ここは、やめた方がいいと思うの。あなた一人じゃ無理だよ」

 渚の表情が引きつった。見る限りプライドが高そうだから、それは怒るだろうと藤堂は思う。

「相変わらず失礼な方ね」

 渚は徐に門扉へ向き直り、そっと手をついて扉の片側を開けた。洋館自体には鍵がかかっていると鹿倉から聞いたが、門には取り付けられていないのだろうか。

 錆びた門扉が立てる軋んだ音を聞いて、ゆなが小さく震える。そのまま敷地内へ踏み込んでいく渚を見て、明は目を見開いた。

「ちょっと、やめなさいったら!」

「お黙り! バットで幽霊退治するような野蛮な小娘に、止められる筋合いはありませんわ」

「退治じゃないよ、浄霊よ!」

「同じ事でしょう!」

 門の向こうには、びっしりと蔦が這った洋館が構えている。所々朽ちて漆喰が剥がれてはいるものの、藤堂はその威圧感に圧倒された。割れた窓ガラスの向こうに、ちらちらと黒い影が動くのが見える。レンズ越しという点を抜きにしても視界が悪いのは、屋敷を覆うように立ち込める霧のせいだろうか。

 霊感のない藤堂でさえ、敷地内へ足を踏み入れることを躊躇った。ここには入るべきではない。足元に縋りついたコウも、緊張した面持ちで洋館を見つめている。

 敷地内の様子を一目見た瞬間、ゆなが小さく悲鳴を上げ、一歩下がった。藤堂は彼女を振り返って、宥めるような手つきで、ヘルメット越しに軽く頭を撫でる。

「そこにいろ」

 ゆなは不安そうな目で藤堂を見上げたが、首を横に振った。

「ゆなも行くのです。師匠ばかりを危ない目に遭わせるわけには参りません。これも修行です」

 軽く肩を竦め、藤堂は敷地内へ一歩、足を踏み入れた。全身に纏わりつくような粘度の高い空気に、思わず顔をしかめる。湿度が高いのとは違う、重たい空気だった。

「だから危ないって言ってるじゃない、分からず屋!」

 洋館の扉の前で、明と渚が睨み合っていた。怒鳴る明に更に目つきをきつくして、渚も負けじと声を張り上げる。

「いずれ誰かがやらなければならない事ですわ! 私がやって何が悪いというの!」

「だからそれが無理だっていうの!」

 大声で言い合う二人を見て、藤堂は更に肩を落とした。緊張感の欠片もない。果たしてこんな事をしていていいのだろうか。ゆなが怯えているのが嘘のように感じられるが、藤堂自身、異様な気配だけは感じ取っていた。

「ああもうちょっと、藤堂さん! なんとか言ってよ!」

 唐突に振られて、藤堂は嫌な顔をした。渚は彼を見て一瞬驚いたように眉を上げたが、すぐに険しい表情を浮かべる。溜息を吐いて足元を見ると、コウは洋館を見上げていた。藤堂は困り果てて顎を掻く。

「あー……色気はあるけど、胸がねえな」

 空気が凍った。藤堂を促した明さえ、呆れた視線を送っている。渚は呆然と口を開けたまま、藤堂を見つめていた。

 しまったと、藤堂は後悔した。言うに困ると、思っていた事がそのまま口を突いて出てしまうのだ。性分だから仕方ないと、心中言い訳をする。

 渚の頬が、徐々に紅潮して行く。怒りの為か羞恥の為かは、判断出来なかった。ゆなが溜息を吐くのが聞こえる。

「なっ……何なんですこの男は! 無礼すぎますわ!」

「ああ、足はなかなかいいと思うよ」

 藤堂はフォローしたつもりだったが、渚は益々眉をつり上げた。怒りのせいか、肩が震えている。

「そういう問題じゃないよ、藤堂さん……」

 明は力なく突っ込んで、助けを求めるようにゆなを見た。しかし彼女はコウと一緒に、屋敷を見上げている。くだらない諍いには関わり合いたくないようだ。

 怒りに体を震わせる渚は、ブラウスの胸ポケットから札を取り出した。流れるような筆文字で漢字ばかりがびっしりと書き連ねられた白い札を見て、明が顔を強ばらせる。

「もう分かりましたわ! そんなに言うなら、うちの執事を倒してご覧なさい。そうしたら、引き下がってあげますわ」

 渚は更に眉をつり上げていた。説得に来ただけの筈が何故こんな事になってしまうのかと、藤堂は呆れる。しかし、種は彼が蒔いたようなものだ。

 もう、と苛立たしげに吐き捨てて、明はバットの形をした鞘から刀を抜いた。ここまで来てしまったら、彼女も引き下がれないのだろう。

 銀色に輝く刃を目にした渚の表情が、俄かに硬くなる。廃屋を見つめていたコウが、明を見た。少年が何を思うのか、藤堂には量れない。

 明の刀が、鋭く光る。周囲を包み込んでいた霧が、僅かに薄くなったように見えた。振り回さなくとも、刀身自体に浄化の力があるのだろう。

「じいや!」

 叫んだ渚の声は、僅かに震えていた。その言葉に、藤堂は燕尾服を着たロマンスグレーの紳士を想像した。そんなものが果たしてこの場で何の役に立つものかと思う。

 しかし渚の札からずるりと這い出して来たものは、藤堂の想像したものとは似ても似つかなかった。明が驚愕に目を見開き、ゆなが顔をしかめる。コウは緊張した面持ちで、それを見ていた。

 札から這い出してきたのは、確かに燕尾服を着たロマンスグレーの紳士だった。いや、僅かに透けているから霊なのだろう。

 しかし彼が纏ったスーツの両袖は破れ、そこから筋肉隆々の腕が伸びている。胸板は鳩のそれのように隆起して分厚く、両足は明の腰ほどもありそうな程太かった。

 これのどこがじいやだ。藤堂は言葉には出さず心中で突っ込んだが、明も同じように思ったらしく、強張った顔を引きつらせていた。これが相手では、流石の明も駄目かもしれない。

 執事の鋭い双眸が、冷酷な光を放つ。はちきれんばかりに盛り上がった両足の筋肉が動くさまが、生地越しでも明確に見て取れた。あれをどう倒せというのだろうと、藤堂は呆然とする。

 今にも飛びかからんばかりの執事を見て、明は慌てて刀を構える。ヤケになっているのかも知れなかった。

「じいや、行きなさい」

 明へ優雅に人差し指を向ける渚とは対照的に、執事の動きは素早かった。その大きな体からは想像も出来ない程の速さで詰め寄り、拳を振りかざす執事に、明はたまらずその場から飛び退く。藤堂は呆気に取られ、ぽかんと口を開けた。

 振り上げられた大きな拳は明の足下へと突き刺さり、地面を穿った。衝撃で舞った土くれが明の視界を遮り、次の一手への反応を遅らせる。

 土煙の中で目を凝らしていた明は、気付けば目の前に迫っていた拳を、咄嗟に刀の刃を横にして受け止めた。鋭い刃に阻まれた拳は大きく弾かれ、執事がよろめいて二三歩後退する。そのまま追撃するのは危ないと判断したのか、相手が後ろへ足を着いた隙に、明は間合いの外へ逃げ出した。

「……なんで地面に穴空くの?」

 呆然と二人を見つめていた藤堂が、ゆなに問い掛けた。霊は物体には触れられない筈だ。固唾を呑んで見守っていたゆなは、唐突に話しかけられて、一瞬身を竦める。

「あのおじいさんの霊は、実体化しているのです。悪霊を使役する方々を霊飼いと呼びますが、あれとはちょっと違うのです。高屋敷の人たちは、普通の霊を使役し、悪霊を退治するのです」

「何で実体化させんの?」

「反逆を防ぐためです。霊を実体化させれば、普通の包丁だろうがなんだろうが効きます」

 藤堂に説明するゆなの目の前で、再び砂煙が舞った。明は姿勢を低くし、抜き身の刀を執事の足に向かって繰り出したが、刃が触れる寸前で避けられた。明は小さく舌打ちを漏らす。

「コウ君そいつ止めて!」

 明の怒鳴り声に反応し、藤堂の背後から守護霊達が飛び出して行く。執事は目を丸くして、腕にしがみついた子供を振り払おうと足掻いたが、彼らはびくともしなかった。

 執事に群がる子供等を見て、憎憎しげに唇を噛んでいた渚がふと顔を上げ、薄く笑みを浮かべた。

「そうは行きませんわ」

 渚は再び胸ポケットから札を取り出し、目の前に掲げた。執事の頭を掴んでいたコウが弾かれたように顔を上げ、藤堂を見る。明とゆなの顔が、同時に青ざめた。

「封印」

 弧を描いた桃色の唇が、短く発声する。瞬間、守護霊達が掃除機にでも吸い込まれるように、渚の札へと吸い寄せられて行く。

 吸い寄せられた守護霊達は、札に触れた者から順にその姿を消して行った。最後に残ったコウが悲しげな表情で伸ばした手に向かって、藤堂は思わず腕を伸ばす。しかしコウも、そのまま札の中に吸い込まれた。

 げ、と呟いた藤堂は、直後頭の中に響いた耳鳴りに、顔をしかめた。生霊に襲われた時と似た感覚だが、あちらより遥かに酷い。周りの音が聞こえなくなる程、ひどい耳鳴りだった。

「やめて! お願い返して!」

 明の悲痛な叫び声が木霊するが、藤堂の耳にはおぼろげにしか聞こえなかった。藤堂はその場に膝を着き、視界にノイズが走ったかのような、目眩にも似た感覚に耐えようとする。慌てて屈み込んだゆなが心配そうに覗き込む顔が、照明を落としたように暗い視界へ入った。

「低俗な男のくせに守護霊がいるなんて、生意気にも程がありますわ」

 勝ち誇ったような渚の声が、どこか遠くで聞こえた。

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