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透明なひと  作者:
15/75

第二章 旅立つ娘 八

 白銀が小田原と共に去った後、藤堂と明は詳しい事を話し合いたいと黒江家に誘われたが、丁重に断った。もうすっかり暗くなっていたので、このままでは夕飯を振るまわれる羽目になると思ったのだ。それは流石に忍びない。

 それよりも藤堂は、ゆなの熱い視線が怖かった。夕飯をご馳走になるならそれはそれで良かったが、それよりも、早くあの場から逃げ出したかった。しかしあろうことか、明日また二人で伺いますと明が言ったので、最早腹を括るしかなかった。その日藤堂は、憂鬱な気持ちのまま帰路についた。

 翌日藤堂は、明に尻を叩かれながら嫌々黒江家を訪れた。家主は仕事に出ていて不在だったが、ゆなはしっかり待っていた。弟子入りする本人がいなくては訪ねる意味もないから、当たり前だが。

 自営業の藤堂には曜日の感覚がないので気付かなかったが、昨日一昨日は世間的に休みだったのだ。正月と盆以外に定休日を設ける余裕のない藤堂は、羨ましくも思った。

「ゆなちゃんの霊感は、かなり強いと思いますよ」

 浄霊屋についての説明を一通り終えた明は、にこやかにそう言った。

「霊媒体質の方は普通、何の修行もなしに、自分の意思で霊を憑かせる事は出来ません」

 愛が驚いた顔をして、ゆなを見た。彼女は小さな頭を傾けて、不思議そうに明を見上げる。自覚はなかったようだ。それであれだけ暴れていたのだから大したものだと、藤堂は感心する。感心していい事ではないのだが。

 ゆなの頭には、札が幾重にも貼り付けられたヘルメットが被せられていた。愛は悪霊避けと言っていたが、それにしてもゆなの細い首が支えるには重たそうだ。

 もっとも、ゆなは幼少の頃からずっとこれを被って生活していたそうだから、慣れているのかも知れない。

「私はただの浄霊屋ですから、そういった方法は知らないので……ちょっと不安だったんですが、浄霊の方法だけなら、私にも教えてあげられます」

「済みません、重ね重ねご迷惑をお掛けして……」

 愛が頭を下げようとすると、明は慌てて顔の前で手を振り、それを制した。二人の会話に口を挟む余地のない藤堂は、先ほどから蚊帳の外だ。店番でもしていれば良かったと後悔したが、事務所長は藤堂という事になっているので、そういう訳にも行かない。親御さんへ説明しに行くのだから、所長は同行すべきだという明の言葉に負けたのだ。

 ちらちらと向けられる、ゆなの熱の籠もった視線が痛い。それを遮るように、藤堂はカップの底に残った紅茶を飲み干す。非常に居心地が悪かった。何が悲しくて、中学生の熱情の視線に怯えなければならないのだろう。

「いいんですよ! 法外な依頼料まで頂いてしまいましたし、寧ろこっちが申し訳ないです」

「お金のことは、どうかお気になさらないで」

 昨日の帰り際、藤堂の三ヶ月分の稼ぎを遥かに超える額の依頼料を、あろうことか先方から提示された。明は泡を食って断ったが、黒江夫妻は授業料だと言って一歩も引かなかった。藤堂はといえば、唖然としたまま何も言えなかった。

 押し付けられるまま受け取った分厚い封筒は今、藤堂の懐に収まっている。鳳から返金された分も入っているのかも知れないと、彼はぼんやり考えていた。何かしら考えていないと、ゆなの視線に負けそうになる。

 愛もこの視線には気付いているのだろうが、止めようとはしなかった。藤堂は漏れそうになる溜息を抑え込みながら、空のカップに視線を落とす。

「藤堂さんにも、ご迷惑をお掛けするかと思いますが」

 唐突に振られて、藤堂は面食らった。ああ、とぼやいて頭を掻く藤堂に、明が苦笑する。彼女も大分、藤堂の性格を理解してきたようだ。藤堂からしてみれば、理解されたくもなかったが。

「俺は何も出来ないんで」

 困り顔の藤堂に、それまで黙り込んでいたゆなが唐突に身を乗り出してきた。無遠慮に見上げて来る大きな目に怯んで、藤堂は椅子の背もたれに背中を押し付ける。

「藤堂さんはゆなに、つもり積もった大人の事情などを教えてくだされば」

「ないから」

 藤堂は間髪容れずに拒否したが、娘の突飛な発言に、愛の表情は凍り付いた。明が慌てて声を張り上げる。

「わ、私が全て請け負いますから!」

 明を見た愛の表情は、疲れきっていた。当然だろう。これではどちらを叱ればいいのかも、判らないはずだ。藤堂が叱られるような謂れはないが。

 前途多難である。藤堂は胸から込み上げる溜息を堪える事が出来ず、ゆっくりと吐き出した。

 まさかこんな事になるとは、思ってもみなかった。流されるまま浄霊屋になってみたら、本業である質屋の方の営業は疎かになるし、依頼人に娘は任されるし、あまつさえその娘に迫られている。身の周りの環境が目まぐるしく変わりすぎて、ついて行けていない。懐の依頼料がなければ、藤堂は逃げ出していただろう。

 客から報酬をもらって仕事をする限りは、責任を持って務めなければならない。そう頭で理解してはいるものの、藤堂は急激な変化について行けていなかった。ついて行けという方が無理だ。

 だがこれにもその内、慣れるのだろうか。慣れるのもあまり良くないような気がしていた。


 暫く愛と雑談した後、藤堂と明は黒江家を出た。明は明日迎えに来ると約束したが、ゆなは少々不満そうだった。藤堂に迎えに来て欲しかったのだろう。しかし藤堂は何も言わなかったし、明も苦笑いするばかりだった。

「藤堂さん、もてるね」

 帰路について早々明がにこやかに放った言葉に、藤堂はがっくりと肩を落とした。

「中学生にモテてもねえ……」

 ぼやく藤堂を、明は声を上げて笑う。

「いいじゃない、女っ気ないよりは」

「あのね、俺これでも昔はそれなりにモテたのよ。今じゃ見る影もねえけど」

 自分で言っておいて悲しくなった藤堂は、憂鬱な溜め息を吐いた。二十代半ばを過ぎてから、自虐的な発言が増えたように思う。これも老化の一種だろうか。

 明は朗らかに笑って、風に靡いてふわりと浮き上がった襟を押さえた。プリーツのスカートが翻って白い太腿が露わになるが、そちらはあまり気にしていないようだ。目のやり場に困り、藤堂は彼女から視線を逸らす。

「大丈夫だよ。藤堂さん、まだ若いんだから。その内いい人が現れるって」

「そうだといいけどね」

 そうは言っても日々生きるのに精一杯で、色恋にかまけていられる程、藤堂には余裕がなかった。心にも生活にも、今は蟻一匹入り込む隙間がない。対して財布の中身は余裕ばかりで、溜め息を吐く回数も増えるというものだ。

 それにしても何故、明に恋愛相談をするような会話になっているのだろうか。こんな話をする気などなかったのだが、気がついたら明に乗せられていた。

「でも分かるなあ、なんとなく」

 藤堂は僅かに眉を顰めて渋い顔をした。明が笑って、彼の背中を軽く叩く。

「藤堂さん、いい人だし。自分の意思ないけど」

「一言余計」

「あはは。年上に憧れるっていうか、そういうのじゃないかなあ。大丈夫大丈夫」

 何がどう大丈夫なのか、藤堂には分からなかった。そもそも何故、一回りは年の離れた娘に慰められているのだろう。藤堂は別に、もてない事を憂えている訳ではない。

 惚れたはれたというのは、どうでもいい範疇の事ではある。問題は相手が中学生であることと、父親が娘を溺愛していること。このままの調子でいたら、ゆなの弟子入りも破算になってしまうのではないかと、藤堂は心配している。

「霊媒師になりたいっていうのも、憧れなのかもね」

 明に視線を戻すと、彼女は真っ直ぐ前を見ていた。幼さの残る頬のラインも、微かな濁りすらない澄んだ瞳も、藤堂にはやけに眩しく見える。

「周りが見えなくなるんだよね。私もだけど」

「それよりはもうちょっと、個人的な問題じゃねえの? あの子の場合」

「どんな?」

 聞き返されて、少々困った。余計な事を言わない割に、たまに口を開くと自分の首を絞めるような発言しか出来ない。

 不器用なのだ。不器用で口下手で要領も悪い。それを愚痴ると友人は、男なんて皆そんなものだと笑う。しかし藤堂は少なくとも、自分以外の人間を不器用で口下手だなどと思った事はない。

「自尊心っつーか。負けたくなかったんだろ、霊に」

 ふうん、と鼻を鳴らして、明は納得の行かないような表情を見せた。結局、奇麗事が好きなのかも知れない。擦れた藤堂には、少女を納得させられるような台詞は、永遠に吐けないだろう。

「憧れ、ねえ……」

 藤堂は反芻するように、それでいて素っ気なく、ぽつりと呟く。

 それは、藤堂がなくしたものだ。歳をとるにつれて、少しずつ失って行ったもの。欲しくはなかったが、時折思い起こして懐かしく感じるような、その程度のものだった。

 干からびた彼には、それが恐ろしいほど眩しいもののように感じられる。恥ずかしげもなく恋愛を語る明から目を逸らしたのも、その姿が眩しく見えたからに違いない。

 藤堂には明のような若さもないし、希望もない。常に何かを諦め、それを悔いる事もなく、淡々とした日々を過ごしている。今に始まった事ではなく、昔からそうだった。明と同じ位の歳の頃からどこか達観して、何かに憧れる事も自身の未来に希望を抱くこともなく、なるようにしかならないと斜に構えていた。

 だから尚更、明が眩しく見えるのかも知れない。大人からすれば下らない言葉を恥ずかしげもなく口にし、誰かを救う事に躍起になる。誰かの夢を叶えてやろうとさえする。そして憧れがあり、強い意思がある。

 自分には何もない。意思もなければ甲斐性もないし、夢もない。そう考えると、藤堂には明と肩を並べて歩いている事が、不思議に思えた。

「……藤堂さんはさ、まだ若いよ」

 出会ってから何度言われた台詞だろう。藤堂は目を細めて、怪訝な表情を浮かべる。時々この娘は、藤堂の心を読んだかのような言葉を口にする。

 それが、自分が求めていた言葉であるのかどうかは、藤堂にも分からない。けれど少しだけ、心が軽くなったように思えた。

「そーね。バリバリ働きますか」

「たまには休んでね」

 明は笑って、また藤堂の背中を叩く。この手が押してくれるならこのまま進むのもいいと、藤堂は少し、口元を緩めた。

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