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透明なひと  作者:
13/75

第二章 旅立つ娘 六

 見る者に威圧感を抱かせる黒塗りの車から降りてきたのは、見事な銀髪の女だった。すらりとした長身を黒のスーツで包み、長い髪を夕刻の冷えた風に靡かせている。

 白い細面に凛々しくつり上がった眉と、切れ長の目。整った顔立ちからはしかし、髪の色もあってか冷たい印象を受ける。色素の薄い瞳が小田原を見据えると、彼は小さく悲鳴を上げた。

「その子はそこの浄霊屋に任せろ。お前は手出し無用だ」

 女にしては低い声が冷たく告げると、小田原はゆなを押さえたまま身を竦ませた。

「しかし、課長……これは、当支店が請けた件です」

 課長だったのか、と藤堂はどうでもいい事を考えた。初対面の時は気付かなかったが、よくよく見れば彼女のスーツの襟には、鳳の社員章が付けられている。

 白銀がゆっくりと近付いて来ると、小田原の表情が明らかに強張った。彼女は藤堂の横を通り過ぎる際、軽く目礼する。覚えていたのだろうか。

「依頼を請けたのは確かに東京南第三支店だが、お前はもう社員ではない」

 小田原の表情が凍りついた。彼に押さえつけられたままのゆなは、不思議と抵抗しなくなっている。この威圧感の前では、悪霊も黙るより他ないのかも知れない。それよりも、白銀に熱い眼差しを送ったまま黙り込んでいる明の方が、藤堂には不気味に思えた。

「人事部長から連絡があった。この件について、最終的な決定権は私にある。お前は黙っていろ」

 白銀は明に視線を向けて、僅かに頭を下げた。明がびくりと肩を震わせる。

「うちの者が邪魔をして済まなかった。今の内に、浄霊を」

 落ち着いた声が告げてからも、明は暫く硬直したまま動かなかった。白銀が怪訝に眉を顰めるのを見てやっと、我に返る。

「と、藤堂さん、メガネ!」

「は?」

 裏返った声で明が叫ぶと藤堂は一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに得心が行って、胸ポケットから眼鏡を取り出した。しかし何故掛けなければならないのかと、藤堂は考える。黒いセルフレームの眼鏡を掛けた藤堂を見て、白銀は何故か意外そうに眉を上げた。

 レンズ越しに、藤堂はゆなを見た。こちらを睨みつける目は相変わらずだが、その背後にどす黒いものが渦巻いているのが見える。昨日は何も見えなかったから、小田原が何かしていたのが効いたのだろう。

 白銀は数歩下がり、ゆなから離れた。明がバットの先端に手を掛け、刀を引き抜く。小田原が薄い眉を上げ、白銀は目を細めた。

「藤堂さん、こっち来て。小田原さんだっけ?」

 明は視線を落として小田原を見ると、軽く顎を上げた。おかっぱの黒髪がさらりと揺れる。

「子供達が押さえたら、すぐに退いて下さいね」

 公園に設置されたライトの光を反射して銀色に輝く刀身へ視線を注いだまま、小田原は無言で頷いた。明はそれを見ると同じように頷いて、再び藤堂を振り返る。

「コウ君、出来る?」

 明が口にした名前が誰のものなのか、藤堂は知らなかった。少なくとも藤堂の名前ではない。しかし藤堂の背後からは、肯定の声が聞こえた。これも、聞き覚えのある幼い声。

――だいじょうぶだよ、おねえちゃん。

 確かに、そう聞こえた。そして声の主たちは藤堂の背後から一斉に飛び出し、ゆなの体に纏わりつく。子供達は藤堂と違って、聞かずとも何をすべきか分かっているようで、少女の背後の黒い靄を小さな手で掴んだ。

 ゆなの口から、悲鳴が上がる。暫し呆然としていた小田原は、その声が響いた瞬間、慌てて飛び退いた。

 子供らの手が、少女に取り憑いていた霊をずるずると引きずり出していく。それはやっぱり灰色に変色した手だったが、昨日のように幾つも這い出して来る訳ではなかった。

「それが本体だね。そのまま掴んでて」

 干からびた手が、何もない虚空を掴むような仕草をする。明は構わず刀の先端を掌に突きつけ、表情を消した。

「何があったのか知らないけど、しつこいよ。浄化するから、ちゃんと成仏してよね」

 言いながら、明は灰色の掌に刀の先端を埋める。骨張った指先に力が入って慄き、刀身が腕の方へと刺し込まれて行くにつれ、灰色だった肌の色が白く変化する。

 見開かれていたゆなの瞼が、ゆっくりと閉じて行く。それが完全に閉じられると同時に、白く変わった腕から力が抜け、霧に隠されるかのように消えて行く。藤堂の守護霊達はそれを見届けると、それぞれ顔を見合わせて、満足そうに頷いてから姿を消した。藤堂の下へ帰ったのだろう。

「ゆな!」

 背後から聞こえた悲鳴じみた声に振り返る藤堂の横を、愛が駆け抜けて行った。黒江も慌ててゆなに走り寄る。両名共、ひどく緊張した面持ちだった。

 地面にためらいもなく膝を着いた愛は、険しい表情のまま娘を抱き起こして呼吸を確認すると、深く息を吐いた。ゆなの小さな頭に頬を寄せ、目を閉じる。大事な宝物を抱きしめるような、いとおしげな仕草だった。

 彼女は暫くそうしていたが、やがてゆっくりと、明を見上げた。

「もう、大丈夫なんですよね?」

 明は愛に向かって笑いかけ、大きく頷いた。愛は安堵したように再び息を吐き、顔を綻ばせて行く。

「ありがとうございました」

 愛は娘を抱き締めたまま、明に向かって深々と頭を下げた。妻子の傍らにしゃがみ込んだ黒江は、安らかな表情で目を閉じるゆなを見て微笑んでから、同じく頭を下げる。しかし顔を上げたところで見慣れぬ人物が視界に入り、怪訝な顔をした。

「あの……そちらの方はまさか」

 愛がつられて、夫の視線の先を見る。そして今気付いたとでもいうように、口元に手を当てた。

 神妙な面持ちで家族を見守っていた白銀は、唐突に振られて目を丸くした。藤堂はなんとなく蚊帳の外のような気がして、輪から少しだけ離れる。所在なげに佇む小田原と目が合ったが、気まずくなってすぐに逸らした。お互い居辛いようだ。

「済みません、申し遅れました。鳳コーポレーション本社よりお詫びに参りました、白銀と申します」

 静かに言って、白銀は夫婦に向かって深々と頭を下げた。恐ろしく姿勢がいい。

 黒江夫婦は驚愕の表情を浮かべて、顔を見合わせる。

「し、白銀? あの、白銀さんですか?」

「本物?」

 夫婦が口々に言うのを聞いて、白銀は苦笑した。そこまで有名だったのかと、藤堂は無知な己を恥じる。明は刀をしまうのも忘れ、相変わらず白銀に熱い視線を送っていた。

 何やら明が怖い。つい一週間前の暴走ぶりを考えると、何を言い出すか分からない。

「この度は、弊社の者がご迷惑をお掛けしました。先日お振込み頂いた依頼料は、全額お返し致します」

「な!」

 これには藤堂も驚いたが、小田原はそれ以上に驚いたようだった。驚愕の声を上げた元部下を肩越しに振り返って睨み、白銀は冷たく言い放つ。

「お前は口を出すなと言っただろう」

「し、しかし私は何も……」

 白銀が双眸を細くすると、小田原は息を呑んで黙り込んだ。傍目に見ているだけでも背筋が伸びる思いがするのに、実際睨まれたらそれどころでは済まないだろう。

「これから本社へ行って、社長に直談判させてやっても構わないんだ、同じ言い訳を社長の前で吐けるならな。解雇で済むだけ有難いと思うがいい」

 解雇で済まない時はどうなるのだろうと藤堂は思ったが、白銀の迫力を前にして、口を挟む勇気はなかった。小田原は暫く黙り込んで上司を睨んだ後、がっくりと肩を落とす。

 やはりこの男は明が怪しんでいたように、解雇されるだけの事をしていたのだろう。実際の所それがなんなのか気になりはしたが、まさか社内の事情を聞くわけにも行くまい。

 結局藤堂は、何も口を出さなかった。この場に留まり続けているのも妙なので、帰ってしまおうかと視線を移した所で、白銀と目が合う。厳しい表情を浮かべていた彼女は、眉間に篭もっていた力を緩めて二三度忙しなく瞬きした。

 思わず身を強張らせた藤堂を見て、白銀は口を開きかけた。しかし言葉を発する前に横からの衝撃を受けて全身を震わせ、口を噤む。流石に驚いたようで目を見張った彼女は、ぶつかって来たものを確認すべく視線を落とした。

「白銀様、本物ですよね本当に本物なんですよね!」

 白銀の腕に取り付いていたのは、大きな目をきらきらと輝かせた明だった。やっと我に返ったようだが、藤堂の目から見ると、我に返る前の方がまともであったように思える。

 長身の白銀を見上げ、彼女は掴んだ腕を胸に抱きこんでいる。藤堂の表情が引きつったが、白銀は微苦笑を浮かべて頷いた。慣れているのかも知れない。

「ああ、私ずっと好きだったんです! 抱いて下さい」

 言い放った本人以外の全員が、一様に硬直した。流石に白銀もこれは予測していなかっただろう。藤堂には己の顔から血の気が引いていく音が、聞こえたような気がした。

 白銀は僅かに身を引き、明を困ったような顔で見下ろしていた。なんと答えていいのか判らないといった表情だったが、藤堂の位置からは、その頬が僅かに赤らんでいるように見えた。

「ああ……いやその……ええと」

 口ごもりながら、声望高い退治屋は目を輝かせる少女から視線を逸らした。そして何故か、藤堂を見る。助けを求めるような目だった。

 しかし藤堂にも、なんと言って明を止めればいいのか判らない。無論明とて本気ではないだろう。そう思いたい。それよりも僅かな変化ながら、赤面した彼女を意外に思う。

 場が一瞬、静まり返った。

「何故成仏させてしまったのです」

 弾かれたように、白銀が声のした方へ顔を向けた。明は彼女の腕を抱き締めたまま、顔を強張らせる。

「ゆなは一言も、あのひとを成仏させてくれとは、言っていないのです」

 それは少女本来の、愛らしい声だった。しかし全員が全員、彼女の両親までもが、再び凍りついた。

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