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透明なひと  作者:
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第二章 旅立つ娘 四

 黒江家を出てから延々と鳳への悪態を吐いていた明は、調べてみると言ってそのままどこかへ行ってしまった。何を調べるのだろうと藤堂は思ったが、下手に口を出してまた連れ回されるのも嫌だったので、何も言わずに見送った。

 その後藤堂は真っ直ぐ店へ戻ったが、明は閉店時間を過ぎても、帰ってこなかった。

 翌日昼過ぎに事務所に現れた明は、ひどく疲れた顔をしていた。珍しい事だと藤堂は思ったが、そういう日もあるだろう。また昨日のように延々と愚痴を吐かれるのではないかと懸念していた彼は、寧ろほっとした。ただでさえ腹がくちて眠くなるような憂鬱な時間帯に、他人の愚痴など聞きたくはない。

 そもそも明は、話が長い。懇切丁寧に説明してくれるのは有難いのだが、用語の分からない藤堂の頭には、上手く入ってこない。更についでに長々と吐き続ける愚痴は、迷惑でしかないのだ。

 何も聞かずに煙草を吹かす藤堂を見て、明は安心したような笑みを浮かべた。聞かれたくなかったのだろう。

 おはようとだけ言って、明は藤堂の横に置かれた椅子へ腰を下ろす。そういえば明の私服姿は見た事がないと、藤堂はぼんやりと考えた。

 相変わらず、暇だ。そろそろ冷やかしぐらい来てもいいのではないかと藤堂は思うが、冷やかしにだけ来られても困る。冷やかしついでに、何か買って欲しい。

「やっぱりあの子ね、なんか変だよ」

 挨拶をしてからずっと黙り込んでいた明は、唐突にそう切り出した。藤堂は気のない表情のまま、彼女へ顔を向ける。

「あんな強い悪霊が一ヶ月も憑いてたのに、あの脆弱な術で何の障害もなく剥がせたなんて、信じられない」

「でも、時間掛かってただろ」

「霊が強ければ時間はかかるよ、高等な術じゃないんだから。あの子……ゆなちゃんだっけ。あの子に、影響が出てもおかしくなかった。ううん、出てなきゃおかしいの」

 藤堂が首を捻ると、明は呆れた溜息を吐いた。既に昨日の講釈の内容さえ、すっかり頭から抜けている。それどころか藤堂は、昨日の夕飯のメニューさえ覚えていない。つい数秒前に自分が言った事さえ、忘れることもある。

「昨日説明したじゃない。あのね、憑かれると時間が経つにつれて、霊体と魂が融合して行くの。だから無理矢理剥がすと、どっちかに傷が付く」

 藤堂にとっては、何もかもが初耳だった。霊媒師はよく平気でいられるものだと思うが、だから訓練するのだろう。知れば知るほど、質屋とはなんと楽な職業なのだろうと思う。無論質屋としてやって行くのにも、それなりの努力は必要だが。

「でも生きてる人の魂の方が弱いから、傷つくのは必ず、取り憑かれた人の方なんだよ」

 藤堂なら間違いなく疑問を抱く事もなく、傷つかなくて良かったと、そう思ってしまうだろう。おかしいと思うのは、明の感性が若いからか、鳳への私怨が混じっているからなのか。それとも世間一般的には、そう思われるのか。一般的な見解さえ持ち合わせていない藤堂には、考えても分からない。

「それが、どうなの」

 煙草を揉み消しながら、短く問う。明は一瞬訝しげに表情を歪めたが、暫く考えると合点が行ったようで、ええと、と呟いた。

「だから、あの子分かってて取り憑かせてたんじゃないかって事。当人の意思で霊を操って憑かせたなら、融合はしないから」

「分かってて?」

 今度は藤堂が怪訝な声を漏らした。悪霊と分かっていて憑かせた、という事だろうか。しかし。

「でも、理由がわかんないよね。そんな事しても、なんの意味もない」

 明は俯いて、考え込むように顎に指先を当てた。藤堂も頷く。

 悪霊をわざわざ取り憑かせたのだと考えると、妙な話になってくる。憑かれて変わる事といえば人格ぐらいのもので、更に当人の意思で動けなくなるから、得はない筈だ。ゆなが憑かれたのではなく憑かせたのだとすると、何を目的としたのかが問題となる。

 もしそうだとするなら、憑かれる事自体が目的だった訳ではないのだろう。憑かせて一体、何をしようとしたのか。

 小娘の考えは分からない。藤堂は片手で煙草を箱から抜き取り、唇に挟みながら独りごちる。そもそも藤堂には女心が分からない。元々鈍いのだ。

「反抗かなあ……」

 明がぼやくとほぼ同時に、自動ドアが開いた。慌てて姿勢を正した明は、来店した女の顔を見て黙り込む。視線を上げてそちらを確認すると、藤堂は残念そうに肩を落とした。

「何よ嫌そうな顔して、失礼ね。こっちは客よ、一応」

 むっとした口調で言う新藤祐子は、真っ直ぐにカウンターに近付いて来る。銜えたまま放置されていた煙草に火を点けながら、藤堂は軽く肩を竦めた。明が訝しげに藤堂を見る。

「誰が客よ、何も買った事ねえくせに」

 地黒の肌に、赤みがかった茶髪。両目の間が狭く彫りの深い顔立ちの為か、藤堂より年上だと言う割に若々しく見える。肉感的な体はスーツで被われているが、ワイシャツの胸元は大きく開けられており、深い谷間が覗いていた。

 祐子は明の顔をしげしげと眺めてから、表情を硬くした。明は何故か身構える。

「あんた、いくら女っ気ないからって女子高生は……」

「ちげーよ、なんでそうなるんだよ」

 呆れた声で突っ込むと、祐子は朗らかに笑った。

「冗談よ。零感質屋が事もあろうに、浄霊屋なんて始めたって言うから冷やかしに来たんだけど、藤堂君が浄霊するワケじゃないみたいね」

「そりゃそうだ」

 祐子はくっきりとした二重瞼の目を大きく開いて、明の顔を覗き込んだ。

「可愛い、市松人形みたいね。この人どう? 喋んないでしょ」

 意図の酌みづらい比喩で明を褒めた祐子は、藤堂を指差して楽しそうに言う。明は曖昧に笑い返し、頷いた。完全に圧倒されている。

 藤堂は祐子に向かって虫でも追い払うように手を振ると、銜え煙草のまま頬杖をついた。

「若い子イジメんなよ。歳?」

「イジメてないわよ。女に歳の事言うもんじゃないわよあんた、ほんとデリカシーないんだから」

 追い払われて明から顔を離し、祐子は怒ったように眉をつり上げた。藤堂は鼻で笑う。悪態を吐き合うなどいつもの事だが、そんな事など知らない明は困り顔だった。店主が客と軽口を叩き合っていたら、明でなくとも困惑するだろう。

 きっかけは、よく覚えていない。藤堂がこうして祐子と戯れるようになったのがいつからだったか、それすらも記憶していなかった。彼は不必要な事はすぐに忘れるし、覚えていようともしないが、それで困る事はないと思っている。

「そういえばさ、幽霊屋敷知ってる?」

 藤堂は答える代わりに首を捻った。黙りこくっていた明が唐突に身を乗り出し、祐子を見上げる。

「場所、分かるんですか?」

 明の問いかけに、祐子は意外そうに目を丸くした。

「知らないわよ。人づてにウワサ聞いただけ。……なあに、場所探してるの?」

「あ、いいえ……ひどいって聞いたから」

「結構有名なのかな。でも、アタシも場所は分かんないから。ゴメンね」

 祐子は困ったように眉根を寄せ、腕を組んだ。思案するように視線を流す彼女を見て、女というのはどうしてこう、身にもならないような噂話が好きなのだろうかと藤堂は考える。

「それが何?」

 藤堂が聞くと、祐子は思い出したように視線を彼へ向けた。

「ああ、それがね、近隣の町内会でお金集めて、除霊屋頼もうとしてるっていうのね。でもそんな事、公表出来ないでしょ。地域全体に悪い噂立っちゃうから」

 除霊屋というのは、退治屋と浄霊屋、更に陰陽師を加えた三つの職業の総称だ。人や物に憑いた霊を取り除き、その上で退治や浄霊をするからそう呼ぶ。藤堂は明に説明されるまで、除霊屋という職業があるものと勘違いしていた。

「人の噂はすぐ伝わるモンだからな」

「そう。だからどこの町内会なのか分かれば、あんたんとこが申し出たらいいんじゃないかと思ったんだけど……そっか、そっちも知らないのか」

 残念そうな祐子の顔を見るでもなく眺めながら、存外お節介焼きだと藤堂は思う。姉御肌で心配性だから、貧乏な藤堂の生活を少なからず気にしているのかも知れない。間違いなく年下に好かれるタイプだろう。

 横目で明の様子を窺うと、何やら思案するような表情を浮かべていた。場所が分からないのなら、手の出しようもない。けれど、調べれば分からないでもない筈だ。自治体が包み隠しているなら、容易ではないかも知れないが。

 そこまでして金が欲しいかといえば、そうでもない。藤堂は明日の食い扶持に困らなければそれでいいし、恐らく明も同じだろう。彼女が気にしているのは恐らく、被害を受けている住民のことである筈だ。

「ま、依頼がありゃやるよ。メイが」

「他人任せねえ。でもま、大口の依頼なら鳳に行くんじゃないの? その道で一番有名だし、世間的に信用もあるし」

 明の表情が険しくなった。鳳の名は、今の明にとっては禁句だ。

「ああ……そーね」

 当たり障りのない返答をして、藤堂は煙草を灰皿に押し付ける。ステンレス製の灰皿には薄く水を張ってあり、火の吐いた先端が水面に触れると、じゅ、と小さな音を立てた。

 火を消して間をおかず煙草の箱に手を伸ばすと、祐子が顔をしかめた。

「あんた、吸いすぎ。早死にするよ」

「幽霊避け」

「浄霊屋が何言ってんのよ……あれ」

 スーツの内ポケットで振動する携帯電話を取り出し、祐子は液晶を見る。メールだろうかと考えながら、今し方注意されたにも関わらず煙草に火を点ける藤堂の目の前で、祐子の表情が段々と渋いものへ変わって行った。

 不満そうに唇を尖らせた祐子は、元通り携帯をしまった。鞄を抱え直し、彼女は藤堂に笑いかける。忙しく表情の変わる女だ。

「呼び出されたから行くわ。じゃーね、頑張って」

「あー頑張る頑張る。メイが」

 手を振る祐子にやる気のない声を掛けながら、藤堂は追い払うような仕草をした。店を出て行く背中を見送った後、明に視線を落とした藤堂は、訝しげに片眉を寄せる。

「メイ?」

 藤堂の怪訝な呼びかけにも、明は俯いたまま顔を上げなかった。まだ幽霊屋敷の事を考えているのだろうか。

「あの人……」

 そう言って口ごもった明は、再び顔をしかめる。何かを思い出そうとしているようにも見えた。

「何よ。うちの常連だって言ったろ」

「それは分かるけど……」

 明の携帯が鳴った。カウンターの上で振動する携帯を掴み、暗い表情のまま、明は電話を取る。

「……え、黒江さん?」

 一瞬、謝罪の電話だろうかと藤堂は思った。しかし曇っていた明の表情が徐々に驚愕へ変化して行くのを見て、何事かと訝る。明は相槌を打つばかりで、会話の内容は予測できなかった。

 何かあったのだろうか。段々と青褪めて行く明から視線を外し、藤堂は時計を見る。時刻は、午後四時をとうに回っていた。そろそろ閉店しなければならない時間だ。

「分かりました、行きます」

 藤堂は目を丸くして、再び明を見た。電話を切った彼女の顔色は、蒼白になっている。

「どうしたの」

「ゆなちゃんが……」

 呆けたように呟いた後、明は自分の声を聞いて我に返ったかのように、慌てて立ち上がった。藤堂はカウンターの内側から出た明を、視線で追う。

「ゆなちゃんが、また憑かれたって。行かなきゃ、藤堂さん」

 明はカウンターの脇に立てかけてあったバットを取り、藤堂を促す。彼は少し迷った後、結局億劫そうに立ち上がった。

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