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第二部/序章

命をつむぐ


 真条寺家執務室。

 天井から懸架されたパネルスクリーンに渚の姿が映し出されていた。

『お嬢さまは、今日も沢渡さまのお見舞いに、病院を訪れていらっしゃいます』

『そう……。仕方ありませんね』

 本宅との定時連絡の時間だった。

 日本とブロンクスとに分かれて暮らす、梓と渚との母娘の交流をはかるために設けられた時間であった。


 しかし今は、麗香が梓の近況を報告する機会に変わっていた。

『それで慎二君の容体はどうなの?』

『一進一退でございます。危篤状態から未だ脱却できておりません。実際生きているのが不思議なくらいで、日頃の鍛錬の賜物というか、その強靭な精神力が辛くも命を支えているものと思えます』

『それがいつまで持つかが問題ね』

『はい、その通りでございます。熱傷治療では有名な札幌医大の医療チームにもお越しいただいております』

『ああ、昔サハリンの五歳の男の子を治療したという……』

『こちらでできる限りのことは致しておりますが、何せ熱傷部位が七割にも達しており、かつ三度の重症もかなりに及んでおりまして、皮膚移植だけでは間に合いません』

『動かすことさえできれば、設備もスタッフも揃ったこっちの救命救急医療センターに、搬送するんだけど。危篤状態を脱して移送が可能になったら、すぐにでもこちらに運びましょう』

 国際救急救命医療センター。

 それはニューヨークにある広大な真条寺家ブロンクス本宅の敷地内、私設国際空港に隣接されて設立された病院である。悲惨な結果をもたらす航空機事故などに対応できるような、最新の設備とスタッフが揃っており、私設空港隣接という立地条件を活かして、ビザなし渡航による国際救急救命治療を可能にしていた。

 そして「空飛ぶ病院」と異名される専用の救急医療用ジャンボジェット機を待機させている。大地震などの世界中で起こった災害に即対応できる体制が整えられているのであった。

『ともかくも梓の命を救った恩人です。真条寺家の全力を挙げて治療に専念しましょう。世界中から医療スタッフを集めましょう』

『よろしくお願いします』

『日本事業本部の業務はすべてこちらで手配します。あなたには、梓のそばにいて、精神面のフォローをお願いします』

『はい。かしこまりました』


 連絡通話が終わった。

 麗香は、ため息をついてから端末を操作した。

 パネルスクリーンはするすると上がって、天井内に収まった。

「さてと、お嬢さまのところへ戻りましょうか」

 しかし……。

 麗香はいぶかしげだった。

 梓が、自分に内緒で研究所に通っていたということである。

「わたしに話せない秘め事があるということか……」

 誰しも隠し事の一つや二つはあるものだ。麗香だって梓に内緒にしていることはある。だからあえては問いただすようなことはしたくないが、ただ場所が生命研究所の地下施設ということが気がかりだった。

 生命科学研究所は梓が日本に来て事故にあい、最初に入院したところだ。

 仮死状態から蘇生させるために、一時期地下施設に運ばれたことがあったが、研究者以外立ち入り禁止で、母親の渚ですらその蘇生には立ち会いを許されなかった。極秘裏の何かが行われて蘇生が成功して戻ってきた。

 もしかしたら……そのことと関係があるのだろうか。

 確かにお嬢さまは、仮死状態から復活した。

 その後のお嬢さまは、少し男の子っぽい性格になっていたが、仮死状態で脳障害を多少なりとも受けているはずだから、それも仕方のないことだと医者から説明を受けた。

 研究項目にクローン開発部門もあるはずだが、実は戻ってきた梓お嬢さまがクローンだったなんてことはあり得ない。記憶は間違いなく梓お嬢さまのものだし、困った時につい髪を掻き揚げる独特の癖や、お嬢さま育ちの自然な仕草まで、完璧にクローンすることは不可能なはずだ。ましてやほんの数日でクローンを作成できるはずもない。

 間違いなく本物の梓お嬢さまであって、クローンではないと確証できる。

「だとしたら何の用があったのかしら……」

 詮索するつもりはないとはいえ、やはり気になるものだ。



 その頃、梓は付属病院のICUに収容された慎二を見舞っていた。

 感染対策と酸素供給のための特殊な無菌酸素テント内に隔離されたベットの上で昏睡状態の慎二がいた。

 熱傷患者には、熱傷による直接のショック状態の他、皮膚呼吸ができないために酸素供給不足となることが懸念される。

 本来なら一般人は入室などできないのだが、梓ということで特別に許可されていた。もちろん無菌テント内用の完全滅菌された治療スタッフ用のユニフォームを着込んでである。

「お嬢さま、少しはお休みになられないとお身体にさわりますよ」

 看護士が心配して気を遣っている。

 あの日以来ずっと見舞いに来ていた。

 学校が終えてすぐに来院し、夜に麗香が迎えにくるまで、ずっと慎二のそばで見守っていた。

「いいの……。この命は慎二に助けてもらったもの、もし慎二が死んだら……」

「滅相なことおっしゃらないでください! この方がせっかく命がけで炎の中から助け出してくれたお嬢さま。命を粗末に考えてはいけませんわ」

「……そうね。そうかも」

「この病院には熱傷治療のスペシャリストが揃っているんです。心配はいりませんよ」

「うん……」

 確かに最新治療という点では、最新機器とスタッフが揃っているのは知っている、とはいえ慎二のあの悲惨な状態を目の当たりにすれば、果たして看護士の言うとおりに助かるとは限らない。確立はかなり低いことが想像できる。

「お嬢さま、麗香さまがお迎えに参りました」

 振り返るとICUのガラス窓の外に麗香の姿があった。治療スタッフ以外は入室禁止のために外で待機しているのだ。

「わかった……」

 いつまでも慎二のそばに寄り添っていたいが、自分がいてもどうなるまでもなく、致し方なく退室する梓。

「いかがですか?」

「相変わらずよ」

「そうですか……」

「何とかしてあげたいけど……」

 それっきり黙りこんでしまう梓。

 麗香もそれ以上は尋ねなかった。

 息苦しい雰囲気。

 しかしどうしようもなかった。

 これだけは神のみぞ知ることであって、二人にはなすすべがない。

 病院を出てからファンタムⅥに乗り込む。

「お母さんは何か言ってた?」

「はい。沢渡さまのこと、真条寺家の全力をあげて治療を施すと仰られていました。重篤状態を脱して移送が可能になったら、ブロンクスの救命救急センターにて、皮膚移植から形成手術に至るまで、全世界から寄せ集めた名医によって最新治療をなさる手筈を整えていらっしゃいます」

「そうなの……。わかった、ありがとう」

「いえ……」

 しばらく押し黙っていたが、ぽつりと話し出す梓。

「なんでかな……あたし、慎二のこと、こんなに心配してる。今までこんな思いしたことがないよ」

「それは沢渡さまのこと、好きだからではありませんか?」

「会えば喧嘩ばかりしているのに?」

「喧嘩するほど仲が良いというじゃありませんか。それになにより沢渡さまにとっては、命を掛けて助け出してくれるほど、お嬢さまのこと大切に思ってらっしゃるのですから」

「そうよね。命がけで救ってくれたのよね」

「はい」

「炎の中でね、『死ぬときは一緒だよ』って言ってくれたんだ」

「そうでしたか、そんな沢渡さまがお嬢さまを残して逝ったりしませんよ。必ず助かります」

 麗香とて確証などなかったが、そう言って慰めるしかなかった。

「そうだね。そう信じるしかないよね。慎二のことだもの、必ず助かるよね」

「はい。その通りでございます」


 一ヶ月が経った。

 慎二は、一進一退を繰り返しながらも、強靭的な体力をみせて、意識不明ながらも徐々に回復の兆候をみせていた。

 そしてついに移送可能なまでに回復し、医療スタッフと設備のより整ったブロンクスの救急救命センターへと移送が実施された。

 もちろん梓も同行して渡航した。


 ブロンクスへ運ばれた慎二は、全世界から選りすぐれた名医と、世界最高水準の治療が施された。 日本国内ではできない高度な治療だ。

 真条寺家の全力を挙げた治療と、梓の献身的な介護によって、慎二は奇跡的な回復を見せていた。

 生死を分ける皮膚呼吸を取り戻し、細菌感染を防ぐ緊急皮膚移植。創傷と顔の筋肉の引き攣れを修復する形成外科手術。そして以前の表情を取り戻す整形外科手術と、回復の状況に即した治療が段階的に施されていった。

 そして、ついに慎二は退院を迎えることになったのである。


序章 了

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