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終章・生命科学研究所(七)

(七)慎二登場!


 その頃、梓は火に囲まれて身動き取れない状態だった。

 幸いにも、研究室の片隅に置かれていた酸素ボンベとマスクを見つけて、それを口に当てて呼吸を確保していた。とはいえ出口は火の海、他に逃げ場はないかと探したものの、どこにも逃げ道はなかった。

「ふふ。さすがに生命研究所だけあって便利なものがあったけど……。八方塞がり旧態依然ね」

 生命の危機に陥っているというのに、落ち着いている自分を意外に思っていた。

「そういえば、飛行機事故の時もそうだったっけ……」

 燃料切れで墜落するかもしれないと伝えられた時のことを思い出していた。

 一度死んだことのある梓にとっては、すでに死の境地を乗り越えて、精神的に解脱していたのかも知れない。

 そしてさらに思い出したことがあった。

 潜水艦を襲ってきた駆逐艦隊と、背後にある組織の影である。

「まさか……。この火事も、あたしを亡きものにしようと組織が放火した……と考えた方がいいわね」

 火の回りが速すぎるのが、その推理の根拠だった。

「油かなんか撒いてから、火を点けたんだろうね……」

 その行為もさることながら、その気配を察知できなかった、自分が不甲斐なかった。

「精神修養が足りないわね」

 武道に生きる者としての、正直な気持ちだった。

「しかし……これまでかな……」

 度胸を決めて火の海を突っ切れば、命が助かる確率はあるかも知れないが、無事で済むはずがなかった。肌は火に焼けただれてケロイドとなり、見るも無残な姿となるのは必至であった。

 そんな姿を人前に晒すくらいなら、いっそこのまま誰とも判断できないくらいに、きれいに燃え尽きてしまった方がいいのかも知れない。

 美少女を自覚している梓にしてみれば、そう考えてしまうのは当然のことだろう。

「今頃、絵利香ちゃんはどうしているかな……」

 三歳の誕生日にはじめて出会った幼なじみの絵利香とのこれまでの思い出が次々と思い出されていく。まるで死にいく人間がそうであると言われるように。そしてもう一人……。

「慎二……」

 梓が自覚している唯一の異性の親友ともいうべき人物である。

 いつもまとわりついてうざったいと思うことがあるが、決して嫌味な感じではないので、それなりに好意は抱いていた。

「な、なに考えてんだか……」

 それにしても今まさに死の境地にあるというのに、自分のことではなく絵利香や慎二のことを思い出されるのだろうか……。

「そういえば……。窮地に陥った時には、いつもそばにいたり、助けにきたりしていたな」

 城東初雁高校に入学当初に出会って以来、不良グループの二つの事件、飛行機事故、洞穴遭難など……。



 その時だった。

 目の前の炎の中に、黒い影が動いた。

 かと思うと、次の瞬間にその炎の中から飛び出してきた人物がいた。

 頭部を庇っていた上着を取ったその人物は?

「し、慎二!」

「じゃーん! お助けマン登場!」

 まさしく、あのスチャラカ慎二だった。

 炎の中をかいくぐってきたせいで、髪はちりぢりになり、衣服は焼け焦げて今なおくすぶっていた。

「なんで、おまえが」

「その言い方はないだろう。命がけで飛び込んできたのによ」

「セキュリティードアはどうしたんだ?」

「うん? あのドアか? 開いていたぞ。たぶん逃げ出した奴が開けたままにしたんだろう」

「馬鹿な……」

「梓ちゃんこそ、どうして逃げ出さないんだ」

「おまえなあ……。この状況で逃げ出せると思うか? 命知らずのおまえとは違うんだ」

「そうかあ、女の子だもんな……」

 と言いながら梓の意図を理解した。そして梓が持っているマスクに気がついて、

「いいもん持ってるじゃないか。もう一つないのか?」

「ああ、これならそこの棚に入っているよ」

 梓が指差す棚から、それを持ってきて尋ねる。

「これ、どうやるんだ?」

「調整弁が付いているから、それを回せばいいんだよ。あまりたくさん開くなよ、ただでさえ火の勢いが増すからな」

「あはは、これくらいでどうなるもんじゃないだろ」

「気持ちの問題だよ」

「このボンベ一本で、どれくらい持つんだ?」

「せいぜい三十分が限度だろう」

「そうか……。後五本あるから、二人で一時間ちょっとだな」

「そんな問題じゃないだろが。この状況が判らんのか?」

 どう考えても一時間持たないだろう。

 炎が広がっているのはもちろんのこと、それ以上に室温が上がって耐え切れなくなるだろう。スプリンクラーは作動していないが、空調が回っているらしくて煙と発生した熱のいくらかはそちらへ吸い込まれている。しかし限度というものがある。背後の壁に掛かっている温度計は五十度を回っていた。

「ここにはスプリンクラーはないのかよ」

「たぶん大量の化学物質があるから、水と反応して有毒なガスが発したり、よけいに燃え上がったりするかも知れないから、あえて止めているのかもな」

「じゃあ、部屋の中に炎を避けられるようなものはないのか?」

「冷蔵庫ならあるが」

 梓が指差したそれは、薬品を冷蔵するするもので、人が入れるような容量はなかった。

「頭を突っ込めば少しは涼しくなるだろう」

「こんな時に、よくもそんな事を言ってられるな」

「気休めだよ」

「例えば地下通路への隠し扉とかないのかよ」

「んなもん、あたしが知るわけないだろう。仮にあったとしてもな」

「そ、そうだ。電話とかないのか?」

「電話かけてどうするんだ。外と連絡が取れたってどうすることもできないだろが。人助けは出前じゃないんだぞ。一応電話はあるにはあるがな」

「連絡してみたのか?」

「繋がらないよ。回線が火事で溶けて切れたのかも知れないし、或いは……」

「或いは……?」

「いや、なんでもない」

 それからしばらく炎を見つめている二人だった。

「なあ……」

 梓がつと口を開いた。

「なんだよ」

「こうなることは想像できただろうに、どうして飛び込んできたんだ。それともそれすらも判らない馬鹿なのか?」

「なあに、死ぬときは一緒と思ってな」

「よく言うよ」

 それからまたしばらく沈黙が続いた。

 炎に照らされて二人の顔が赤く染まり、暗く沈んでいる表情を明るく見せていた。

「なあ、慎二」

「なんだ?」

「おまえ、あたしのこと……好きか?」

 梓が突拍子もないことを口にした。

 しかし平然とそれに答える慎二。

「ああ……好きだよ。そうでなきゃ、こんなところに飛び込んでこねえよ」

「だろうな……」

「それがどうした? 梓ちゃんは、俺のこと嫌いか?」

「いや……好きだよ」

「そうか……それを聞いて安心したよ」

 続いて再び。

「なあ、キスしよか」

 唐突に梓が言った。

「キス?」

「してもいいよ。ほっぺでも唇でもお望みのところにね」

「遠慮しとくよ」

「そっか……。せっかく」

 再び沈黙する二人。

 今度は慎二の方が先に口を開いた。

「なあ、もう諦めたのか?」

「え?」

「だから、生き残ることだよ」

「そうだね……。正直言って諦めてるよ」

「俺は、まだ諦めちゃいないぜ」

「そうは言ってもこの状態じゃ……」

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