梢ちゃんのほのぼの日記 page.1
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真条寺家の広大な屋敷。
両手を水平に広げて飛行機の格好をして廊下を走る梢。屋敷に隣接する飛行場に発着する飛行機を毎日のように見ているので、その真似をしているのだ。
「お嬢さま、廊下を走られては危ないですよ」
通り掛りのメイドが注意するが聞こえていない。目指すは母親のいる三階バルコニーへ一直線である。
二歳九ヶ月の梢にはまだ階段はまともに登れないので、エレベーターが設置されている。実際は梓の幼児期からあったが、梢の誕生にあわせて最新型に作り替えられた。中に閉じこめられてもすぐにわかるように、前面総ガラス張りになっており、開閉する扉の隙間に指を挟んだりしないような各種の安全装置も装備されている。
背の低い梢のために専用の操作盤が設けられているが、警備室で映像と音声がモニターされているので、両手が塞がってスイッチを操作できない時でも、モニターに向かって移動したい階を告げれば、警備室から操作してくれる。
そのエレベーターに乗り込み操作スイッチを押して三階に移動する梢。三階といってもベルサイユ宮殿にも匹敵するこの豪邸である。実際には通常のビルの五階に匹敵する高さがある。
バルコニーのガーデンテーブルに腰掛け、休憩中の渚と世話役の二人。紅茶をすすり談笑している。
そこへ梢がやってくる。
「梢ちゃん、いらっしゃい」
しかし母親のいないのに気づいて、
「ママは?」
「すぐに来ますよ。おやつ先に食べる?」
「ううん。ママと一緒に食べる」
と言いながら、梓がいつも座っている椅子にちょこんと腰掛け、足をぶらつかせている。
「梢ちゃんは、ちゃんとママを待ってるのよね」
「うん」
そこへ梓がやってくる。
「ママ!」
椅子から飛び降りて梓の元に駆け寄る梢。
「梢ちゃん、お待たせ。ちゃんとおてては洗った?」
「うん、洗ったよ。ほら」
といってその小さな手のひらを梓に見せた。
「いいわ。じゃあ、おやつにしましょう」
手を引いて椅子まで行き、先に腰を降ろしてから、梢を抱きかかえて自分の膝の上に乗せてやる。そうすることでテーブルの高さが丁度良くなり、おやつを食べるのに楽な姿勢がとれるのだ。おやつの時間はいつもそうしてやっている梓であった。
「今日のおやつは、梢ちゃんの大好きなクリームパフェよ」
「わーい!」
小さな両手を拍手するようにして喜ぶ梢。
梓がメイドに合図すると、ワゴンの上の保冷容器からクリームパフェの盛られたグラスが運ばれてくる。目の前に差し出される大好きなクリームパフェだが、梢はすぐには手を出さずに、じっと梓を見つめている。
「はい。梢ちゃん、食べていいわよ」
梓が銀製のスプーンを手渡してやると、おいしそうに食べはじめる。
梓の許可なく、勝手に食べないように躾られているのだ。
クリームパフェも好きだが、梢にとっては母親の膝の上というのが、もっと大切なことであった。母親の愛情を直接肌で感じられる最上の場所にいることのほうが、幸せと感じる至上の時間なのである。母親に抱かれて食べるクリームパフェはもっとおいしい。だから先に食べることを勧められても、じっと待つことを選択したのである。
梓は紅茶をすすりながらも、時々、クリームでべたべたになる梢の口元をナプキンで拭いてやっている。
梓はこのおやつの時間を大切に考えている。
講義があってコロンビア大学に通っている時や、屋敷にいて執務中の時は決して梢を執務室に入れさせずに、面倒を専属のメイド達に任せている。すぐ近くにいるのに会えないということは、母親に甘えたい年頃の娘にとってはかなりのストレスを感じているに違いない。
だからこそ休憩時間には、梢におやつを与えつつ、膝の上で食べさせるというスキンシップをはかっているのだ。自分が母親に愛されているのを実感させ、安心させるためのものだった。
「ママ、ちょっと待っててね」
といって、クリームパフェを食べおわった梢が、梓の膝元を降りて廊下の方へ出ていった。
「また、絵本読んでね、攻撃でしょうか」
「あはは。たぶん……」
「長引くと、執務に差し障るのよね」
「でもね。今が情緒性の発達で一番大切な時期なのよ。絵本は情緒性・想像性・向学心を伸ばすには格好の題材なの。そして母娘のスキンシップもね」
「しようがないわね。グラン・マとしては、孫娘の心の発達を応援するしかないからね」
「あたしもね、幼い時分にお母さんに絵本を読んでもらった記憶がかすかにあるのよ。でも断られて寂しい思いをした記憶がない。多分あたしが絵本を読んでとせがんた時、どんなに忙しくても読んで聞かせてくれたんじゃないかな。そうでしょ、お母さん?」
「そうだったかしら……」
「そうですよ。今の梓さまと同じような事をおっしゃられてました。絵本を読んでとせがんでいる時こそ、向学心を伸ばす絶好の機会なのよってね」
梓の幼年時代を良く知る麗香が答えた。
「ところで、話しは変わるんだけど」
「なに?」
「そろそろ梢ちゃんの世話役となる人を選出しなきゃいけない時期よね」
渚が切り出した。
「そうなのよねえ。でも、恵美子さんや麗香さんみたいに、能力があってなおかつ長期に引き受けてくれる人を探すのは骨が折れるのよね」
「せっかく引き受けてくれても、結婚退職されちゃ困るわよねえ。結婚はしてもいいけど、引き続きやってくれる人でないと」
「絵利香さんはどうかしら」
「絵利香はだめ!」
「どうして? 世話役には申し分ないと思うんだけど。梢ちゃんもなついているし」
「世話役になれば、主従関係が生じるじゃない。これまで通りの交際ができなくなるわ。十八年間の親密な友情関係を失いたくないの」
「そうか……」