第二話
「え、ここ、誰の家?」
「私の家です」
「は? ここが?」
セシリアは改めて目前の館をあおぎ見た。公爵邸の壮麗さには及ぶべくもないが、優雅な作りで品がある。
「最近になって購入しました。お嬢さまを売ったお金で」
「え、ちょっとなによそれ!」
「おや、今さらそれを聞きますか。私が王太子殿下に雇われてお嬢さまの悪事を探っていたことなど、すでにご存じだったのでは? 殿下はよほどお嬢さまと離れたかったんでしょうね。大変気前よく謝礼を弾んで下さいました」
その辺の事情は察していたが、それを平然と本人に告げる神経が分からない。
(オリビエってこんな人だったかしら……)
セシリアの知っているオリビエは、いつも寡黙で無表情で、なにをされても言われても、淡々と応じるだけの人形のような青年だった。
しかし今のオリビエは慇懃無礼な物言いで、人を食ったような笑みを隠そうともしない。
「どうかなさいましたか? お嬢さま」
「別に……。それより、なぜこんな屋敷を買ったの? まさかこの家から公爵家まで通うつもりなの?」
「まさか。公爵家との雇用関係は、本日をもって終了しております。礼金の残りと、今まで貯めた給料も合わせてちょっとした元手が出来たので、事業でも始めようかと思っています。お嬢さまと一緒に学園に通っていたおかげで色々とコネも出来ましたからね」
「そ、そうなの……」
「このまま立ち話もなんですから、中へどうぞ、お嬢さま」
釈然としないものを感じたが、自分のおかげで買えた屋敷なら、遠慮するのも馬鹿らしい。利用できるものはしてやろうじゃないの。
セシリアは捨て鉢な思いで、邸内に足を踏み入れた。
ホールには趣味のいい家具調度がそろっており、床は埃ひとつなく綺麗に磨き上げられていた。
「夕食の支度が整うまで、お部屋でゆっくりなさっていてください」
「お部屋?」
「お嬢さまをお泊めするための部屋をご用意しています」
「ああ、そうなの」
事業を始めるつもりなら、客人を泊める部屋くらいは用意しておくものなのかもしれない。
セシリアは深く考えずにうなずいた。
しかし実際に通された部屋は、単なる客人用の部屋というより、明らかに身分の高い女性のために用意された部屋だった。
未婚のオリビエの家に、何故こんな部屋があるのだろう。
(まあどうでもいいわ。関係ないし……)
セシリアは疲れ切った身体を長椅子に横たえ、目を閉じた。
しばらくして、オリビエが夕食の用意ができたと呼びに来た。
メニューは鳥の香草焼きにソラマメのスープにサラダ、葡萄酒もちゃんとついていた。
「お味はいかがですか? お嬢さま」
「別に、普通よ」
「それはようございました」
「普通って言ったのよ?」
「お嬢さまの普通は美味しいと同義ですからね」
「変な解釈しないでちょうだい。……それにしても貴方もご苦労なことね。愛するアンジェラのために、こんなことまでするなんて」
「アンジェラ嬢のため? どういうことですか?」
「とぼけても無駄よ。今日私をここに連れてきたのは、逆恨みした私がアンジェラに危害を加えないように監視するためだったんでしょう?」
いつまでも騙されてばかりの主人じゃないわ、従僕の下心なんて、今の私にはお見通しよ! とばかりに見栄を切ったつもりだったが、それに対するオリビエの反応は、思いもよらないものだった。
「いえ別に。あの淫乱女がどうなろうと知ったことではございませんが」
「え?」
「ご存知ですか? あの女は王太子やその側近みんなと肉体関係があるうえ、私にまで誘いをかけてきたんですよ? 反吐が出るのでお断りしましたが」
「え……え?」
「妊娠したと言って、王太子に結婚を迫っているようですが、実際は誰の子だか分かったものではありませんね。ぼんくら王子と淫乱女が未来の国王と王妃とは。この国の将来が心配です」
「え、ちょっと待ちなさいよ。貴方アンジェラのことが好きなんじゃなかったの? ていうかあの子そんなふしだらな女だったの? ていうかそんなすごい情報、一体どこから手に入れたのよ!」
「最後の質問に関していえば、主に使用人ネットワークを通じてですね。従僕に侍女に出入りの業者といった連中ですが、特に侍女の皆さんは私に好意を持ってくださって、少し水を向けるとなんでも話していただけるんですよ。ああもちろん、私はあの淫乱女のような真似はしておりませんよ? 私は身も心も全てお嬢さまのものですからね」
オリビエはしゃあしゃあと言ってのけた。
「身も心も私のものなら、なんでその情報をさっさと伝えなかったのよ」
「その必要を感じなかったので」
「どうしてよ! 必要に決まってるでしょう? その情報さえあれば私は……!」
「婚約破棄なんかされなかった……ですか?」
「ええそうよ!」
アンジェラの正体が分かれば、さすがのジェラルドもアンジェラから距離を置くだろう。セシリアがアンジェラに嫌がらせをする必要もなくなるし、婚約破棄だってなかったはずだ。
「そしてめでたく卒業式を終えて、あのぼんくら王太子と結婚ですか。失礼ですがお嬢さま、それで本当に幸せになれるとお思いですか? 婚約者をないがしろにして、他の女にうつつを抜かすような男なんですよ?」
「それは……アンジェラに騙されてたんだから仕方ないじゃない」
「それは関係ありませんよ。アンジェラ嬢の正体と、王太子殿下の人間性はまったく別の問題です。王族が愛人を持つこと自体は仕方ないにしても、それはあくまで妻や婚約者を尊重した上での話です。殿下はアンジェラ嬢とはピクニックだ、買い物だ、と連日のように出歩いていながら、お嬢さまとの時間はろくに作ろうともしない。お嬢さまとアンジェラ嬢が対立すれば、無条件でアンジェラ嬢の肩を持つ。これでは揉めるのも当たり前です。自分の態度が元凶なことは棚に上げて、一方的にお嬢さまを断罪するなんて、実に身勝手だとは思われませんか?」
オリビエの言葉に、セシリアはなにも反論できなかった。何故なら、それはまさにセシリア自身がずっと考えていたことだったから。
ジェラルドが自分よりアンジェラをより愛しているにしても、せめて自分を婚約者としてきちんと尊重してくれたなら、ここまで怒りと嫉妬に狂うこともなかったろうに、と。
「仮に王太子殿下と結婚したら、殿下はまたお気に入りの愛妾を作って、妃であるお嬢さまをないがしろにするに決まっています。お嬢さまは本当にそんな環境で一生過ごされたいんですか?」
「だけど……お父様もお母様も、アーサーだって、私がお妃になるのをずっと楽しみにしてて」
「あんな連中がなにを考えようと、どうでもいいじゃないですか。言っておきますが、お嬢さまが王妃になろうが国母になろうが、彼らがお嬢さまを愛することなんて未来永劫ありえませんよ?」
オリビエは呆れたようにため息をつくと、戸棚の引き出しから書類の束を取り出した。
「――しかしまあ、それでもどうしても王太子殿下とよりを戻したいなら、お嬢さまにこれを差し上げます」
「なによこれ」
「アンジェラ嬢が複数の男性と関係を持っていた証拠です」