表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
田中有栖は嘘を吐かない  作者: 宇佐見レー
1/3

二年前の冬

 令和七年の夏に起きた、宗教団体による日本国内初のテロ事件から、シンパを名乗る者、混沌にわざと身を任せる者達が、元々激化しつつあった凶悪事件に拍車をかけた。

 この事件が起きる以前から警察組織は銃、薬物、刃物などの事件対応の為、装備の見直しを行うが、反対するマスコミに扇動、無辜の人々が正義を掲げ高々に叫んだおかげで結果被害を防ぐ事ができなかった。

 事態を重く見た政府が、テレビ局、新聞社、全ての報道関係各所へと政治的な発言は嘘偽りなく、自社のスポンサーと関係なく、偏りのない様に、という法案を作成。

 だが公布される前にテロ事件によって既に報道機関等の信頼信用、株価は暴落、視聴率も取れなくなり、公機関による放送は徐々に無くなりつつあった。

 かく言う特殊警備、もしくは武装警備と呼ばれる業務も、警察組織、自衛隊との連携が念頭に置かれており、報道機関という名のスポンサーの意向で長らく成立、公布が出来ていなかった。

 けれど報道機関の弱体化で、十年弱という歳月を経て、やっと実現でき――――


「毎度社長の微妙に違うご高説垂れ流し、どうにかなりません?」

 自衛隊が採用しているのと同じ物であるが色やデザインが違う、クーガー装甲車。

 揺れる車内で若い隊員が、車両に備え付けられている無線を通して聞こえる社長による特殊警備業務の経緯と心構えにうんざりとしたように言った。

 しかも、護衛対象がいるというのに。

「おい、いるんだぞ」護送対象の隣に座る一人の男が語気を強めた「ったく……了解しました」

 この車列の責任者である黒佐藤恭介は、若い隊員にそう言って返答を求める社長へ無線に手を伸ばし応答する、けれどその表情は流石に彼もげんなりとしていた。

「黒佐藤さ……いえ隊長でもそういう事あるんですね」

 別の隊員の、心底意外だという言葉に、返事を返す事すら億劫で、彼は事務的な注意をする。

「私語厳禁、集中しろ」

「私は気にしませんが、少し狭いですね……」

 その様子を見ていた護送対象……田中有栖は、武装警備員二人に挟まれ、窮屈そうに臀部を左右に動かしている。

 格好はケブラー繊維で編まれた黒い防弾スーツ、流石にスカートではないが、日本人離れした顔立ちに容姿は、常人では出せない魅力を持つ。

 髪の色もブロンドに、アクセント……なのか毛先から白くなっており、きっとそれがおしゃれなのだろう……と黒佐藤は視界の端に映る髪を見て思う。

……時は令和十五年の冬、予報は降雪、朝からどんよりとした雲が地平線の先まで覆い被さっている。

 朝起きてからこの様子は、快晴が好きな彼からしてみれば、本心から憂鬱になりそうな天気だった。


――――これは昇進した彼の、初の仕事であった。

 同時にこれは、彼の心に治らない傷となった出来事――――


『護衛車両「あ」異常なし』

『護衛車両「い」特に異常なし』

『後方「う」異常なーし』

『後方車両「え」異常なし』

 先頭車両と後方車両からの定期連絡。

「了解――護送車両『お』から本部へ、異常は見られない、ルートの変更なし」

 そう言うと、担当オペレーターが短く『……了解、無事を祈る』と微かに間を開けた応答が流れた。

 一瞬、彼は気になるが……今は集中をしなければ、彼はすぐさま心の片隅に追いやり、今回の護送対象へと声をかける。

「このまま行けば予定通り明日にはアメリカに入れますよ」

「……そう簡単であれば、良いんですが」

 なんの悪意もない言葉であった、ふと、ぽつりと出た心の底からの本音だ。猜疑心も懐疑的でもない、ただそれを切に願っている言葉。

 彼は心の内でそれを否定した。何かしらのハプニングがあった時の為に、予め複数のルートが用意されている。

 どれも最終的な目的地というのは同じだ、それ故に必ず通る道というのもあったが、そもそもこの仕事は一般には知らされていない、極秘の仕事でもあり、わざわざ複数ルートなど必要なかったとさえ思う。

 その上この仕事は警察以外に、陸上自衛隊、アメリカ海兵隊も動いている。

 国二つを動かすほどの人物の護送、それがまさか各国が苦渋を飲まされた国際テロ組織、傾国の旅団を追う『探偵』だとは。

 だから安全には安全を重ね、対象にかすり傷一つ与えられないよう、綿密な計画が立てられている、納得するしかない理由だ。

 極秘である理由は知らされていないが、十中八九傾国の旅団による襲撃の警戒だろう。

 彼女の、窓の外に向けられた碧眼が、拭えない一抹の不安で覆われているが……きっと、それは曇天だからだ、と彼は否定し、打ち消し、声をかけた。

「……護身用の道具って持ってますか?」

「私?勿論持ってますとも、ここ日本の警察官で使われていた、M60と言えば分かります?」

「桜……」

 十数年前まで一般的な警察官の装備で使われていた銃だ……今はG17がとってかわった代物。

 そして彼の父親が使っていた銃で、あのテロ事件が起きるまで見直されなかった物でもある。

 一時期反対意見ばかり電波に乗せていた報道機関を恨む事もあった……今じゃ彼の心に微塵も残ってはいないが彼女は続ける。

「私のこれは特注品でね。ネメシスと彫ってもらった、型落ちだが護身であればこれで十分なんだ」

 少し、誇らしげでどこか懐かしむ有栖の表情と、明るさは緊張感に締め付けられていた車内をほだすのに十分であった。

 談笑という程には至らない会話で、終ぞその時が来るまで彼は呆れたフリをし続け、それを眺めていた。

『前方から不審車り――――』

 誰の声か、音に近い叫びに続き、鼓膜を揺らす甲高い電子音がインカムから鳴り響く。

 何事か、恭介がフロントガラスを覗くより先に、内臓を揺らすような衝撃に車内でもわかる熱風が届く。

――――視界に入ったそれは、まるで溶岩にできた泡ぶくの様だった。

 赤く、紅く、朱く……燃えるガソリンが正面の視界を包み、僅かに高機動車二両の輪郭が見える。

 運転席にいた隊員が一拍置き叫ぶ。

「ぜ、前方の護衛車両が爆発しましたッ!!」

「車両『お』から全車両へ、ルート『き』へ変更!!繰り返すルート『き』へ変更!!」

 上ずっていただろう、無線だという早口だったかもしれない、だがこの仕事の彼は責任者として全うせねばならない。心の内で何故かそう達観していた。

 彼とて仕事だけが全てではない、警察からも人手を借り、編成された護送部隊は確かに初めて顔を合わせる者ばかり――しかしそこには確かに命があった。

「くそっ……あ、い、聞こえるか!?聞こえるのならば直ちにその場から離脱し、早急に助けを呼ぶように!!生きててくれぜったいに……!!」

「落ち着きましょう隊長、彼らならきっと大丈夫です」

 体が熱い、そう声をかけてくれたのは初部隊長の補佐となってくれた熟練隊員だ。

「すまない……全隊員、安全装置を外せ、呼びかけに応答しない者、銃を持つ者などが現れた場合、即時射殺の許可が下りている。なんにしても――対象を護送せよ」

 後続車のうち一台が先導する為に前に出る。

 車両がその大きな体躯を傾かせ、徐々に加速していく。

 それと同時に、隊員達は掛かっていた安全装置を外す。

「……話じゃ対象が日本にいる事はバレてなかった筈だ……」

 だからこそ、航空自衛隊の基地を使い、護衛もそれほど多くなかった……グルグルと頭の中で情報が回り続ける。

 ふとそれを止めたのは、隣に座り、こんな状況でも冷静に、その独特な雰囲気を壊さぬままの田中有栖だ。

「……私は罪の無い、無辜の市民が死にゆくのが許せなく傾国の旅団を追っています。貴方達の事は忘れません、だから、今は、頭を上げてください」

 感謝の言葉ではない。感謝の言葉であれば、この場にいた全員が引き金に指をかけていたかもしれない。

 だが、放たれた言葉は同じ思い、彼女は真っ直ぐに此方へ瞳を向け、言う。

「私は嘘を吐きません、必ず奴らに報いを」

 彼女もまた、守る為に動いている――――車体には銃弾が掠める音がただ、鳴り響く。


 ルートを変更してから、数時間が経ちつつあった。

 時計を見ると時間は既に夕刻、気付けば朝の予報通り外は、雪が静寂と共に降っている。

 どうやら今降った訳ではない、この付近では少し前から降ってるのか、地面には薄っすら白い絨毯が出来ていた。

 緊張の糸が張り詰めた車内で、本部からの無線がうるさいエンジン音を掻き消し、打ち破る。

『此方本部、護送車両「お」聞こえるか?』

「……責任者の黒佐藤恭介、車両あ、い、からの応答は?」

 願う様に絞った声に反し、僅かな希望は――望む答えは、静寂と共に淡く消失した。

「いや……気にしなくていい、状況を」

 仲間を失うなど、ましてや自身が責任者でありながら死者を出すなど、そうそうはなかった。

 彼の心を蝕み、苛む後悔は、だが傷になるまでには至らない。

『……現在ヘリからの映像では追手が確認できない』

「了解した……それだけか?」

 取り乱さないよう、精一杯の取り繕い、無線機の先にいるオペレーターが彼の様子に珍しく『いや……』と躊躇いを見せるが、動揺を打ち消そうと深呼吸をする。

『……既に甚大な被害が出ている、先程「上同士」の協議の結果、米海兵隊と中央即応連隊との大規模な共同支援が決定した』

 オペレーターの言葉に、隠そうとする怒気が微量滲みだし始めた。

『同時に、繁華街は傾国の旅団を名乗る武装集団によって占拠された、対応に当たっていたSATも苦戦中――あんたの初仕事、実力を疑ってる訳じゃない、だが私は警備を大掛かりにするべきだと言った』

 一息の言葉、怒りに、呆れに……それ以上に悲哀の籠った言葉に、昇進後これが初仕事となった黒佐藤恭介への、憐れみがあったが、そこに皮肉は無い、本当にそう思ってるのだろう。

「……俺も、もっと考えるべきだったかもな」

『――――幸運を、名誉の戦死などクソくらえ』

 フロントガラス越しに見えた、港のある繁華街……住宅街を抜け、オフィス区画を抜け、数時間を費やして辿り着き始めた場所。

 そこを抜ければやっと目的地――――唸り声を上げたエンジンが、排気口から煙を吐き、流れる景色が一層早くなる。

 制服警察官達による規制、退けられたパトカーを避ける必要もなく突き進み……車列は繁華街へ。

「ここを抜ければもう少しだ」

 銃を持つ手が、僅かに震える。

「引き締めろ」

 時刻は十八時、人がいない、車がいない、明かりだけが煌々と絢爛な、不気味な雰囲気を纏う繁華街の通りは――クーガー装甲車の横っ腹を不意打ちで叩くトラックによって打ち破られた。

「――――!」

 速度も乗ったまま一回二回車両が大きく揺れ、地面がタイヤを削り、運転席の隊員が焦燥のまま叫ぶ。

「制御できま、せんッ!」

 意識が途絶える直前に見えた運転席に座る隊員の手は、辛うじて動くハンドルを必死に制御しようとしていた。

 そして車体は……焦げた臭いを充満させ、天地をひっくり返し、繁華街の中を映画の様に突き進んだ。


『隊長、指示を!!』

 インカムからの部下の怒声に、衝撃に備えながらもあまりの事に手放していた意識を、呼び起こす。

「う……ん……」

 隣に座っていた対象、有栖のくぐもった声に目をやると、同じ様に衝撃に目を回してるのか、苦し気に呻いている、大した傷はなさそうだが、頭を強く打っているかもしれない。

「くそ、状況を……」

 ぐわんぐわんと揺れる頭と背中に感じる重力に、不快感を覚えるが、耳に届く銃声の応酬に、揺らめく意識を叩き起こす。

「誰か、状況を」

 すると彼の意識を覚醒させた人物か、ほっとした様に応答する声があった。

『隊長!良かった……今現在、其方と分断されていて、護衛車両「う」の応答もありません。対象を連れて早く逃げてください!』

 彼はやっと冴えた頭で冷静に周囲を見る、殆どの隊員達が既に意識を取り戻しつつあるが、外で響く銃声に続き、何かが破裂するような、割れるような音が耳に届く。

 座席の安全装置を取り外し、フロントガラスから外の様子を見ようとするが……

「畜生……!」

 助手席の隊員はどうにか座席を離れたが、安全装置によって宙づりの座席に固定されたままの運転席の隊員が、未だ気絶したままだ。

 だが一番の問題はその先……ひび割れたフロントガラスの先に、不明瞭だが小銃を持った男達が、防弾性のフロントガラスを破ろうと銃をぶっ放しているところだった。

 思わず出た言葉に、額から一筋の透明な雫が滴った。

「敵が来るぞ!!急いで装備を確認、車両周辺の安全を確保し、対象を送り届ける!意識が戻っていない者は叩き起こせ!!」

 座席の安全装置を外し、横になった狭い車内で、本来ならコンバットブーツの底をつけてはいけない座席に足を付け、安全装置の外せない者を助けつつ、インカムへと耳を傾ける。

 十秒ほどで運転席の隊員も救出され、有栖も目を覚ました。

 彼女の不快感で細めた目は、やはりどこか強く打ったのかもしれないが、今は銃弾の方が恐ろしい。

 狭い車内で熟練隊員が言う。

「全員準備整いました」

「よし、護衛車両『え』これから外へ出て安全を確保次第、其方の車両を近づけてくれ、対象を乗せる」

『出来ません、敵からの手榴弾でほぼ全壊です――――隊長達が出る、援護するぞ!』

 その後に続く銃声が、敵の攻撃の熾烈さを物語る。

「了解した……出来る限りの状況も頼む」

 目に浮かぶ疲弊による息切れを抑えようと、大きく息を吸い、無線の先の隊員は言葉を続ける。

『左右のビルの屋上に数人、同じく左右のビル一階付近から――クーガーの前方にかけて、ほぼ囲まれている状態です!正直に話しますが、数は殆ど減らせていません!』

 黒佐藤は絶望的な状況に強がった口調で了解した、と言った後、生きててくれてありがたい、今度酒でも呑もう、と無線へ囁く。

 返答はなかったが、聞こえたはずだ、きっと。

「よし金田、先頭を頼む」

「はい!」

 後部の出入口に最も近い隊員だが、優秀だ。

 彼が横になった出入り口の取っ手へ手をかけ、黒佐藤の指示を待つ。

 銃声が、一層激しくなったその瞬間、彼は合図を出そうとするがそれよりも早く、外の隊員から言葉が飛んできた。

『……隊長、まずいです、あれは、あいつらは、あのテロ事件にもいました、毛先が白く、紅い目が特徴の……』

 声が違う、別の隊員だろう、だがその声は酷く狼狽し、直接見なくとも顔面を真っ青に染めているのがわかった。

 どういう事だ、黒佐藤が確認を取るよりも前に、熟練隊員が怒号を上げた。

「まさか――話してる余裕はありません!!隊長は対象を連れて行っていください!!」

「何を――――?」

「あのテレビ局でのテロ事件の際、少数ながら居た連中です!!奴らは、強い……!」

 その歴戦の兵士と言わんばかりの顔に浮かべた、鬼の様な表情は、無線の先にいた隊員と同じのような気がする。

 怒りに満ちているが、その裏に恐怖を隠している……そんな表情だ。

「正直に言います。ここで対象を守りながら戦い、支援を待つ、もしくは安全を確保するなんて事は出来ません、それはただここで全員死ぬ事になります」

 熟練隊員は大きく息を吸う。

「あれは、今の状況の我々では倒せない、多少危険ですが我々が囮となり、隊長一人で対象を送り届けてください。隊長の事だ、この周辺の地図も、裏路地含め頭に入ってる筈です」

「……俺に見捨てろと?」

 だが責任者は自分だ。黒佐藤は彼を睨む。

「まさか!囮になるだけです、外の連中と合流して、出来るだけ時間を稼ぐだけです。その後は隊長の事を追いますよ」

 真っ直ぐなその瞳は、確かに生きる希望が満ちている。死ぬ訳でもない、初任務の、よく知らない隊長の為に死ぬ訳がない、彼は心の中でそう合点し、低く唸る様に言った。

「全員生きて帰れ。そしたら俺の奢りでいくらでも酒を飲ませてやる」

 今言うべきではない、その場違いな約束に、少し笑う者はいたが、場の緊張の糸は張り詰めたままだ。

 権限を譲渡し、黒佐藤は彼女へ言葉をかける。

「私が先導し、盾になります。頭は低く、決して止まらない様に」

 その数秒後、彼女の返答を聞く前に、扉を蹴破り、十人の隊員達が弾丸の中へ飛び出していった。

 彼ら二人は、それを確認してから、横転した車両前方の男達が倒れるのを確認して、外へ飛び出した。


「ぐぅっ」

 背後からの足音に、俊敏な動きで振り向き、彼女を背中に小銃を数発、撃ち込むが、倒せた者は一人だけだった。

 四人いたうちの三人いれば、反撃を許すのは当然。

 飛来した人体を破壊するのに十分な威力を持った鉛が、彼の防弾ベストへと着弾する。

 衝撃と悶絶するような痛み、小銃を手から離し、意識が、視界が、明滅を繰り返す。

「オールクリア、殺害対象を確認、その護衛は……運がいい、貫通せずにアーマーに当たってる」

「いいや、悪いのさ。どっちも殺すんだろ?」

 流暢な英語で、男が肯定し、続ける。

「米軍も自衛隊も動いてる。急ごう」

 急ぐという割には起伏の無い口調、視界には入っていなかったが、三人のうちの一人が迷いなく小銃を構える音が聞こえた。

 鈍くも鋭くもある激痛に、けれど意識だけは明滅を止め、視界が徐々に戻りつつあった。

 しかし反撃をする一秒……コンマ以下の時間の繋がり、三人いる中で拳銃を引き抜き、引き金を絞る時間は、それよりも先に男達の既に引っ掛けられた人差し指が小銃の引き金を絞るのが圧倒的に早い。

「……はい、はい、了解。あっちは片付いたようだ、即時撤退行動に移るぞ」

 三人のうちの、恐らく上官だろう男が、潰れて聞こえないが無線からの声に応答をしているようだ。

……それが分かったところで、だ。仕事の失敗……責任者となってから初の……心残りはそれだけか、彼がそう死を覚悟した刹那――――

「『使ってるぞ』!!」

 一瞬、何の事かわからなかった。

 高速で巡らせた思考、記憶の中で、彼が撃たれ、倒れてから使おうとしている物は腰に差してある伸縮式の警戒棒と、拳銃だけ。

――同時に、思考を止めさせる銃声が一つ、鳴り響いた。

 小銃では無い、恐らく有栖が持っていた回転式拳銃だろう、それだけ分かれば十分だった。けれど勝機は薄い、敵三人に対し銃声は一発、もし最後の抵抗が成功したところで、大腿にある拳銃を抜き、二人を殺せるか。

 いや、彼女が抵抗しているのなら、しない訳にはいかない――――

「ふんッ」

 痛む上半身に鞭打ち起こし、瞬きの間に警戒棒の先を半回転させ、伸ばしたそれを霞む視界に入った、驚愕に見開かれた目を彼女へ向けていた敵へと放った。

 一瞬の間はあったが、男は銃口を下に下げていた、考えなくともこの男が上官だ。

 振るえば人の骨など容易に叩き割る警戒棒、力を込めて投げられたそれは、男の先が白くなりつつある髪を物ともせず、左頭蓋へと命中。

 飛び散る血飛沫と、潰れる音は、暫く耳に残りそうだ。

 油断は大いなる敵、まだ一人敵がいる、拳銃へと手を伸ばし、引き抜こうとして、気づく――既に二人、血の海で倒れている。

「他に、敵は……?」

 僅かに引いた痛み、でも息は切れ、脂汗が背中を覆い、意識を手放したくなる。

 けれどそうは問屋が卸さない。当たった腹部を気休めに手で押さえ、黒佐藤は彼女へ問いかけた。

 そして彼女の金髪が、真っ白に、碧眼は赤くなっていたのが、元の金髪と碧眼に戻る奇怪な場面に出くわしてしまう。

 痛む腹など忘れ、現状すら忘れそうになるが、なんとか踏み止まるものの、衝撃は少なくない。

 気付くもう一つの異常。殺される、もしくは敵意からなる緊張感ではない、大量の汗を繁華街の裏路地のネオンに照らされて見えたが、額に掻いていた。

 やがて一つ一つの雫が大きな一滴となって、彼女の額から通った鼻筋から鼻先にかけて伝い、地面へと消えていく。

 彼女は一度目を瞑り、押し黙り、何かを抑え込むように深呼吸を一度行う。

「……いえ、いません。それより大丈夫ですか?」

「あ、あぁ」

 ポケットから取り出したピンク色にデフォルメされたクマが刺繍された可愛らしいハンカチで額を拭い、彼女は何事もなかったように言った。

 今の奇怪で奇妙な場面はもちろん、ほぼ一つしかなかった銃声の中で、見事な二度撃ちまでしたというのに。

「では先導してください」

 立ち上がり際、一安心という表情で彼の背後に張り付いた彼女。

 黒佐藤は、今の出来事は見なかった事にした。

 興味が無い訳でもない、恐ろしい訳ではない、これは、仕事だからだ。

 自分は彼女さえ守れればそれでいい、後は部下達と会えれば――――



 年々猛暑日が増える日常。

 自分でも信じれなかったが、精神科医からの処方箋を飲まなくなってから半年以上が経った。

 飲んだところで、飲まないところで、毎夜見る夢は変わらないから。

 涼しいとすら思えるほどに冷えた部屋で、頭皮を、額を、背中を、びっしょりに濡らして起きる夏の朝。

 最悪でしょうがない、と寝起き眼で寝室に備え付けられているテレビを点ける。

 次に目をやったカップラーメンの残骸ばかりが置かれたテーブルの上、通院だけはしているが適当に放っておいた処方薬が何故か水玉模様の弁当箱と共に朝昼晩と分けられ、傍らにメモ用紙の端切れと一緒に置かれていた。

 身に覚えのないそれらに、思い当たる節はあった。

 一応メモへ目を通すが……

「食って飲め、か。来るなら連絡くらいしてくれ……」

 それは、やはり元彼女の物だった。

 みっともない姿を見られた気がして、黒佐藤は少しの間、気恥ずかしさに襲われ、顔を空いている片手で覆うが、心配してくれるのはありがたい事だ。彼はそれらを甘んじて受けた……薬だけを除いて。

――あの事件から既に二年が経ち、独立してから更に一年が経ちつつあった。

 だが今日この日が、過去を拭う転機となる事を彼はまだ知らない。

 弁当箱に入っていたゴーヤチャンプルを頬張り、彼は再度過去に目を向けていた。

構想に随分と時間がかかってしまいましたが、内容はそんなに大したものではありません。

主人公の過去の払拭と、ヒロインによる初恋相手を殺された復讐です。


単純明快な、どこにでもあるミリタリー系のお話。

次のお話も書いてますが、いつ投稿するかは言いません。

言ってしまえばその日に投稿することは絶対になくなってしまうからです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ