その8『メイドと赤ちゃん』
前人類の皆様方、おはようございます。
早速ですが、困ったことになりました。
『テケテ・ケ』
皆様は以前、お嬢様がお産みになった卵のことを覚えていますか?
そう、非情にもお嬢様が「捨てておいて」とのたまわれた、あのお子様方です。その数実に三十個。
──あれね。
実は捨てずに取っておいたんですよ。
だって可哀想じゃないですか。
幾ら無精卵だからって、ただ捨てるのは勿体無いです!
てな訳で冷蔵庫に入れて、大切に保管しておいたのですが……。
一月も経つと、異臭を放つようになりました。
腐った卵の臭いとでも言いましょうか。冷蔵庫の他の食材に臭いが移ると困るので、とりあえず外に出しました。
その時、お日様の光に当てたのが悪かったのでしょうか。
それまで半透明だった卵が、急に真っ黒に染まりました。
これは何かマズいと思って、今度は水で洗ってみました。
そしたらですよ。卵が水に溶けて、一つ残らずドロドロの液体みたいになってしまったのです。
『テケテ・ケ』
そして、何かが生まれました。
──何でアナタ達がお嬢様の卵から? と思わずツッコみたくなりました。
黒い粘液状の彼らは今、「テケテケ」と鳴きながらお屋敷中を徘徊しております。しかも、ただ蠢いているのではなく、そこに在る生命──活けてあったお花とかゴキさんとかネズミさん等々──を片っ端から取り込んでいるのです。ちょっとしたホラーです。
困ったことになりました。
こんな騒ぎ、お嬢様に見られでもしたら……理不尽にも、わたしが怒られてしまうではないですか!
『テケテ・ケ』
それだけではないです。
彼らはあろうことか、わたしの方にも寄って来ました。
わたしまで食うつもりなのですか、この恩知らずども!
『テケテ・ケ?』
……と思ったら違うみたいでした。
彼らはわたしの周りをぞろぞろと回っているものの、それ以上近付いて来ようとはしません。
試しに一歩足を踏み出してみますと、蜘蛛の子を散らすように逃げていってしまいました。
なるほど。
あんな異形の姿をしている所為でなかなかそうは思えなかったのですが、あの子達はこの世に生を受けたばかりの赤ちゃん。わたしのような大人の人間が怖いのです。
そう考えると、少し可愛く思えて来ました。
……すみません嘘です。
しかし、いつまでもこの状況が続いて良い訳はありません。
お嬢様がお部屋から起きて来る前に、この子達を片付けてしまわなければ。
こういう時こそ冥土の本領発揮です。
右手に箒、左手にちりとりを持ち、わたしは独りお屋敷に巣食う魔の一掃に乗り出したのでした。
◇◆◇◆◇
『おはよ。朝っぱらから騒がしかったようだけど、何かあった?』
これはこれはお嬢様、おはようございます。
いえその、ちょっとゴミを出すのに手間取っちゃいましてね。
でもご安心を。もう全て片付けましたので。
『ふぅん? まあ良いわ。
それで、今日の朝ご飯は何かしら』
スクランブルエッグと卵焼きと茹で卵と目玉焼きと卵スープと卵サラダとオムレツとオムライスと、シメに伝統の卵かけご飯です、お嬢様。
『……何で全部卵料理なのかしら』
気にしないで下さい。
正直なところ、わたしも早く忘れてしまいたいですので。
『? まあ良いけど。
それじゃあいただくわね──』
『テケテ・ケ』
『…………』
…………。
知りませんでした。
卵って「テケテケ」って鳴くんですね。