その12『キングサリ』
それは、降り積もった雪が強風に散らされ、早咲きの桜がちらほらと見られるようになり始めた頃のこと。
わたしがいつもの紅茶にラバーナムの黄色い花弁を浮かべ、独り春を演出している時のことだった。
「ちょっと、良いかしら?」
紅茶が冷めるから嫌だ──とは言えなかった。
何しろ相手はこの屋敷の現主だ。下手に断って機嫌を損ねられ、追い出されてはたまらない。
「ああ。どうぞ」
しかし、珍しいこともあったものだ。彼女の方から声をかけて来るなど。
今までわたしから話しかけたことはあったが、彼女からのアクションはほとんど無かった。それだって、大抵はあの地球人のメイドを介してのものだ。
だからてっきり、嫌われているとばかり思っていたのだが。
「ありがとう。……あら?
何だか良い香りがするわね」
「ああ、ちょっと春の香りをブレンドしてみたんだ。
ラバーナム。地球人の花言葉だと『淋しい美しさ』という意味になるそうだ。どうだ、なかなかに乙女じゃないか」
「素敵ね。春になれば観られるかしら」
「そうだな。ちゃんと庭を整備して苗木を植えれば、この屋敷の窓からも観られるようになるんじゃないか?
もっとも、あのメイドにそこまでを期待するのは酷というものだが」
「そう……ね」
さらっと、メイドのことを口走った途端、彼女の顔が曇った。
なるほど。今回もあの地球人絡みの相談か。
「どうした。あいつと喧嘩でもしたか?」
「そうじゃないわ。……けど、それに近い状態なのかも」
「ほう」
「最近あの子、私の言うこと全然聞いてくれないのよ。面倒なことは全部ショボスに任せるし、部屋に篭ってゲームに明け暮れてるし。バレンタインデーにチョコくれなかったし。
それに、やたらと貴女に懐いてるし」
「いや、最後のは別に良いだろ」
言いながら、紅茶を啜る。
程よく苦くて甘い。我ながら絶妙なブレンドだ。この味はあのメイドでは出せまい。
「何だお前。わたしに嫉妬してるのか?」
「ち、違うわよ! 自惚れないでよね!? 誰が貴女なんかにっ」
「じゃあ何だよ。言いたいことがあるならはっきり言え」
「む……」
参考までに、ラバーナムとは藤に似たマメ科の植物だ。
ここイギリスではごく当たり前に見られる花で、5〜6月頃から見られ始める。
大きいものだと8m程にもなる落葉高木で、黄色い藤のような花房が、まるで鎖のように垂れて咲くことから「金鎖」とも呼ばれる。
桜も良いが、この花も風情があって良いものだ。
観たことが無い人には一見をお勧めする。
「ちょ、ちょっと! 何解説してるのよ!? 私の話を聞きなさい!」
「お前がさっさと言わないのが悪い。まあ、言わずともわたしにはお前の心が読めているがな。
──カリスマが欲しい、と」
カリスマ。
地球の文献に度々登場する用語だ。
詳しい意味は知らないが、何でもそれを持っていると支配者としての資格を得られるらしい。何故なのかは分からないが。
「そう。カリスマ。
それがあれば、私はあの子の主人で居られる。あの子だって私を尊敬してくれる。私を好きで居てくれる。
だけど今の私には、きっとカリスマが無いんだわ」
「ふむ。なかなか興味深い話ではあるがな。
だが残念だったな。わたしにもカリスマが何なのか、具体的なことは分からないのだ。
……カリウラだったら知っているがな」
紅茶をもう一口飲んだ。
ほろ苦い青春の味がした。
そう言えば、ラバーナムのことを中国では「毒豆」と呼ぶらしい。
理由は実に毒性があり、食べると危険なため。花も危ないのだろうか?
もっとも、クトゥール人であるこのわたしには、さしたる効果は無さそうだが。
「貴女でも知らないんだ……」
「そう残念そうな顔をするな。カリスマなんて無くたって、あいつはお前のメイドなんだ。それはあいつ自身、分かっているはずだ」
「うー。それはそうかも知れないけどぉ」
全く、このお嬢様は何が不服なんだか。
愛する人と一緒に居られるだけで十分過ぎる程幸せなはずなのに、それ以上を求めようとするとは、贅沢にも程がある。
しかしカリフラワー──いや、カリスマ。
王の器とも言われるそれ。どんなものか興味はある。
「……もしかしたら、手に入れられるかも知れない」
「え、ホント!?」
「ああ。そもそもカリスマとは支配者の証。
ならば、支配者になれば良いのだ。
つまり──世界征服」
「セカイ、セイフク」
息を呑むお嬢様。
無理もあるまい。世界を征するということはすなわち、クトゥール王家に反逆することを意味しているのだから。
さすがのお嬢様と言えども、クトゥール全人類を敵にする勇気は──。
「そっか! その手があったわね!」
「え」
「ありがとう! 貴女のおかげで入手方法が分かったわ!
早速やってみる!」
意外にも、軽い口調でそう応えて。
彼女は意気揚々と部屋を出て行ったのだった。
「…………」
紅茶を飲み干してから、ふと考える。
彼女は、本気でやるつもりなのだろうか。
……あのお嬢様ならやりかねない。
世間知らずだし、クトゥール人とは思えない程に知能が低いし。
クトゥール本星との戦争。
本当にそんなことになったら、首謀者である彼女の極刑は免れまい。ついでにメイドも処分され、この屋敷にはわたしだけが残される。
──あ、それも良いかも、とちょっと思ってしまったのは彼女達には内緒だ。
「ふっ。ジェームズに笑われてしまう、かな」
どうせ今回の一件も、メイドから過去へと送信されてしまうのだろう。もしかしたらジェームズにも伝わってしまうかも知れない。
何だか本当に笑われそうな気がして来て、わたしは慌てて彼女の後を追った。
◇◆◇◆◇
結論から言うと、世界征服は実行に移されなかった。
実行者であるはずのお嬢様が、その単語が意味するところを知らなかったためだ。
「ねー。セカイセイフクって何なの?」
『ありきたりですが、世界一の制服のことですお嬢様。別名をアザーッス。
それを手に入れれば宇宙の王たる資格を得られるとか何とか』
「あ! じゃあもしかしてカリスマってセカイセイフクのことなのかな? かな?」
『そうかも知れませんねー。
そんなことより、はいコレ』
「え? これ……チョコレート?」
『はい。ちょおおおっと一週間程遅くなりましたが、バレンタインデーのチョコレートです』
何だかんだ言いながらも、メイドは主人のことを一番に考えているようだった。
──よし。
良い天気だし、今日はチョコレートティーを試してみよう。
◇◆◇◆◇
全てのラバーナムの黄色い花たちは
集まって房になって垂れ下がります
幸せのシャワーの中で
花たちを見てください
みんながこう呼びます
「金色の雨」
「金色のチェーン」
枝から下がって揺れています
青空を背景に
─Cicely Mary Barker, THE Laburnum FAIRY─