プロローグ -前-
花が咲いていたので俺はキレた。
「おい、いい加減しろ、お前はそれでいいと思っているかも知れないけども、俺のコンプレックスを刺激するのはやめろ、わざとやっているのか」
キッと睨みつけるも、素知らぬ面してたわわな花弁を風任せに揺らせている。「可憐である」、その事実が俺の暗澹とした過去呼び起こさせ、俺の感情を搔き乱した。この花の名前を俺は知らないし、言うだけ無駄なのは分かっていた。何故なら花だから。花には人間の言葉は分からない。まっこと憤懣やるかたなく溜息も荒くつくもなおも語る他なく、当て所もなくぞんざいに言葉を吐き捨てる。
「ばか、ばか、ばか、ばか、ばか、ばかばかばかばかばかばか……」
簡単な言葉なら伝わると思った訳ではない。頭を使わずにこの苛立ちを解消するにはこの言葉を連続することが適当に思えて、けれどもその考えは無数の「ばか」を射出する摩擦熱で揮発して、更には脳が加熱されていくのを感じた。鼻に焦げ始めた香ばしい匂いがチラ付き始めて、唇の筋肉はささやかに疲労を湛えつつ熱くほぐれていく、呂律が回らなくなってしまわないように俺は集中した集中した集中した。
「うわああああクサクサおじさんだああああああああ!!」
いきなり声を掛けられて俺は驚いた。後ろから声を掛けられと驚きやすいので普段は注意しているのだが、今回は間隙を縫われてしまったので俺は驚いてしまった。
「ほわっ!!ほあわああ!!」
多少息は上がっているかも知れないし、顔に上気が見られるかもしれないが、努めて平静を装うことの必要性を理解して俺は返答しようとして、知らぬ間に口元に立った泡が涎として顎を伝うのを感じたために慌てて拭った。花と話しているのを見られてしまった!!恥ずかしいという想いが強い、ギュッと目を瞑る、歯を食いしばる、少し息を止める。こうやって恥ずかしい気持ちを殺す、幼い頃からずっとそうしてきたので今ではあまり時間を掛けずに行えるようになったことだ。
「クサクサおじさん涎垂らしてきったねえええええ!!」
「今、クサクサおじさん花と話してなかった!?」
「クスクスクスクスクス、クサクサおじさん、クサクサおじさん、クスクスクス」
気を取り直して返答を模索する。彼らは近所の小学生だ。何がおかしいのか俺を見つけては寄ってきて笑うのだ。不当で理不尽で不愉快であったが、子供相手に言ってもそれは仕方がないことであるのは理解している。だが言葉が口を突いて出てしまうこともある。俺はクサクサおじさんではない。
「俺はクサクサおじさんではない、なぜなら俺はクサクサおじさんではないからだ」
「クサクサおじさん意味わかんねえええええ!!!」
子供たちが爆笑する。子供だから、こいつらは子供だから何を言ってもしょうがない。俺は大人だし、大人だから子供はそういうものを分かっている。正論は通じないのだから、これはしょうがないことだとして、一刻も早く立ち去ることにした。
先程から雀までもが俺を見てチュンチョン信号でどこかに情報を転送している。何かを呼び寄せるかもしれない。いや、この子供たちを呼び寄せたのがあの雀だとでもいうのか。
焦りを覚えた俺は足早に歩き出した。
「クサクサおじさん逃げようとしてる!!」
「おい、逃げんなよ!!」
子供たちが駆け出してくる足音を察知して俺も駆け足を仕掛けていた。「ドン」という音が体の内側から鼓膜に響いた、背中から突き抜ける衝撃とともに体が前に吹き飛ぶ。
受け身も何もない、胸から落ち、そのまま顔面を強打する。
ドロップキック、私は後ろを見ていた訳でないが、それがドロップキックであると擦過と顔面強打の痛みが鈍く強くなる前に分かっていた。
何故ここまでのことをこいつらはやるのか、怒りが空焚きのようになっていて、頭に上るべき血が唇と鼻から溢れているせいか不思議と頭は冴えていた。だが涙がのぼるのを堪えられない。耐え切れずに零れ出した涙とともに嗚咽もせり上がる。
「ぐぅぅぅうう、ふぐっ、きゅぐ、う、ふぐぅぅぅぅう、ぐぅぅうう……」
「……かずくん、さすがにやばくね?」
「は?いや、お、おれ別にそんな強く蹴ってないんだけど」
ドロップキックをしておいて強いも弱いもあるか。
「なんでだ……」
俺はそう発音したつもりだったが、血で詰まった鼻と強打して避けた唇では、そう聞き取れる代物ではなかったかもしれない。俺は俺の憎しみが天界からの矢になってこいつらに降り注ぎはしないかと思いながら続けた。
「なんでだなんでだなんでだなんでだなんでだなんでだなんでだなんでだなんでだなんでだなんでだなんでだなんでだなんでだなんでだなんでだなんでだなんでだ……」
節々が痛むのを連呼の没頭により意識を逸らしながらやっと状態を起こし、振り向くと子供たちは走り去っていくのが見えた。悲鳴を上げているようだった。
ガラッと音がして、その方向を見ると家の裏手の窓を開けた爺さんが俺を見ていた。怪訝な顔で俺を見てすぐに窓も締められ鍵もかけられた。ワイヤー入りのその擦りガラスの窓は平均的な窓よりも脆く防犯性にも欠けていることを俺は知っている。
袖で顔押さえつつ家路を辿る。頭にはまだ濾過されていない劣悪な感情が渦巻き、ただ自分が世界を呪っていることだけは確かである。途中で口の中に異物を感じたのは少し欠けた歯だった。
ぜひ完結までお付き合いください。
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