5話・勇者、屋敷に招かれる
俺は胸のうちで嘆息をこぼした。
結論から言えば、この時代における魔法の衰退は予想をはるかに超えて深刻だった。
ラントの魔法の実力は、千年前なら「才能なし」と断言するしかないほど低レベルだ。
それが選ばれた血統を自称しているのだから、信じられない気持ちになる。
俺が知らない千年のあいだに、一体なにが起きたのか?
なにをどうしたらこれほどまでに魔法が衰退するのか、見当もつかなかった。
と、ふいに拍手の音がひびいた。
派手に模擬戦をやったものだから、屋敷からは多くの使用人がでてきて観戦していた、
その中で、一人だけ仕立てのいい服を身に着けた中年の紳士がいた。
拍手の主は彼だ。
歩みよりつつ俺に声をかけてきた。
「素晴らしい腕前ですな。その魔法は独学で鍛えられたのですか?」「そうだが、あんたは?」
「失礼しました。私はこの屋敷の当主を務めております、ルフト・ユースティア男爵です」
「というと、彼の?」
「ええ、父親です」
うずくまるラントを見て男爵は言った。
言われてみれば、父子にはブラウンの髪と緑色の瞳という共通点があった。
顔立ちはあまり似ていない。
ラントは母親似ということなのだろう。
そのラントがハッと顔をあげて、
「と、父さん!? まさか僕とこいつの戦いを……」
「途中からになってしまったが、見させてもらったよ」
とたんにラントの顔色が真っ青になった。
「違うんだ父さん! これはなにかの間違いなんだ! そ、そうだよ、こいつはなにか卑怯な手を使ってインチキをっ……!」
「ほう、具体的にどんな不正だね? 私が見た限り、彼は魔法を使ってお前を圧倒していたようだが」
「そ、それはッ……!」
絶句するラント。
どうやら息子とは違い、父親は客観的なものの見方ができるようだ。
俺は居住まいをただして挨拶をした。
「俺のほうこそ自己紹介がまだだったな。はじめまして男爵。俺はソラン。勇者ソラン・アイテールだ」
「ゆ、勇者ですか。それはまた、なんというか……」
柔和な笑みが一瞬引きつる。
しかし彼は冷静さを失わず、慎重に言葉を選んで言った。
「率直に申しあげて、とうてい信じられません。ですが、あなたが嘘や冗談を言っているとは思えないのも事実。はてさて、これは困りましたな」
「なにを言っているのですか父上!? こいつは頭がおかしいだけだっ! 自分が勇者だと言い張るなんて、そんな大それたこと……」
「だが只者でないことは確かだ。平民ながらあの卓越した魔法の数々……実に興味深い」
男爵は俺に眼をむける。
「どうですかな、ソラン殿。よければ屋敷の中で詳しい話を聞かせてもらいたい」
意外すぎる申し出だった。
「いいのか? そちらから見れば、俺はいきなり殴りこみをかけてきた男のはずだが」
「その理由についてもお聞かせ願えますかな。どうです?」
俺としても、この時代に関する情報は集めたい。
その相手として男爵は適任に思えた。
「わかった。厚意に感謝するぞ、男爵」
◇◇◇
「――ソラン殿の話をまとめますと、こういうことですかな。ほんの数時間前、ソラン殿は魔王との死闘を制しとどめを刺した。しかし魔王の死に際の魔法によって意識を失った。気がつくと森の中に倒れていて、そこは千年後の未来であった、と」
立派な調度品に囲まれた応接室で、男爵は確認するように言った。 ちなみに室内にいるのは俺と彼の二人だけだ。
ラントは不貞腐れて参加を拒否、自室に引きこもってしまったそうである。
「申し訳ありませんが、やはりソラン殿の話を鵜呑みにすることはできかねますな」
「そうすると、男爵にとって俺という存在をどう解釈する?」
「客観的に見て、ソラン殿の言動や思考はいたって正常に思えます。我々と認識の齟齬があるのは勇者に関する記憶のみ。となれば、私としてはこう考えるほかありません。――ソラン殿はなんらかの事情で森で目覚める以前の記憶に欠落、混濁、障害が生じているのではないか、と」
「俺ひとりが偽りの記憶を信じこんでいる、か。たしかにそれならば辻褄はあうかもな」
「すみません。お気を悪くされたのなら――」
「気にしてはいない。立場が逆だったら、俺もそう考えていたはずだ」
無理に説得し、納得させようなどとは思わない。
俺が真実、勇者本人であることは、俺自身が誰よりもよく知っているからだ。
「たしかに俺自身、いまだに多少は信じがたい気持ちなのも事実だ。ましてやこの時代の男爵たちにしてみれば、千年の時間跳躍など夢物語の極みだろうからな」
「ああいや、たしかにそれはそうなのですが……」
男爵は言いよどんで、俺の全身をじっとながめた。
「失礼ですが、ソラン殿は男性、で間違いありませんな?」
「見てのとおり、俺は体も心も純然たる男だが」
脈絡のない妙な質問に、俺は疑問符をうかべた。
「私どもがソラン殿の主張を受け入れられないのは、実のところそれが最大の理由なのです」
「どういうことだ?」
男爵は答えた。
「千年前の英雄、魔王を打倒した伝説の勇者は――女性なのですよ」
「は……?」
滅多なことでは動じない俺だが、さすがに頭が真っ白になった。
なにを……言っている?
「馬鹿な、なぜそうなる。一体どういう錯誤をすれば俺を女と間違えるんだ」
男爵はソファから立ちあがると、本棚にむかった。
豪華な装丁の分厚い本を取り、目当てのページを開いて俺へと差しだした。
「これは貴族連盟公認の歴史書です。星暦九九九年における勇者と魔王の戦いに関する記述を読んでみてください」
俺は言われたとおりにした。
――星暦九九九年、勇者トワイライトは魔王に一騎打ちを挑み、七日七晩にわたる戦いの末これを討ち滅ぼした。
勇者トワイライトは史上最強の魔法戦士でありながら、世にも稀な純白の髪と金銀妖瞳の眼を持つ絶世の美少女であったという――
「なんだ、これは……?」
あまりのことに俺は二の句が継げなくなった。
勇者トワイライト、だと!?
なぜ魔王が、あの女が、よりにもよって勇者として後世に伝えられている?
自慢じゃないが、星暦九九九年において勇者ソランは世界一の有名人だった。
魔法文明の産物である高度な情報ネットワークによって、俺の写真や動画は惑星のすみずみまで拡散していた。
俺が勇者であることは、世界中の誰もが知っていたのだ。
だから、ありえない。
俺の存在が抹消され、魔王が勇者として後世に伝わるなど、錯誤や手違いでは起こるはずがなかった。
それにもうひとつ、決定的におかしな点がある。
――純白の髪と金銀妖瞳の眼を持つ絶世の美少女。
この歴史書の最初の編纂者は、魔王の容姿をどうやって知った?
魔王の正体は長らく不明のままだった。
彼女はある日まったく唐突に現れ「絶対停止結界」の中に籠城した。
彼女は一方的なメッセージを送りつけただけで、人類の前に姿を見せようとはしなかった。
だから魔王の姿を眼にしたのは――後にも先のもこの俺ひとりだけだ。
その俺がとどめを刺したことによって、魔王の肉体は崩壊し消滅した。
よって、余人が魔王の素顔を見れたはずはない。
だというのに、なぜ?
心当たりは自然と限られてくる。
俺以外で、魔王の容姿を知っていた人物。
それでいて、世界中の人々の認識をひっくり返すような大それた真似ができる存在。
その条件を満たせるのは――魔王トワイライト以外に思いつかない
俺は魔王を仕留めきれておらず、俺という邪魔者を未来に飛ばして排除した魔王は、世界を支配して自分が勇者に成り代わった。
いや、それもまた考えられない。
あのとき俺は、しかと魔王を仕留めた。
あの女の体と魂をつらぬき、生命の根源を断ち切った。
その感触と感覚を、勇者たる俺が違えるはずがない。
それに――勇者に成り代わって後世に名を残すという行動は、魔王の性格とも目的とも合致しない。
魔王トワイライトは、星暦一〇〇〇年を最後に、世界の歴史を終わらせようとしていたのだから。
「ソ、ソラン殿。大丈夫ですか?」
「多少は混乱しているが、問題ない」
俺はひとつ息をついて、歴史書に眼を戻した。
ふと気づいて、たずねる。
「この歴史書だが、勇者にくらべて魔王の記述がやけに少ないな」
「魔王に関しては語ることそれじたいが不吉とされていますので」
「どんな外見をしていたのかも伝わっていないのか」
「その、あくまでもこれは民間伝承レベルの一説なのですが――」
男爵は気まずそうに言った。
「魔王は夜よりもなお深く闇よりもなお暗い、不吉で忌まわしい漆黒の魔眼の持ち主であった、とか」
――ちょうどソラン殿のように、とは男爵も口にしなかった。
だがこれで確定したも同然だ。
この時代の正史において、どういうわけか俺と魔王は入れ替えられてしまっているようだった。