終 或いはサムライマスターの伝説の始まり
「このような物でいかがでしょう?」
風呂上がりに侍従長のマーキュラから「寝巻に」と渡されたのは上下の白の薄着だった。
ちなみに、現在カグラはバスタオルを女巻きにしている。裾がちょっと危うい。ヒップは隠れるのだが。
「生憎と女物なのですが、カグラ様には丁度良いかと」
「は、はあ………」
確かにマーキュラの言う通り、カグラは性別を偽っているのだから衣服にも気を使わなくてはならない。いつ何が起きるか分からないのだ。地下温泉でのエルジェメルトとの遭遇でカグラも今一度腹を決めていた。
女装は徹底的に。
「………しかし、帝国の寝巻はこのように薄いものなのですか?」
大倭の寝巻と言えばまず浴衣がある。元は湯上がり着だが寝巻にも使われる。
しかし、広げてみれば上はギリギリ臍を覆う丈でノースリーブ。ぶっちゃけるとキャミソールと呼ばれる物だ。下は下で太股も露わになる丈のフレアパンツ。腕も脚も剥き出しなのである。浴衣に比べればその露出具合は不安過ぎる。
「他はいざ知らず、ここはベッドと暖房で完璧ですので薄着でも問題はありません。事情を知らぬ者が侵入する事もございません。むしろ汗をかき過ぎて風邪をひいたら問題ですので」
「……なるほど。しかし、これは絹布ではありませんか。よろしいのですか?」
絹独特のすべすべとした肌触り。
絹は大倭でも高級品だ。カグラでも絹はハレの日に着る物と言う認識である。それもハレの中のハレ。元日とか祝言とか、年に一、二度程度である。
しかも、実はこちらだと絹はもっと値が張るのだ。なぜなら絹を生産する技術は東方界にしかないからだ。
「確かに大倭に比べればシルクは割高ですが、殿下がお迎えした………もといお招きした方に粗末な物をあてがう訳にも参りませんので。着け方はお解りですか?」
「ええ。基本的には上着と変わらないようですね」
「左様でございます。それではお休みください」
マーキュラが部屋を退出した後、身に付けて鏡を見てみる。
「………なるほど。これは案外上手いかもしれません」
レースで縁取りされた白のキャミソールにふんわりとしたフレアパンツを付けた黒髪の少年。
身体のラインを消す程度にゆったりしたサイズで、パッと見では男子と分からないかもしれない。事実、姿見に映るカグラはどう見ても妖しい色香を放つ美少女だった。
日常的に自分を見慣れているのと着慣れない外津国の下着のせいで、カグラ自身はその違和感に全く気付いていないのだが。
「褌だとくっきりと形が出てしまいますからね………これなら股間もあまり目立たない」
マーキュラの見立てに納得したカグラは軽く伸びをしてストレッチで身体を解した後、ベッドに目を向けた。
「湯冷めをして風邪をひくのも問題だし、布団に包まって寝るとしましょう」
上も下もふかふかなベッドにカグラは潜り込む。大きさは二、三人が並んでも充分なサイズだ。
「………はて? この枕は随分と横に大きいですね? これが神聖帝国での枕なのでしょうか。国が変われば寝床も変わると言いますが」
余り気にする事でもないので、カグラはさっさと意識を手放した。
だが、カグラは理解していなかった。
むしろ夜はこれからなのだと言う事を。
*
「うむ、どうか?」
「どうか、と申されましても」
深夜。マイ枕を抱えた黒の寝間着姿で仁王立ちする主君を見て、護衛隊長であるカミュリッタも侍従長であるマーキュラも、他のメイド達もその真意を測りかねた。
この寝巻はエルジェメルトのお気に入りである。
黒い生地でフリルとレースがふんだんに使われているドレスのようなツーピース。下はドロワーズ型のキュロットタイプだ。剥き出しの脹脛の白さが艶めかしい。もちろんこの下にはレースたっぷりの黒いフルバックのショーツを身に着けている。
大きめの枕を抱えるその姿は、《漆黒の騎士姫》の異名を持つ彼女とはかけ離れた、どこか年頃の少女が持つ可愛らしい姿だった。
「その、なぜ御寝所に入られないのでしょう?」
そんな応答をするカミュリッタをジロリと睨みつける。
「分からぬのか!」
「……はあ」
今から寝るとしか思えない姿からは何も想像がつかない。
「あ、もしかして御本をお読みすればよろしいのですか?」
「違うっ! って、我はそんな子供ではない! 本が読みたければ自分で読む!」
「私はてっきり御用足しに同行せよと言われるかと」
「んがっ」
何気にマーキュラも酷い事を言う。
しかし彼女が遠慮無いのはエルジェメルトの生活管理に密着した関係だからだ。彼女がおべっかを使ってはエルジェメルトが正しく育たない。上流階級のイロハはもちろんの事、世間的な常識を兼ね備え、更に教育者として一本芯が通った鉄の意志を持つ。
皇族付きの侍従長としては稀有であり必須な素養を持っているのがマーキュラと言う女性なのだ。
また、それは明文化して保証もされている。エルジェメルトがやんちゃをしてお尻をきつく叩かれた事は一度や二度ではない。
「それも違う! さては二人ともまだ我を子供扱いしておるのだな。覚えておくぞ!」
「ひいっ!」
姫様大好きなカミュリッタは顔を青くするが、マーキュラは平然としていた。
「では、殿下はどちらに赴くおつもりですか?」
「決まっておる。一つ屋根の下にカグラが居るのだぞ! 夜這いせねばなるまい!」
そのぶっ飛んだ回答に、カミュリッタの顔は更に青くなり、マーキュラは平然とニコニコしていた。
「………女である殿下が、でございますか?」
「うむ! 相手は男とは言え我は皇女。我の方からアプローチしてリードするのが筋と言う物であろう!」
「カグラ殿のベッドに忍び込むのですか?」
「夜這いとはそう言う物であろう。それに、物の本によれば、大倭では夜這いとは男女に係わらず正しい交際手段であるとか! 今宵カグラも覚悟しているであろう」
「で、姫様ッ! 私は、は、反対ですッ! そのようなはしたない真似をしては御名に傷が」
しかし、皆まで言わせずマーキュラがカミュリッタを手で制した。
「では、最高の装備を支度致します。しばしお待ち下さい」
「うにゅ? マーキュラ、これではいかぬのか?」
「これは異な事を。生まれながらにして常勝を求める殿下の御言葉とは思えません。常に最適の装備を持って挑むのが必勝の基本ではありませんか。予ねてより用意していたF型決戦用装備を準備致します」
後ろに控えていた直属のメイドにテキパキと指示を飛ばす。
「な、なんだと! そんな物をすでに用意していたのかッ! さすがマーキュラであるな!」
ちなみに、性教育指導も彼女の役目である。
待つ事しばし。メイドが新たな装備を運んできて、それを侍従長の指示でエルジェメルトに着せ替えていく。最後に軽くメイクを施した。
「む、むう。ショーツにベビードールに膝丈のタイツか」
姿見に自分の姿を映す。
先程とは遥かに露出度は上がり布地の厚みが減った上級装備に、さすがのエルジェメルトも顔を赤らめる。
どれも光沢ある絹の白い布地に薔薇のレース模様があしらわれ、淫靡過ぎず上品さを醸し出している。それでいてセクシャルな魅力を彩る。
エルジェメルトの美しいプロポーションを僅かに包むシルクの光沢が艶めかしい。
「お気に召しませんか?」
「当たり前だろう! なんで下着なんだっ! ショ、ショーツもこんなに小さくっ! 殿下の、だ、大事な部分がッ!」
「貴女には訊いていませんよ。カミュリッタ。殿方と手を繋いだ事も無いでしょうに」
「あぐっ………」
「大事なのは一目で目的を悟らせる事です。大胆な下着にはそう言う意味があります」
「カグラは大倭の出身だぞ。通じるのだろうか?」
「夜の事に関してはそうそう違いは無いでしょう。それに、そこは殿下次第かと」
「う、うむ。積極的に行けば必ずやカグラも応えてくれるであろうな。……ふむ。しかし、黒ではいけないのか?」
エルジェメルトのパーソナルカラーは黒。愛と言う戦に赴くのだから己の色である黒で決めたいと言う想いがあった。
「ふふふ。悪くはありませんが闇夜月明かりに映えるのは白でございます。黒が映えるのは、陽光差す寝室。それに、黒は将来互いに求め合った時の方が効果的と思われます」
「そ、そうか。そう言うものか」
「ふふふ。それに、普段とは違う殿下の魅力を見せると言う利点もございますし、何より睦事における白い下着には『貴方色に染めて下さい』と言う意味があるのです」
「カ、カグラの色に染まる………」
ナニかを想像して顔を真っ赤にしてきゅんきゅん身悶えるエルジェメルトは反則級に可愛らしかった。
「殿下は大倭における『白無垢』と言う言葉をご存知ですか?」
「あ、いや、知らぬ」
一応勉強したエルジェメルトだが無論知らない言葉も有る。
「大倭では結婚した男女が迎える初めての夜に、婦は白の下着で夫を床に迎えるしきたりなのだそうです。その姿を見たカグラ殿もきっと殿下の想いを汲んで頂けるでしょう」
カグラが聞いたら大慌てで否定する所だが、生憎とこの場では否定するだけの知識を持つ者はいなかった。
「おいマーキュラっ! せめて、ブ、ブラは無いのか? 姫様のすっ、素晴らしい胸の部分が透け、透けてしまっているのだが!」
「ベッドに忍び込むのならブラは外れ易く動きを妨げます。まあ入る前に脱げばよろしいのですが、その辺は美学に係わる事なので」
「び、美学だとッ!」
「この方がこのままベッドの中に忍び込んでも腕などを締め付けませんから」
「完璧だ………! おまえのような侍従を傍に置けて良かったぞ。ではいざゆかん!」
まるで戦場に赴くように気合を入れてエルジェメルトは部屋の外に出陣する。
いや、彼女の向かう先は正に戦争だ。
人と言う種に与えられた、最も根源的な戦いに彼女は挑むのである。
「あうう。姫様………私ならいつでもお傍に侍りますのに。なぜあのなよなよした者にィ」
ハンカチどころか厚手のカーテンでも喰い千切りそうなカミュリッタがグルルと唸る。今にも追いかけて行きそうなので、マーキュラがさり気なく通路を塞ぐ。
「カミュリッタ。貴女は女でしょう。実力でも負けているし」
「うっ、お輿入れ前の姫様のお相手をするのは女の方が適任だろうっ!」
「自分の欲望をずうずうしく肯定しないで欲しいわね。それに、………ふふふ。ああ言う殿方でもベッドの中ではどうなる事やら。ケダモノかもしれないわ」
「ケ、ケダっ? そ、そうだな! 男なんてケダモノだ! そうに決まってる! 殿下に相応しくないっ!」
「あら、それならいっそ抱かれて確かめてみたら? 殿下に相応しいかどうか、貴女自身が味見して確かめるの。それも貴女の役目ではなくて?」
「そ、そそそっ、そんなふしだらな事ができるかッ!」
「殿下とにゃんにゃんするのはふしだらではないのかしらね」
「それは仕事だもんッ! 御役目だもんッ!」
「また自分に都合の良い事を。………でも上手く行くかしらね。ちょっと心配だわ」
こうなる事を半ば予想していたマーキュラはカグラを引き留める援護射撃を行い、またカグラの方にもある程度手を回していた。
客間とは言え二人でも充分寝る事ができるサイズのベッドがある部屋を用意させ、またカグラに女物の下着を与えたのは男に免疫が殆ど無いエルジェメルトが土壇場で臆さないようにする為でもあった。
もっとも、知識はあるが浮世離れした皇女と遠い異界の少年。カグラは女性慣れしているようではないしエルジェメルトは言わずもがな。初めて同士は勢いが要るが、夜這いとなるとそれも上手くいかないかもしれない。
だからと言って皇女の初めての夜にしゃしゃり出るのも気まずい。
「英雄色を好むと言うけれど、カグラ殿もそうなのかしらね」
良くて五分五分かしらね、とマーキュラは呟いていた。
*
「まさか客室の秘密通路を、こんな時に使う事になろうとはな。いよっと」
なぜかきちんと掃除され蜘蛛の巣一つ無い秘密通路を通り、目的の部屋に忍び込む。
エルジェメルトのような立場の者が住む屋敷に脱出用の秘密通路があるのは当然である。また、来客の様子を探る為の盗聴用秘密部屋を客間の隣に置くのも当たり前だった。
とは言え、エルジェメルトはこの屋敷の主である。普通なら喩え鍵がかけられようと堂々とマスターキーで入ればいい。礼儀とかマナーとかそう言う物を考慮しなければ、だが。
しかし、今回の相手はカグラである。エルジェメルトはこの強大な相手に悟られぬように間合いを詰める必要があった。
そんな訳でこの秘密通路を使ったのだが、実はすでにこのルートを使う事を見越していたマーキュラが徹底的に掃除させていたのだった。決戦仕様のエルジェメルトが汚れないように、である。
「カ、カグラ。起きて………おるか?」
大き過ぎず、小さ過ぎず、届くかどうかのギリギリの声。
起きていて欲しいが、起きていたらいたで恥ずかしい。なにしろ父にも見せた事の無い、女としての姿を見せようとしているのだから。
だが、微かに聴こえてくるのは規則正しい息の音だ。
(………これは………寝息……か。ふ、ふんっ。き、期待して起きていても良いであろうが!)
心の中で気恥ずかしさを誤魔化しながら足音をたてぬようそっと近寄る。起きていないからと言って退くつもりは全く無い。
むしろチャンス!と侵攻を開始する。
そして、エルジェメルトはカグラが眠っていた事を大星樹に感謝した。
ベッドで眠りに着くカグラ。それはまさに御伽噺の眠れる姫君。
(う、うほっ! な、何と言う美しさよ。これで男だと言うのだから間違っておる。妖精か或いは女神か。も、もしや舐めたら砂糖菓子か蜂蜜のように甘いのではないだろうか!)
いや、御伽噺の眠り姫と呼ぶには、その姿は余りに扇情的である。
何しろ、普段のカグラは凛としていて隙が無い。
しかし、ベッドで眠りに着いた彼は穏やかな微笑を浮かべ、見苦しくない程度に微かに寝乱れている。
無防備!
そこには妙な色気すら感じ取れる。
色白の肌。長い睫毛。唇。黒髪。うなじ。
この美しい少年にベタ惚れしてしまった箱入り皇女には何もかもが妖しい毒だ。
(た………堪らぬっ! 辛抱堪らぬっ! 欲しい! 我はおまえがっ、カグラが欲しいぞ!)
だが。
息を荒げてベッドに上がり抱き付こうとした、その時だった。
今までほとんど動きの無かったカグラの身体が有り得ない反応で動いた。
「にゃうっ!」
身体が高速で入れ替わり、エルジェメルトはベッドに仰向けに転がされ、腕を畳まれその細い首に手がかかる。
寝ていた筈のカグラがエルジェメルトを完璧にベッドに押さえ付けたのだ。
「カ、カグラうにゃあっ!」
首だけではなかった。なんと空いている手で、乙女の絶対防衛線、すなわち股間を握られた。
「ふにゃあああああああッ!」
絞め殺すほどではないが首を押さえられては迂闊に動けない。男と違って握り潰される物は無いが、薄布越しとは言え敏感な股間を包むように握られては下半身に力が入らない。剛力を誇る両腕は空いているが動きが取れず、これでは何もできないも同然だった。
「だ、だめえ……あうんっ」
少しでも動こうとすれば首と股間に圧力がかかる。
見上げる瞳に映るのは、普段の彼の表情でもなく。
試合で見せた表情でもなく。
刺客を見下ろす、冷酷さと荒々しさを兼ね備えた美しい夜叉の顔。
あるいは御伽噺に出てくる冷酷な冬の女王か。
だが、そんな表情にすら心が蕩けてしまう。
愛撫とは程遠い強烈な圧迫も、苦痛と快楽が綯い交ぜになる。
このままでは泣いてしまう。嬉しくて鳴き声を上げてしまう。
下腹部にじんわりと熱が湧き上がる。それが何の前兆なのか、本能で感じ取る。
「にゅ、にゅれて、にゅれてしま、らめ、らめええ!」
バタンっ!
叫び声と同時に部屋に突入がかかる。
「姫さまぼあっ!」
先に突入したカミュリッタをマーキュラが後ろから突き飛ばす。
突き飛ばした先はカグラ。寸分違わず狙い通りに飛んだカミュリッタに反応したカグラは無意識に放つ全力撃をカミュリッタに叩き込む。
「うぼああああああっ!」
メキッと嫌な音を立てて離れた壁に叩き付けられた。
その隙にフリーになったエルジェメルトをマーキュラは抱き寄せ、転がって距離を取る。
「御無事でしたか?」
マーキュラの腕に抱かれたエルジェメルトは荒い息を整えようとする。
「………ぶ、無事と言うか、何と言うか」
危機感知半径に誰も居なくなった為か、ベッドに転がったカグラはまた規則正しい寝息を立て始めた。演技には見えない。
「………ね、寝ているのか?」
「おそらく。カグラ殿は寝込みを襲われる事に対して訓練を積んでいたのではないかと」
「な、なに?」
「夜討ち朝駆け。達人を狙って寝込みを襲うのは世界共通です。その為に訓練をしていた、と言うのもおかしな話ではありません。ましてカグラ殿なら充分に考えられる事だと」
「むにゅう」
「首を押さえ股間を握るのは男女問わず相手を制圧するのに有効な手です。本来なら問い質す為の簡易的な拷問になった筈ですが、半ば寝ていては加減も何も」
「ご、拷問」
カグラに責められる自分の姿を想像し、エルジェメルトは思わず顔を赤らめた。
「って、我にそんな趣味は!」
「いずれにせよ、カグラ殿とはどうやら徐々に段階を踏んで正しく交際した方がよろしいですね」
「うみゅう………」
*
「おはようございます。エルジェメルト殿下」
カグラは、朝食に案内された食堂で、先に座っていたエルジェメルトに挨拶をした。
ところが、エルジェメルトは顔を真っ赤にして座ったままカグラを上目遣いで睨み上げる。
「………こっ、このケダモノめっ。乙女に……乙女に何と言う事をだなあ!」
「ええっ! わ、私、何か失礼な事をしましたか?」
「い、いや……何と言うかむしろそれが良いと言うか………へ、変な趣味に芽生えてしまいそうだった………」
なぜか昨日よりも余所余所しい態度の皇女に、カグラは戸惑うのだった。
終