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第四章 剣の皇女とサムライと

   1 剣の魂


 その光景は当然のように人を集めた。

 そもそもフルプレートアーマーで学園に現れるだけでも目立つだろうが、それが皇女エルジェメルトで、それに相対するのが今学園で話題を集めているカグラでは目立つなと言う方が無理。

 僅か数分で学園中の人間が集まったのではないかと言うほどの人垣が出来上がっていた。

 つまり、エルジェメルトの『宣言』は時間を置かずして万人に知られる事となった。

 もっとも、公式の申し込みと言う扱いなのだから、遅かれ早かれ学園全体に知られる事になる訳だが。


「ちょっと! こんな往来で何やってるのさ!」

 どこからやって来たのか。真っ先に割り込んできたのはリンスリッドだ。

 この状況に介入してくると言うのは大したものだと思う。普通なら野次馬で済ませる所をわざわざ入って来る。

 役目を持つ義務感からか、それとも単にそう言う性分なのか。

「非常識も大概にしたらどうなの。このバカ皇女!」

 が、普段ならリンスリッドの物言いに対し噛みつくであろうエルジェメルトは、リンスリッドの方に顔も向けなかった。

「貴様は引っ込んでおれぃっ! こと姉妹戦の申し込みに於いて星女会執行部の可否は認められん。その程度貴様が知らぬ筈があるまい!」

「なっ?」

 余りにも強い反発に逆にリンスリッドがたじろいだ。

 もしかすると、このようなエルジェメルトを見るのはリンスリッドも初めてだったのかもしれない。それほどまでにエルジェメルトの意気は強い。

 カグラには解る。

 姿形だけではない。エルジェメルトもまた、決死の覚悟を決めてここに来たのだ。その覚悟を動かす事など不可能に近いだろう。

「さあ答えよカグラ! 我が下に着くか、それとも我と剣を交えるか!」

 水平に突き付けられた大剣は微動だにしない。

 リンスリッドの顔に、怒りで赤みが差す。エルジェメルトの態度を身勝手な物と判断し怒りを覚えたのだろうか。

 言い返そうと更に一歩踏み込もうとして。

 その彼女の前をカグラの腕が遮った。

「カグラちゃん?」

「リンスリッド殿、どうかお退き下さい。これは私とエルジェメルト殿下との問題です」

 無論、言外には別の読みもあった。

 エルジェメルトの申し出は、カグラにとって最良に近い展開だったのだ。

「エルジェメルト殿下の申し出に感謝致します。スオウ・カグラ。その勝負、お受け致します」

「か、カグラちゃんっ?」

 拒否権はある。だが、カグラは勝負に応じた。

 これで、問題は自分たちの中に限定された。

 それでも何か言おうとしたリンスリッドだったが、第四者の登場でその意気を完全に挫かれた。

「そこまでだよ、リンスリッド君。ここからは私が責任を以て立ち会おう」

 声をかけてきたのはもちろんシェルリーだ。また空から来るかと思いきや、今日は校舎からゆっくりと歩いて出てきた。箒も手に持ってはいない。

 それが、二人に対する礼儀だとカグラは感じた。

 同時に、このイベントを大きく、尊い物に昇華しようとする意図も。

 カグラとエルジェメルトの間に立ち、彼女はそこに来ていた全ての者たちに、高らかに宣言する。

「星女会長の名に於いてこの姉妹戦を公認とする。双方異存は無いね?」

「無い」

「同じく」

 二人の即答に、シェルリーは微笑んだ。

「決まりだね。では双方準備に入って貰おうか。試合開始は正午丁度。場所は例によって競技場だ」

「我は構わぬ」

「委細承知」

 シェルリーの宣言と同時に歓声と熱狂が校舎前広場を包みこんだ。

 そして次の瞬間、人の輪が崩れて我先にと移動を開始する。お祭りモードが始まったのだ。

 或る者は席取りに、或る者は商売に、或る者はこのニュースを拡散させる為に。

 それぞれが学園中、否、街中に散って行く。

「三十分前には控室に入っていてね。姉方は東。妹方は西だよ」

「………会長、何で正午なんですか。あと三時間はありますよ」

「待つのも楽しみの内。エンターテインメントだよ。それに観戦しながら飲食する方が楽しいっしょ」

 そんな事を言いながらも、シェルリーはカグラに向かってまるで「よくやった」と言うように片眼を瞑って微笑んでいた。

   *

「………我は先に行く。遅れるでないぞ」

 エルジェメルトが立ち去るのを見届けてから、カグラは深く息を吐いて整えた。

「あの、カグラちゃん?」

 驚く、と言う訳でもないが、リンスリッドは動かずにいた。

「リンスリッド殿。如何なさいました?」

「………ええと、案内するよ。競技場。設備とかも説明しなきゃならないし」

「ええ、よろしくお願いします」

 カグラに断る理由は無かった。むしろ要らぬ手間が省けて有り難いくらいだ。

「準備する物はある?」

「いえ、これ一本あれば」

 腰に差した愛刀を示す。

「防具とか衣装も無いの?」

「ええ。着物はこれ一着ですし、晴着の方は戦いに着る物ではありませんしねえ」

 袂を抑える襷が一本あれば十分。

 まあ、欲を言えば大倭の決闘の倣いで白装束を着るべきかとも思ったが、絶対に負けられぬ戦いなので関係無い。

「……そう」

「なにか?」

 どうもリンスリッドの態度が妙だった。

「あ、うん。あいつ、なんか変だった。カグラちゃん、あいつと何かあった?」

(鋭い………いや、そう考える方が自然ですか)

「不興を買ったようです」

 一言だけそう言ってみたが、リンスリッドは納得しなかった。

「あいつ、そんなタマじゃないよ。非常識で協調性無いけど、誇り高くて自分を見失わない、そんな奴だもん。曲った事が大嫌いで、こんな筋違いな事する奴じゃないのに」

 ふと、リンスリッドの姉妹戦を観戦していた時の事を思い出す。

 あの戦いの中でエルジェメルトはリンスリッドの事を良く見ていた。それだけではなく半ば理解しながらリンスリッドの一挙一動を確認していた。

 興味が無い相手にそんな態度は取らない。彼女は口ではともかく、心ではリンスリッドを認めているのだろう。

 それはリンスリッドも同じなのだろう。二人は口では争いながらも互いに認め合う間柄なのだ。カグラはなんだか嬉しくなった。

「ええ、私が悪いのです。あの方の誇りを傷つけてしまった」

「………ちょ、あ、いや、違うの。そんな事言いたかったんじゃないの。……ごめん」

「リンスリッド殿が謝る事ではありませんよ。それに、遅かれ早かれこんな事になると思っていましたし」

「………遅かれ、早かれ、って?」

「ええ。私のような人間がここに来れば、問題が起きない方がおかしいと思っていました。むしろ、その相手がエルジェメルト殿下である事は光栄であり幸運です」

「幸運?」

「口で説明するのは難しいのですが、あれほどの実力者と手合わせできるのは嬉しいのですよ」

 それは純粋にそう思う。エルジェメルトは強い。しかも正攻法の強さだ。

 格闘技と言うものは実戦こそが最高の学びであると言われる。中でも最も良いとされているのが正攻法の戦い方を持つ相手との交わりだ。

 まさに、研鑽には理想的な相手なのだ。

 と考えたところで、カグラは自分の思い違いに気が付いた。

「あ、しばし、しばしお待ち下さい」

「ほえ?」

「やはり一度着替えを取りに戻ります。遠いのでリンスリッド殿は………」

「任せて。馬車を手配するから」

「では、お願いします」

 リンスリッドの手際の良さは承知している。実際、彼女は数分も待たないうちに馬車を一台回して来た。いつもの二人乗りの二輪タイプだ。

 馬車を使えば青雲荘まではそうかからない。

 カグラは部屋に戻ると、目当ての物を幾つか風呂敷に包み、すぐに馬車に戻った。

「お待たせしました」

「それだけ?」

 大倭の着物は基本的に平面であり、畳むと小さく纏まる。まあ一着分なので嵩張りはしないのだが。

「ええ、少し思い違いをしておりました。己の未熟を恥じております」

 エルジェメルトは正装してカグラの前に現れた。

 その想いを酌むならば、普段着と言うのはエルジェメルトの顔に泥を塗るも同じ。

 互いに礼を尽くす。それが様式美である。

 それに、古来の戦場いくさばに倣うならば、それに相応しい衣装を用意するのも武人の務めである。

 馬車はそのまま競技場に向かう。

「………まだ二時間もあるし、どうする? ご飯食べる?」

「いえ、会場入りしましょう。食事は不要です」

「ん、分かった。じゃあ行こう」

 周囲はすでに賑やかになりつつある。祭が始まる前のどこかソワソワした雰囲気が流れている。

「大倭と趣は違いますが、やはりこれは祭なんでしょうねえ」

「そうだね。大昔、まだ西方界が一つの国だった頃。フェスティバルには決闘が付き物だったらしいけどね」

「そう言えば、大倭にも神前で力を競う大相撲がありますね」

 そこから西側の控室に案内された。

「着替えとかはここでする人が殆どだね」

「結構広いですね」

 部屋の半分は壁際に椅子などが並べられて身体を動かしたり休めたりする空間が広く確保されている。残り半分には荷物を置く棚が二十は並んでいる。

 ここで着替えるのだろうが、目隠しも何も無い。カグラが使ったら大変な事になるだろう。奥には汗を流す水浴びの設備もあるようだ。

「イベントによっては同時に何人も使う事もあるからね」

(………良い施設なんでしょうが、私には使えそうにないですね)

 苦笑しつつ設備を見て回り、どう使うかを考える。

 幸い、使い方や目的を訊ねなくともカグラにも分かるようにできていた。

 なるほど、様々な国から様々な人間が集まるのだから複雑だったり分かり難かったりするようでは意味が無いと言う事か。

 一通り見て回ったところで、リンスリッドが言った。

「ええと、何かできる事は、ある?」

「あ、いえ。特には」

 しかし彼女は動かない。何と言うか、付き添いになる事でカグラに味方していると意思表示しているようだった。

 責任感が有る少女だ。問題を自分の手から外す事を躊躇っているようにも感じる。

 もっとも、この問題はわざわざエルジェメルトが自分とカグラ、二人の問題にしてくれたのだ。他の人間に背負わせるつもりはなかった。

「………あの、集中したいので一人にして頂けますか?」

「あ、あの、ごめん」

 厚意なのは分かるのだが、カグラはそれを受け入れる訳にもいかない立場である。

 なかなか無下にし難い状況だったがそちらに気を回している余裕も無い。

「開始の半刻前………一時間前に教えに来て頂けますか?」

「あ、うん! 任せて」

 リンスリッドが控室から出たのを確認し、カグラは扉や窓に鍵をかけた。

 誰も入れない、筈である。もちろん、能力次第では分からないがそこまで気にしたらきりがない。

 それから刀を脇に置き、床に座り、結跏趺坐に脚を組む。両手は印を結び、意識を空にする。

 内なる静寂に身を浸し、力を満たす。


 人としての感情は希薄になり、シジマの中で一本の刃を打ち上げる。


   2 剣士二人


「カグラちゃん、そろそろ時間だよ。準備できたぶふぉあッ?」

 きっかり時間通りにリンスリッドが入って来たのだが、彼女が何かとんでもない物を見たような顔をして入り口で固まった。

「あ、あの、どうかしましたか?」

「か、髪、髪型!」

「ええ、激しく動くには少し邪魔になるので、簡単な髷にしてみましたが」

 少し前に精神統一を解いたカグラは水で禊をした。

 それから着物を整え、黒髪を上で水引を使って束ねていた。

 カグラはもちろん知らないが、これはこちらではポニーテールと呼ばれるスタイルに近い。動き易い上に簡単で、余り髪型を気にしない庶民層に人気がある。

 一方、西方界の上流階級では髪は細かく手を入れた方が上級、と言う考え方が今もある。例えば身体を動かす時にしてもきっちりと編んでアップに纏めるのが普通だ。

 もっともこの学園ではそれほど重要視されるわけでもない。リンスリッドのように短くしてしまう人間もいる。

 リンスリッドが驚いたのは別の部分だった。

「き、綺麗なうなじだよね」

「そうですか?」

 カグラに自覚は全く無いが、その姿はどこの幻想郷から出て来たか、と思うほど可憐な姿だ。少し印象を変えるとまた別の魅力が湧き出ている。

「あー、うん、あの、もしかして作戦?」

「え? いえ、普通に邪魔にならないようにですが」

「………そうだよねカグラちゃんはそう言うキャラじゃないよね」

 顔を真っ赤にしながらぼそぼそと呟いている。

「後はこれを羽織るだけです」

 持って来た羽織を普段着の上から羽織る。

 華美な物ではないが、スオウの家紋が入ったカグラ用の薄手の羽織だ。

 防寒具と言うよりは準礼装と言うところか。

 こう言う事もあろうかと姉が荷物の中に入れておいたらしい。

「ふおおおおおおおおッ!」

「ど、どうしましたッ?」

「きょ、きょうあくないきものがいるッ!」

 意味不明の事を呟いて悶えるリンスリッド。彼女たちから見れば大倭の服は珍しいので、羽織一枚で随分とイメージが変わるのである。

「あの、お水持って来ますか?」

「………ダイジョーブダイジョーブ。もうすぐ時間だしね。飲み物は観客席で飲むから」

「では、参りましょうか」

 刀を腰に差し、準備は整った。

「あ、あの」

「はい?」

「………ボクはカグラちゃんを応援するよ」

「非は私にあるとしてもですか?」

 我ながら意地の悪い質問だと思う。

 ここに居る限り本当の味方など得られない。そんな当然の事実があるからだろう。

「………訂正する」

「はい」

「ボクは、カグラちゃんの、味方をするよ」

「ありがとうございます」

 今度は素直に礼を述べる。

 これから戦うのはカグラなのに、まるでリンスリッドが戦うかのように肩をいからせて、カグラを先導する。

 次第に歓声が聴こえてきた。

 入場口の扉は開いている。そこからぎっしりと詰まった観客席が見える。

「コールがかかったら入場して。ボクは観客席に行くから」

「座れますか?」

「実は最前列チケットあるんだよねー」

「無料ではないのですか?」

「最前列特等席だけは星女会が管理して有料で提供してるんだよ。本来は来客とかあった時の為に確保しているんだけどね。ボクは星女会役員の特権でゲットした。ちなみに仕切ってるのは会長ね」

 それは職権濫用ではないのか。

 ………あの人は、全く。

 苦笑を洩らしつつ客席に向かうリンスリッドを見送り、試合場に目を向ける。

 先例に倣えば先に上がるのは姉方であるエルジェメルトだが、まだ入場していない。

 もっとも、カグラにはエルジェメルトの息吹まで感じ取れるようだった。

(来ている)

 時間的にも当然。そして、間を空けた事で士気が下がるかもしれないと思っていたが、感じ取れる刀気は凛として充実。

 それほど勝った怒りが大きいのか、それとも彼女の戦士としての力量か。

 思わず嬉しさで身震いする。


「東門姉方! エルジェメルト・バトリ!」


 シェルリーの呼び声が聴こえた。

 歓声が一際大きく膨れ上がる。


「西門妹方! スオウ・カグラ!」


(時は来た。それだけの事)

 急がない。走らない。しかし意識はとうに競技場の真ん中に飛んで行ったような錯覚。

 歓声などカグラの耳には入らない。カグラが感じるのは静かなエルジェメルトの気配だけ。

(………逸るなッ。まだ、まだ早い)

 鯉口に添えられた左手が微かに震える。

 遂に皇女と相対する。

 戦場に立ったエルジェメルトは、より美しい姿に見えた。

 大剣と大盾を構える戦女神。何とも絵になる図柄だった。

「………その、姿は」

「生憎と華美な衣装は持ち合わせておりませんが、礼装にも使える羽織を着てきました」

「刻まれておるのは、お主の紋章か?」

「私のと言うか、家の紋です」

「………見事な心意気よ」

 紅潮するエルジェメルトと向かい合い、短く息吹を吐く。

 競技場に緊迫感が広がって行く。

 あれだけ上がっていた歓声が聴こえなくなった。

 二人の間に立つシェルリーが天を抱えるかのように両腕を広げ、声高に宣言する。

「大星樹の加護の元に二人が星姉妹に至るや否か、お互い死力を尽くして競い合う事を期待する。

 それでは、始めっ!」

 シェルリーの合図と共に、二人は構えを取る。

 カグラはまだ抜かない。左手で鞘を握り、右手はまだ柄に添えるだけ。

 エルジェメルトは大盾を前にする半身の構え。大剣はやや斜めに構える。

 その構えは剣でもあり槍でもある。

「剣を交える前に、一つよろしいか?」

 カグラが声をかける。

「手短にな」

「感謝します。私は殿下が考え足らずな人だとは思っておりません。初めてお会いした時、殿下は鎧姿でしたね」

「う、うむ。まああれはその」

「あれは、大倭から来た者を正装して迎えるおつもりだったのでしょう?」

 大倭はおそらく世界の中でも極め付けに辺境の地である。しかも長い年月外界との交流を断っていて、門戸を開いたのはつい最近だ。そんな場所から大星樹の麓にやって来るのは大変な事であると予想できる者もいるだろう。

 だが、だからと言って自ら動く者は少ない。

 彼女はそんな中で自主的に行動したのだ。

 その姿勢は嬉しく好ましいものだった。

「他にも私に気を配って下さいました」

「む」

「本来なら私は恩を仇で返そうとしていると思われても仕方ありません。しかし、敢えて言わせて貰います。私は貴女に感謝している。感謝している上で、エルジェメルト殿下」

 区切る。

 思えば、カグラが一人の女性に想いの丈を打ち明けるなど、初めての事だ。


「貴女を倒します」


「ふん。是非も無い」

 カグラは刀を抜き、エルジェメルトは剣の切先を向ける。

   *

 戦端を切ったのはエルジェメルトだった。

 元より待ちを嫌う性格であるし、純粋に間合いが広いと言う点もある。間合いはカグラの刀よりも倍近く攻撃範囲は三倍にもなる。

 初撃は槍の如き突きだった。

 ただし彼女の使う大剣は槍よりも遥かに幅がある。その分、大きく回避しなければならない。

 しかし大きく避けると、間髪を入れず薙いでくる。いや、薙ぐと言うより殴るだ。

 どれもが一発必倒の威力がある。それでいて身体強化の恩恵で連続攻撃ができるのだから恐ろしい。

 これだけの大剣、普通なら振り回す事すら難しい。だが、エルジェメルトは難なくそれをやってのける。

 予想は簡単に付く。

 アーマードレスによる完全武装。頭部には儀礼用の物ではない戦闘用のクラウン。

 更に右手に身の丈を越える大剣。左手に全身を隠すほどの大盾。盾には紋章が刻まれている。

 エルジェメルトはそれらの全てを軽々と操っている。

(これが、殿下の完全な戦闘形態。おそらくは身体強化を中心とする正攻法型)

 隠す必要性すらない。

 なぜなら繰り出す一撃が全て必殺技である。

 仮にカグラが一撃でも喰らえば、防御を固めようと楽々場外に弾き飛ばされるだろう。

(ならば?)

 とにかく攻撃範囲が全く異なるのだ。このままでは話にならない。

 手は一つだけ。

 カグラは小枝のように振り回される大剣の斬撃を掻い潜る。

「甘いわっ!」

 剣が右に流れてできた空間に踏み込んだ時だった。

 予想外の方向から攻撃が飛んでくる。大盾の一撃がカグラを襲ったのだ。


 『盾打シールドバッシュ


 盾は純粋な防具ではない。重量と面積に優れたそれは、時に接近戦での強力な打撃武器に変貌する。

 巨大剣の死角である懐をカバーするに十分な武器なのだ。

 普通なら持つだけで精一杯の大盾も強化した身体なら鍋の蓋も同然。しかし相手にとっては武器を弾き自分を襲う金属の塊に等しい。

 しかも、エルジェメルトが操るそれは打撃だけではない。

「この重なった衝撃………『反発』ですか」

 カグラの読みは正しい。この大盾には『反発』のエンチャントが懸けられている。文字通り盾に振れたものを弾く力を付加させている。元々は矢弾を避ける為の物だ。

 『反発』と言っても何メートルも弾く訳ではない。せいぜい三十センチだ。

 だが、強化された腕力で振るわれる大質量と反発のエンチャントによる複合攻撃は、まともにヒットすれば二重の衝撃を身体に打ち込まれる事になる。衝撃が二重になるのは極めて危険な攻撃だ。

 どちらも高度な技術ではない。しかし両立に成功させた時、この組み合わせは凶悪な姿を現す。

 リィンフォースとエンチャントは黄金の組み合わせと呼ばれる所以である。

「伊達にこのような盾を持っておる訳ではないっ! 今度は我から行くぞ!」

 盾を構えたエルジェメルトが突っ込んで来た。予想はしていたが、鎧姿とは思えないほどの速さだ。

 リィンフォースによる脚力強化と併用すれば、さながら大型砲弾になる。

 それ以上に、この戦い方は厳しい。

 近寄れば盾に弾かれ、大剣の距離に動かされる。大きく間合いを離すしか咄嗟の対処が無い。

 だが、距離を離せば再び大剣の乱舞が待っている。

(………これは……… なかなか厄介ですね)

   *

「くくく。《覇王の行進》か。相変わらずの人間移動要塞だよねえ」

 リンスリッドの隣に当たり前のように座っているシェルリーが笑っている。

 全身鎧に大剣に大盾。ほぼ完全武装でまともな打撃は通らない。しかも、大剣も大盾も平気で連続攻撃を繰り出してくる。それでいて、移動力もある。

 大剣の中距離。大盾の近距離。突進力。そして待ちにならず自ら踏み込んで行く。

 移動要塞の喩えは正に的を射ている。

 シンプルな正攻法だが、完成度が高い。まず八割の相手はこれで潰される。

 単純過ぎて有効な攻略法が少ないのも難点だ。

「………カグラちゃん」

「見る限りじゃカグラちゃんは飛び道具なタイプではないだろうしねえ」

 シェルリーは距離を取る遠距離タイプだ。エルジェメルトとは相性が良い。

 対してリンスリッドにとってはかなり辛い相手になる。

「持久戦と言う手もあるんだけど、シンプルな分持久力もあるからねえ、アレ」

 帽子のつばをを弄びながら頬杖を突き、半身に構えながら戦況を楽しんでいる。

「ところでリンスリッド君はどう思う? カグラちゃんなんだけど。武器を用意してきた事から見て、典型的なリィンフォース。ただ、どうも気になるんだけど」

「………はい?」

「………カグラちゃん、何か使ってる? 私には何か使っているように見えないんだけど」

「え?」

 その言葉に絶句する。

 確かに、試合開始からエルジェメルトが一方的に攻めている。

「でも、盾打を防ぐか何かしたんじゃ?」

 まともに食らえば立ち上がれなくなるほどのダメージだ。

「うんにゃ。咄嗟に後ろに跳んだんだよ。大盾の威力は反発の方が先に入るから、後ろに飛ぶのは最小限のダメージで済ませる方法だね。実際にやる奴もできる奴も初めて見たけど。実に興味深い♪」

「あの状況で防御にまで力を使わないって、そんな」

 エルジェメルトの嵐のような連撃を、カグラは素の身体能力だけで捌いている事になる。

「おそらく、素の身体能力に関しては私たちの遥か上だね」

「でも、それだけじゃ」

「うん。勝てないね。あの刀がどれほどの切れ味を持っていようと、それだけであの人間要塞を陥落させえるのは不可能だ。カグラちゃん、どうするのかな?」

   *

(………このままでは獲れないな。やはり踏み込むしかない)

 右の大剣と左の大盾。広い間合いと隙の無い連撃を両立させた布陣は驚異的だ。突進を組み合わせれば息が切れるまでの永久パターンが出来上がる。

(こちらの攻撃をねじ込んで手数を減らすしかないか)

 大きく距離を離す。

 刀を目前に構え、左の指で刃挟んで刃先までなぞる。


「刀気満ち

 刃気勝り

 令気煌く

 斗気とうき深源しんげんに至り

 研気けんき我が身を流刃りゅうじんと成す」


「ぬ?」

 再び押し込もうとするエルジェメルトの脚が止まる。

 カグラの気配が変わった事に気付いたのだ。

「神聖帝国第三皇女エルジェメルト・バトリ殿下」

 自然体に刀を構えたまま、カグラはエルジェメルトに声をかける。

「………うむ」

「スオウ・カグラが、その首級みしるしを頂戴致します」

 その顔に浮かぶ表情は、決死の微笑みだった。

 そして、カグラは再び大剣が乱舞する死地へと足を踏み入れた。

 否。僅か一歩。だが、その一歩は電光の如く。

 まるで地面が縮んだかのような錯覚すら覚える速さだった。

 反射的にエルジェメルトは剣を振り下ろす。

「捌っ!」

 この試合初めてカグラは刀を振るった。

 その一撃は、エルジェメルトではなく彼女の持つ大剣に向けられた。

 突きだ。加速から一直線に繰り出される突きが、大剣を弾く。

「うぬっ!」

 細身の刀が何十倍もの重量を持つ剣を弾く。

 それだけでは終わらない。突きから鋭い横薙ぎに変化する。

 エルジェメルトは大盾による打撃を放ち刀の一撃を防ごうとする。盾で防げば反発で刀は弾かれカグラは吹き飛ぶ。

 だが、カグラの刀は盾に当たらなかった。

 薙ぎは盾の上を通過した。斬撃の軌道を変えたのだ。

 二人の視線が近距離で交差する。

 一発必倒の攻防を経て尚、カグラは静かに微笑んでいる。

 悦びが身体に満たされている。

   *

(何と言う笑みを浮かべるのだっ!)

 剣を交えながらもエルジェメルトは内心に驚愕を抱えていた。

 相手を侮った嘲りでも、戦いに取り憑かれて壊れた笑みでも無い。

 カグラの笑みは死地に入った笑みだった。

 自分の生死も相手の生死も、全てを受け入れる科人とがびとの笑みだった。

 ようやく思い至る。

 刀気だけではない。カグラの体捌き、一挙一動に至るまで、それは相手を屠る為だけの物だ。

 性別を偽っていたと言う大きな事件があったから、エルジェメルトはこの時に至るまでスオウ・カグラと言う人物の本質に目を向けてはいなかった。

 エルジェメルトの驚愕は正しい。

 上流階級の者が護身術や嗜みの一環で得る戦闘術とは訳が違う。


 根本的に言えば、カグラは武士や騎士と言った階級的な存在ではない。


 あらゆる世界で遥か遠い昔に滅びた筈の、戦う事に特化した存在。

 文化の成熟と共に賤しい存在へと貶められてきた戦士たち。

 様々な要素が加わった『軍人』とは違う、戦う為だけの純粋な『戦闘貴せんとうき』。

 それは何処いずこの世界でも神代かみよから連綿と続く英雄英傑の系譜。戦いの無い世界では存在できないその末裔たち。

 『チャンピオン』『フェダーイン』『武侠』

 大倭の言葉で言うならば、スオウ・カグラとは『いくさ人』であった。

   *

「これは皇女殿下、苦しいな」

 僅か数手で、シェルリーはカグラの力量を認めていた。

 真っ向からエルジェメルトを崩す力もさる事ながら、特筆すべきは死地に於いて尚冷静に相手に相対する精神力と、その状況で最善手を繰り出すセンス。

 競技場を包むような囃す声が途絶えている。ここに居る誰もが、目の前の美技に見惚れているのだ。

「系統的にはリィンフォース中心で間違い無い。でも違和感がある。なんだ?」

「分からないんですか?」

「全系統を使える事は確か。ただ、理論上不可能な事をやってる。ここに居る人間で気付いているのは何人いるだろう? いやー、面白いね。」

 シェルリーの分析は驚きでしかなかった。

「だってそんなの無理な筈じゃ」

「どうにかしてやってるって事だね。《オンリー・ワン》かな? 加えて極めて高度に練り上げられた戦闘技術と素の身体性能。たぶん感覚も人並み外れている。これは恐ろしいよ。カグラちゃんは人を殺す性能に長けているんだ」

「………会長。カグラちゃんってまさか暗殺とかそう言う役目の」

 リンスリッドの言葉を、真剣な表情のシェルリーが否定する。

「リンスリッド君。言葉は正確に使うべきだよ。カグラちゃんはそんな下賤な存在じゃあ無い。ようやく分かった。あの子はね、『戦士チャンピオン』に連なる存在なんだよ」

「………『戦士』、ですか?」

「そう。あれは暗殺とかそんなチャチな役割じゃない。伝説の英雄や御伽噺の聖騎士様に連なるような存在だよ。きっとあの子の家は乱世が再び訪れると信じて永い時をかけて熟成させて来た………いや、神代返りさせたんだ。あの身体能力はそこから来ているんだよ」

「乱世、だなんて」

「おやぁ? 獅子王家の末姫が随分と面白い反応だね?」

「………う」

「戦争は絶えない。十年前、私の祖国が隣国である君の国に踏み躙られ滅ぼされたようにね。他の国だってそう内実は変わらない。表にも内輪にも争いの火種はある。ごくごく当たり前にそれは存在するよ」

 シェルリーの言う事は間違っていない。

 複数の大国が分割支配する事による安定。迂闊な戦争は国を滅ぼしかねない状況が逆に平和を作りだしている。

 しかし。裏側を見れば支配階級には戦いに依存したシステムが残っていて、作動不良を起こし始めている。それが周辺の小国や自国の内部に飛び火する。さもなくば犯罪や背徳的な行為に昇華される。

「これはあくまで私の想像だけどね。カグラちゃんの家は、大倭が鎖界を始めた時から外世界に襲われた時の事を考えていたんだ。だから戦う技術とそれを操る存在を育ててきた。長い年月をかけて積み上げられてきたそれは、全世界に他に類を見ない、太平を内側に造り出した国大倭それ自体に背を向ける行為だ。私に言わせればそれは狂気だよ。恐るべき執念としか言いようがない」

 シェルリーは楽しそうに目を細めている。

「今回の大倭の開界だって一歩間違えれば戦争になった筈だ。少なくとも大倭の地を奪い取ろうとした国は君の所や神聖帝国を含めても三つや四つじゃきかない。そしてそうなった時、カグラちゃんは戦場に投入されていたんだろうね。そしてきっと世界中にその名を轟かせていただろう。悪名になるのだろうけど」

 リンスリッドが見ただけでもカグラの力の前では並の兵士百人程度では皆殺しになるだけだと感じた。

 それどころか、この地で名を馳せた戦巫女たちが相手にならない、そんなイメージすら浮かぶ。

 思わずブルッと震えた。

 学園最強と呼ばれる星女会会長の言葉には強い説得力とリアリティがあったのだ。

「………まさか、カグラちゃんがここに来たのは」

「ま、その力を見せ付ける為だった、と言う事かなぁ? 大倭への武力侵攻を諦めさせる、分かり易くて効果的な手段だね。もちろんここで学ぶ事も目的なんだろうけど」

 複雑な心境を表情に出して見つめるリンスリッド。

 一方のシェルリーは興味深そうな表情で、フィールドの二人を眺めている。

「………それにしても。ここまで英雄の素質有りならこりゃあ御伽話の英雄同様、女たちが放っておかないだろうネ」

 リンスリッドに聴こえないような小さな声で、シェルリーは更に「面白そう」と呟いた。

   *

(まるで宮廷で踊っているかのようだ)

 エルジェメルトはふとそんな感想を抱いた。

 彼女も皇女であり、男女がペアで踊るダンスは必須教養である。

 剣戟が響く殺伐とした攻防であるにも関わらず、どこか自分とカグラがダンスホールの真ん中で踊っているような、そんな錯覚すら覚える。

 ペアで踊るダンスと言うのは、どちらか片方だけが上手くても駄目だ。無論、型を整える程度の事はできるだろう。

 だが、互いの呼吸がピタリと合い、一挙一動が揃った時、文字通り次元の異なる至高の領域へと駆け上がる。それと同じなのだ。

 気分が高揚する。

 ダンスなら、それは芸術だ。

 だが、剣と剣が打ち合わされるこの場に於いて。

 それは致命的であると理解が追い付くのに時間がかかった。

 一見すると自分が攻め立てていたように見えたかもしれない。

 だが、その実。

 場をエルジェメルトに悟らせる事無く支配していたのはカグラの方だ。

 故に、僅か一手。エルジェメルトが反射だけで放った一撃をそれまでと違って大きくずらされた時。

 エルジェメルトの懐に、初めて大きな隙が生まれた。

(しまったッ! 間に合わぬ!)

 エルジェメルトはようやく、自分が踊らされていた事に気が付いた。

 気分が良い筈だ。

 組み手。

 予め決められた通りに技を応酬する鍛錬。本来ならせいぜい十手。だが、カグラはそれを百手にも千手にも至るレベルで一方的にエルジェメルトを導いていたのだ。

 カグラとの距離がゼロに至る。

 鋭い、などと言う話ではなかった。

 神速の踏み込み。しかも、カグラは真っ直ぐに入って来たのではない。

 歩法だ。相手の目を惑わせる高速の足捌きを含み、エルジェメルトに肉薄した。

 武装要塞の如きエルジェメルトの間合いに於いて、ただ唯一の空白。

 密着した完全零距離。

(だが、この間合いではカグラにも手はあるまい?)

 大盾も大剣も意味を為さない。エルジェメルトが戦うには脚か、或いは距離を離す事。

 かつてないほど、カグラの顔がエルジェメルトに近付く。

 男子と思えない美貌。

 そのカグラが、ニコリと微笑む。柔らかな微笑みだった。

「にゅなッ?」

 胸が刹那激しく高鳴る。

 微笑みに気を取られた、次の瞬間だった。

 天地がひっくり返った。

 零距離で最も効果的な技。

 カグラのヤワラ。すなわち、投げ技であった。

 まるで魔法をかけられたかのような浮遊感の後、エルジェメルトは背中から競技場の地面へと落下した。衝撃と鎧の重量で息が詰まる。

 間髪を入れずカグラがエルジェメルトの上に跨り、首に刃を突き下ろした。

 更なる密着。体は封じられ、身動きも取れない。

「王手でございます」

 凄絶な笑みを浮かべたまま、カグラは刃をエルジェメルトの首筋に当てていた。

 返答次第では殺すだろう。

 この相手に後先は無い。すでに死人の域に居るのだから。

 それにしても、まるで押し倒されたかのような格好だ。

 刃の輝きと、カグラの表情が近い。

「………うにゅ」

「………はい?」

 頬が染まる。その声を聞いたカグラの表情から険が抜けた。

「………我の負けだ」

 大剣も盾も手放してエルジェメルトは敗北の意志を示す。そこには何も邪魔するものは無かった。


 何となく、鎧が邪魔だと思った。


   3 皇女殿下の憂鬱


「………はあ」

 あの狂乱の姉妹戦が明けて翌日。

 エルジェメルトがもう何度目か分からないほどの溜め息をまたついた。

「………カグラ………」

 窓に顔を向けても目に映るのは外の景色ではない。景色の先に居るであろう相手の幻である。

 圧倒的な力で第三皇女エルジェメルトと言う存在を完膚なきまでに叩き潰した東方より来た美剣士。

 だが、エルジェメルトの中には苦渋とか屈辱とか、そんな負の感情は芽生えなかった。

 むしろ彼女の胸に宿るのは、モヤモヤとした意味不明のものだ。

 苦しいがどこか心地良い。

 このままでいたいようで、何かが欠けている寂しさ。

 そんな奇妙な感情の炎がエルジェメルトをとろとろに焼き焦がしていた。

 心地いいが、このままでは遠からず何らかの限界に達すると本能が訴える。

「失礼致します」

 侍従長マーキュラと親衛隊長カミュリッタが揃ってエルジェメルトの部屋を訪れたが、彼女はそんな事にも気を回さない。

「あ、あのっ、お気を落とさないで下さい、殿下」

「………カミュリッタ、それは全く無意味な言葉よ」

「わ、私は殿下に早く立ち直って貰いたいからっ!」

「だから、問題が違うと言っているの」

 マーキュラは微笑みながら主の耳元で囁いた。

「原因はカグラ殿でございましょう」

 効果はてきめん。肩をビクッと跳ね上げさせた。

 エルジェメルトは一瞬驚いた顔をしたが、ただこくこく頷いてそれに答えた。

 普段の尊大な態度は何処にも無く、そこにいるのは年相応の乙女。

「分かりましたっ! ちょっと行ってあのカマ野郎の首刈ってきます!」

 部屋を飛び出そうとしたカミュリッタは、しかしマーキュラの放った電光石火の足払いで部屋の中に思いっ切り吹き飛んだ。

「殿下は今苦しんでおられる。それは敗北や屈辱ではありませんね? おそらく、カグラ殿の事でここが一杯なのでしょう?」

 胸の中心を指し示すマーキュラに、エルジェメルトはこくこくと頷いてそれを肯定する。

「カグラ殿に傍に居て欲しいと思うのでしょう?」

 こくこく。

「他の女性と仲良く歩いていたりするとムカムカするのでしょう?」

 こくこくこく。

「………カグラが他の者に盗られたらと思うと地の底に落ちたような気分になるのだ」

「確かに。カグラ殿を取り巻く状況は決して安心できるものではありません。男子禁制の地であるここにおけるあの方の立場と言う物もありますし」

「いっそ追い出せばよろしいのですぐぼおっ!」

 面白くないカミュリッタは小声で呟くが、地獄耳の侍従長はそれを聞き逃さず肘鉄を喰らわせた。身体を『九の字』に曲げたカミュリッタが壁に激突する。

「貴女はお黙りなさい。殿下。まことに申し上げにくいのですが……ここでは少女同士が素肌を交える事は珍しくもありません。むしろ美徳と思われている場合もあるほどです」

「……うむ」

 環境が環境である。しかも殆どが一人による入学なのだ。何を為すのも己の心一つ。

 そんな時、身近な相手と友情を育み、それが更に先に進むのも或る種当然の事。

「当然、いずれカグラ殿にそう言ったアプローチをかける者も現れるようになるでしょう」

「うぎゅう」

「時間の問題です。ただでさえ目に着く美貌。それでいて優しく丁寧な態度。しかも。あの方はその稀有な才能を多くの者たちに見せてしまいました。あの戦いで、多くの者が魂を奪われておりました。……おそらくカグラ殿はここでの生活を平穏に過ごす心づもりだったのでしょうが………無理ですね。もう絶対」

「………うみゅう」

 それを結果的にだが一方的に無理矢理引っ張り出したのが他でもないエルジェメルトである。

 しかも大々的にその尋常ならざる実力を晒させてしまった。

「もしこの上カグラ殿の性別が公になれば、間違いなくこの地で前代未聞の戦争が始まります。カグラ殿を取り合う女たちの手によって。殿下には責任がありますね」

 エルジェメルトの顔が不安やら罪悪感やら嫉妬やらなんやらでメチャメチャになりそうだった。

「………マーキュラよ。我はどうすれば良いのだ?」

 皇女すら一目置く侍従長は、しかし全く動じていない。

「別に何も特別な事をする必要はございません」

「しかし」

「いつものようにされればよろしいのです」

「いつものようにとは、どう言う事だ?」

 全く分からないと唇を尖らせる。

 そんな姿を微笑ましいと見ながらマーキュラは言葉を続ける。

「逆にお尋ねしましょう。なぜ御命じにならないのです?」

「何を命ぜよと言うのだっ! 本音を言えばカグラをこの屋敷に置きたい手元に置きたい毎晩共に食事したいし、で、できれば一つのベッドで一緒に眠りたい! ………だが、カグラはそれを許さぬ。あれはそう言う奴だ」

 依存を良しとしない独立の意志がある。

 それどころか、自分が問題だからエルジェメルトに迷惑をかけぬよう遠ざかる可能性すらある。

 打つ手無し。考えただけで気丈な皇女の目に涙が浮かぶ。

 ところが、そんな皇女の姿を見ても、マーキュラは余裕を崩さなかった。

「カグラ殿を守り且つ殿下の欲望………もとい、責務を全うする方法がございます。幸い、条件は全く問題ではありません」

「………ぬ?」

「ですからご命令を頂きたいのです。その為の準備はできております」

「マーキュラよ。お主は一体何を言っておるのだ?」

「お引っ越しと増築でございます」

 やり手の侍従長はそう言ってにっこりと微笑んだ。

    *

 姉妹戦から二日目の朝。

「カグラよ、起きておるか?」

 寝具から起きて一日の行動を開始しようとした矢先。

 寮の外から声が聞こえたので窓を開ける。

 庭、と言うか野原と言うか、とにかく庭先にエルジェメルトが来ていた。

 戦いの時のような戦装束ではなく、かと言って動き易そうな普段着でもなく、簡易的とは言え麗しいドレス姿だった。色は無論黒。ちなみに見えない部分も勝負仕様だったりするが流石にカグラもそこまでは分からない。

「エルジェメルト……殿下? おはようございます。………本当にお早いのですが、………あの、どうしました?」

 カグラが起床する時間だから世間一般的にはかなり早い。

「中に入って良いか?」

「ええ、しばしお待ち下さい」

 衣服を整え、カグラはエルジェメルトを寮の中に招き入れる。

 湯を沸かし、茶を淹れる。茶と言っても大倭で飲む緑茶ではなく、西方界で流通する発酵した紅茶の茶葉だ。

 一昨日の勝利の後、何故か馬車一杯の戦勝祝いが届いたのだ。生活用品や食糧、布地などが大量に積まれた。

 届けに来たリンスリッドによれば、一種の御祝儀でカグラの来校祝いも兼ねているのだと言う。

 ちなみに、一番多かったのは衣服で、二番目が女性用下着だった。

 リンスリッドに言った「衣服が無い」と言う話が漏れて広がったのだろうか。

 昨日は結局それの整理に追われてしまった。

 何しろ、贈り物と言うのは善意のみでは無いからだ。悪意、あるいはそこまでいかないにしても覗き紛いのネタを仕込んでいないとも限らない。それを可能にする能力もある。

 やましい部分がなければ別に構わないのだが、カグラにはやましい部分がいっぱいである。

 油断で失敗をした直後だけに、カグラは細心の注意を払って荷物を全部調べ上げた。丸一日がかりで。

「一戦以来ですね」

「………あー、うむ。今日はお主に伝えたい言葉があって来たのだ」

「と申しますと?」

 そう言ったのに、エルジェメルトはなかなか言葉を続けない。

 お茶のお代わりを淹れる時になって、ようやくエルジェメルトは口を開いた。

「………海賊娘の国には『戦いが終わればノーサイド』と言う言葉が有る。戦いの場から離れれば勝ち負けや怨み辛みを持ち出さないと言う、スポーツの言葉なのだが」

「良い言葉ですね。戦いに臨む者はかくあるべしと私もそう思います」

 憎しみや怨みは力を与える。だが、同時に盲目にもなる。それは危険な諸刃の剣だ。

 姉にも「怨みでいくさに臨む者は石に蹴躓く」と言われた事がある。

「その、なんだ、我はお主を追い出そうとしたが、それはもう止める! だから、その、これからも、その、あれなのだ!」

 威勢が良かったのはそこまでだ。

「………な、仲良うしてたもれ?」

 小さな声でごにょごにょ呟くように言葉を漏らす。

 顔は少し横に向けつつも、目は上目にこちらを見ている。

 なんだか悪い事をして怒られている黒い子猫のような、そんな趣だった。

「こちらこそ、殿下。お手数をおかけしますが、どうかご協力をお願いします」

「う、うむ。オゴレウス帝国第三皇女エルジェメルト・バトリの名に懸けて、お主を助け、共にある事を、大星樹に、ち、誓うぞ! 誓ったからな!」

「ありがとうございます」

 礼を述べると、エルジェメルトはパッと笑顔になった。

 思わず見惚れてしまうような、そんな笑顔だ。

「あとはな。それだけではないのだ。隣に引っ越してきたので挨拶に来たのだ」

「隣に………引っ越し?」

 一瞬、意味が分からなかった。

「うむ。外に出て見よ!」

 言われるまま、寮の外に出て。

「ん………うえええええええええええっ?」

 外に出たカグラの目が見開かれる。

 昨日までただの広場だった青雲荘の隣に。

 エルジェメルトの屋敷が丸ごと移動していた。

 エルジェメルトの屋敷は規模こそ大きいが元々組み立て式である。基礎となる部分すら部品であり、作業能力があるならば移転作業は難しくない。

 そしてここは星樹の力が濃い特別区画。

 技術さえ揃えれば屋敷を一つ動かすなどワケも無い。

 マーキュラは一等地にあった屋敷を、カグラが一人で住む寮の真横に移転させたのだ。

「き、気付かなかった………一晩のうちで運び込んだのですかっ?」

 敏いカグラに気付かれずに引っ越しする離れ業だ。

「うむ。だが、それだけではない!」

 周囲を確認すると、更に驚く羽目になった。

 屋敷と寮が通路で連結されている。屋根だけでは無く、正真正銘の通路だ。

 驚いているカグラの前に、侍従長のマーキュラが現れる。

「カグラ殿、おはようございます。早速ですが寮の管理責任者であるカグラ殿の許可を頂きたいのですが」

「きょ、許可、ですか?」

「はい。一つは寮敷地内での基礎工事です」

「基礎?」

「はい。屋敷は運びましたが、土台工事はまだなので、現在は特殊な方法で支えています。二つ目は寮との通路を開ける為に壁を工事すること。三つ目は温泉への入り口を入り易くし営業できるように改造します。以上の許可を頂けますか?」

「あ、いえ。基礎と通路は構いませんけど、温泉の方はどんな感じにするんです?」

「梯子で昇り降りは不便ですので、少し掘って階段状にします。それから地上部にカウンターと脱衣所と休憩所を作り、冷えた乳飲料を出す店を置きます。ついでに屋敷との連絡通路も作ります。これで寮と屋敷と温泉が屋根伝いになります」

「ええと、それは構いませんが、判は必要ですか?」

「サイン、お名前をこちらの書類に書いて頂ければ結構です」

 渡されたペンで紙に名前を記す。

「ありがとうございます。明日までには全て滞りなく行います」

「明日っ?」

 さすがに速過ぎる気もするが、屋敷を一晩で持って来た以上、やってもおかしくないとも思う。

 立ち去るかと思いきや、マーキュラは更に言葉を続けた。

「ところで、聞くところによれば大倭には引っ越しの際に隣人に黒麦のパスタをふるまう風習があるとか」

「黒麦………ああ、蕎麦の事ですか」

「御用意しております」

「と言う訳でカグラよ、速やかに我が屋敷に来るのだ。一緒に朝食を摂ろう!」

   *

 自分の屋敷にカグラを招いたエルジェメルトは、これまで使用人の誰もが見た事が無いほどはしゃいでいた。

 柱の陰でカミュリッタがハンカチを噛んでいるが、マーキュラの手で適当な部屋に蹴り込まれている。

「なかなか良い判断であろう? 温泉もあるし学校への行き帰りは我の馬車を一緒に使えば良い。無論、入泉料はその都度支払うぞ。いや、月決めで払うか」

 他にもカグラを尋ねてくる相手を公然と足止めできたりする。

 更に内心では「将来は城壁で囲ってくれる」などと皇女殿下は考えていた。

 いざやってみればエルジェメルトにとってはメリットばかりである。使用人たちも温泉を使えると喜んでいる。

「さすがに驚かされました」

 苦笑するカグラだが、悪いようには思っていない。

 食堂に案内されて少し待つと、食事の用意をしてきたマーキュラが入って来る。

「お待たせしました」

「………あの、これは?」

 目の前の皿に盛り付けられているのは黒っぽい麺に赤々とした液状の何かがかけられた物だった。

 麺の方はカグラの知る蕎麦に近い。

 だが、濃く赤い液状の物体と言うのは大倭料理ではあまり見ない色だ。

「黒麦と言えばトマトソースでございます」

 素材は同じでも国によって食べ方は異なる。

 かえしと山葵が懐かしい。

「トマトとは赤茄子の事。食べられるとは聞いた事がありませんでしたが」

「西方界では何百年も前から食べられていますよ」

 恐る恐る口に含んで見ると、少し酸っぱく、微かに甘く、煮込まれた挽肉に味が染みている。

 それが蕎麦の香りと実によく合っている。

(蕎麦粉があれば蕎麦は打てる。あとはかえしがあれば取り敢えずかけ蕎麦にはなるかな)

 いつか大倭の蕎麦を作れたら、エルジェメルトに食べて貰おうか、と考えるカグラだった。


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