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第二章 乙女たちの学園ルール

   1 学園星女会長


 どんなに辛い事があっても明けない夜は無い。

 同時に、どんなに望まなくとも朝はやって来る。

 朝の八時。二人乗りの馬車を駆るリンスリッドが約束通りやって来た。

 車輪の音を確認したカグラは外で彼女を出迎える。服装は昨日と同じく簡易正装である。

 朝の挨拶を交わしたところでリンスリッドの方から「くきゅううううう」と言う音が聴こえて来た。

「………あじゃあ」

 顔を真っ赤にしたリンスリッドが少しでも被害を減らそうと両手で腹部を抑えるが、その程度で抑えられる筈も無い。

「リンスリッド殿は朝食がまだなのですね」

「う、うん。カグラちゃんは朝ご飯食べた?」

「ええ。朝起きて表で乾布摩擦をして、それから川に水を汲みに行き、ついでに朝食用の魚を獲って来ましたが」

 俗に魚を釣るなら「朝まずめ夕まずめ」などと言う言葉がある。魚が餌を求める時間なのか習性なのか、夜明けと夕暮れがもっとも釣れ易いとされる。人手が余り入らないからか、そもそも魚獲りなど誰もやらないからか、獲れたのは随分と大きな川魚だった。

「あらら。一緒に行くついでに一緒に朝ご飯しようと思ってたんだけど」

「時間は大丈夫なのですか?」

「へ? ああ、余裕余裕。始業は十時からだしね」

「星女会長殿のご都合はどうなのでしょう? お忙しい方ではないのですか?」

「忙しいのはボクみたいな下っ端。あの人は一日の半分遊んでるよ」

「………ここは学び舎なのですよね?」

「会長が特別だって言う事もあるからね。じゃあご飯、寄って行っていいかな?」

「ええ。お付き合い致します」

「朝ご飯が魚一匹じゃ大変でしょ? がっつり一緒に食べよう! ボクたちは身体が資本だからね」

 リンスリッドに先導されるまま、カグラは馬車に乗る。昨日と同じく二輪で二人乗りの馬車だ。

 手綱を持ったリンスリッドが馬を操って街の方向に向かわせる。

「………ところで、さっきちょっと言った『かんぷまさつ』ってなに?」

「乾布摩擦ですか? 乾いた布で素肌を擦るのですが。腕や背中などを」

「へ~………って、ええっ! そ、それって外で裸になったって事? だ、駄目駄目駄目駄目だよ幾らここが女の子ばっかりだからって、そんな事しちゃ!」

「へ? あ、ああっ、そ、そうですねっ!」

 焦る。初日から色々迂闊だった。偽乳を外したついでに乾布摩擦をした事もさる事ながら。

「あ、あの。もしかして大倭の人って外で裸になるの?」

「いや、その。伝統的な健康法で主に人目に着かない庭先などでやるのですが」

 他にも暑い日などは庭で女性が行水する事はままある。

 カグラの姉もそう言う事には全く頓着しない性格だった。

 もっとも、あの姉の行水を覗こうなど命懸けの行為だっただろう。まだ虎穴に入って虎児を盗み出す方が楽だと思う。

   *

「………あれだけの量をよく食べられましたね」

 学園の敷地を歩きながらカグラは呟いた。

 先程、朝から営業している食堂でカグラとリンスリッドは朝食を摂った。

 その食堂は一定の料金を払えば出されている料理は食べ放題と言うスタイルの店だった。大倭では見ない営業方式だったのだが、そこでリンスリッドが平らげた量は優に三人前はあった筈だ。おそらく同年代の男子よりも食べたのではなかろうか。

「星女会は体力仕事だからね。あっち行ったりこっち行ったりするし。街の端から端を一日数往復なんてザラだから」

 そう言えば昨日も甘味を大量摂取していた。あれも栄養補給の一環か。

「それは大変ですね」

 距離から考えるとカグラを迎えに来るのもかなりの運動量だったのではなかろうか。

「ああ、それは違うよ。ここにはあちこちでレンタル馬車があるから港に行くのは楽なんだけど、街中だと大通り以外は馬車禁止だしね」

 今朝リンスリッドが使った馬車は食堂を出てから返却したのだ。故に、二人は学園まで歩いて来ている。

「街中は結構複雑だし、自分の脚以上の移動手段が無いんだよね」

「複雑、ですか」

「うん、ただでさえ大星樹の麓で区画整理がやりにくいのに、学園成立初期では協力するよりも各々が勝手気儘に建物建てて利便性なんかクソ喰らえって感じだったんだって。年月が経過してそれが廃棄されたり上に新築したりで、今じゃどこに何があったかを把握するのも困難なんだよね。寮の庭でゴミ捨て穴を掘ったら遺跡が出てきた、何て事もよくあるんだよ」

「歴史があると言う事は良い事だと思いますが、それが時に害となる事もあるのですね」

「うん。あとね、学園でも馬車を保有してるけど、よっぽどの事が無いと使えないんだよね」

「あ、でもエルジェメルト殿下は所有しておられますよね?」

 あの移動要塞かと思うような豪華絢爛な馬車のインパクトは強かった。

「あそこは特別。って言うか常識外れ。自分の足で歩けいっ、って感じだよ」

 憤慨しているようだが憎しみと言った感情は感じ取れない。

 口とは裏腹に、彼女が決してエルジェメルトに悪い感情を抱いていないと言う事だ。

「………ま、お連れを連れて来てるのは馬鹿皇女の所だけじゃないけどね。あれはまだマシな方かもしれないし。………それにしても注目の的だよねぇ」

「はい?」

「カグラちゃん。皆こっちを見てるよ」

 それはカグラも気付いていた。

 もちろん道行く人物は全員カグラと同年代の少女たち。その少女たちがこちらに視線を向けたり何か小声で喋ったりしている。

「物珍しいから、でしょうね。私と同じような服装の方はいないようですし」

 この街で少女たちが着ている服はリンスリッドのような肌の露出の多い服ではないが、基本的な造りは同じだ。カグラの服とはおそらく布地の断ち方・縫い方からして異なる筈。

「いや、服だけじゃないんだけどなあ。ああ、星女会には制服っぽい物もあるけど、生徒は基本的には何を着ても自由ね。カグラちゃんも好きな服を着て良いよ。露出が激しいのは風紀委員会でチェック入れるけど………カグラちゃんは可愛いからスルーされるかも」

 着慣れた物を着て良いと言うのは有り難い。

 もっとも、カグラには着る物が殆ど無いのだが。

「取り敢えずこれ一着なのでこれを着ますが」

「は? ずっと同じの着るの?」

「もう一着あるのですが、あちらは晴着なので」

「カグラちゃんは可愛いんだからこっちの服も似合うと思うよ! 良かったらボクが選んであげる!」

「いや、ええと。懐具合もありますから」

「分かった、古着をカンパしよう! 声をかければ集まると思うし!」

「そ、そこまでして頂かなくとも」

「コーディネートはまーかせて!」

「いやいやいや、それはあのっ! 何と言うか!」

 話をしながらも二人は建物の中に入り、奥まで進んでいく。

 と、ある部屋の前でリンスリッドは脚を止めた。

 表札は『星女会長室』となっていた。と言う事はここが取り敢えずの目的地。

 ……が、リンスリッドはなかなか扉を開けようとしない。何故か躊躇しているようにも感じる。

「ええと、注意なんだけどね」

「はい?」

「今の星女会長は地獄耳で性格がちょっとひん曲がっている人なの。《魔女》って仇名されている人でね」

「………《魔女》? 悪女とかそう言う意味なのでしょうか?」

「まあそんな感じ。実力は学園一。性格の悪さはユグドラシルロット随一。無理難題と我儘で人をこき使うが故に《魔女》と呼ばれる人なんだよ。ボクも何度泣かされたか」

 リンスリッドのどこか暗い情念の籠った言葉から、それが決して嘘偽りではない話だと理解できる。

 なぜなら、カグラにも似たような覚えがあるからだ。

「………私の姉も似たような人でした」

 女しかいない場所で考える事かと思うが、間違い無く自分は女難の星の元に産まれてきたのかもしれない、などと考えてみる。

 深呼吸して意を決したか。

 リンスリッドがノックした後「失礼します」とやや硬い声でドアを開けた。

 中は畳勘定で二十畳ほど。横壁に書棚が四つ。部屋の最奥に置かれた木製の重厚な机の向こうに、その女性は居た。

 ただ、その女性は椅子に座ってはいなかった。

 箒だ。

 彼女は空中に横にした箒に座っている。

 箒ごと彼女は床から浮いているのだ。

 他にもつば広のとんがり帽子を被り、裾の短い黒のワンピースに黒いマントを羽織っていた。

「ようこそ。ずっとドアの前で立ち止まっているから、いつ入って来るのかドキドキしていたよ」

 彼女は入って来た二人に向かって右手を挙げる。

 無造作に背まで伸ばした、くすんだ色の金髪。整った顔つきだが目付きは鋭く、口元に露悪的な笑みを浮かべている。

 目に宿した光はまるで獲物を見付けた野犬のようだ、とはカグラの印象。

 そして声をかけられたリンスリッドの肩がぴくんと跳ねた。

「ところでリンスリッド君。随分と面白い話をしていたみたいだな。後で校舎裏に来たまえ。私の人と成りについてのキミの見解をじっくり矯正……もとい是正する良い機会だ」

 蛇のような視線がリンスリッドを捉える。チロリと覗かせた赤い舌も蛇を連想させる。

 見ると、リンスリッドの脚がブルブルと震えている。

「ぜ、全力でお断りしますっ!」

「陰口を言うのは勝手だけど、せめて私の耳に入らない場所で言いたまえ。人を地獄耳とか言っておきながら距離にして五メートル程度しか置かないとはどう言う事だろうね」

 くくく、と笑ってから会長はカグラの方に目を向ける。からかっただけだなのだ、と言うように名残も見せない。

「着帽のまま挨拶する非礼を許して欲しい。私のトレードマークみたいな物でね。ようこそ、ユグドラシル学園へ。私が学園星女会の会長を務めるシェルリー・カエルレウスだ」

「お初にお目にかかります。スオウ・カグラと申します」

「遠い所からわざわざ当学園、いや、このユグドラシルロットに来て頂いた事を感謝するよ。ここは政治的な干渉を受けない地だが無縁ではない。くれぐれも自界を代表して来ているのだと言う事を忘れないで貰いたい」

「肝に銘じます」

 簡潔な言葉だが、そこには慇懃無礼な態度など微塵も無い。

 少なくとも表ではシェルリーと言う人物はカグラを好意的に迎え入れている節もある。こう言う人物なので裏側は分からないが。

「とは言え使命に硬くなった挙句ガチガチの生活を送られるのも不本意だ。学園生活を愉しんで欲しいところだね。しかし………噂なんて当てにならないな」

「………と、言いますと?」

「神秘の世界・大倭の開界はここ数年で一番のニュースだよ。なかでも成熟させた独特の文化と女性の美しさは、半分閉鎖的なこの学園内ですら話題に登らない日が無かったと言っても良い。様々な噂に書物。どうしようもないゴシップ雑誌。大倭の記事は出る度に大人気さ」

 そう言えばエルジェメルト皇女も書物で大倭の文化を読んだと言っていた。

 大倭の人間が思っている以上に、世界中で注目されていたと言う事だろうか。

 ………そんな場所に無理矢理送り込まれたカグラの背筋に緊張が走る。

 ………と同時に、このどこか俗世間から外れたような容姿を持つ会長もそう言った記事に目を通していたのかと少し意外性を感じた。

「想像は時に勝手に走りだす物ですから」

「ああ。本当にゴシップ誌もいい加減だよ。噂なんかよりもよっぽど綺麗で神秘的で可愛らしいね」

 サラリととんでもない事を言った。

「………へ?」

「人気者になるよ、きっと」

 シェルリーの艶めかしいウインクに、カグラの背筋に冷たい物が流れる。

「………あの、会長。昨日申請した件ですが」

 挨拶が済んだところでリンスリッドが言葉を挟む。

「ああ住処の事か。警備の問題とか交流の問題とか色々あるんだが、星女会としての結論は出ている。幾つか条件を呑んで貰えるなら許可を出そう」

「条件、とは?」

 正直カグラもそこまで上手く行くとは思っていなかった。何しろ自分はこの世界に来たばかり。しかも大倭は鎖界を解き、大星樹連盟政府に加わったばかりの新参界だ。

「一つ目。あの寮のオーナー兼管理人になって貰う」

「………はい?」

「つまり、あの寮を管理しつつ、希望者が入居した場合はその分の家賃を得る事ができる、と言う事だな」

 しばし、返答を忘れる。

「………あの、それは条件、なんでしょうか? あと、簡単に大家になれと言っても、元の持ち主の方は」

 さすがのカグラも話がうま過ぎると考えたのだ。

「数年は手付かずだ。幾ら定期的に掃除してると言っても住むように整えるのは大変だよ? それに、相応の責任を負って貰う事になるからな。それに、あの物件は現在星女会の管轄下にある。管理人の決定権も星女会長、つまり私にある」

「入居者は私が決める、と言う事になるのですか?」

「基本的には入居希望者の意志を尊重してくれ。家賃と言っても支払うのは学園星女会の会計だ。要は人が居る場所に予算を入れる、と言う事になっている。無論、管理維持費は報酬とは別に管理人に支給する」

 口に出しては言えないが、それはカグラにとって決定的とも言える有益な条件だった。

 つまり、入居者をカグラが決める事ができると言う事だ。これはかなり大きい。

「あとは、オーナーに課せられる義務も発生する。具体的には定期的な報告や寮長会議の出席。また、学園を退去する際には自動的に権利等を返して頂く」

 それくらいなら問題は全く無い、とカグラは判断した。

「分かりました。その条件でお願いします」

「リフォームや増設をする場合も星女会に許可を取ってからにしてくれ。ここの中には年代物の重要な文化財級の建物もあるんでね。それから二つ目」

「はい」

「できる範囲で構わないから、他の生徒から食事に招待されたりしたらできるだけ受けてほしい。郊外での一人暮らしは例が無い訳じゃないけど、だからと言って孤立を認める訳にもいかない。この街の存在理由の一つが交流、社交だ。社交って言っても女ばかりだから結婚相手は探せないけどね」

 社交界と言うのは詰まるところ結婚相手の捜索に尽きる。幼年のコミュニティはその為の練習の場であり、既婚の場は子供の相手を探す場である。

 無論、それだけではなく政治的な駆け引きの場でもあるのだが。

 とは言え女性だけの場所では結婚相手その物を探す事は不可能である。

 大倭の場合、結婚は見合いや紹介が主流なので、カグラには上流階級の子女が集う社交と言う概念自体が余りピンと来ない。

(つまり、姉上の結婚は非常に困難なのだがな)

 ふとそんな事を思い返す。

 大倭ではどうしても身近な関係を頼るのが多い。人間性を保証できる反面、裏を返せば欠点も隠せないと言う問題がある。

(もしかすると、姉上の結婚は天下取りよりも難しいのではないだろうか)

 最強の姉を輿入れしたいと言う奇特な相手が果たして大倭にいるのだろうか。

 いっそこちらに来て外津国との結婚を根回しする方がまだ可能性があったのではなかろうか?

「個人的な御誘いは熟考して、複数人が出席するパーティなんかには善処して欲しいね」

「………覚えておきます」

 不特定多数を相手にするのは厳しいが、だからと言って穴熊のように籠る訳にもいかない。

 カグラは便宜上とは言え、大倭を代表してここに居るのだ。

 政治的な駆け引きは無用とは言え、情けない姿を見せる訳にもいかない。

 色々と、だ。

「そんなところかな。では、スオウ・カグラ嬢に郊外寮のオーナー兼並びに管理人を依頼する。これ、書類。大事に保管しておいて」

 束になった書類を受け取ったカグラは、ふと昨日からの疑問を口に出した。

「そう言えば訊いておきたいのですが、あの寮は何と言う名前なのですか?」

 実は昨夜どれほど捜してもそれらしき物が無かったのだ。これでは不便なので尋ねたのだが。

 カグラのその問いに、シェルリーも首を捻る。

「さて? 建てられた当初は通称くらいあっただろうけど、書類にも記録には残っていないんだよ。人も入らないから今まで不便も無かったんだろうね。良ければオーナーになったカグラちゃんが付けてよ。君が来た記念にもなる」

「………では、熟考の末、後日に付けさせて頂きます。それにしても、こんなにあっさりと許可されるとは思いませんでした」

「………ま、下手にどこかに入居して貰うよりは良い判断だろうからね」

「シェルリー会長。それはどう言う事です?」

 含みを持たせた言葉に、リンスリッドも口を挟んだ。

「まあね。文化習俗の違いもある。特に大倭は交流が極端に少なかった。それがいきなり共同生活しようと言っても難しいかもしれないだろう? 正直ここに来て貰っただけでも意味はある訳だしね」

「お心遣いに感謝致します」

「いやー、感謝なんて要らないよ。こっちも色々と考えているからね」

「はい?」

「さっきも言ったけど、カグラちゃんは人気者になりそうだからネー。物珍しいってのもあるだろうけど、それ以上に面白いものを持っている。きっと誰も放っておかなくなるよ」

 何かを見透かされたかのようなシェルリーの笑みとウインクに、カグラはなぜか背筋がゾッとした。


   2 学園の姉妹たち


(予想以上に厳しいかもしれない………)

 ただ鋭いだけではない。

 シェルリー会長の見透かすような目。勘の鋭い人間なら………否。

 ここに来るような巫女としての素質を持つ者なら、カグラの秘密に気が付いてもおかしくはない。

 言わば、何百と言う目に監視されていると言う状況に等しいのかもしれない。

「でもさー、ボクの寮とかなら歓迎会とかできたと思うんだけどなあ」

「お気持ちは受け取りますよ」

「御馳走イッパイ用意できたのになあ」

「………そっちですか」

 苦笑しながらもカグラはリンスリッドの後に着いて行く。

 星女会長室を後にしたリンスリッドは校舎を案内し始めた。

 ユグドラシルロッドの入り口でその規模に驚いたカグラだったが、この学園もカグラの予想を越えていた。

「お城が二つも三つも並んでいる感じですね………」

 余りにも広大な範囲、且つ巨大な建物が並んでおり、その規模を一望するにはそれこそ大星樹の上から眺めるか、かなり遠くの見晴らしが良い場所に立たなければならないだろう。

 少なくとも校門からではその全体を把握する事は不可能だ。

 樹と石の組み合わされた建物は、カグラの知る大倭のどんな街とも異なる光景だった。

 ここは大星樹と言う象徴と融合した独自の世界なのだ。

 街の方はまだ活気があったが、ここは学生もまばらで閑静な場所だ。人が居ないのではなく、騒ぐ者が居ないと言う事だ。

 カグラが知る限りでは、ここは寺院や神社が持つ静謐の雰囲気に近い。

 それも当然だろう、とカグラは思う。ここは姫君たちの修業の地でもあるのだ。

 たまに歩いている少女たちも静かだが、にこやかで仲が良さそうにしている。

 街の活気も好きだが、こう言う静かな雰囲気はカグラも嫌いではない。

「ここは何もかも大きく広いのですね」

「ボクも来たばかりの時はそう思ったよ。何て無駄に広いんだ、ってさ。でも、人の方はともかくここには色々な意味がある訳だから」

 カグラの疑問にリンスリッドが笑って答える。

「色々、ですか?」

「この場所と大星樹自体はどこの領有でも無いけど、大星樹の研究はしたいでしょ? だからここに送られてくる娘の中には研究を中心にする娘も居る。その為の資料や機材。それに色々な世界からここにやって来る訳だから、対応する資料も荷物もいっぱいだからね。もちろん講義に使う資料もたくさんあるし」

 学園内に幾つかある中庭を渡りながら、リンスリッドは説明する。

「そう言えば、この学園ではどのような講義を行うのですか?」

「それも色々。他界の事を学んだり、宮廷マナーを勉強したりね。研究された知識を知る事もできる。極端に言えば何をやるかは本人の自由。申請が星女会に通れば自分でやりたい講義を起こす事もできるし、自分が講師になって講義を行う事もできる。もしかしたらカグラちゃんが講師になって大倭の文化とか習俗を講義する、何て事もあるかもね」

「わ、私が講師、ですか?」

「依頼来るかもね」

「私は………剣以外に能の無い人間ですが」

 剣とそれに関係する技術に関してはそれなりの力量であると言う自負もある。

 もっとも、身近な比較対象が人智を超えた怪物なので、イマイチ自信が伴わない。

 と、そんな会話をしていると、不意に。

「………げッ」

 少女に有るまじき擬音をリンスリッドが口にした。それだけではなく、低く敵意を込めた言葉が息のように漏れる。

「………あっちゃあ………ヤな奴にあっちゃったよ、もう………」

 リンスリッドの睨む視線の向こう。

 廊下の奥から歩いてくる少女たち。一人の少女を先頭に、五人の少女がまるで侍女のように付き従っている。

(奇妙な集団だ)

 カグラは何となくそう考えた。

 ただ歩いているのではない。先頭の少女の歩きに付き従うのだ。

(旗本の次男坊や三男坊がつるんで歩くものとも、ヤクザ者が幅を利かせて歩くのとも違う)

 無論、これまで擦れ違った少女たちとは違う。

 その行動様式は生徒同士と言うよりも昨日見た皇女に付き従う護衛に近い。実際群れて歩いているのに会話一つ無い。

 一つの集団でありながら、その間には明確な壁がある。

「ごきげんよう、リンスリッドさん」

 まるで二人の行く手を遮るように廊下の中央に陣取った先頭の少女が、リンスリッドに声をかける。

 カグラよりも背が高く見えるが、それは靴の踵が高いからだ。そのせいか、こちらを見下すような態度が見え隠れする。こちらに悪意を持っていると言うよりは、元よりそう言う気質の人間なのだろう。

 ボリュームのある明るい金髪を縦ロールにしているので幅広く感じる。大倭でも女性は髪を結うが、こう言った仕上げは大倭の文化には無いヘアスタイルだ。

 服は白の生地に絢爛な装飾を施した軍服型。ただし下は膝丈のスカート状になっている。足元はハイヒールのブーツ。

「何か御用でしょうか、レミルさん」

 快活な印象のリンスリッドの声色が硬い。まるで敵意を押し殺しているかのようだ。

「剣呑な雰囲気ね。失礼だと思わないのかしら?」

 少なくとも友好的な態度ではない。

 昨日のエルジェメルト皇女と比べると、明らかに違う。

 相手にしたくないと言う感情が見え隠れする。

 ふと、カグラの方に流し眼が向けられた。

「あら。そっちの娘は噂の東方界の辺境出身者なのかしら? どう? 私の妹にならない?」

「………妹?」

 その申し出にカグラは僅かに首を捻る。

 『妹』と言う単語はわかるが、そこに込められた意思が分からない。

 おそらくはこの場所で使われる特殊な意味が込められているのだろう。隠語スラングか、あるいは符丁と言う可能性もある。

「ちょ、ちょっと待って下さい。今は彼女の案内途中です!」

「あら、姉妹の契りを結べば面倒を見るのは姉の役目になるのではないかしら? 当然、ここから案内するのも私の役目になるのではなくて?」

「そ、それはそうですけど」

 旗色が悪い。善悪はともかく正論ではあるらしい。

 ここは自分が断わる所だと読んだカグラは、できるだけ落ち着いて丁寧な言葉で答えた。

「申し訳ありません。生憎と『姉』は間に合っておりますので」

 実際、一人で一生分どころか八回転生しても充分過ぎるほどお釣りの来る姉が余っている。むしろ分割して売りに出したいくらいだ。まあ百分割くらい。

「………あら、来たばかりで、もう姉ができたの。まさかリンスリッドさんでは無いわよね?」

「違います」

「まあそれは構わないわ。それよりも、私はリンスリッドさん、貴女に用があるの。今日こそは私の申し出を受けて頂きたいと思って」

 レミルと呼ばれた少女の一言一言がリンスリッドの神経を逆撫でしているように見えた。

 実際、彼女の物言いは丁寧ながらもどこか針を仕込んだかのように挑発的だ。

「私が貴女に姉妹の契りを申し込んだのは何度か覚えているかしら?」

「………五度ですね」

「その度にはぐらかされたけれど、もちろん私は諦めていないわ。それに、これ以上は貴女のお名前に関わるのではなくて?」

 その指摘にリンスリッドの態度が明らかに変化した。

 これまでは何とか耐えて状況を切り抜けようとしていた雰囲気が、ガラリと切り替わる。

 それは明確な敵意だ。

(………これはまた、なんと堂々とした刀気)

 雑兵や策士のものではない。カグラも惚れ惚れとする清々しいほど真っ向勝負を旨とする者が纏う気配だ。

「………分かりました。『姉妹戦』、お受け致しましょう」

(姉妹………戦?)

 奇妙な単語が出て来た。

「撤回はありませんわよね?」

「そんな恥晒しはできないと踏んでいらっしゃるんでしょう?」

 こう言う売り言葉に買い言葉もあるのだ、とカグラは冷や汗をかきながら内心で感心する。

「では早速手続きを致しましょう。会長はどこにいらっしゃるかし………」


「手続きの申請は無用だ。この場でこの私が君たちの姉妹戦を正式に受理しよう」


「会長っ?」

 驚く一同の横。空から箒に横座りしたシェルリーが降りてきた。

(け、気配が全く読めなかった………)

 カグラはもちろん、リンスリッドにレミルと後ろの一団も纏めて驚いているのを満足そうに眺めたシェルリーは、はっきりと全員に伝えた。

「状況は大体理解している。星女会会長シェルリー・カエルレウスの名に於いて、レミル・ラグナカブラがリンスリッド・セブンスターズに申し込んだ姉妹戦を公認する。リンスリッド君は星女会の一員だが、それに関わる事無く公平な立会人を務める事を大星樹に誓おう」

 シェルリーは双方の了解も取らずテキパキと事を進めていく。

「時は一時間後。場所は競技会場で構わないかな?」

「え、ええ、私はそれでよろしいですわ」

「ボ、ボクもそれで良いです」

「よろしい。では早速手配しよう。控室はレミル君が東。リンスリッド君が西を使いたまえ」

 突然現れたシェルリーは、箒に横座りで腰掛けたまま、現れた時と同様にあっと言う間に去って行く。

「では、会場でお会いしましょう」

 少女たちを引き連れ、レミルは立ち去って行く。

 リンスリッドも、さっさと視線を切って立ち去ろうとした。

 が、そこでカグラの事をちらりと見る。

「変な事に巻き込んじゃったみたいだね」

「いや、巻き込まれてはいませんが………後ろの方々はレミル殿のお連れなのですか?」

 少女たちの付き従うような態度から、エルジェメルトのように自界から連れてきたのだろうか、と思ったのだ。

 だが、リンスリッドの答えは違った。

「違うわ。彼女たちは全員レミルさんと姉妹の契りを結んだ娘たちよ。つまり、あれ全員がレミルさんの妹、って事」

「………あの、そう言う物なのですか?」

 大家族と言う物もあるわけだし、カグラも大倭の武家の出身。家の当主が正室の他に妾を何人も置いて子を産ませるのは珍しい話でもなんでもなかった。必然的に子供が多くなり兄弟も増える傾向がある。

 それは裕福な家に限った話ではない。家名の断絶を恐れる家は、多少貧しくとも子を為す方法を選びはしない。

 だが、もちろんそれとは明らかに異なる。

 カグラは少女たちの態度に不自然さを感じたのだ。

 そして、カグラの予想を肯定するように、リンスリッドは言葉を濁した。

「違うわ。あの人が………ごめん。本当は説明したいんだけど、色々準備があるから」

 試合は僅か一時間後。その時間を有効に利用したいのは当然だ。

 まして、この地に集う戦巫女の戦いならば、戦いの前に行う精神集中は必須と言っても良いだろう。

「こちらこそ気が利きませんでした。私は大丈夫ですので、リンスリッド殿はどうか御自身の為に行動して下さい」

「う、本当にゴメン。後でご飯奢っちゃうよ」

「あの、勝算の方はどれほど?」

 リンスリッドの強さは或る程度予想できるが、相手の方がイマイチわからない。

「ん、負けないよ」

 戦いに向けて精神をシフトさせた少女の強い断言には一片の不安も混じってはいなかった。


   3 姉妹戦


 決定から僅か三十分。

 学園の話題は二人の姉妹戦が中心になっていた。

 先程までの静かさが嘘のように、校舎は祭の活気が溢れ出した。

 何処から持ち出されたのか、旗が、幟が、ペナントが、垂れ幕が、廊下や中庭、校舎のあちこちに無秩序に、無尽蔵に、無造作に、無作為に、立てられたり掛けられたりしている。

 驚くべき事に、すでに二人の似顔絵入り対決ポスターまでが貼り出されている。

「………これは、また」

 その変わり様にカグラはただただ驚いていた。

 喩えるなら、清閑な山寺が突然大祭か出開帳の人出で賑わいだしたかのようだ。

 あれだけ静かだった廊下も中庭も、今は人で溢れている。これだけの人間が校舎内に居たのか、と思うほどだ。

 中には二人の対決を賭けにしている人物もいる。

 カグラとしては不謹慎なような気もしたが、それが一人二人ならともかく十人二十人、もっと多数となると逆に呆れたと言うか、ここはそう言う倣いなのかと思案するだけだった。

 それに、不思議な事にカグラも微かにだが高揚した感じを抱いている。

 流されるまま試合会場となる競技場に着くと、更にカグラは驚く事になる。

 そこは中央を大きな長方形状の広場が占め、その周囲四方にまるで山のような観客席がそびえている。

 そして、その席はすでに大量の人間で埋め尽くされかけていた。

 もちろん、全てが女子。

 観客相手に飲み物や食べ物を売っている売り子の姿も見える。

「………なんと………」

 普通なら立ち尽くしてしまうだろうが、今は人の流れに流されている身。

「………大相撲を開く場所よりも広いし、観客もずっと多い………いや、どうなっているんだ? 学生がこんなに居る訳が………」

 円形の土俵で行われる大倭名物の神前大相撲は年に十日程度の興行しか行われないが、その人気は数ある見世物・興行の中でも別格の位置付けだ。何しろ大大名や摂関家が取り仕切り大きな寺社の境内を一杯に使って行われるのだ。大相撲は大倭でも最大規模の見世物と言って良い。

 それこそ街中の人間が観覧に訪れる。ただし、喩え大将軍家縁の者であろうと女性の観戦は許可されていない。

 ここはその十倍以上の規模が有り、それが満席になっている。

 しかし。

 カグラの感覚に訴えかける物がある。ここで沸いているのは活気だけではない。

 ここに来て、カグラは自らが高揚する理由をはっきりと感じ取った。

 観客席のあちらこちらに居る実力者たちが、刀気を押さえられていない。

 これから始まるであろう戦いを想像し、自らの闘志も昂っているのだと分かる。

 それは間接的にではあるが、これから起きる試合の凄まじさ。そして二人が相応の実力者である事が窺える。

 喩えるなら、横綱免許を持つ東西の両大関が全勝同士でぶつかる取り組みが発表された。その時の熱狂。

 そんな状況で、カグラは逆に冷静になる。

「………とにかく応援するなら試合場に近い席がいいのでしょうけど」

 すでにこの活気である。そんな都合のいい席は空いていなかった。

 と言うか、空いている席自体が見付からない。

 人が座っていなくとも荷物が置かれたりしているのだ。

 それでも席を探して通路を苦労しながら歩いていると、上の方からカグラを呼ぶ声が聴こえた。

「カグラよ。こちらに参るが良い。我が横で観戦するが良かろう」

 自然、その声に反応する。ここではまだカグラの名を知る者は多くはない。

「エルジェメルト殿下?」

 上の段で手招きするのは昨日カグラの前に現れた皇女エルジェメルトだった。

 そこだけ周囲と状況が異なる。まあ、何と言うか、特別席をわざわざあつらえたらしい。

 拒否する理由も無いのでカグラは招かれるまま上の段に上がった。

 明らかに十人分程度のスペースの上に雛段を作り、その上に座り心地の良さそうな特別な長椅子を置いている。ここまでやっている人間は見渡した限り彼女だけのようだ。

 今日の彼女は鎧姿ではなく上下共に黒の乗馬服だ。動き易いようにする為か、髪を巻いて上に纏めている。

(髪を結っておられるのか。大倭とは髪の結い方も異なるのだな)

 レミルの髪型と違って全体的にシンプルなデザインだが、纏う高貴な雰囲気は変わらない。むしろこちらの方が格上な感じすらする。まあ実際格上な訳だが。

「よろしいのですか? 私のような新参を側に招くなど」

「構わぬ。むしろ新参であるからこそ我のような立場ある者がもてなさねばなるまい」

「しかし殿下、余りにもお戯れが過ぎるのでは」

 後ろから声がかかる。

 エルジェメルトの後ろに控えているのは昨日も居た護衛剣士。そして昨日は見なかったメイドだった。剣士はエルジェメルトと同年代。メイドの方は少し年上で恐らく二十代半ばと言うところだろう。

 メイドの方はちゃんとカグラに礼をとっているが、剣士は明らかにカグラを無視している。

「良いではないか。『高貴なる者の義務ノブレス・オブリージュ』と言う奴だ。それとも、お前は第三皇女たる我が狭量で良いと言うのか?」

「………いいえ、滅相もございません」

「ああ、それからな。我は挨拶も満足にできぬ者を親衛隊に据えた覚えは無い。遠き地から来たとは言え、己の国を代表する姫君に礼を失さぬようにな」

 その言葉にピクンと反応した剣士は、ようやく僅かにカグラに視線を向けると軽く首肯した。

「皇女エルジェメルト殿下の親衛隊長を務めるカミュリッタだ」

 最低限の口上を述べると、剣士はすっと皇女の後ろに下がってしまった。

 代わりに、控えていたメイドが前に出る。

「昨日は殿下が失礼を致しました。わたくし、エルジェメルト殿下の侍従長兼教育係兼お目付役並びにお仕置き執行係を務めます、マーキュラと申します」

「これはご丁寧に………お仕置き?」

 妙な自己紹介に首を傾げつつ、カグラも礼を取る。

「………我は礼を失するなどしておらぬ、ぞ?」

 口では否定するが、身体が僅かに震えている。

「ホホホ。完全戦闘礼装で乗り付けて頭ごなしに命令されたとか聞いておりますが。その上に、一目見てもカグラ様の御身分が分からなかったとか」

 それは仕方無い、とカグラは思う。

 何しろ自分は根本的に偽物なのだから。幾百の上流階級の令嬢たちを見て目を肥やしてきている皇女殿下がカグラを姫と思えなかったのは当然だ。

 ………するとなるとエルジェメルトは知らぬうちにカグラの本質を見破ったのではなかろうか?

「………うみゅ。密告したのは誰だ?」

 あそこに居た人間は限られている。

「カミュリッタでございます」

 まあそうなるだろう。

 後ろで「ちょ、それは話さない約束っ」などと慌てている剣士を無視してマーキュラはカグラに向かって話を続ける。

「殿下の失策は私の教育不足。すなわち私の落ち度でもありますから」

 ホホホ、とマーキュラは笑うが、目は全然笑っていない。それはカグラに向けられているのではなく、他ならぬ皇女に向けられているのは明らかだった。エルジェメルトも視線を合わせないようにして顔を僅かに蒼くしている。この主従には不思議な力関係があるらしい。

「失策などとんでもない。私のような者をわざわざ出迎え、御挨拶をして頂きました」

「作法に些か手落ちはあったようですけどね。飲み物もご用意しております。殿下の横にお座りになってお待ち下さい」

 マーキュラはそう言いながら、カグラをエルジェメルトの横に誘導する。別の椅子ではなく、エルジェメルトが寝そべるように座る長椅子に、だ。

 親衛隊長カミュリッタの視線が険しい。目が三角に吊り上がってきている。

 それもそうだろう。昨日今日出会った者をいきなり皇族の傍に座らせるなど、普通は有り得ない。カグラが害為す存在ではないと判明した訳ではないだろうに。

「あ、あの、こちらは殿下の座ではないのですか?」

「か、構わぬ、ぞ? わ、我は全く」

 なぜかエルジェメルトはカグラの方に上目を向ける。

 なんとなく普段凛々しい姫君が、子犬や子猫のように見えた。

「と言う事でございます」

 肯定されたのは良いのだが、一つ気になる事が見えた。

 マーキュラは何気にカグラの動きを制限している。どうやらメイドと言っても只者ではないと言う事だ。

 カグラがどう動こうと制圧できると言う事なのだろう。

 エルジェメルトが相当の使い手である事は昨日感じたし、それよりも格段に劣るがカミュリッタもなかなかの力量の筈だ。

 皇女の面目を立てつつ警備は徹底、と言う事か。

「………では、殿下の御好意に甘えさせて頂きます」

「う、うむ。苦しゅうない。始まるまでまだ時間も有る事だし、特別に質問なども許そう。なんなりと尋ねるが良い」

 招かれるままにエルジェメルトの横に座ったカグラは、早速疑問を口にした。

「この『姉妹戦』とは一体どう言う物なのでしょうか?」

 気になっていたがどうも学園内では常識的な事らしく、解説らしい解説に巡り合わなかったのだ。辛うじて二人が対戦する事は理解できたが。

「む、そうか、来たばかりでは知らぬのも無理は無いな。案内役が当事者では満足な説明もあるまい」

「はあ、その通りですが」

 訊こうにも、戦いに挑む前のリンスリッドの精神集中を好奇心で邪魔する訳にもいかなかった。

「まず、このユグドラシル学園には姉妹制度と言う物が存在する。と言っても明文化されたものではないがな。伝統的な風習と言うか因習と言うか、そう言う類のものだ。在学生全員が必ず実践すると言う訳でもない。するのもしないのも自由だな」

「………殿下。それでは全く説明になっておりませんが」

 控えているマーキュラは一切の遠慮も無く呆れたような声で進言した。

「ま、前置きと言う奴だっ。とにかく、姉となった者は妹を守り導く責務がある」

「守る、ですか?」

「ここに来る姫君は基本的に単独ですので、身寄りが無いのです。そんな人物を世界の枠を超えて助け教え導くのが姉の務めなのです。言わば互助の精神より生まれた、尊い習慣ですね」

 マーキュラが説明を付け足す。

「………つまり義兄弟ならぬ義姉妹と言う訳ですね。………では、なぜ戦わねばならないのです? 目的からすれば悪い物ではないと思うのですが」

「別に戦う必要性は無い。双方が合意して星女会会長が認定すれば公認姉妹である『星姉妹ステラ』として登録される。様々な特典を受ける事もできるしな。無論、公認ではない隠れ姉妹『ノックス』も存在する。が、合意に至らず平和的に解決しない場合もある」

「様々な事情もあります。が、最大の理由は姉に庇護の義務が発生するのに対し、妹には絶対服従の掟が発生する事にあります」

「絶対服従っ?」

「ええ。姉妹制度には別の側面があります。時にここの秩序を乱す者が現れる事もあるので、それを従える意味もあるんですよ」

「追い出すよりは教育する、と言う事だな。ここは一応世界の協調の象徴だ。喩え問題児と言えども、そう簡単に追い出すような事はできぬ」

「………はあ」

「故に、同意以外でも強制的に姉妹の契りを結ぶ儀式が認められておる。それが姉妹戦なのだ」

 なんだか乱暴な話だな、と思う。

(それではまるで手込めにしてしまうようなものではないのか?)

 カグラの表情に微かに浮かんだ疑問を読みとったのか、マーキュラは優しい声で言葉を繋げた。

「必ず星女会会長の立ち会いの元に行われる事が条件です。どこか適当な場所で矛を交えて勝敗を決したとしても、それはノーカウントです。もっとも、場外戦で雌雄を決し、申請すると言う手もあるわけですが、もちろんそれには同意が必要です」

「戦巫女としての資質を比べ合うと言う事なのだから、或る意味この勝敗はあらゆる事柄に勝る訳だ。妹となる者も姉を上位の者として従うに足る要素ではある。

 ………が、言い換えれば公明正大に実力差が出てしまうと言う事でもある。避ける事も当然可能だが、逃げると呼ばれてもおかしくはない。それに、な」

 そこでエルジェメルトが言葉を濁らせる。

「何か、あるのですか?」

「………あのアホたれの公爵令嬢はその制度を自分の欲望の為に利用しているのだ」

「そうなの、ですか?」

 エルジェメルトのその反応は、リンスリッドと同じ物だった。

「『高貴なる者の責務』などと言う言葉とは無縁な女だ。おそらくカグラもあの女が侍らせている妹たちを見ただろうがな。あれは奴の本国の周辺に位置する小世界の姫君たちだ」

「………まさか、それは」

 その意味が理解できないほどカグラも無知ではない。

 本来、ここは対等の社交場所だ。生徒間が協力する関係はあっても従える必然性は少ない筈。

 それなのに。ただ力ずくで従えると言うなら、それは許されざる酷い話だ。

「慣例と言う物には良い面もあれば悪い面もある。それは仕方が無い。だが悪用するのは本人の性格と器の問題だ」

「ここでの上下関係がそのまま外交結果になる訳ではありません。臣従を強制される訳でもない。しかし、あれは相手の誇りを貶める行為です」

 マーキュラの言葉にも僅かに憤りが含まれている。

「始末の悪い事に、あの女はそこそこできる。実力のあるアホが勘違いした結果がアレだ。我が言うのも何だが、あの妹たちは二重三重に不憫過ぎる」

「いつの時代も存在する悲劇、………と片付けるには少々問題ですねえ」

 何故か、マーキュラの口調には別の感情が見え隠れする。それは他人事では無く身近にある問題、と言う感じ。

「例えば………その、盟主たる義務、と考えたのではありませんか?」

「そんな殊勝な心掛けがある女ではないと先に言ったぞ。あれは奴の自己満足の結果に過ぎん。姉たる義務など頭の片隅にもあるまい。権利は当たり前だが義務など知らんと言う典型だ」

 その口調は侮蔑すら混じる。なまじ身分階級が近いだけに、誇りに関わる生き方の違いは看過できないのだろう。

「大星樹連盟政府は緩やかな横の繋がり。大国と小国の差はあるが、建前上は上下の差は無い。しかしそこそこ力が有るから混同して勘違いする訳だ」

「周囲の評判も最悪です。もっとも本人の耳は受け付けないようですが」

「あの手合いは自己への賞賛と美辞麗句と追従しか頭に入らんようにできているからな。上流階級に社交界と言うシステムは必要不可欠だが、時折そう言う阿呆を産み出すデメリットもある」

「さすがは殿下。よくお分かりですね」

「………無論、我は、違うぞ?」

 含みのあるメイドの言葉に、なぜかエルジェメルトが震えた。

「ええ。もし殿下がそんな腐った行為に出ましたら、私の面目は丸潰れ。推挙して頂いた殿下の姉君に顔向けできません」

 二人に飲み物を差し出したマーキュラがにっこりと微笑む。逆に迫力があって怖い。

「………もしそうなれば、我は物理的に顔を潰されておると思うがな」

 皇女はボソボソとメイドに聴こえないように呟く。

 これ以上この話題はエルジェメルトの精神上よろしくないのではないか、と思ったカグラは話題を変える事にした。

「そ、そう言えば、殿下には二人の実の姉君がいらっしゃるのですよね」

 エルジェメルトは第三皇女。単純に考えれば、上に二人いる事になる。

「う、うむ。そう、なるな」

「私は元々第一皇女アルトゥリシア殿下付きのメイドなのですが、この度殿下がユグドラシル学園に御入学される為、お目付役兼教育係その他諸々として付いたのです」

「なるほど。殿下の身を御心配されてですか。素晴らしい姉君ですね」

 少なくとも弟を無理矢理送り込む姉よりは、遥かにマシではないか。

「いや、そのな。大姉上は、な」

「アルトゥリシア殿下は学園で殿下が羽目を外し過ぎるのではないかと心配されているのですよ。故に、必要に応じてお仕置きしても良し、と言質を頂いております」

 リンスリッドの話では充分羽目を外しているらしいが。さすが皇族。羽目を外す単位が異なるらしい。

「………しかし、そうですね。羽目を外し過ぎるのはよくありませんね。身に沁みます」

 秘密を抱えるカグラにとっては僅かな油断が命取りになる可能性があるのだ。気を引き締めねば、と改めて思う。

「………あの、ところで疑問なのですが」

「ん? まだ何かあるのか?」

「レミル殿はなぜリンスリッド殿を妹にしようとしているのでしょう?」

 支配欲か権力欲か、或いは歪んだ名誉欲か。レミル公女の行動理念はそう言う所だろう。それも自国の周辺国と言う共通点があるらしい。

 とすると、リンスリッドが求められた理由はどう言う事なのか。やはり近隣の国なのか。

 カグラのような例外も居るだろうが、この学園に生徒として在籍している以上はリンスリッドもそれなりの家柄の筈。

「やはり国同士に政の難しい関係があるのでしょうか。それとも、学園星女会の委員だからなのでしょうか?」

「いや、そうではない。そもそも学園星女会で真の意味で地位を持つのは星女会会長だけだ。他は立場的には一般生徒とそう変わらん」

「そうなのですか?」

「うむ。役員とは聞こえは良いが、要は会長付きの使用人メイドみたいなものなのだ。実質的な権力や権限は皆無に等しい」

 極論を言えば一極集中型の構造と言う事だ。単純独裁政治の形である。

 このシステムは圧倒的な『暴力』を有さなければ機能しないと言う致命的な欠点がある。裏を返せば、シェルリーがどれほどの実力者なのか計る材料でもある。

 ちなみに大倭の権力構造はトップとナンバー2に権力が割り振られる形である。それ以下は大して変わりが無い。

「しかしあの海賊娘、本当に何も話しておらんのだな」

「本人が話さなくとも、どうせすぐに知られると思いますけどねえ」

 そんな二人の反応から想像すると、リンスリッドの家柄はかなり上と予想できる。

 いや、そうでなければこの誇り高いエルジェメルトが、リンスリッドをほぼ対等の相手として扱う筈が無いのかもしれない。

「カグラよ。あのアホ公女が海賊娘に目を付けたのは、国同士がライバル関係にあるからなのだ。奴の妹連中とは全く別格の大物。故に、妹にすると言うのは宣戦布告も同然よ。こんな盛り上がりを見せるのも当然だな」

「では、やはりリンスリッド殿はかなりの名家の御出身なのですね?」

 下の階級ではレミルの目的に意味を為さない。

 その問いに、エルジェメルトは「ふん」と応じた。

「名家も名家。カグラ殿は西方界五大王家と言う物を御存じですか?」

「話には聞いていますが」

 大倭では鎖界を解いたばかりで外津国の情報は乏しいのだが、カグラは来る途中の船の中で西方界の政情の基礎知識程度は学んでいた。

「我がオゴレウス神聖帝国を筆頭に、五つの大国がこの西方界に存在しておる。

 三つ百合旗のバールパルト朝フラムベルク王国。

 レミル・ラグナカブラが属するバリエナ王国。

 西方界北方の雄、宗教大国アポストール教皇国。

 そして海賊娘のポラリス界洋連合王国。

 以上が西方界五大国と呼ばれておる。大星樹連盟政府の基盤でもあるな」

「実に西方界の八割をこの五カ国が分割しています。当然、その間には大きな戦争も幾度となく発生しています。ポラリスとバリエナの関係は現在こそ小康状態ですが、ほんの数年前まで経済的な対立から発展した戦争状態でした」

「………そんな微妙な状況でレミル殿はリンスリッド殿を求めたのですか?」

 友好的な関係ならいざ知らず、明らかに邪な目的での行為となると、幾ら隔離された場所での出来事とは言え国家間問題に発展してもおかしくはない。

 しかもこれだけの観客が証人になるのだ。

「うむ。そう言う事になる。普通に考えれば立場ある者として有り得ん話と思うやもしれぬが、何度も言う通り奴は阿呆なのだ」

「はい。では、リンスリッド殿はポラリス王国の御出身と言う事で目を付けられた、と。………しかし本当にそのような理由だけで………」

「………あのアホ公女はなーんも考えておらんだろうな。政治力皆無だし。相手がポラリス貴族と言うだけで征服して悦に入りたいだけなのだろう。『私にしか出来ない偉業ですわ』とか何とかぬかしてな。……だが」

「まだ何か、あるのですか?」

「まあな。アホ公女に問題があるだけではない。海賊娘も外交的な爆弾を抱えておる」

「爆弾?」

「うむ。海賊娘は表向きポラリス大貴族の娘だが、実は違うのだ」

「はい?」

 貴族ではない、と言うのはどう言う事なのか。

「あそこは生まれたばかりの王女を辺境伯に降家する風習の国でな。あ奴も現女王の第七子として生まれた瞬間、発展成長著しい伯爵家に養女に出された。降家された王女には特別に『セプテントリオン』と言うセカンドネームを与えられる。『セブンスターズ』はその偽名よ」

「なんですってぇーッ!?」

 さすがにカグラも驚いた。

 と言う事は、リンスリッドは血筋的に大国の王家に連なる人物と言う事になる。正真正銘の姫君だ。

 一応、カグラも大倭で姫と呼ばれる人を見た事がある。その物腰や風格に見惚れた事もある。

 正直に言えばリンスリッドのフランクな態度からはとてもそんな物を想像する事はできなかった。ある意味、それはそれで凄い事なのかもしれないが。

「………やっぱり聞いておらんようだな」

「わざわざ偽名を使ってここに来た者がそう易々と素性を話す訳がありませんよ」

「………割とバレバレの偽名なのだがなー」

「あの、ではリンスリッド殿はなぜ一人なのでしょう? 降家されたとは言え、相応の立場だと思うのですが」

 そんな立場なのに、彼女は基本的に一人で行動している。

 周囲に姫扱いされているようにも思えない。

「ここは基本的に身分に関係無く一人で入学する場所です。一人で生活しないのはエルジェメルト殿下を始め少数派ですが」

「我には我の立場と言う物があるのだぞ! 皇族たる者、そう易々と軽率な行動はできぬ!」

「殿下の主義はともかく、お国柄かもしれませんね。ポラリスは他の大国と比べると広い国土を持っている訳ではありません。その為、国の発展は武力侵攻と同意義でした。ポラリスは国民全員が兵士と言われる国です。それは王侯貴族も例外ではありません。継承権こそ持ちませんが、降家した王女は例外無く功績を上げ国軍の重要拠点任務に着いています。中には王位継承権を持つ公爵家に格上げされた例もあります。

 はっきりとした理由は本人しか分からないのでしょうが、私としては敢えて一人で暮らす修業ではないかと思うのですが」

 他の国の事情だからかマーキュラも自信は無いらしい。しかし、この場所の事を考えると決しておかしくはない話だ。あとは国の教育方針と言う所だろうか。

「あとはまあ、宮廷物語で割と定番な『短い時間でも自由な生活を求めて』とかそんな感じやもしれんな。とは言え、海賊娘も退けぬ。あれで王女としての自覚もある故、逃げ回る訳にもいかず、負けて臣従するのも論外であろう」

「………リンスリッド殿」

 戦いには自信があったようではある、が。

「ところで、なぜ殿下はリンスリッド殿を『海賊娘』などと?」

「それはだな。ポラリスは海戦で国力を上げた国でもある。あそこは海賊が王様やっとるような国なのだ」

 ふふん、と鼻で笑うように説明するエルジェメルト。

 だが。

 瞬間、マーキュラの人差し指がエルジェメルトのこめかみを強かに弾いた。

「ごぶおっ!」

「今のは聴かなかった事に。体裁が悪いので」

「え? ええ」

 強か、と言うよりもどうすればそんな破壊力が出せるのか、と言うレベルの一撃だ。

「こ、こめかみはヤメロ! 下手をすれば死ぬぞッ!」

「御冗談を。マーキュラはそこまで耄碌しておりません」

 見えない角度でエルジェメルトの頭の陰からバチンバチンと低く重い音が鳴る。

「うぼあーっ」

 つまり充分手加減できると言う事だ。手加減と言うのは非常に難しい高等技術。それを自在にコントロールできると言うのは、ただ相手を打ち倒すよりも遥かに困難。やはり、彼女はかなりの実力者であるらしい。

 カグラが驚かないのは活殺自在の超絶的な達人、否、超人が自分のすぐ側に居たせいだろう。

「………うぎい……。む。さあて、どうやら時間のようだぞ。《魔女》のお出ましだ」

 涙目のエルジェメルトの言葉で競技場の方に目を向けると、中央に箒に乗った会長が降り立っていた。

   *

 またも、シェルリー会長の登場は空からだ。

 自由自在に空を飛ぶ。言葉で言うのは容易いが、並大抵の者には不可能な芸当。彼女がとんでもない技量の持ち主であるとの証明と言える。

 さすがにカグラも空は飛べない。飛行術は大倭でもかなり難易度の高い要素だった。

 降り立って手を振ると同時に観客席から大量の黄色い声が上がった。

「……な、何ですかコレはっ?」

「ええ、シェルリー会長は人気者なんですよ」

「性格は悪い癖にな。あの《魔女》めが」

 シェルリーは両手を掲げて声を抑えるジェスチャーを示す。

 すると熱気が抑えられ、熱だけが充填されて行くような奇妙な雰囲気が広がる。

 収まった事を確認したシェルリーは、まず片手を東門に向ける。

「それでは、星女諸君お待ちかね。これより星女会会長公認の姉妹戦を開始する。

東門姉方レミル・ラグナカブラ!」

 東側に設置されている入場門から先程の金髪縦ロール少女が優雅に歩いてくる。先程と同じく肩に房飾りの付いた白の軍服だが、下は脚のラインがハッキリと出るようなピッタリとした白タイツだ。女性的な腰のくびれから伸びる脚の曲線が艶めかしい。腰には鞘に入った片手持ちサイズの十字剣が下げられている。

 彼女が観客席に向かって手を挙げると歓声が湧き上がる。

「………人気者ですね?」

 ここだけ見ると悪評がある人物とは思い難い。

「姉妹戦に出る戦巫女には皆こんなものだぞ。ブックメーカーが賭けをやっとるから。数少ない娯楽に乗らん者は少ないな。もっとも、あのアホ公女はそれを自分の人気と勘違いしている節がある。聴き分ければもしかしたら罵声も聴こえるやもしれん」

 言われてからよく聞いてみると、確かに淑女に有るまじきブーイングも混じっていた。

「………ぁ、本当ですね」

「聴こえるのかっ?」

 何だか驚いているがカグラとしては普通である。

「え、ええ。どれほどの人間かは分かりませんが」

「ふふふ。ある意味、ここは平等な場所なのですよ。平均が高過ぎて、上下が付けれない場所ですから」

「……平等、ですか」

 それは自分にも当て嵌まるだろうか、とカグラは少し考え込む。が、すぐに無理だと結論は出た。

「ふむ。今度は海賊娘が入場してくるぞ」

 今度は西門に手を向ける。

「西門妹方リンスリッド・セブンスターズ!」

 同じくらいの歓声に包まれ、リンスリッドは走って西門から競技場の中央に向かって行く。

 彼女の持つ得物を見て、カグラは口が塞がらなかった。

「お、斧ッ?」

 リンスリッドはさっきまでと同じ服装だが、左手に大振りの片刃の斧を握っている。

 正確に言うと、大倭では『まさかり』と呼ぶ代物の大きさだ。大木を切り倒す為の物であり、普通は武器に使う物ではない。

 本来、大の大人が両手で持つ物だが、リンスリッドは片手でそれを担いでいる。

 確かに破壊力はあるだろうがどう考えても極端過ぎる得物。

「バイキングアクスと言う奴だな。海賊が好んで使ったと言ういわれがある」

「船に使われている物はどれもこれも丈夫で頑丈なので、壊したり破壊工作をしたりするのに斧が便利だったと言いますね。平原のような場所では不向きですが、船の上と言う限られた空間ではかなり有効な武器です」

「扱い難そうな得物ですが………そうなるとリンスリッド殿の能力は………」

 戦巫女が持つ特殊な能力を以てこの戦いが行われるなら、各自の能力が勝敗に重要な意味を持つのは間違い無い。


 『戦巫女』

 それはあらゆる世界に存在する。

 古くは霊力や魔法などと呼ばれた力を持つ者たちの総称である。その力は極めて大きく、ただの人間との差はまさに神や悪魔と人の差と呼べるほどの物だ。

 人類の最初の文明は彼女たちシャーマンを中心に出来上がったと言っても良い。

 やがてシャーマンは女王となり、集落は国となる。

 しかし、人の生活範囲が拡大するにつれ、この力は人と人の争いに使われるようになる。

 巫女は『集落の中心』から『戦いに立つ者』へと変容していく。

 そして、歴史のある時期から、この力が『星樹』と呼ばれる樹を通して全ての世界に満ちている事が判明する。それよりも古い時代から星樹を崇める文化は存在したが、実用としての存在となったのはこの時が初めてであった。

 その発見は、人智を超える巨大な大星樹を自分たちだけの聖地にしようと言う発想に繋がって行く。そして、戦争が繰り返される。

 人の戦いの歴史の中には、常に『戦巫女』たちが存在した。

 この力の習得は全世界の男女比にして一対一〇〇以上の差がある。

 圧倒的に女性の方が多く、しかも強力なのである。古来より神秘や秘儀に通じるは女性であると言う事の裏付けであった。

 ただし、男子に存在しないわけではない。非常に僅か。それこそ一つの国の中に十人いるかどうかだが、確かに存在している。

 若干事情は異なり、しかも姉には遥かに劣るものの、カグラもその一人であった。

 さすがにそうでなければ姉もカグラをここに送り込むなど考えなかっただろう。

 ………たぶん。

   *

「両者、大星樹に傅く戦巫女よ。その誇りを穢す事無く、尋常に勝負せよ」

 シェルリーの声が競技場に響く。

 相対する二人。

「始め!」

 号令と同時にシェルリーは場外に下がり、二人は互いに己の武器を構える。

 リンスリッドは左手に大斧。

 レミルは右手に鞘から抜いた細身の十字剣。そして何も持っていなかった左手に赤い旗が出現した。

 大きさは人の身体を半分隠す程度。

 それを見たエルジェメルトは不機嫌そうに吐き捨てた。

「ふん。《マタドール》め」

「………あれは、魔具ですか。あの人、かなりの使い手ですね」

「………ほう、一目で見抜くか」

 星樹から力を授かる巫女たち。その力の発現には一定の法則が存在する。

 腕力や脚力など身体能力を強化する《リィンフォース》。

接触する道具に様々な属性付与を行う《エンチャント》。

 器物を自在に操る《コントロール》。

 特殊な道具を作り出す《クリエイト》。

 魔力を武器、或いは炎や雷と言うような現象に変化させる《メタモルフォーゼ》。

 他にも細かい系統があるが、更に分類不能な特殊系統である《オンリー・ワン》と呼ばれる物がある。

 普通はどれかが得意で他は苦手となる。あるいはどれもそこそこだが専門家ほど極められないと言うパターンがある。

 もっとも、中には普通じゃない存在もいる事にはいる。

 例えばカグラの姉。

 あれは人間のルールを超えた反則過ぎる存在で、他と比べるのは余りにもバカバカしい。それはカグラも嫌と言うほど知っている。

 これらの系統の中でもクリエイトはかなり特殊で、奇妙な能力を持ったアイテム《魔具》を必要に応じて出現させるタイプだ。能力は他の系統に分類できないモノが多く、戦いに於いてその能力の正体が分からない場合、非常に危険な存在になる。

 その反面、汎用性は無いに等しく、応用性も低い。リインフォースなら重い物を持ち上げたり脚を速くしたりする事も可能だが、クリエイトは基本的に一人一つで、しかも専門道具になる場合が多い。

 ある事には無類の性能を発揮するがその他の事にはてんで使えないと言う事が当たり前。能力が知られていれば対処も取られてしまう。

 しかも、能力を創造して固定するには個人差もあるが一年二年はかかるのがザラで、さらに一度能力を固定すると死ぬまで外せなくなる。

 メリットとデメリットがハッキリしている系統なのだ。

 とは言え、こうもはっきりと魔具を出せると言う事はレミルが相応の実力を持っていると言う事でもある。

「ところで《マタドール》と言うのは?」

「奴のお国の娯楽に人と牛とが戦う闘牛と言う見世物があってな。戦う者を闘牛士と呼ぶのだが、《マタドール》と言うのは闘牛士の花形の事だ。そこから取って、奴はそう呼ばれておる」

「牛、ですか? 農作業に使う、あの」

 カグラの中では畑で農具を引く家畜の姿。獰猛と言う言葉とはかけ離れており、イマイチ戦うと言うようなイメージが湧かない。

「うむ。乳を採ったり食肉にしたりするあの牛だ。もっとも、闘牛に使うのは専門に造られた気性が荒く体格も大きくおまけに足も結構速い牛で、突進されれば普通の人間では跳ね飛ばされる。しかも人を犠牲にした奴ほど大物と言う扱いだ。闘牛と言うのはその牛の突進をかわしながら剣を打ち込み弱らせていく見世物なのだ。レミル・ラグナカブラの国では国技であるらしいな」

「正確に申し上げれば、一人の人間が一頭の牛を殺すのではなく、何人もの人間が順番に挑むのです。その経過で人が傷付いたり死んだりすると盛り上がると言われます。花形闘牛士と言うのはトドメを指す役なのです」

(立場的には横綱免許みたいなものなのか)

 レミルは旗を前に、剣を後ろに構えた。更に軽く爪先立ちになり、リンスリッドに向けて半身の姿勢を取る。

「足捌きで勝負する後の先。………それに、あの構えからして、あの布は守りに使う物ですね」

 あらゆる武術の基本は極意を突き詰めれば足捌きに至る。『』と呼ばれるものである。そこからある程度戦闘スタイルの傾向を読む事も可能である。

「うむ。なかなか厄介な代物だな」

 一方のリンスリッドはあからさまなステップは見せないものの、明らかに距離を取っている。

「得物が斧では距離を取るのは得策ではない筈。となるとリンスリッド殿の手は」

 カグラの言葉が終わるよりも早く、リンスリッドは手に持っていた斧をレミルに向けてぶん投げた。

「は?」

 とんでもない重量の筈のそれを、リンスリッドは軽々と、そして猛スピードで投げ付ける。

 どう考えても理屈に合わない速度で回転する斧はレミルに向かって弧を描き飛んで行く。

 もはやアレは斧とは別の武器と言っても良いだろう。

「………あれは怖そうですね」

「うむ。こうして傍目から見ていれば分かり易いが、対面の状態であれを見ると意識を分断しなければならぬ。コロッセオは広くともお互いの間合いは遥かに狭い空間。単純ながら効果的な戦い方と言えよう」

 空中を回転して飛ぶ斧は絶妙な角度でレミルを襲う。剣で落とすには重量差があって危険過ぎる。一番簡単なのは避ける事だが。

 これは普通の戦いではない。

 唸りを上げて迫る斧に対して位置を変えず、自らに迫る回転斧に向かってレミルは左手に持っていた布を振る。

 すると、明らかに斧は不自然に軌跡を変えレミルを直撃するコースを外して後方に飛んで行く。

「逸れた………いや、歪んだ? 勢いが変化したようには見えない。あの布は、周辺を歪める能力ですか?」

「ほう?」

 カグラの呟きにエルジェメルトは感嘆の息を洩らす。

「イグザクトリイ。そのとおりでございます」

 感心した顔のマーキュラがパチパチと手を叩いていた。

「如何にも。あの魔具は周囲を歪曲させて攻撃を受け流す物です。こと飛び道具に関しては無類の強さを誇ります」

 弾くのでも無く、防ぐのでも無い。一切の抵抗なく軌道がずれると言う事だ。飛び道具にとっては事実上無効化の厳しい防御法である。

「………しかも、布の振り方によって何通りか法則があるのですね」

 ただ一度見ただけ。だが、カグラはその中身をかなり深くまで理解していた。

「………初見でそこまで解るものか?」

「あ………いえ、幾つかの手掛かりからの推測でしたが」

「手掛かり?」

「常時展開させると色々問題が出そうですし、使い勝手も悪くなりそうな気がしたので、それなら動作で発動を決めているのではないかと」

 それだけ言うと、カグラは試合に意識を戻した。それだけが全てではないが、ここで語る意味は無い。

 投げた斧が空振りした以上はリンスリッドが不利になる事は明確、と思われたが、すぐにその事に気付く。

「………逸らされると分かっていて斧を投げた?」

 エルジェメルトやマーキュラが知っている以上は、レミルの能力はかなり認知されている筈。第一、レミルは何度か姉妹戦を行ってきているのだ。リンスリッドは全てとは言わなくとも、或る程度の手の内は読んでいる筈。ならば無策に武器を投げる筈が無い。

「勝算無く戦いを受ける奴ではないからな。何か考えがあるのだろう」

 その答えはすぐに出た。

 リンスリッドの身体はいつの間にか大幅に距離を詰めていたのだ。

「斧を囮にして接近戦を挑むか!」

(違う)

 それだけでは策足り得ない。

 確かにレミルの能力は接近戦には都合が悪い。空間を歪める能力は飛び道具から身を守る事には有効だが、接近戦では自分の攻撃も当て難くなるデメリットがある。

 だからこその十字剣なのだ。あの能力だけでは相手にダメージを与えるのはかなり特殊な状況になるだろう。故に、相手にダメージを与える為の近接武器が用意されている。

 相手にとっても接近戦は想定内で当然の流れ。

 不意を突くのはそれだけでは足りない。

 と、そこでリンスリッドの手にナイフが現れる。距離が遠いと目視確認し難い程小さなナイフだ。

「………隠し武器か?」

 ここからだと結構距離があるが、どうやらエルジェメルトも視認したらしい。

「そのようですね」

「しかしあんな物でどうにかなるか?」

 大きさはレミルの十字剣の十分の一も無い。十字剣も決して大振りではないものの、まともに切り結べる事は無いだろう。

 だが、カグラはその点では問題は無いと考える。

「十字剣が魔具ではない以上、ゼロ距離ではかなり有効だと思います、が」

 言葉を濁したのはリンスリッドの行動に疑問があったから。

 隠し武器と言うのは、基本的にギリギリまで隠す方が効果的の筈。隠しているからこそ必殺の武器に成り得るのであって見せてしまえばただの小さな武器だ。

 言い換えれば悟られる事無く懐に飛び込んで打ち込むのが基本。あれではただのヤクザ者が匕首を腰だめに構えて無策に突撃する特攻だ。

 それが分からないリンスリッドではあるまい。

 と、リンスリッドの突進に合わせて、布が斜め下から逆袈裟に振り上げられる。

 空間を歪めるとは言え、別に天地をひっくり返す訳ではない。だが、相手の体勢を崩すには充分。

 直後、レミルの鋭い蹴りが姿勢の崩れたリンスリッドを地面に打ち転ばせる。

 おそらく想定された戦術なのだろう。滑らかな動きだった。

「………勝負あったな」

「ええ。リンスリッド殿の勝ちです」

 剣が突き下ろされ、勝負は決まるかに見えた、その瞬間だった。


   ゴチーンッ!


 競技場中に響くか、と思うほどの音が出た。

 レミルの頭部が衝撃で大きく揺れていた。

 一瞬、何が起きたか理解不能な表情を浮かべたレミルは、バッタリと競技場に倒れ込む。

 原因は一目瞭然。その後頭部には突き刺さるように見覚えのある物体がくっついている。

 そう。超高速でリンスリッドの斧が戻って来たのだ。

 もっとも「戻って来た」と言うのは正確に言うと正しくない。

 リンスリッドがレミルの後頭部を狙って高速で移動させた、が正解である。

 競技場が一瞬静まりかえるが、次の瞬間、爆発かと思うような歓声が競技場を押し潰さんばかりにフィールド内を埋め尽くした。

 立会人であるシェルリーが競技場に降り立ち、リンスリッドの片腕を天に掲げ、その勝利を宣言した。

   *

「………なんだ。刃じゃないのか」

「先端部のようですね」

 きちんと狙ったのだろう。

「つまらん。が、意外と中身の詰まった音であったな」

 プッと後ろで笑いを堪えた気配がした。

「あの斧は強化した身体能力で投げたのではなく、始めからリンスリッド殿が操っていたのですね」

 的確且つピンポイントの操作はリンスリッドの技量を示す。

 そして、そこに至る全てがリンスリッドの仕掛けたトラップ。

 斧を投げて逸らさせたのも、ナイフを取り出して見せたのも、レミルに体勢を崩されたのも、全てリンスリッドが思い描いた形だった筈。

 派手に斧を投げたのは本命の《コントロール》を悟らせない為。ナイフを見せたのは悪あがきのように見せる為。攻撃を喰らったのはトドメに意識を集中させる為。

 油断させ、意識を自分に向けさせ、斧の事を悟らせない。

 戦いに於いては時に勝ちに入る時こそ危険である事がある。思わぬ事態に戦況を覆されたり、勝機を逃したりする事も珍しくはない。

「見事、でしたね」

「ふん。海賊娘を牛相手と一緒にするのが愚かなのだ。末席とは言え、あれは獅子の血統なのだからな」

「獅子、ですか?」

「ポラリス王国のシンボルですね。中興の祖とも言われる偉大な王が『獅子心女王ライオンハート』と呼ばれて以来、彼の王族はしばしば『獅子の血統』と呼ばれる事があります」

「とは言え、搦め手で得た勝利は獅子らしからぬとは思うがな」

「そうですか? 相手の手を読み、己の技巧を尽くした戦いだと思いましたが」

 リンスリッドが戦略と技巧に優れた戦巫女だった事は意外だったが。

「何より、相手の間合いで一歩も退かぬ勇気は正に獅子ですね」

 それどころか死地に於いて確実なコントロールを見せた。その胆力たるや年齢に相応しくない域に有る。

 彼女もまた、高レベルの戦巫女なのだ。

 カグラは正直に感嘆を述べたのである。

 すると、皇女の顔が少し不機嫌そうになった。

「我は正面から打ち倒すのが好きだ。第一、戦場に於いては敵の手を見透かす事は余程の天才的な軍師でも無い限り不可能であろう。先手必勝。一撃必殺。それにわざわざ一撃喰らったのも気に喰わぬ。それがこちらの致命となる事すらあるのだからな」

「………ああ、なるほど」

 何となく納得できる答えだった。

 エルジェメルトの性格通り、と言う事もあるだろうし、皇族としても無様な戦いを見せられないと言う枷もある。

「と言う事は、殿下の力は《リィンフォース》なのでしょうね」

「ぬなッ? な、何故そうなる?」

「昨日も巨大な剣をお持ちでしたし、何よりも最も白兵戦に向いた系統は身体強化でしょうから、そうだろうと」

「ま、まあ、そそそのくらいは予想が付いてもおかしくはあるまい。うむ。しかし我にひゃッ?」

 そこで、エルジェメルトの肩にトンと手が置かれた。エルジェメルトの言葉が自然と止まる。

「殿下。御口が少々軽いのではありませんか?」

 マーキュラだ。にこやかな微笑みを浮かべてはいるが、彼女の目は笑っていない。

「にゃ、にゃぬ?」

「この地では学友とあそこに立つ事も珍しい事ではありませんから」

「私と殿下が争う理由など無いと思いますが」

「いいえ。可能性はゼロではありません。そして、カグラ様と相対される事になれば殿下は圧倒的に不利になるでしょう」

「………む、む」

「私が見た限りですが………カグラ様は非常にお強いようですから」

 実力者は実力者を知る。歴戦の戦巫女は相手の力量を読む事に長けるものだ。カグラは実戦経験こそ余り無いが(命懸けの稽古は数え切れないほどあるが)視る事には長けている。

 カグラがマーキュラに関して抱いた感じは、やはり間違いではなかった。

 彼女の方こそ、相当の実力者である。恐らくは成長途中であるエルジェメルトよりも遥かに上。

 おそらくはこの学園都市に属する者の中でも五指に上がる。

(敵となれば全力で応戦して五分に持ち込めるかどうか………と言うところでしょうか)

「我が後れを取ると言うのか?」

「戦略上の有利不利で言えば不利でございます。それに、あそこでの一度の敗北が生涯の傷となる事も珍しくないのは、すでに御覧になった通りでございます」

 レミルは未だ舞台に転がったままだ。そのまま医療班が運び出すらしい。

「………失礼致しました。エルジェメルト殿下。不調法は私の方だったようです」

 カグラはさっと非礼を詫びた。どうやら言い過ぎだった。話術に関してはさほど得手では無いのだ。まして同じ男では無く異性となれば簡単には理解し難い存在。軽口がどのような火種になるか分からない。

(これからは言動にも気をつけなければ………)

 こればかりは細心の注意を払いつつ慣れていくしかないだろう。

「か、構わぬ。まあ近いうちに我が勇姿を見せる機会もあるであろうしな」

 素直に謝ったのが良かったのか、エルジェメルトの機嫌は悪くはないようだった。

「ところで、話は変わるのですが」

「うむ。何なりと言ってみよ」

「この試合でリンスリッド殿が得る物はなんなのでしょう?」

 急展開だったので気が回らなかったが、良く良く考えると、これまでの説明では勝負を挑まれたリンスリッドには得になる事が全然無い。

「特に無いぞ」

「………はい? ええと、冗談………では?」

「冗談では無い。この戦いに勝っても申し込まれた妹側は何も得る物が無いのだ。まあ、気に入らぬ相手の申し入れを永久に断われる権利と言うのは勝ち取ったと言えなくもないが」

「星女会公認は得られない、と言う事ですけれどね。ただブックメーカーの胴元から幾らか出るかもしれません」

「古代の剣闘士でもあるまいし、王族がする事ではないがな」

 競技場ではすでにレミルが担架で運び出され、リンスリッドもゆっくりと退場していた。

「殿下。私はここで失礼致します。リンスリッド殿が心配なので」

 カグラは礼を失さない程度に軽く挨拶すると、雛段から降りて客席から立ち去った。


 カグラを見送ったエルジェメルトは、ふんっと深々とソファに身を委ねる。

「………面白くなさそうですね、殿下」

「何が言いたい?」

「殿下は気に入らない事があると口が山になります」

 マーキュラが人差し指の先と先をくっつけて山型を作って見せる。

「………ふん。気のせいであろ」

 口元をへの字にしたまま、エルジェメルトは何となくカグラが去った方に視線を向けていた。


   4 学園の宿病


「リンスリッド殿!」

 カグラがリンスリッドを見付けたのは控室の前だった。何分不案内な場所だったので見付けるまで手間取ってしまった。

 リンスリッドは丁度部屋から出てきたところだったらしい。

「………あ、カグラちゃん。えへへ。どうだった? 観てくれた?」

 疲れているような素振りも見せず、リンスリッドは笑顔で応じる。

「ええ、エルジェメルト殿下の席に御一緒させて頂きました」

 そう答えると、リンスリッドの眉が少し吊り上がった。

「………へー、あのバカ皇女がよく自分の席に呼んだねー。あいつ、いつも幅取ってすっごいひんしゅく買ってるんだけど」

「それよりも身体の方は如何です? 見た感じでは負傷は無いようですが、衝撃が残っていたりはしませんか?」

「あ、ああ、うん。大丈夫大丈夫………って、よく分かるね? 結構派手に当たった筈なんだけど?」

「………それは、まあ、見ていましたから」

 相手に手応えを感じさせなければリンスリッドの策は意味を為さなかった。故に無視できる程度のダメージを受け、意識を向けさせた。

 まさに紙一重の手である。

「しかし、あんな戦い方しかなかったのですか?」

「まあちょっとね。レミルは防御が得意で正面から割るのは大変そうだったから」

 言わば相性と言う事だろう。

 後はまあ性格か。どうもジリジリ持久戦ができるようには見えないし。

「それじゃあ案内の続きをする………」

「いえ、結構ですのでお部屋までお送りします」

 今死闘を終えた相手を引き摺り回すような事はカグラにはできない。

「えー?」

「力尽くでも連れて行きますよ?」

 にっこりと微笑むカグラを見て、リンスリッドは微妙に怯えた表情で固まった。

 二人は並んで歩き始める。一応カグラは半歩下がってリンスリッドの様子を見ながら歩いた。

 幸い普通に歩けるようで、足取りも口も何ら変わらぬようだった。

 もっとも、真剣勝負と言うものは身体もさる事ながら特に精神が疲弊するものだ。緊張が途切れれば急にガクッとくる。それに備えるには少し後ろの方が反応し易い。

「あのさー、カグラちゃんならどう戦う?」

 ふとそんな事を訊ねてくる。

「私ですか? そうですね………」

 当然、カグラもレミルをどう斬るかを見ていた。

「高速で攻撃するか、やはり認識の外から攻撃するでしょうね」

 任意で発動する能力は対応できなければ意味が無いからだ。振る事すらできないうちに一撃で叩き伏せるのが理想だろう。

 それに、刀の極意は速度である。先手を取り一刀の下に斬り倒すのが基本スタイルだ。

 言うなれば、二の太刀要らず。

「後は肉薄して打撃でしょうね。一寸あれば倒す事は可能ですから」

「はひ?」

 振り向いたリンスリッドはなぜか変な物を見るような顔をしていた。

(リンスリッド殿は体術には余り詳しくないのだろうか?)

 武器から始めようと武の基礎は体術に至るものだ。そして体術も含めあらゆる武術と言う物は突き詰めていくと、それは一端零距離戦に至る。或る意味そこが武の第二の出発点。

 ただし、そこから先は一歩前に進むのが容易ではない達人の領域でもある。

 そんな事を考えながら、カグラはリンスリッドを無事に彼女の寮まで送り届けた。

   *

「どうだった? 楽しめたかな?」

 リンスリッドを寮に送り届けた帰り道。まるでカグラの行動を見透かしていたかのようにシェルリーが現れた。もちろん空からである。

「楽しめた、とは?」

「リンスリッド君とレミル君の姉妹戦に決まってるじゃないか」

 明らかに面白がっているその口調に、カグラの神経が逆撫でされた。

「些か不謹慎ではないのですか?」

「不謹慎だって?」

「一歩間違えばリンスリッド殿の将来にも係わる問題。もう少し熟慮があるべきではないのですか?」

 だが、シェルリーは笑うだけだった。

「なるほど。確かにカグラちゃんの言う通り。将来に関わる、かもしれない。だが、私にとってはそんな事は些細な問題なんだ。彼女たちの将来がどうなろうと知った事じゃない」

「………貴女は」

 カグラの抗議の視線に、シェルリーの口調はガラリと真剣なものに変わった。

「カグラちゃんはこの街の最大の問題がなんだか理解できるかい? 少し考えてみて欲しいね」

「………問題、ですか?」

「そう。問題。この街が生まれた時から抱える最大の問題があって、それは何百年も経った今も尚、全然解決していない」

 問題。どこにそんな物があるのだろうか?

 諍いはあるがいくさのように大きな物では無い。食料に困っている訳でもないだろう。

 強いて言うなら女子しかいない事だろうが、それは仕方が無い。

「外界の諍いを持ち込む事、でしょうか?」

 エルジェメルトたちから聞いた話を挙げてみる。だが、シェルリーは両手を横に掲げて首を横に振った。大袈裟な仕草だが明らかな否定のサインだ。

「いーや。そんな物はどうでもいいよ。やりたい奴にはやらせておいて構わない。すぐに馬鹿馬鹿しくなるだろうし。私の立場から言えば、その程度なら幾らでもやって貰って構わない」

「仮にも統治者と思えない言葉ですね」

「私だって星女会長なんかになる前まではこんな事考えもしなかったよ。ここにはね、娯楽、エンターテインメントが無いのさ。悪い事にここに居るのは生活に困らないお姫様ばかり。収入を得る為の労働時間を割かなくていい人間ばっかりだ。そうなるとどうなると思う?」

「………」

「退屈が人を腐らせるのさ。腐った人間は救いようの無い事も平気でやるようになる。そこから生み出される被害はちっぽけな諍いなんかよりもずっと大きい。ここの存在意義すら揺らがせる」

「そんな事が………?」

「カグラちゃんみたいな子には無縁な話だからピンと来ないだろうけどねー。カグラちゃんは寸暇を惜しんで明確に武芸を磨く事を身上とするタイプだ。だから時間があれば鍛錬に注ぎ込む。同様に勉強や研究に打ち込むタイプでもそうはならない。やる事が決まっているからね。私もそう言うタイプだから分かるんだけどね。そこに退屈なんて感情は生まれにくい。

 でもここに居るのはカグラちゃんみたいなタイプだけじゃない。むしろ明確な目的を持たないで過ごしている人間ばかりだ。そう言う人間は退屈を抱え易いし、危険過ぎる甘い快楽に転がり易い。まさかここで変な薬やギャンブルを覚えて貰っても困るしね。評判が下がるどころか国際問題になりかねない」

「戦いに賭けが行われていたと聞いていますが」

「ああ、あれは公認ブックメーカーだけ。闇賭博は御法度だよ。そんなわけで、私も日夜ここの淑女レディの卵たちを飽きさせない事を考えないと駄目なのさ。それこそが星女会長の一番のお仕事なんだよ」

 そう言いつつも「くっくっく」と笑う姿は嫌そうには見えない。この人もまた、そんな状況を楽しんでやっているのだろう。そう言う意味では悪人ではないだろうが厄介な人間だと言えるかもしれない。

「誰が考えたか、姉妹制度や姉妹戦って言うのは適度な刺激を与える格好のマテリアルでね。表も裏も秩序の維持に役に立つんだよ。まあどれだけ話しても本当に理解できるような問題じゃあないし、良かったらカグラちゃんも実践してみてよ」

「実践?」

「姉を得るなり妹を作るなりね」

 突然思いもしない話を振られてカグラは慌てた。

「え? いや、私は………」

 無理だ。絶対に無理だ。

 なぜならカグラは男。なのに、この場所で、つまり女子ばかりの学園で、そんな親しい相手を作れる訳が無い。

 だからと言って、ここでの風習を完全に拒絶するのも問題だ。故に、適当な距離を置くべきだと考える。

 そんな慌てるカグラに、シェルリーはにんまりと笑って続けた。

「そうだね。秘密を共有できるくらい親しい女の子がいい。君の為に何もかも捧げてくれるような献身的な、ね」

「………え?」

 冷や汗が流れる。

 シェルリーの表情はニヤニヤした笑みのままだが、冗談は言っていなかった。

 やはり勘は正しかった。シェルリーの瞳はカグラの真実を見抜いていた。

(斬るか?)

 一瞬口封じも頭を過ったが、そのデメリットは余りにも大きいのが手を止める。

「くっくっく。カグラちゃんは怖い顔も綺麗だね。魂が凍えそうだ。安心していい。私は中立だよ。君と特別に親しくなる気も無いし、君の秘密を暴くつもりも無い。ただ君を中心に楽しい事が起きればいいな、とは思っているよ。自分で引き起こすつもりはサラサラ無いけどねえ」

「………貴女が《魔女》と呼ばれる理由が何となく理解できました」

「それは結構。ついでに言っておくと私は《善い魔女》でね。困った事があるなら相談にも乗るよ。ではカグラちゃん、楽しい学園生活を送ってね」

 シェルリーは箒に乗ったまま上昇して行く。

「………恐ろしい相手なのか、頼もしい人なのか」

 どの道、今カグラが居るのは引き返せない道だ。

 ならば。《魔女》だろうが手を貸して貰える人間が居るのは有り難いと思う事にする。


 カグラの学園生活は最初から波乱ばかり溢れていた。


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