29.黒い鬼 対 神の如き者
お待たせしました。
前回の予告(?)通り、前回の字数を大幅に超えました。
なんと、12051字!
阿呆じゃね? と思わないでください、切らないで全部詰め込んだらこうなっちゃったんだです。
けどその代わり、書きたいことは全部書けました。
美しい男の友情、戦闘、シリアス、キャラのカッコよさ。
自分の中では、携帯にあるストックを全部含めて最高傑作だと。
そしてどうしよう、これ以上のものを後にも先にもかける気がしない。
まぁ、人間成長しますし? 限界を超えて、これより凄いもの書けるようにもなるか知れないし?
はい、これからも精進します。
長々と失礼。
では、どうぞ。
この世に『英雄』などいない。
確かに、世界に『英雄』と呼ばれる人間はいる。
だが、彼らとて『人間』なのだ。
悩み、苦しみ、もがき、足掻きもする。
彼らは、望むもの全て手に入れられたのだろうか?
彼らは、護りたいものを全て護ることができただろうか?
そんなことは、決してなかっただろう。
彼らとて、ただの小さな、弱い、人間なのだ。
『黒い鬼』と呼ばれた男を、知っているだろうか。
彼の者は、一千を超える達人の集団と相対し、殲滅したという。
彼の者は、難攻不落と謳われた砦をものの数分で落としたという。
そんな、『英雄』と呼ばれるような豪傑だ。
その彼には、四人の弟子がいたという。
後に単騎でクーデターを終結させた、と言われる『英雄』と謳われる伝説の傭兵は、彼をこう語る。
「俺にとっちゃ、あの人は俺の憧れだよ。その強さも、在り方も全部ひっくるめてな。俺は、あの人の背中を見ることができたから、こう在れたし、強くなれた」
国民から絶大の人気を誇る、天真爛漫なとある国の第一皇女はこう語る。
「小父様? そうねぇ、命の恩人だけど、それ以上の存在かな。優しくて、頼りがいがあって、ちょっと厳しかったけど、尊敬できる人だった」
最期の最期まで親友と主君のために生きた、とある国の最高の騎士は、こう語る。
「あの人たちは、俺たち三人の始まりでした。あの人がいたから、今がある。陳腐な言葉になりますが、感謝してもしきれませんね」
世界最高の暗殺者にして、彼が唯一愛した妹は、こう語る。
「う~ん、そうねぇ。私にとって、あいつは全てね。命を助けられて、武術を教えてもらって、勉強も教えてもらって、見守ってもらった。あいつがいなかったら、私という人生は、始まりも、終わりもなかった」
『黒い鬼』は、このように称賛されている。
もうそれは、我々から見れば『英雄』に他ならないだろう。
いや、四人からすれば、尚更なのだろう。
しかし、彼らは彼を『英雄』と呼ばない。
彼らは、知っているからだ。
『黒い鬼』とて、悩み、苦しみ、後悔してきたことを。
『鬼』と呼ばれながらも、そんな彼の人間らしさを知っているから、彼らは『英雄』などという言葉を使わない。
そんな言葉で、彼を縛りたくないからだ。
だがそれでも、『英雄』と呼ばれる者たちは立ち上がる。
周りからの勝手な期待を受けて、勝手な信頼を寄せられて、彼らは立ち上がる。
この世に、『英雄』などいない。
そんな、完璧な存在は、この世にはいないのだ。
だが、尊く誇り高き気高い魂は、確かに在る。
何かのために立ち上がり、己の体を傷つけてでも、護りたいというその在り様。
命賭して、愛した者のために敵を粉砕する覚悟。
言うは易しだが、これを実行できる人間が、どれ程いようか。
重ねて言うが、この世に『英雄』など存在しない。
それでも、そんな彼らには、称賛を贈って然るべきなのだろう。
『英雄』という称号を、謹んで贈るべきなのだろう。
それがどれだけ、彼らの重荷となり、苦しめるものだとしても。
☆
鬼は吼えた。
天使は嗤った。
しかし、その戦いの火ぶたはそれと同時に切って落とされることはなかった。
震脚と遠当ての合わせ技。
挨拶代りにされたそれは、達人泣かせの御業であった。
震脚による衝撃を、オードルとミカエルのほぼ中心地点に衝撃を送り、拡散。
それにより、直径三十メートル深さ三メートルのクレーターが出来上がった。
ミカエルはその力業に舌を巻くと同時に、オードルの真意をすぐさま読み取った。
(ははは、良いぜ、乗ってやる)
二人は今、空中にいる。
しかしながら、空中にその身を置いていても、闘う方法はあるのだ。
オードルは『空歩』があるし、ミカエルも同様のことが可能だ。
だがそれは、無粋だろう?
眼前にいるのは、極上の獲物。
完膚なきまでに叩きのめし、屈服させ、喰らわねば勿体ない。
二人が地に足をつけのは、同時。
人智を凌駕したこの二人をして、寸分狂わずコンマ一秒の差もない、同時。
そうしてこそ、よーいどんの闘いだ。
《人の身で、善くぞそこまで練り上げた。
されど問おう、オードル・シリア。
貴様の勝率はどれ程だ?
億に一つか? 兆か? それとも京か?》
「例え久遠の彼方だろうと、俺にはそれで十分過ぎるさ」
さァ、これより始まるは前人未到の人神対戦。
人の身で神殺しを成した者は、確かにいる。
だがそれはどれこれも、半神半人よ。
純粋な人の身でこの業を為し、背負った者は未だ無し。
さァ、存分に興じるがいい、強者共よ。
心行くまで戯れ合い、華々しく散らし、敗者の洒落頭をその手に勝利の美酒に酔い痴れるがいい。
嗚呼、その味は、筆舌に尽くし難いだろうさ。
美辞麗句を並べ、紳士たちは愉しい食事を始める。
☆
オードルは落ちながら、自分の体の状況を正確に把握していた。
心肺は機能していない。
これはもう、致命傷だ。
その上に、これでは動くことすら叶わない。
肺とは、心臓から送られた血液に酸素を含ませ、心臓に送り返すための臓器。
そしてその心臓とは、血液を全身に巡らせるための筋肉の塊だ。
血液が循環しなくなる、というよりは全身に酸素が行き渡らなくなる。
これにより、酸素の供給が止まる。
そうすると、細胞の死滅が始まり、臓器の働きが衰退する。
人間ならば、数分と保たない。
この身が『鬼』でなければ。
心肺停止? 肺呼吸停止による、『練気』の阻害? 細胞の死滅?
笑わせるな。
この程度で、鬼を殺せるとでも?
そんなもの、皮膚呼吸一つで全てカタがつく。
血液の循環はどうしようもないが、皮膚呼吸で酸素の供給、二酸化炭素の排出全てをまかなおう。
酸素さえあれば、細胞の死滅も遅らせることができる。
『練気』など、とうの昔に虚無に放り込まれてもできる程度には極めておるわ。
(だが、ほとんどの技は使えないがな)
生命維持のためにこれだけの手間を割いているとなると、流石に難しい技を使うことはできない。
大技を使えば、生命維持がおろそかになる。
死神の鎌に首を刎ねられ、首だけで死神に噛みついているこの身では、その瞬間に三途の川を渡ることになるだろう。
しかしそれを補い、凌駕するものがある。
心
これが『剣神』を最強たらしめていたものか。
高齢であるにも拘らず、一切衰えず、老いを克服させる唯一にして最大の武器。
心の真骨頂、それは、己の理想の体現。
こう動きたい、こう在りたいと思う。
さすれば、心は技と体を理想へと引っ張る。
これにより、技と体は一歩も二歩も先に進む。
心が強ければ、未熟な技であり、未発達の体でも達人と渡り合うことすら可能にするだろう。
素晴らしい、これなら、『神の如き者』にも届きうる。
感謝する、武の頂に君臨する剣の神よ。
貴殿のお蔭で、我が身は『神殺し』へと挑める。
とうとう、両者の足が地についた。
刹那、と言うには温い。
常人では、如何様な言葉でも言い表せないであろう。
最低でも常識というものを踏破した、達人という存在でなければ、刹那と言う定規を使う資格はあるまい。
両者の拳は、既に突きだされていた。
しかし、拳は空を切る。
大気はうねり、悲鳴をあげる。
「は、はははは」
《くは、ははは》
「《ははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!!》」
年功序列。
初手はまず、ミカエルが打った。
右足による、上段蹴り。
「温いぞッッッ!!」
ゴウン!!!!!! と。
蹴りを防いだオードルの二の腕から、鈍い音が響いた。
しかし当然、彼は無傷。
腕には、押し測ろうとすることすら烏滸がましいと思える程の濃度の、炎のような紅い『気』。
一般人にすら可視化する程の濃度、強度、質を兼ね備えたもの。
それによって練られる『硬功』だ。
如何に最強の『天使長』と言えど、これを突き破ることは困難。
「さてとォ、お返しだァ!!」
《ッたく、凄まじいねェ!!》
ミカエルにそう言わしめたのは、ただの正拳突き。
誰にでもできる簡単な、単純な正拳突きだ。
しかしそれ故に、為した者の技量と凄まじさがわかるというもの。
ミカエルは両腕を交差させて防ぐものの、三メートル程後退させられてしまった。
《くくく、嗚呼、やっぱお前最高だよ。生粋の、テメェの力だけで俺と殴り合うなんざ、酔狂なやつめ》
「なに、俺みたいな秀才じゃ、拳一つで成り上がるしかなかったんでな」
ミカエルは、訝しげな顔をした。
《お前が秀才なら、この世に天才なんていないだろう、謙遜が過ぎるぞ》
「そうでもない。俺の可愛い弟子に、本物の天才がいるんだよ」
《……ほう》
「あいつらは、俺を超えるさ」
一変して、喜色が浮かぶ。
《くくく、そうかい。なら、青いうちの味見もありかもな》
「……行かせねェよ、絶対にな」
という会話を、彼らは死合いながらも交わす。
拳を、蹴りを繰り出しながらも、笑顔で語らう。
「ッッッらぁ!!」
《チィッッッ!!》
奇しくも、丁度百手目にして、オードルの拳がミカエルの頬を掠めた。
その事実に、ミカエルは喜色を一切隠さずに笑う。
バックステップで一度距離を取ってから、声をあげる。
《ははは、良い動きだ! さすがに強いな》
「……………………」
《やっぱ、闘いってのはこうでねェとな。血沸き肉躍る闘争こそが、俺の望んでた
「違うだろ」
《…………………………あ?》
オードルに言葉を遮られ、ミカエルは呆けたような顔をする。
オードルは拳と掌を打ちつけた。
「全力でこい。それで初めて、愉しい死合いだろ」
ミカエルは困ったように、頭をかく。
《隠せてた、つもりだったんだがな。いつから気づいてた?》
「阿呆か。俺の攻撃を受ける時、テメェの体捌きが錆びついてることに気づかないとでも思ったか? その錆びつき方は、俺が『|気
《・》』を使わない時のそれだ」
ミカエルの全身から、薄い黄色の陽炎のようなものが噴き出た。
《悪かったな。そんじゃあ、まぁ、こっからは》
ミカエルの姿が、視界から消えた。
そして、背後から、声。
《本気でやるよ》
天使長の本気、鬼よ、括目してみよ。
……いや、酷な話か。
貴様は今、目で追うことすらできなかった。
これが『神の如き者』と謳われし者の実力。
貴様の勝率など、砂漠の海の中に埋もれし、一粒の砂の如きであろう。
わかっているはずだ。
嗚呼、鬼よ。
それでも貴様は、何故笑う。
☆
さて、人間とはなんだろうか。
いや、勘違いしてほしくないのだが、小難しい哲学的なことを述べようというものではない。
これを聞けば、次に俺の言いたいことがわかるだろう。
天使とは、神に似せて創られた存在である。
さて、これで俺の言いたいことはわかったはずだ。
人間とは、神の形を模した人形だと言われている。
しかし天使も、神に似せられて創られたという。
言うなれば、人間とは天使の下位互換。
そうなれば、人間にできて天使にできない道理はない。
そのできることの中には、勿論『気』も含まれる。
☆
ミカエルは、内心舌を巻いていた。
(ほんと、お前は大したやつだよ)
ミカエルの拳は、オードルの延髄を的確に撃ち抜いた。
そして、何かが砕けたような音が響き渡った。
ミカエルの拳から。
オードル・シリアの真価は、防御に置いて発揮される。
グングニルの力を最大まで引き出したケイトを凌駕する怪力。
それに目がいってしまうかもしれないが、それは彼の防御が生んだ副産物に過ぎない。
オードル・シリアの動きは、人体にありえない程の負荷をかける。
それ故に、人体実験を受け人体ではありえない膂力を持ち、神の中の最高位たる『主神』の加護を受けた者を力比べで負かしてきた。
その負荷を、彼の硬功は全て打ち消す。
それ程までの硬功なのだ。
それをもし、防御一辺倒に注いだら?
天使長といえど、易々と打ち破ることはできまい。
「攻守の切り替えは、基本だしな!!」
《そこまで行きゃ、十分奥義といって差し支えないだろうに!!》
オードルの拳とミカエルの拳が、正面からぶつかり合った。
頭に響く衝撃に顔をしかめ、ぶつかった衝撃とぶつけた反動で、二人は後方に吹き飛ばされた。
「《チッッッ!!》」
二人は同時に舌打ちして、律儀にもクレーターの端で止まる。
「《ッッッラァ!!!!!!》」
二人は全力で踏み込み、凄まじい勢いで互いに間合いを潰す。
そしてまた、互いに拳を突きだした。
「ガァ!!!???」
しかし、オードルの拳は届かなかった。
いや正確には、届く前に顔面を殴られた。
だがこれは当然の結果である。
なにせ、速度が違う。
先程は、拳が重なったからぶつかっただけだ。
慢心ゼロで兎と亀が競走を行えば、どちらが勝つかなど、幼稚園生でもわかる。
《ほらほら、タコ殴りタイムの始まりだァ!!!!!!》
額、鼻柱、喉仏、鳩尾、肘、膝、脛と人体の急所、あるいは破壊されることによって人体構造として死ぬ箇所を拳で執拗に繰り返し撃ち抜いた。
狙いは正確無比であり、姿勢も文句のつけようのないもの。
力は余すことなく、一切逃がしていない。
力の割合を十で表すとすれば、余すことなく十が伝わっていることだろう。
《オラァァァ!!!!!!》
打撃を撃ち込んだ数が、百を超えたあたりか。
ミカエルは死神の鎌を思わせるような、鋭い蹴りを放った。
オードルは為す術なく吹き飛ばされるが、地面に腕を突っ込み、衝撃を殺して止まる。
そこは丁度、クレーターの端であった。
「これ以上は、下がれねェな」
ミカエルはそんなつぶやきを無視して、一気に間合いを踏み潰した。
そして、拳を大きく振りかぶり、オードルの顔面へ放つ。
「ま、もう下がる必要なんてないが」
ゴッッッッッッッッ!!!!!! と。
空気はうねりをあげ、拳は空を切った。
《なに……?》
オードルは、紙一重で拳を回避した。
そしてその彼の顔には、こう書いてあった。
してやったり、と。
「もう、この速度は慣れた。まだ上があるだろ? 余り俺をナメてくれるなよ」
「俺を、誰だと思ってやがる?」
☆
『神の如き者』よ、感謝するぞ。
貴様には、最初にして最大の大敗を喫した。
だからこそ、強くなれた。
だが。
お前には、できれば隣にいてほしかった。
師事をしろなどとは言わない。
ただ、仕合って欲しかっただけだ。
そうしてくれるだけで、俺は強くなれたのだ。
仕合う度に、圧勝するだろう。
仕合う度に、失望するだろう。
どれだけ掛かるかはわからない。
数年、数十年、あるいは今際の際か。
さすれば俺は、お前を必ず見返してやったというのに。
だが、このもう残り短き命ではそれは叶うまい。
せめて俺は、お前を満足させたいのだ。
嗚呼、愉しかったと。
お前と出逢えて良かったと、思ってほしいのだ。
だから友よ、手を抜きながら全力と嘯き出し惜まず、全力をぶつけてくれ。
その上で、俺はお前に勝ってやる。
☆
嗚呼、全く、どうして、そうなんだ。
お前はどうしてこうも、俺の予想を尽く踏み潰す。
今のお前は、神代において名を馳せた英雄を凌駕しているだろう。
人間の限界など、とうに超えている。
人間の範疇を、大きく逸脱している。
そして、お前はさらに強くなれるのだろう。
それを奪ったのは、他ならぬ俺なのだ。
だからせめてお前には、満足してほしいのだ。
勝ちは譲れないが、それでも、満足してほしいのだ。
目標に届いたと。
全力の俺と闘えたと。
嗚呼、どうしてお前と言う男の総てを、俺は測ることができない。
お前と言う男を測るための、定規が欲しい。
比べ物になる存在が欲しい。
嗚呼、この時ばかりは、矮小な人間と言うくくりを恨むぞ。
貴様らが弱いせいで、オードル・シリアを測ることができない。
お前には、もう何度も驚かされた。
だからもうお前は、報われてもいいはずなのだ。
だから、一手一合交わす度に、強くなってくれるな。
この時間をもうこれ以上、名残惜しくしてくれるな。
お前と言う存在の限界を、早く出しきってくれ。
……嗚呼、だがもし、お前の限界が俺の全力を超えるというのならば。
友よ、お前に勝利と俺の最上の賛辞をくれてやる。
俺はその時、真に満足できるだろうさ。
無論、そんなつもりは毛頭ないが。
☆
正拳突きを繰り出し、蹴りを繰り出し、攻撃を流し、カウンターとフェイントを織り交ぜる。
しかし、オードルの攻撃は一度も届かない。
全て回避、あるいは流され、もしくは防がれる。
オードル・シリアは恐ろしいことに、行動する度に強くなっていく。
攻撃する度に、回避する度に、防御する度に、彼は己に架せられた枷を外していくが如く、強くなる。
しかしそれでも、ミカエルには届かない。
こいつは、オードルが強くなるたびに、少しずつ手を抜くのをやめるだけだからだ。
きちんと言っておくが、オードルが強くなっているのは、技術だけだと思うならばそれは間違いだ。
オードルは比喩でもなんでもなく、少しずつ膂力を強めていき、速度を増していき、技術に磨きをかけているのだ。
原因は、『心』。
そも、オードルの肉体は数十秒で伸びる余地があるような柔な鍛え方をしていない。
それこそ、数十日かけて一歩踏み出せる程しか、伸びることができないのだ。
そしてこれは、技もまた同じこと。
コストを度外視し、リターンのみを追い求め、理と効率を突き詰めてきたという、人外にしか扱えない業が、急激に進化するはずがない。
されどそれらの理屈の一切合切を踏破して、『心』が、オードル・シリアを強くする。
ミカエルに届きたい、勝ちたいという欲望が、我執が彼を次のステージへと押し上げているのだ。
それでも、天は高い。
鬼よ、貴様はそも履き違えている。
悪鬼が天に昇った試しがあるか?
貴様にできるのは、地上に這い上がり、天に向かって吼えることのみよ。
もし天に昇りたくば、穢れた身を清め、煉獄にて原罪を償ってくるがいい。
さすれば、天より遣いがやってくるだろう。
それより高みは、導きなしには辿りつけぬぞ?
その筈なのだが。
「届いたぞォ!!!!!!」
《ぐぉッッッ!!!???》
オードルの拳が、ミカエルにダメージを与えた。
ミカエルは、完璧に防御した。
衝撃をきちんと受け止め、流し、逃がしたという、文句のつけようのない素晴らしいものである。
しかしオードルの拳は、その上でダメージを叩き込んだという、力業だ。
末恐ろしい膂力。
「……これが……俺なんだな……」
今のオードルは、死ぬ寸前と言った風体であった。
そも、心臓と肺を抉り取られているという、疑いようのない致命傷を負っているのだ、彼は。
しかしそれでも、今の彼は人生において最も強い。
そして今もなお、人類歴代最強の高みを、更新し続けている。
「ふぅぅううううう」
しかしそんなものに、執着などない。
この世に鬼を留めているのは、この一戦の勝敗の行方のみ。
嗚呼、これでこそだ。
敗色濃い闘争に身を委ね、全力を投じる。
これこそが、この鬼が求めてきた武の真髄よ。
さァ、『神の如き者』、貴様の高み、漸く見えてきたぞ。
「行くぞ、ミカエルゥゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!!!!」
《来いよ、オードル・シリアァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!》
両者は、最上の笑みを浮かべていた。
最早言葉は無用。
浮かべるのは笑み、交わすは拳、積み上げてきた武をぶつけ合え。
初手のミカエルの拳、オードルは敢えて額で受けた。
それにミカエルは面食らう。
その間、彼らの体感でコンマ一秒。
しかしそれだけでも、差と言うのは出てくる。
一手を繰り出すまでの差、拳が相手に到達するまでの差、破壊を為すまでの差。
コンマ一秒もあれば、流れを制するには十分すぎるわ。
「鬼の套路を馳走しよう」
震脚。
これは言ってしまえば、只の踏込。
しかしその真髄は、次の技の威力を極限まで高めるがための、溜めの動作。
見る者が見れば、なんと素晴らしき震脚かと震え、称賛し、跪くことだろう。
「ッッッッッ破ァ!!!!!!」
寸勁。
発勁、詰まる所力の発し方の一つ。
実の所、寸勁の威力とは普通の正拳突きと変わらない。
ならば何故、敢えてこの寸勁を選んだのか。
それは、動作の少なさにある。
寸勁は、小さな動作で最大の威力を発することを目的としている。
勿論、オードルはそれを可能としている。
先に述べた、動作の少なさ。
動作が少ない、それ即ち、先程の震脚で生み出した力を、より逃がさないということだ。
寸勁は、その力の発し方の技法。
その威力は、震脚を成した間に整えたミカエルの防御を弾き飛ばし、その顔を苦痛に歪めるほどだ。
「〆だ!!!!!!」
がら空きの胴に、頂肘。
わかりやすく言うなれば、これは肘打ちである。
だがこれは、肘で打つというのが正しい表現ではない。
正確に言い表すなれば、これは『肘で行う体当たり』。
これは、自分で踏み込んだ勢い、相手が向かってくる力全てを攻撃に使う。
まァ、今のミカエルはこちらに踏み込んでくるのではなく、踏ん張っている状態なのだが、それでもその分の力を衝撃に加算することなど造作もない。
そも、こちらの踏込の力だけでも、殺すには十分だろうよ。
鬼のフルコース、とくと堪能するがいい。
≪………………本当に、善くぞここまで練り上げた≫
この身を以て、格上と認めさせるものなど、片手の指で事足りる。
格下など、数えるだけで億劫。
お前とて、格下と言うレッテルよ。
しかし、偶には下も見てみるものだな。
お前は、深淵でもなお足りぬ程下にいたというのに、いつの間にか我が直ぐ真下にまで上り詰めておるわ。
一連の技の猛打、見事也。
善かろう、ならば我が本気をお見せしよう。
そのためには。
《ちと、狭いなァ……》
音はなかった。
あったのは、ただただ赤。
赤が視界を染め、熱が感覚を塗りつぶした。
鬼は頂肘を中断して、ただ己の『気』を総動員して、守りを固めた。
それが功を奏し、熱いという程度で済んでいるのだ。
そして視界が晴れ、鬼は目を見開き、苦笑交じりに呟いた。
「ったく、なんてことしやがる」
先の暑さの正体は、炎。
体感からして摂氏三千℃、クレーターは直径三十メートルから百メートル程に更新されており、地面はガラス化が起きてしまっている。
上空を見上げると、雲は穿たれたかのようにぽっかり穴を空けている。
指向は、真上。
今はただ、真下に向けられなかったことを感謝するのみだ。
これが真下に向けられたらと思うと、ぞっとする。
「勝手にルール変更すんなよな、お前」
《そう言われてもな、あれじゃ狭い》
オードルの苦笑に、ミカエルは苦笑で返した。
ルール、とはそれ即ち、オードルが作ったクレーターのことである。
二人はこのクレーターを、闘技場と設定していたのだ。
示し合わせた訳でも、ましてや話し合った訳でもないが、二人には通じていた。
故に彼らは、クレーターからは頑として出なかった。
吹き飛ばされようと、体勢が不利になろうと、このクレーターからは指先一つとしてはみ出したことは一度としてない。
嗚呼、なんと誇り高き男たちか。
ミカエルは、儚げに笑った。
《正直な、俺は『火』を使うつもりなんてなかったんだ。今のお前、高等技術を要する技、使えないだろ? そんな状態で、俺が『火』を使うなんざ不公平だ。だから俺は、武術のみでお前を斃すつもりだった》
「……へぇ、詰まり」
《ああ》
ミカエルは、にやりと笑った。
《喜べ、鬼よ。武人としては、間違いなく貴様の勝ちだ》
正直、ここまでくるとは夢にも思わなんだ。
矮小な人の身で、短命の人生で、兆の研鑽を重ねたこの身を超えるとは。
最上の賛辞はくれてやった。
しかし生憎な、オードル・シリア。
《武人としては、お前が上。しかし、四天使としての俺には、勝てるかね?》
命と勝利は、くれてやれなくなった。
武人として、お前の研鑽と成長が研鑽を超えたというのなら、この命と勝利、くれてやるつもりだった。
けどなァ、やはりなァ、敗けたくないのだ。
お前に引導を渡すのは、俺でなければならない。
俺に勝つのはいい。
しかし貴様の命を刈り取るのは、この俺よ。
死神などにくれてやるものか。
神の悪戯などにくれてやるものか。
貴様の命は、俺のものだ。
満足したぞ、我が見初めし気高き鬼よ。
天晴れよ、人類の頂に立ちし最強の武人よ。
ありがとう、我が最高の友よ。
《加減なんざ、微塵もしねェ。全身全霊を以て、テメェを送り出してやる。手向けと受け取れ、人類最強》
「玉砕上等。胸を借りるぞ、天使長」
☆
オードル・シリアは、仰向けになって倒れていた。
死に繋がるはずの火傷を全身で負い、骨も粉砕されている。
その隣には、ミカエルの姿があった。
《本当に、大したやつだよ、お前は》
その呟きは、オードルの耳にきちんと届いていた。
《そうだなぁ、今のお前がもし万全で、修得している技を使えるとしよう。そしたら、四天使としての俺に対する勝率は、千分の一ってところだろうよ》
これは、全くけなしてなどいない。
むしろ、これ以上ないというくらいに、称賛している。
《もし、なにか相性の良い神と契約してりゃあ、十分の一くらいにまで跳ね上がるだろう。ほんと、なんで人間なんかに生まれちまったのかねェ、お前は》
「……人だからこそ、だろうよ」
《……かもなァ》
返事をくれるとは、思ってなかった。
全く、貴様と言う男は、苦笑しか浮かばんぞ。
そこまでやって、何故死なぬ。
そこまでやって、何故曲げぬ。
そこまでやって、何故隠した?
最後まで、勝利を諦めず、切り札を温存した結果がこれか。
《オードル、テメェ程の男が庇ったあのガキ共がいるだろ?》
「……それが、どうした」
《ちと、興味が湧いた》
「…………ッッッ!!!???」
ミカエルは、アンリたちが走って行った方向に向き直り、歩き出す。
《術式や魔力を見せないために、俺のいないところで転移魔術を使ったんだろうが、甘いぜ金髪の坊主。魔力の残滓があれば、それで十分。行先を割り出して、お前の飛んだところに飛ぶなんざ造作もねェ。後処理をきっちり、してないならなァ》
実の所、ミカエルはアンリたちを追うつもりなどない。
あいつらは、必ず自分の下にやってくる。
力をつけ、必ずやってくるはずだ。
この鬼が、庇ったほどの、見込みがある者たちだ。
来ないはずがない。
ならば何故、こんなことを言うのか。
それは貴様だ、オードル・シリア。
今の俺の興味は、徹頭徹尾貴様に向けられている。
貴様はまだ、切り札を一枚隠している。
それを切れ。
勝利を捨てろ、全てをぶつけろ、悔いを残すな。
そのためなら、貴様の信念を捻じ曲げてやる。
その上で、叩き潰す。
それが俺の貴様への手向けよ。
限界?
そんなもの、何度も超えているだろう。
後一度くらい、超えて見せろ!!
「ミカエルゥゥゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!!!!」
鬼はただ、吼えた。
そして、立つ。
しかし先程までとは、全てが違う。
発しられている闘気が、身体機能が、先程より全て一段上をいっている。
思わず、身震いした。
そして同時に、危うさを感じた。
そう、言うなれば、人として架せられたリミッターを無理矢理外したような。
しかしどうでもいい。
相手は期待通り、限界を超え、切り札を切ったのだ。
喰らわぬというのは勿体無い!
《そうだ! それでこそテメェだ!! さァ、これで終いだ、決着をつけよう!! 愛してるぜ、オードル・シリア!!!!!!》
いいだろう、見せてやる、『鬼』の底力を。
ただし忘れてくれるなよ、天使長。
この鬼には、執念が在る。妄執が在る。護りたい者が在る。
手負いの獣の恐ろしさを思い知れ。
天使長の哄笑、鬼の咆哮。
そして、両者は拳を握り、肉薄する。
そして、ぶつかりあう………………ことはなかった。
《反発》
オードルとミカエルは、引き離された。
凄まじい力に、引っ張られたという訳ではない。
例えるなら、同じ極を持つ磁石同士の反発。
そうなることが当然とばかりに、自然とばかりに、これが自然の摂理だと言わんばかりに、二人は弾かれたように引き離されたのだ。
《こいつは……ッ!?》
ミカエルは着地し、これを為した犯人を、頭の中で浮かべる。
彼の知る限り、これができるのはただ一人。
(やべ、体動かねェ……)
オードルは、使った『奥の手』の反動で、もう動けなくなってしまった。
やはり、無理が相当体に堪えたらしい。
このまま無様に地面に激突して、死ぬのだろうか。
しかし予想と反し、オードルは誰かに受け止められた。
《ははは、お前凄いな》
男の、声だった。
しかし人外特有の威圧感がある。
この男は、人間ではないのだろう。
姿は、嗚呼、駄目だ。
視界がぼやけてほとんど見えない。
《後は俺に任せろ。信念曲げた成果くらいは、俺が出してやるから》
オードルはなぜか、安心してしまった。
根拠などない。
しかしなぜか、こいつなら任せてもいいのだと、思ってしまった。
(あ、駄目だ。もう死ぬな、こりゃ)
そしてとうとう、オードルの命が尽きた。
彼の命は、彼の圧倒的な我執とミカエルとの決着に対する執着によって繋いでいただけ。
安心してしまったのだから、それらはもうなくなってしまった。
人は、安心するために生きているなんて聞くが、安心したが故に死ぬとは、なんたる皮肉か。
だがそれで、あいつらを護れるのなら、悪くないのかもしれない。
《何してくれてんだ、ルシファァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!》
嗚呼、でもやっぱり、勝ちたかったなァ……
☆
『黒い鬼』オードル・シリアの生涯は、こうして幕を閉じたのだった。
次回、最強の兄弟喧嘩です。
今回ほど、長くはなりませんよ、たぶん。
にしても、オードル・シリア、主人公よりカッコよくないですか?
や、ヤバいよぉ。




