泥濘の夜
カーテンの隙間から、青白い月光が細い線となって差し込んでいる。
深夜二時。
住宅街は死んだように静まり返り、遠くを走るトラックの走行音だけが、潮騒のように響いていた。
鍵の掛かっていない掃き出し窓。
それが、彼女からの無言の招待状だった。
男は音もなくリビングを抜け、寝室へと足を踏み入れる。
ダブルベッドの片側は綺麗に整えられ、主の不在を告げている。夫は長期出張中だと聞いていた。
その隣で、彼女は浅い呼吸を繰り返していた。
シーツから覗く白い肩。
左手の薬指には、月光を弾いて鈍く光るプラチナのリング。
それが、男の胸の奥で燻っていた残り火に、どす黒い油を注いだ。
愛している。
けれど、この手には決して入らない女。
「……ん」
男がベッドサイドに膝をつき、その頬に触れると、彼女は恐れることなくゆっくりと瞼を開いた。
驚きはなかった。
潤んだ瞳が、闇の中で濡れたビー玉のように男を射抜く。
彼女もまた、待っていたのだ。
「……馬鹿な人」
咎めるような、それでいて懇願するような掠れた声。
男は答えず、彼女の唇を塞いだ。
再会を懐かしむような甘さは微塵もない。
飢えた獣が獲物に食らいつくような、乱暴で貪欲な接吻だった。
舌をねじ込み、唾液を貪り、酸素を奪い合う。
彼女の細い腕が男の首に絡みつき、爪がうなじに食い込む。
その痛みさえも、今は愛おしい。
男は彼女が身につけていた薄いキャミソールを、破らんばかりの勢いで捲り上げた。
露わになった乳房は、記憶の中よりも柔らかく、豊満になっていた。
冷たい夜気に晒された尖端を指先で強く摘み上げ、そのまま口に含んで舌先で転がす。
じゅる、ちゅぷ、と卑猥な水音が寝室に響く。
「あっ、んぅ……!」
彼女が腰を弓なりに反らせ、シーツを握りしめる。
男の手は執拗に身体を這い回り、腰のくびれを撫で、太腿の内側へと滑り込む。
秘所はすでに、期待と背徳感で溢れ出し、指が濡れるほど湿り気を帯びていた。
「こんなに濡らして……誰を待ってたんだ」
「……いじわる、言わないで」
男はズボンのベルトを解き、張り詰めた自身の熱源を解放した。
怒張した楔を、濡れそぼった彼女の入り口にあてがう。
粘膜が絡みつく音と共に、男は一気に最奥まで腰を沈めた。
きつい。
まるで初めての夜のように、彼女の中は男を締め付け、拒絶しながらも受け入れている。
その矛盾した感触に、脳髄が痺れた。
「あぁっ、は……ふ、深いっ」
「愛してる……お前も、俺が欲しいんだろ」
男は理性というタガを外し、激しく腰を打ち付け始めた。
パン、パン、と肌と肌がぶつかる硬質な音が、リズムを刻む。
揺れる乳房、乱れる髪、苦悶とも歓喜ともつかない表情で喘ぐ唇。
その全てが、今は男のものだった。
たとえ戸籍上は他人のものであっても、この肉体が発する熱だけは、男のために燃えている。
「んぁ、あッ、そこ、だめぇ……! 声、出ちゃうっ」
「出せよ。誰もいないんだろ」
男は彼女の両足を自身の肩に担ぎ上げ、さらに深く、容赦なく突き上げる。
奥をノックするたびに、彼女の身体がビクビクと痙攣し、内壁が脈動して男を吸い上げようとする。
結合部からは愛液が泡立ち、白濁した音が部屋に満ちる。
汗が滴り落ち、彼女の鎖骨のくぼみに溜まる。
男はそれを舐めとりながら、耳元で愛を囁き続けた。
これは復讐だ。
選ばれなかった自分への、そして彼女を奪った見えない夫への。
「いく、もう、おかしくなるっ!」
彼女の爪が男の背中を引き裂く。
その痛みと快楽のピークが重なり、男もまた、限界を迎えた。
「俺も、いくぞ……!」
男は彼女の腰を強く掴み、獣のような唸り声を上げて、最後のストロークを叩き込んだ。
ドクン、ドクンと、熱い飛沫が彼女の胎内へ勢いよく放たれる。
彼女もまた、白目を剥くほどの絶頂に達し、全身を硬直させて男の全てを搾り取った。
長い、長い余韻。
荒い呼吸だけが重なり合い、二人の身体は汗と体液でぐしゃぐしゃに濡れていた。
男はゆっくりと身体を引き抜く。
とろりとした液体がシーツに零れ落ち、取り返しのつかない染みを作る。
月明かりの下、彼女の薬指の指輪だけが、変わらず冷たく輝いていた。
どんなに激しく交わっても、朝が来れば、男は窓から去り、彼女は「妻」に戻る。
その残酷な事実だけが、二人の間に横たわる深い闇のように残されていた。




