四話『友だち、初めての』
カンデラの家の前に集団下校の列が到着して、山上君にまた後でと手を振った。近くの学習センターで僕のおすすめの本を教える約束をした。舞ねぇの誕生日プレゼントを買った電気屋さんの裏にある。
僕は本の話ばかりでつまらなく思われているかと思ったけど、山上君は読んでみたいって言ってくれた。山上君はいい奴だ。お互いに分かり合えてなかっただけみたい
だ。
ただいま、玄関を開けて言ってみたけれど誰もいないみたい。鍵は開いているのに不用心だ。誠先生はまた買い物か会議に行っているのかもしれない。
玄関の靴を見ると、舞ねぇの靴があった。僕より早いなんて、何でだろって思った。舞ねぇに友達と遊ぶって言わないと、僕は手を洗ってランドセルを部屋に置いた。
舞ねぇの部屋をノックしてみるけど返事は無かった。ゆっくり扉を開けてみると、舞ねぇは部屋にいた。制服で立ったまま向こうを向いている。
「あ、舞ねぇ。なんだいるんじゃん。僕今日友達と……舞ねぇ?」
舞ねぇは泣いているみたいだった。クスクス、と鼻をすする音がする。僕は自然と忍び足になった。
舞ねぇの泣いている姿なんて、一緒に小学校に通ってた時に先生に怒られているのを廊下で見かけた時くらいだ。僕は舞ねぇの後ろに立って、大丈夫?と聞いてみた。舞ねぇは黙って僕の方を見た。顔を見上げると目が真っ赤だ。ほっぺたが濡れている。僕と目が合うとギュウっと力強く抱きしめてきた。髪の毛に何か当たった。舞ねぇの涙だと思う。
鼻水じゃないといいなって思いながら、僕はどうすればいいのか分からなかった。抱きしめられて苦しかった。舞ねぇは、ごめんねって言って離してくれた。
「友達とどうしたの?」舞ねぇの声は少し枯れている。のど風邪をひいた時みたいだ。
「今日友達と遊ぶんだ。舞ねぇ、驚いてくれるかなって思って……。だけど僕、心配だよ」
「大丈夫、ちょっと急に悲しくなっちゃっただけだから。せっかく友達出来たんだから、遊んできて後で話聞かせてね」と僕の背中を押して部屋から押し出した。
パタンって扉が閉められて、その扉を見つめた。少しするとまた、舞ねぇの鼻をすする音が聞こえてきた。僕には力になれない。胸がズーンと地面に落ちた感じがした。
山上君との約束に遅れちゃうと、僕は舞ねぇのことが気になりながら駆け足で学習センターに向かった。走ったせいで背中は汗でびっしょりだった。山上君は先に着いていて、僕を見つけると手を振ってくれた。
いつもは学校の図書館で本を借りるけれど、学校に読みたい本がまだ入っていないときはこっちに借りに来る。図書室は冷房が効いていて涼しかった。汗が冷えて寒いくらいだ。僕たちと同じ小学生は他にいなくて、おじいちゃん達が入り口近くの席で新聞を読んでいるだけだった。先生たちからは、物騒だからしばらくは外で遊ばないようにって言われている。
そのせいもあるかもしれない。
「この奥の棚が僕のおすすめの本が多いよ。分厚い本も多いけれどハマればあっという間に読んじゃうから」と僕は自分の家のように図書室を山上君に案内した。
日本の小説もいいけれど、僕は海外のお話が好きだ。どれを読んでも僕の住む世界と違うからワクワクしてくる。
それに知らない言葉が出てきてそれを調べるのも楽しい。何ブロック先とか、何フィートとか距離の単位も違う。一フィートってどれくらい、って海にぃに聞いても答えられなかった。だから僕は大体三十センチだよって教えてあげた。
「最初から分厚い本だと、途中でくじけちゃうかもな」と山上君は言った。山上君は本を上の段から順番に見てゆっくり歩いた。ちょうど一歩が一フィートくらいだ。
「あの本ないのかな、拓海がおすすめしてくれてたバンパイアの本」と山上君は立ち止まってこっちを見た。山上君は僕をちゃんと名前で呼んでくれるようにもなった。
「あの本は海にぃ……。兄ちゃんの持ってた本だから探したことないけれど、ここにもあると思うよ」と僕は海外作家のコーナーを探した。
あった、と背の高い棚の一番上の段に見つけた。手を伸ばしても僕には届かなかった。また馬鹿にされるかも、と僕は思ったけど山上君はつま先立ちでその本を取ってくれた。
「……ありがと」
「読みたいの俺だからさ」と言って何か言いたげな顔をしていた。
「……ちょっと遅くなったけどごめん。ちびすけとか言って馬鹿にしてたこと、謝りたくて」と小さく頭を下げた。
「別に気にしてないよ」と僕は返した。
少し嘘だけど、いつまでも引きずるほど嫌な性格にはなりたくない。僕は右手を山上君に向けた。そして仲直りの握手をした。嫌々の握手じゃない。
僕は読みたかったホラー小説を見つけて借りた。超能力使いの女の子の話だ。山上君はバンパイアの本を借りた。
学習センターの自販機前にあるベンチに座った。山上君は財布を取り出してコーラを一本買って、一緒に飲もうぜと言ってくれた。友達とそんなことをするのは初めてで、猫じゃらしで首元をくすぐられるみたいに変な気持ちになった。
「ありがとう」と僕は言った。
改めて仲直りをした後で、なんだか少し照れくさい。山上君の借りた本について話したいことが沢山ある。だけどネタバレにならないようにしようと僕は何を話すか少し考えた。その間山上君はその本をペラペラとめくって、視線はそのままで僕に聞いてきた。
「聞きたいんだけどさ。なんで拓海から俺に話しかけてくれたの?あの後、俺だったら話したくもない……気がする。拓海の兄ちゃんに怒られた後に、俺、ちゃんと反省したんだよ。俺一人っ子で怒られたことあんまりなくて、あんな怖い顔して怒られたのも初めてだったからさ。俺の態度って良くなかったんだなって」
正直、山上君がここまで反省しているとは思わなかった。あんな態度で確かに嫌いだったけれど、やっぱり山上君は反省できるいい奴だ。でも海にぃのヤンキーごっこの顔はそんなに怖い顔に見えたのか。
「あの時の山上君は嫌いだったよ。毎日集団下校になって最悪な気分だった」
ハッキリ気持ちを伝えると、山上君は咳き込んだ。
「山上君がなんか変わった気がしただけだよ。ちょっとかわいそうだったし。ただそれだけ、理由なんかないよ。僕も仲の良い友達が欲しかったし、本当は山上君と仲良くしたかったのかもしれない。本当に嫌いだったら、絶対に話しかけないもん」
「俺も拓海と仲良くなりたくて、ちょっかいを出していたのかも。俺ってさ、自分で言うのも変だけど学校でアンチヒーローみたいな感じじゃん。
グループの中では強いけど、それ以外からは嫌われてるみたいな。そういうのも分かっているんだけど、俺は強い性格のキャラクターになっちゃっていたから、ダメだって分かっていても、あの嫌な感じにしかなれなかったんだよね」
「そうなんだ」と僕は言った。
山上君のあの性格はみんなからの目線のせいで、僕が友達のいない静かな奴ってキャラクターもみんなからの目線のせいだと言った。確かにそうかもしれないと、僕は思った。
今さらみんなに話しかけづらくて一人だった僕に絡んできた。初めの絡み方こそ嫌だったけれど、向こうから僕に話しかけてきてくれたのは山上君ぐらいだ。
「目線って怖いね。自分の意志みたいに振舞っているけどさ、本当は周りにコントロールされてる」
「拓海の兄ちゃんみたいに、外からそれをぶっ壊してくれる奴がいないとずっと変わらないんだ」
「捨てちゃった方がいいね。そんな目線から作られたキャラクターなんて、そうしたおかげで仲良くなれたんだから」
自分で言っておいてクサイセリフだなって、恥ずかしくてコーラを飲んでごまかした。
僕たちはコーラを飲みまわして、そのままベンチで本を読んだ。山上君は足を組んで集中して本の世界に入っていた。たまに分からないことがあると僕に聞いてきた。
一ポンドは二百円ぐらいだよって僕は教えてあげた。
救急車のサイレンが聞こえて遠くなったと思うと、また近づいてきた。そしてまた遠ざかっていった。




