三話『ヴァンパイアの王』
僕は手を洗ってからさっそく、部屋の本棚で続きの本を交換した。テーブルに置かれた今日のおやつ、僕の大好きなチョコパイだった。それにトマトジュースが置かれていた。いつもはおやつを食べない海にぃも珍しく僕と一緒にテーブルに座ってトマトジュースを僕の分と合わせて二杯注いでくれた。
僕はトマトジュースが苦手だった。
「ありがとう」
「我こそは、バンパイアの王者なるぞ!吸血鬼の帝王じゃ!いいか、お前ら覚悟しろ。血を吸うぞ」
海にぃはトマトジュースを口元に垂らして、両手を広げた。それはあの本に出てくるシーンだった。想像していたイメージと似ていて、僕はトマトジュースを口から吹き出しそうになった。
「海にぃ、本当に好きなんだね。セリフまで覚えてる」
「あれは俺のバイブルさ……。あ、やべ。怒られる」
海にぃの口元のトマトジュースはさらに下へと垂れて、白いシャツを赤く汚していた。
「ちょっと洗ってくるわ」と言ってお風呂場に走っていった。玄関の方から音がして誠先生が返ってきたのかと思った。おかえりなさい、と扉越しに声をかけると、帰ってきたのは潮にぃだった。
「潮にぃ!おかえりなさい。今海にぃとおやつ食べてたんだ」と僕は言った。この時間に三人そろうのは最近では珍しい。
「潮にぃも一緒に食べよう?」
「お、そうだな。お腹空いたし、手を洗ってくるよ」と言って海にぃのいるお風呂場の方に行った。僕はチョコパイを食べながら二人が戻ってくるのを待った。
なかなか戻ってこないから二人のおやつも食べちゃおうかと思った。僕はトイレついでにお風呂場の方を覗いてみた。洗面台の前で二人は話をしている。少し険悪なムードかもしれない。
「二人とも……。大丈夫?喧嘩してるの?」と僕は聞いた。声をかけると二人とも同時に僕の方を向いた。少し怖い顔をしていた。
「あ、してないよ。おやつをどっちが多く食べるか話し合ってたんだ……。だよな?」と海にぃは言った。潮にぃは、ああ、とだけ言ってうなずいた。
二人とも僕を何も知らないガキンチョだと思っているんだ。確かにまだガキだけど、二人が夜中に言い合いをしていたのは知っているし二人がおやつの取り合いで喧嘩なんかしないことも、もちろん知っている。だけど二人は僕に知られたくないから隠しているんだ。
「そっか……。それならよかった。ねえ、たまにはゲームでもしない?三人で前みたいにさ」と二人に聞いてみた。
「お、いいよ。やろうぜ」と海にぃは僕の背中を押してキッチンに戻った。
「おい、海人。まだ話は終わってねえよ」
「終わるも何も、俺は何もしていない。お前も忘れろ」海にぃは僕の背中を押すのをやめずに進んだ。
「いいからゲームやるぞ。俺らは兄弟なんだから、弟の世話もしないとな」
僕らは兄弟。兄弟なら二人の問題も教えてほしい。僕だけ仲間外れみたいだ。海にぃがテレビゲームの準備をしてくれた。いつもは使ってないから線が外されて箱の中にしまわれている。
どの線をどこに繋げばいいのか僕にはさっぱりわからない。何やる?と聞かれたから僕は人生ゲームがやりたいと言った。
対戦系とかレース系はやりたい気分じゃないし、二人に勝てない。手加減もしてくれない。僕と海にぃがテレビの前で準備していると潮にぃは少し遅れてやってきた。
「ほら、お前の」と海にぃがコントローラーを渡した。潮にぃは垂れ下がった腕をゆっくり上げてコントローラーを受け取った。先生に無理やり仲直りしなさいって言われて握手をする時みたいだった。
そして僕は二人に挟まれて座った。なんだか喧嘩の仲裁役みたいだった。
カンデラの家のリビングにあるテレビは大きくない。最初からこのテレビがあったから、この世界にテレビはこのサイズしかないんだと思っていた。だから電気屋さんに初めて行ったときは驚いた。海にぃ達と三人で舞ねぇの誕生日プレゼントを買いに行った時だ。
舞ねぇはアイロンが欲しいと言っていた。洗濯は誠先生がやってくれるし、アイロンがけもやってくれていた。舞ねぇがなぜアイロンを欲しがるのか分からなかった。
「舞も年ごろだからよく見られたいんだろーな。気になる奴でもできたんじゃねえのか。去年までは一緒に外を走り回ってトンボ捕まえてたのに……」
「みんな通る道だろ。海人だって一時期ワックスで頭ベトベトにしてたじゃんか」と潮にぃが言った。
「思い出させるなよ。黒歴史……」と海にぃが潮にぃの肩を叩いた。潮にぃは大げさに痛がるふりをして、なぜか僕の肩を叩いてきた。もちろん痛くはない。
「年ごろになると、服のしわが気になるの?」と僕は聞いた。すると二人は急に静かになった。目が大きくなって顔を合わせて大笑いした。なんで二人が笑っているのか僕には分からなかった。
「アイロンはアイロンだけど、ヘアアイロンだよ。舞が欲しがっているのは髪の毛をストレートに……。俺も使ったことないからよくわからないけど」と海にぃが言った。
「ヘアアイロンは髪の毛を真っすぐにしたり、くるくるって巻いたりできるんだよ。拓海も朝起きた時に寝癖があるだろ?舞みたいに髪が長いとそれを直すのが大変だからアイロンを使うんだ」
潮にぃの説明は分かりやすかった。ヘアアイロンはトングみたいな形をしていた。六千円のヘアアイロンを三千円ずつ二人で出し合っていた。その電気屋さんにあるテレビ売り場で僕は驚いた。
大きなテレビが壁中に飾られていたから、カンデラの家のテレビを四つ合わせても足りないくらいのテレビもたくさんあった。ゲームはあんまりやらないけれど、このテレビでゲームをしたり映画を見たりしたらすごい迫力なんだなって思った。
だけど僕はこのサイズで十分だと思った。テレビが小さければ画面を見るために、こうやって隣に座ってゲームができる。大きいテレビじゃそうはいかない。
遠くても見られるから離れ離れに座って仲直りができないかもしれない。人生ゲームが進んでいくと、潮にぃたちのさっきまであった気まずい感じもなくなって、自然と仲直りしたみたいだ。人生ゲームは僕が優勝した。五十億円以上僕が稼いでダントツだった。海にぃは借金をしてビリだった。もう一回やるぞ、って負けず嫌いの性格が出ていた。
「ただいまー」と、今度は舞ねぇがいつもより早く帰ってきた。
「あれ、三人そろってゲームなんて珍しい」
「舞もやるか?」と潮にぃが聞いた。
「んー。ちょっとならいいよ。宿題あるし、でも人生ゲームは長いから別のがいい」と言って舞ねぇも並んで座った。
海にぃがソフトを変えて、四人対戦のバトルゲームになった。四人でゲームするなんて、それこそ久しぶりな気がする。だけど三人とも、手加減なんてしてくれなかった。一回も勝てなくて、僕から誘ったのにやめたくなった。
誠先生が帰ってきてくれてご飯の時間になった。僕はホッとした。勝てなかったけど時計を見ると、舞ねぇが帰ってきてから一時間以上も経っていた。
集団下校は相変わらず続いたけれど、山上君は僕にちょっかいをかけてくることはなくなった。それに武田君たちにエラそうな態度をとることもなくなった。
それはそれで、少し可哀そうに思えた。だから僕は帰り道に山上君に話しかけることにした。最初はお互いぎこちなかったけれど、二週間も経って今日はなんと遊ぶ約束もしている。僕にとってはすごいことだ。
海にぃには、ありがとうって言わないと、舞ねぇにも友達と遊んだって言ったら驚くだろうな、そんなことを考えていると頬っぺたが勝手に上がってしまう。




