海人の寝顔
「海にぃはまだ帰ってこないの?」と舞が聞いてきて、分からないと答えた。
みんなで机に座って手を合わせた時に玄関が開いた音がした。
「海にぃ、遅いよ」と拓海が玄関に向かって呼びかけた。
「ごめんごめん、読書してたらつい遅くなった」と海人は笑顔で入ってきた。手を洗ってきなさいと、誠先生に言われてキッチンの蛇口で手を洗ってから俺の隣に座った。
「わりい、遅くなった」と、昨日も今日も何もなかったみたいに普通な態度で言ってきた。その声はむしろ機嫌がよさそうにも聞こえる。
「お前、今日慎太郎にあった?」と聞いてみた。海人は会ってない、と言ってカレーを食べた。
「そっか」と返して俺も一口食べた。ポケットからスマホを取り出して、画面を付けてみても慎太郎からの返信はなかった。
海人は慎太郎と何をしていたのか教える気はなさそうだ。それなら慎太郎に直接聞くしかない。
ご飯を食べて、海人がお風呂に行っている間に慎太郎に電話をかけてみた。呼び出し音の後に聞こえてきたのは女性の機械音声だけだった。
「上がったから、次入ってきたら」と海人がバスタオルで髪を乾かしながら部屋に入ってきた。わかった、とパジャマをもって部屋を出ようとすると海人に呼び止められた。
「飯の時からなんかぎこちないけど、大丈夫か?」
「大丈夫だよ。なんでもない」
寝る前まで慎太郎の返信を待ったけれど連絡が来ることは無かった。海人が嘘をついている。
何かを隠している。その理由を考えると、なかなか眠れなかった。
眠れない目を無理やり瞑っていると海人の寝息が聞こえてきた。そっとベッドから降りて月明かりを頼りに海人のベッド脇まで歩いて顔を覗きこんだ。
海人の寝顔は昔から変わっていなかった。小学生の頃は俺の目の前でこの顔をして眠っていた。まつ毛が長くて、ふっくらした頬っぺたが赤ちゃんみたいだ。
海人の寝顔を見ると少しだけ心が落ち着いた。海人に悩まされて眠れないのに、海人の寝顔で眠れそうになるなんておかしな話だと思った。瞼が重くなってきて目を瞑った。
「おい、起きろよ」と指を鳴らした音が二回聞こえて目を開けた。枕元のスマホを見るといつも家を出てる時間だった。海人はすでに制服を着ていた。
「何で早く起こしてくれないんだよ」
「いやいや、起こしたわ。お前が起きなかっただけ」と言って部屋を出ていった。
先行ってるぞ、との声が部屋の外から聞こえてきた。急がないと、制服に着替えて歯を磨いた。朝ごはんを食べている時間がないと言うと、誠先生は牛乳だけでも飲んでいきなさいと引き留めてきた。
時計を見ながら牛乳を一気飲みして口を拭いた。いってきます、と小走りに学校へ向かった。
朝から走って汗をかいてしまった。制汗シートで体を拭こうとリュックの中を見ると切らしていることに気づいた。慎太郎に貰おうと前の席を見るとまだ来ていないようだった。机の脇に鞄がかかっていない。
「遅刻か?」と既読の付いていない所に追加でメッセージを送った。
チャイムが鳴って担任の緑山先生が教室に入ってきた。白いシャツに紺色のベストを着ている。担任になったのは今年からだけど、入学した時からずっと同じ服装な気がする。出欠を取り始めてようやく慎太郎がいないことに気づいた。おじいちゃん先生だからしょうがない。
「慎太郎君は……。来てないのかな。ちょっと後で確認します」と言ってまた出欠を取り始めた。慎太郎が遅刻したりサボったりするタイプじゃない。
昨日の海人との一件もある。
海人が仮に……。違法な薬物をやっていてそれを慎太郎に売りつけて薬でハイになっているんじゃないだろうか。なんて想像が勝手に広がって頭を振って消し飛ばした。
まだ何も確認していないのに勝手に疑うのはよそう。だけど慎太郎に送ったメッセージはまだ既読もついていなかった。
ホームルームが終わって一時間目、数学の垣原先生が大きい三角定規をいつも通り持ってきた。
それで直線を引けばいいのに、使っているところは一度も見たことが無い。いつも歪んだ線をハンズフリーで書いている。
授業開始五分前、ちょっとすみませんと緑山先生が入ってきた。垣原先生は背が高い。緑山先生が垣原先生を見上げるとヒョイと背伸びをして耳打ちをした。すると垣原先生は三角定規と教科書をそのままに廊下に出ていった。扉が閉まるのを待って緑山先生は正面を向いて話し出した。
「垣原先生に少しお時間をいただきました。少しだけ大事な話をするので、何か知っている方がいれば教えてください」
その口調はいつも通りに優しそうだけどどこか重々しさがあった。その理由はすぐにわかった。
「慎太郎君が、昨日から家に帰っていないようです。ご両親に連絡したところ友達の家に止まっているものだと思っていたようです。誰か慎太郎君を泊めた人はいますか?」と言って教室を見回した。
始業のチャイムが鳴ってその音だけが鳴り響く。チャイムが止まると椅子の擦れる音がギギギと、聞こえた。
「あいつ、昨日部活に来なかったんすよ。連絡も無くて珍しくて」と慎太郎の隣の席に座る拓哉が立ち上がって言った。拓哉も慎太郎と同じ野球部で慎太郎より一回りガタイがいい。
「そうですか、野球部の神木先生にも聞いてみます。もし何か連絡があったり、情報があればすぐに私に連絡してください」と言って廊下に出ていった。入れ違いで垣原先生が入ってきていつも通りに授業が始まった。
慎太郎が家に帰っていない?昨日海人と一緒に居てその後どこに行ったんだ。海人が何かしたのか?俺の家にはもちろん泊まっていない。
家に帰ってきてからの海人の態度はいつも通りだった。海人に直接聞くか……。何か知っていたとしても正直に話すか分からない。
「……潮琶、聞いているのか。教科書も開かないで」
気がつけば目の前に、垣原先生が立っていた。全然気がつかなかった。すみません、と頭を下げると前に戻って行った。それに対して教室で笑いが起きて、静かにと垣原先生が言った。
いつも通りの授業、俺が心配しすぎなのか。拓哉がスマホゲームを机の下でやっているのが見えた。慎太郎の心配なんて全くしていないようだ。
「あいつ、部活休んだの?」
授業が終わって早速、拓哉に話を聞いてみた。




