俺の後ろから
俺の学校に変なうわさがある。
日中でも、北門に通じる小道をひとりで通ると、何かに追いかけられるらしい。
追いかけられた生徒は、大けがをして入院し、登校しなくなる。
だから、真相は誰も知らない。
そのうわさは公然のうわさで、みんな知っている。
だが、それを試してみようという生徒はおらず、北門はほとんど使われていない。
俺は、寝坊をした。
いつもは南門から登校するが、定期試験の今日、遅刻をするわけにはいかない。
家から近いのは、北門。
この時間に、誰も通っていないのは、ほぼ確実だ。
しかし!
遅刻は絶対にできない。
大丈夫だ、あんなのは。ただのうわさ。
追いかけられたら、逃げ切ればいい。体力には自信がある。
俺は、自転車で北門に通じる小道を全速力でかけぬけた。
予想どおり、誰もいない。
変わったことは、何もない。
よし、行ける。
北門が見えてきた。
なんだ、何もないじゃないか。
そう思ったとき、自転車のタイヤが、ぐんにゃりしたものを踏んだのを感じた。
ん?
思わず、振り返る。
背後には、真っ赤な口が開いていた。巨大なトラックくらいの大きさだ。
鋭い牙がいくつも見える。
ぬらぬら光る舌が動いている。
獣臭い嫌な空気が襲ってくる。
うそだろ!!
俺は引きつりそうな足に力をこめ、自転車のペダルを思い切り踏む。
北門は、目の前だ。
体全身が緊張でこわばる。
行け、行け、走れ、走れ!!
俺は力を振り絞って、ペダルを踏んだ。
北門はもうすぐだ。門の奥に、校庭も見える。
余裕だ、余裕、北門をくぐれ!
学校に着けば、誰か助けてくれるはず。
北門の向こうに広がる校庭や校舎にたくさんの生徒が見える。
もうすぐだ、行け、俺!
信じられないことが起こった。
北門が、ぐぐっと遠ざかったのだ。
まるで、目の前の小道が増幅されたみたいだ。
うそだろ?
俺の足が、一瞬、止まる。
カツン!カツン!
背後で鋭く大きな音がした。
振り向くと、巨大な口が、俺を捕えようと牙を噛みしめては、開けている。
俺は無我夢中で自転車のペダルを踏む。
カツン!カツン!
背後の音が、近くに迫ってきている。
やばい、やばい、やばい!
突然、ズボンのポケットに入れていたスマホから着信音が流れ出した。
ゆったりしたチャイム。
いつもは着信すると出なきゃ、と焦るが、今は俺を落ち着かせてくれた。
自転車の前かごに入れている小さなバッグをつかみ、弁当を取りだした。
後ろに向かって、弁当を投げつける。
弁当箱は、大口に当たらず、あらぬ方向に飛んでいく。
しまった。
弁当に気をひかせている間に、逃げる作戦だったのに。
俺は、自転車のペダルを必死に踏み込む。
地面と何か巨大な物が、摩擦するような音が聞こえた。
振り向くと、大口は、方向転換をして弁当が飛んで行った方へ進んでいる。
よし!
弁当の匂いに惹きつけられたのか。とにかく、逃げろ!
遠ざかる北門に向かって、ペダルを踏む。
振り向くと、大口は巨大な蛇だった。校舎と同じ高さの太い胴を持っている。
北門が遠ざかるなら、それより速いスピードでペダルを踏めばいいだけ!
俺は無我夢中でペダルを踏む。
北門が近づいてくる。
よし!もう少しだ!
カツン!
鋭い音と獣の臭いがした。
もう、弁当を食い終わったのか。
背負っているリュックに、パンを入れているのを思い出した。
背中に手をまわし、横についているチャックを開けてパンの袋を取りだす。
乱暴に袋を破ると、パンが転がり落ちていく。
もう一度、地面と大蛇の腹が擦れる音がした。
よし!パンに食いついたぞ!
ペダルを踏む足に力をこめる。
太ももがガチガチだ。でも、止めるわけにはいかない。
カツン!カツン!
牙を噛む音がする。
だめだ、戻りが早すぎる。
こいつに、俺は食べられるのか?
また、スマホのチャイムが鳴った。
同時に、別のうわさを思い出した。
近所に蛇を祭っている神社がある。
そこへ向かえば、この無限ループから脱出できるか?
ベルトコンベヤーのように伸びる小道の向こうに見える北門が、だんだん小さくなっていく。
神社へ行んだ!
ふ、と北門が消えた。
代わりに、神社の鳥居がはっきり現れた。
俺は、無我夢中でペダルを神社に向かって踏んだ。
スマホのチャイムが鳴った。
俺は指先で、スマホの音を最大にした。
大音響で鳴りながら画面を光らせているスマホを、神社の鳥居に向かって投げた。
大蛇は、輝きながら飛んでいくスマホ目がけて大きな口を開け、俺の横を通り過ぎ、神社へ入っていった。
気が付くと、俺は学校の自転車置き場にいた。
「どうしたの?なんで、そんなに汗だくなの?」
「気合入ってるの?一番乗りじゃん」
笑いながら友人たちは教室に向かう。
俺は自転車を置くと、教室に向かって歩いた。体じゅう、ガチガチだ。
試験は夕方に終わった。
今朝の出来事は、夢のようだ。でも、スマホはポケットにもカバンにもない。
学校帰り、蛇を祭っている神社に行ってみた。
神社の鳥居の下に、ネコほどの大きさの蛇の死骸があった。腹の真ん中に、車のタイヤ痕が残っていた。
俺の自転車のタイヤか?
体中から、どっと冷や汗が噴き出る。
いや、いや、それよりもだいぶ幅が広いタイヤ痕だ。
鳥居の脇にある低木の下に、きらりと光る物を見た。
スマホだ……。
拾うために伸ばした手を、一瞬、止めた。
スマホの横に、カプセル薬状の白い卵の殻がいくつも破れて転がっている。
それに触らないよう、注意深くスマホを拾い上げた。
画面は割れて蜘蛛の巣状になっている。
そっと指でさわると、動画が流れ始めた。
地面の砂が映っている。その向こうには鳥居の根本が映っている。
画面脇から、蛇が現れた。腹の真ん中が異様にぺしゃんこになっている。
蛇は、ズルズルと地面を這っていく。腹のタイヤ痕がはっきり見えた。
別の画面脇から、無数の小さな蛇が現れ、タイヤ痕のある蛇を取り囲んだ。
小さな蛇たちは、うねうねと取り囲むようにぺしゃんこの蛇にまとわりつく。
腹のへこんだ蛇は、口から俺の弁当やパンを吐き出した。
小さな蛇が、それに群がっている。
そこで、映像は消えた。
俺はスマホをタップしたが、もうスマホの画面が光ることは、なかった。