返信
父が死んだとき、私は泣かなかった。
火葬場の煙が空に溶けていくのを見ながら、ただ「これで終わった」と思った。
私は絵で食べている。個展も開いたし、雑誌にも載った。
それが、私の復讐だった。描くたびに、父の顔が浮かんだ。
父が死んでから、筆が止まった。何のために描いていたのか分からなくなった。
絵の具の匂いが、空っぽに感じた。
三週間後、私は実家に戻った。遺品整理のためだった。
母は施設にいる。兄は海外だ。
誰もいない家の中で、私は父の部屋のドアを開けた。
居間の壁には、私が中学のときに描いた油絵が飾られていた。
こんなもの、飾っていたなんて知らなかった。
父は何も言わなかった。
机の引き出しには、美術系大学のパンフレットが束になって入っていた。
資料の角はきれいに揃えられていた。父の癖だった。
夕方、居間のストーブの前で、私は進路希望調査票を広げていた。
父は新聞をめくりながら「就職はどうするんだ」と言った。
私は「絵を描く仕事がしたい」と答えた。
父は笑わなかった。「絵で飯が食えると思ってるのか?」とだけ言った。
兄が東大に入ったとき、父は親戚中に電話をかけていた。
私が美術コンクールで賞を取ったときは、「よかったな」とだけ言った。
母は「すごいじゃない」と言ってくれたが、父は「でも、趣味だろ」と続けた。
「趣味じゃない。ちゃんと勉強したいの」
「勉強って言うなら、経済学部でも行け。絵なんて、自己満足だ」
私は調査票を丸めて立ち上がった。
母は台所で洗い物をしていた。水の音が、会話を遮っていた。
父は新聞を畳み、湯呑みに口をつけた。何も言わなかった。
私は部屋に戻り、リュックに着替えと財布を詰めた。
廊下の電球が切れていて、暗かった。
玄関の靴箱の上に、父の革靴が並んでいた。磨かれていた。
私はそれを見て、なぜか腹が立った。
外は冷たい雨だった。傘を持っていなかった。
駅まで歩く途中、コンビニの前で立ち止まった。
店内の明かりが、雨粒を照らしていた。私はそのまま、友人の家に泊まった。
翌朝、家に戻ると、父は新聞を読んでいた。
何も言わなかった。私も言わなかった。
その沈黙が、ずっと心に残っていた。
東京での生活は、父への反発心でできていた。
絵を描くたびに、あの言葉が浮かんだ。「自己満足だ」。
だからこそ、描いた。だからこそ、成功した。
個展の案内状を送ったこともある。返信はなかった。
東京に出てから、私は絵を描き続けた。
個展を開き、雑誌に載り、母の病室にも定期的に絵を届けた。
母は今ではそれを「誰の絵かしら」と言いながら、毎回違う反応を見せる。
今回持っていったのは、青い街の風景。父が死んでから、初めて描いた。
病室の壁に絵を掛けると、母はしばらく黙って見つめていた。
やがて、ぽつりと言った。
「……これ、あの人が描いたんじゃなかった?」
私は絵を見てから母を見た。
「私の絵だよ」
母は頷きかけて、首を傾けた。
「そうだったかしら。でも、あの人……昔はよく描いてたのよ。夜中……チラシのに裏まで……」
言葉が途切れた。
母は絵の端を指でなぞっていた。
その指が、少し震えていた。
「あの人って?」と私は訊いた。
母は答えず、絵を見つめたままだった。
「忘れちゃったわね」
沈黙が続いたあと、母は微笑んだ。
物置で、古いスケッチブックを見つけた。表紙に「1978」と書かれていた。
中には、鉛筆で描かれた風景や人物が並んでいた。
色はなかった。でも、線が生きていた。
そのあと、ページが長く空白だった。
紙は黄ばんでいて、めくるたびに静かな時間が流れていた。
後半に、いくつか絵が残されていた。
筆跡の柔らかさで、新しく描かれたものだと分かる。
最後のページに、一枚だけ、色のある絵が残されていた。
描かれていたのは、青い街。構図も、色も、私の絵に似ていた。
でも、線が違った。父の線だった。
隣の余白に、鉛筆で短く書かれた文字。
――青が、こんなに静かだとは知らなかった。
私は、ページを見つめたまま動けなかった。
涙は出なかった。でも、何かがほどけていくのを感じた。
東京に戻った夜、私はアトリエの電気をつけた。
父の絵を壁に立てかけ、筆を持った。
私は、母の病室に飾る絵を描き始めた。
今度は、父の絵と並べて飾るつもりだった。
AI「秦基博『水彩の月』」




