表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アイの劇場  作者: gramgram


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/5

返信

父が死んだとき、私は泣かなかった。

火葬場の煙が空に溶けていくのを見ながら、ただ「これで終わった」と思った。


私は絵で食べている。個展も開いたし、雑誌にも載った。

それが、私の復讐だった。描くたびに、父の顔が浮かんだ。


父が死んでから、筆が止まった。何のために描いていたのか分からなくなった。

絵の具の匂いが、空っぽに感じた。


三週間後、私は実家に戻った。遺品整理のためだった。

母は施設にいる。兄は海外だ。

誰もいない家の中で、私は父の部屋のドアを開けた。

居間の壁には、私が中学のときに描いた油絵が飾られていた。

こんなもの、飾っていたなんて知らなかった。

父は何も言わなかった。

机の引き出しには、美術系大学のパンフレットが束になって入っていた。

資料の角はきれいに揃えられていた。父の癖だった。



夕方、居間のストーブの前で、私は進路希望調査票を広げていた。

父は新聞をめくりながら「就職はどうするんだ」と言った。

私は「絵を描く仕事がしたい」と答えた。

父は笑わなかった。「絵で飯が食えると思ってるのか?」とだけ言った。


兄が東大に入ったとき、父は親戚中に電話をかけていた。

私が美術コンクールで賞を取ったときは、「よかったな」とだけ言った。

母は「すごいじゃない」と言ってくれたが、父は「でも、趣味だろ」と続けた。

「趣味じゃない。ちゃんと勉強したいの」

「勉強って言うなら、経済学部でも行け。絵なんて、自己満足だ」

私は調査票を丸めて立ち上がった。

母は台所で洗い物をしていた。水の音が、会話を遮っていた。

父は新聞を畳み、湯呑みに口をつけた。何も言わなかった。


私は部屋に戻り、リュックに着替えと財布を詰めた。

廊下の電球が切れていて、暗かった。

玄関の靴箱の上に、父の革靴が並んでいた。磨かれていた。

私はそれを見て、なぜか腹が立った。

外は冷たい雨だった。傘を持っていなかった。

駅まで歩く途中、コンビニの前で立ち止まった。

店内の明かりが、雨粒を照らしていた。私はそのまま、友人の家に泊まった。


翌朝、家に戻ると、父は新聞を読んでいた。

何も言わなかった。私も言わなかった。

その沈黙が、ずっと心に残っていた。


東京での生活は、父への反発心でできていた。

絵を描くたびに、あの言葉が浮かんだ。「自己満足だ」。

だからこそ、描いた。だからこそ、成功した。

個展の案内状を送ったこともある。返信はなかった。



東京に出てから、私は絵を描き続けた。

個展を開き、雑誌に載り、母の病室にも定期的に絵を届けた。

母は今ではそれを「誰の絵かしら」と言いながら、毎回違う反応を見せる。

今回持っていったのは、青い街の風景。父が死んでから、初めて描いた。


病室の壁に絵を掛けると、母はしばらく黙って見つめていた。

やがて、ぽつりと言った。

「……これ、あの人が描いたんじゃなかった?」

私は絵を見てから母を見た。

「私の絵だよ」


母は頷きかけて、首を傾けた。

「そうだったかしら。でも、あの人……昔はよく描いてたのよ。夜中……チラシのに裏まで……」


言葉が途切れた。

母は絵の端を指でなぞっていた。

その指が、少し震えていた。


「あの人って?」と私は訊いた。

母は答えず、絵を見つめたままだった。


「忘れちゃったわね」

沈黙が続いたあと、母は微笑んだ。


物置で、古いスケッチブックを見つけた。表紙に「1978」と書かれていた。

中には、鉛筆で描かれた風景や人物が並んでいた。

色はなかった。でも、線が生きていた。


そのあと、ページが長く空白だった。

紙は黄ばんでいて、めくるたびに静かな時間が流れていた。


後半に、いくつか絵が残されていた。

筆跡の柔らかさで、新しく描かれたものだと分かる。


最後のページに、一枚だけ、色のある絵が残されていた。

描かれていたのは、青い街。構図も、色も、私の絵に似ていた。

でも、線が違った。父の線だった。


隣の余白に、鉛筆で短く書かれた文字。


――青が、こんなに静かだとは知らなかった。


私は、ページを見つめたまま動けなかった。

涙は出なかった。でも、何かがほどけていくのを感じた。



東京に戻った夜、私はアトリエの電気をつけた。

父の絵を壁に立てかけ、筆を持った。

私は、母の病室に飾る絵を描き始めた。

今度は、父の絵と並べて飾るつもりだった。




AI「秦基博『水彩の月』」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ