風の強い日
台風が近づいていた。
家の近くで停電が起き、避難所として開放された市民センターに、直哉は家族とともに避難していた。
体育館の奥では、母と妹が毛布にくるまって休んでいる。
直哉は、少しだけ離れてロビーの隅に移動した。
風の音が気になって、眠る気になれなかった。
毛布を抱えて座ると、隣にも誰かが毛布をかぶっていた。
薄暗い照明の下、風の音が窓を叩くたびに、小さく肩をすくめている。
直哉は、毛布の端を握りながら、静かに息を吐いた。
こんな夜に、誰かと話す気にもなれず、ただ風の音を聞いていた。
ふと、隣に視線を向ける。
その横顔を見た瞬間、胸の奥が静かに跳ねた。
直哉は、ほとんど反射的に名前を呼んでいた。
「……沙弥?」
小学校から中学まで、ずっと同じクラスだった幼なじみ。
高校から進路が分かれて、卒業式以来、会っていなかった。
「久しぶりだね」
沙弥は、毛布の端を少しだけ直哉に寄せた。
「こんな形で会うなんて、変な感じ」
「ほんとに。台風が呼んだ再会かもね」
直哉は笑った。沙弥も笑った。
少し間を置いて、沙弥が言った。
「お父さんが出張中でさ。電車止まって母さんも帰れないって言ってて、ひとりで来たんだ」
「そっか……」
直哉は、沙弥の毛布が少し震えているのに気づいた。
ロビーの照明が一瞬だけ消えた。誰かが小さく声を上げる。
沙弥が、直哉の毛布の端を握った。
「ごめん。ちょっとびっくりした」
「大丈夫。俺もびっくりした」
ふたりは、しばらく黙っていた。
風の音が、窓を揺らしていた。
直哉は、あの秋の午後の記憶をたぐり寄せていた。
小学校の教室。台風が近づいていた。
授業は通常通り進んでいたが、窓の外の木々がざわめき、風がガラスを叩くたびに、直哉は息をひそめた。
周囲の子どもたちは平然としていたが、直哉にはその音が、何か大きなものが近づいてくるように感じられた。
机の下に手を伸ばしたとき、誰かがそっと握ってくれた。
隣の席は沙弥だった。
でも、あの手が本当に彼女のものだったか、直哉はずっと確信が持てなかった。
中学の帰り道、強風で傘が折れたときも、沙弥は黙って隣を歩いてくれた。
文化祭の準備で遅くなった日、風が強くて校門の前で立ち止まっていたら、沙弥が「一緒に帰ろう」と言ってくれた。
進路希望調査の紙を前に悩んでいたとき、沙弥が「迷ってるなら、いったん書いてみなよ」と言ってくれた。
そのたびに、直哉は「言おう」と思った。
でも、言えなかった。
言葉にした瞬間、何かが壊れてしまう気がした。
中学の卒業式の日。
体育館の空気は冷たく、式が終わっても誰もすぐには動かなかった。
壇上から降りてきた沙弥を見つけて、直哉は声をかけようとした。
「沙弥」
その一言のあと、言葉が続かなかった。
沙弥は笑って、「じゃあね」と言った。
その笑顔が、何かを終わらせてしまう気がして、直哉は何も言えなかった。
「……ほんとはね、私も風、苦手だった」
少し間を置いて、沙弥は苦笑いした。
「平気な顔して隣に座ってたけど、内心けっこうビビってたんだ」
直哉は、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
毛布の中で、そっと手を伸ばした。
「俺、ずっと言えなかった。小学校のときから、ずっと」
沙弥は、少しだけ目を伏せた。
毛布の中で、直哉の手に触れた指が、ゆっくりと握り返してきた。
「私も。直哉が別の高校に行くって聞いて、なんか……言ったら、終わっちゃう気がして」
風が、窓を強く叩いた。
ふたりは、毛布の中で手を握ったまま、黙っていた。
誰にも見られないように、そっと。
翌朝、風は止んでいた。
直哉がロビーを出ようとしたとき、沙弥が声をかけた。
「また、風の強い日に会えるかな」
直哉は振り返って、少し笑った。
「風のせいにできない日は、どうすればいいんだろうな」
AI「つじあやの『風になる』」




