踏切の向こう
ごくたまに帰郷するとき、ふと思います。
わたしの実家から数分歩いたところにあるはずのあなたの実家を。踏切を越えて、横道に入り突き当りにあるはずの家。
中学生から高校生になるとき、毎日辿った道筋を。
そこに行ってみたらどうなるだろう?と。
通りに面してる家ではありませんから、なにかの拍子に前を通るということはありません。実家同士はごく近くですが、目的を持って行かなければそこにあなたの家がまだあるかどうかすらわかりません。
あなたのことになるとわたしは感傷的になりすぎる。
ところで、数年前「ユンヒへ」という映画を観ました。内容は、高校生のとき愛し合った女性同士の元恋人が、40歳を超え再会するまでのストーリーです。冒頭、主人公は出す宛のない手紙を20年も前に別れた元恋人にあてて書いています。
正直、好きな映画とは言えませんでした。
だって、中年になっても10代のときとまったく同じに両片思いしてるなんて、変じゃありませんか?二人の時間も人生も進み続けたはずなのに。
……それに、いつまでも手紙書き続けるなんてまるでわたしみたいで気持ち悪いでしょう?
ときどき、あなたは元気かな。もう結婚もして子どももいるのかなと考えます。
でもわたしはそれを絶対に見たくないのです。
わたしの記憶の中のあなたはいつまでも若いままで、わたしもそれをわかっていてこれを書いてます。
今のあなたに宛てて書けることなんて、ほとんどありません。
だってわたしは今のあなたのことなんてこれっぽっちも知らないのですから。
今、世界がとてもこわいですね。コロナ禍のときも世界が変になってしまったと思いましたが、お菓子のパッケージがモノクロになって、これからモノや食べものがなくなっていくのかと、すごく変だと実感を伴わないまま思います。
実は、わたしもずいぶん変わりました。名前も変わったし、手術をしてバストもなくなりました。
痩せっぽちでオドオドしていた子どもはもうどこにもいません。
お互いどこかですれ違ってももうわからないのでしょうね。
それを一種の祝福のようにも感じますし、少しのさみしさも感じます。
こんな手紙を書いているのは、あなたが「思い出」になったからに他なりません。
わたしはあなたの家がまだあるかどうか確かめるつもりも会うつもりはありません。
あなたはあなたの人生をやっていて、幸福であれと思います。
わたしに言えることはそれだけです。わたしもがんばります。
それでも付け足すとしたら、どうかわたしより先にお墓に入らないで。
同じ空の下のどこかに、あのころの記憶を有したあなたがいると思えばこそ、張り合いがあるというものです。




