後編
四度目の舞踏会。
やっぱり、この日までは何もして来なかった。
馬車は、シロに見張ってもらっている。国王陛下直属の部下なのに、いいように使って少しだけ罪悪感。私が乗らないにしても、あの馬車には叔父達が乗る事になる。私のせいで死なれたら、たとえ嫌いでも目覚めが悪い。
前回までの舞踏会で、一度もなかったどよめきが起こる。クラウェル公爵が、到着したようだ。
クラウェル公爵はこれまで、社交の場に姿を現した事がない。貴族達は恐怖を抱いているというよりも、クラウェル公爵の美しさに魅入っているようだ。
「なんて美しいのかしら……」
「あんなに美しい男性が、この世にいるなんて……」
叔母もレベッカも、頬を赤く染めながらぽーっとしている。
「素敵な方……」
シンシアも、例外じゃなかった。
「シンシア、顔が赤いわ」
からかうように頬をツンとすると、さらに顔が赤くなった。
「レオナったら、からかわないで! あんなに美しいのだから、見惚れてしまうのは仕方ないじゃない!」
こうして話していると、彼女が私を殺すとはとても思えない。だから私は、騙されてしまった。
「彼氏が、妬くんじゃない?」
「……え?」
真剣な顔になった。
「彼氏なんて、居ないの知ってるじゃない! まだからかうつもり? レオナは、意地悪ね」
私が気付いているはずはないと思っている。平然と私を騙し殺した事は、絶対に許さない。
「ごめんごめん、最近綺麗になったから、秘密の彼氏でも出来たのかと思ったの」
「綺麗になった? 嬉しい!」
少しも悪いとは思っていないのが分かる。私の方がキレてしまいそうで、会話したくない。今はまだ、ジョセフ殿下との事を知っていると気付かれない方がいいと思った。いつか二人に、罪を償わせるまでは……
「まだ挨拶していない方が居るから、行って来るわ」
我ながら、上手く笑えていたと思う。
今は自分の命と、クラウェル公爵の命を守る事が重要だ。
そろそろ、私が光の精霊の加護を受けている事が公表される。その後、私が婚約者を指名する。
きっと誰も、私がクラウェル公爵を選ぶとは思わない。
「皆に、重大な発表がある。我が国に、光の精霊の加護を持つ者が現れた。その者の名は、レオナ・グラント。こちらに来なさい」
皆の視線が、一斉に私に向けられる。
「お、お前が……光の精霊の加護を……!?」
叔父が驚く顔を見るのも、四度目だ。
「さ、さすがうちの子だわ! 私の自慢よ!」
叔母は今まで冷遇していた事をすっかりなかった事にして、大喜びしている。
「なんでレオナなの!?」
レベッカは、自分じゃない事に不満を抱いている。
ここまでは、毎回同じ流れだ。
ゆっくりと階段を上り、陛下の待つ二階へと移動する。
ジョセフ殿下の視線を感じて、彼の方を見る。すると彼は、にっこりと微笑んだ。自分が選ばれるのだという自信があるのだろう。確かに、最初の舞踏会の時はジョセフ殿下しか見えていなかった。でももう、彼を選ぶなんてありえない。
「レオナ、婚約者はどちらだ?」
陛下に問われ、私は口を開く。
「私は、アンディ・クラウェル公爵と婚約いたします!」
ジョセフ殿下の表情が、一気に険しくなる。頭の中では、『殺してやる』とでも思っているのだろう。でも今回は、トーマス殿下の時のようにはいかない。
私の答えを聞いて、陛下も出席している貴族達も驚き戸惑っている。二人の王子から選ぶと思っていたのだから、当然の反応だ。
「アンディを……選ぶというのか?」
「はい。国の事を考えるなら、英雄であるクラウェル公爵を選ぶ事が一番だと考えました」
「そう……か。レオナが選んだのなら、従おう。アンディ、ここへ」
国王陛下の承認を得て、私の婚約者はクラウェル公爵に決まった。ここからが、重要だ。ジョセフ殿下は必ず、私とクラウェル公爵を殺そうとするはずだ。
この三ヶ月、無駄に過ごして来たわけじゃない。トーマス殿下を選んだ二回目の舞踏会で、毒を盛られた時の事をずっと考えていた。あの日私が口にしたのは、飲み物だけだった。それも、たったの三杯。飲み物は、それぞれ別の使用人から受け取った。トレイにはいくつもの飲み物が載せられていた。全部のグラスに毒が入れられていたとは考えにくい。手渡して来たのは二人……つまり、その二人の使用人のどちらかが毒を盛った実行犯という事になる。
前回までは、生き延びる事しか考えていなかった。でも今回は、反撃する。
犯人は、私とトーマス殿下に毒入りの飲み物を渡した。その人物は、たった一人。
「クラウェル公爵、私を護ってくださると約束してくださいましたよね? 一緒に、来てください」
「分かった」
飲み物を受け取ろうと、犯人に近付く。ジョセフ殿下が、自ら手を下す事はほとんどないだろう。犯人を捕まえて、黒幕であるジョセフ殿下の名前を出させればいい。
「お飲み物をどうぞ」
クラウェル公爵と私に、グラスを手渡して来た。
「公爵、お飲みになってはいけません。この飲み物には、毒が入っているようです」
みんなに聞こえるように、大きな声でそう言った。この犯人が、たとえジョセフ殿下の名前を出さなかったとしても、私には毒入りが見抜けるとアピールする為だ。
「あなたを、拘束します」
クラウェル公爵の護衛が犯人を捕らえようとすると、犯人が急に苦しみ出して血を吐き、倒れてしまった。
しまった……私は、詰め甘かったようだ。
最悪だ。ジョセフ殿下のした事を証明出来る証人が、死んでしまった。
失敗した時の事を考えて、口の中に毒物を仕込んでいたようだ。
「これでハッキリしたな」
会場中が混乱する中、クラウェル公爵は冷静だった。
「申し訳ありません……私のミスです」
「違うな。口の中に毒を仕込んでいたのだから、どうしようもなかった。だが、君の話の証明にはなった。今日からは、私の側を離れてはならない」
証明する為じゃなかったけど、公爵が信じてくれたのだから、無意味ではなかったのかもしれない。でも、人がまた死んでしまった。またというのは、正しくはないか。まだ誰も死んでいなかったんだから。
毒殺未遂と犯人が自害という、前代未聞の事件で舞踏会は幕を閉じた。狙われたのはクラウェル公爵と私だったという事もあり、他国のスパイが紛れ込んでいたのではという噂が流れた。自国民が、まさか光の精霊の加護を持つ者の命を狙うはずがないという事と、クラウェル公爵の命を狙う国が少なくないという理由からだった。
そして命を狙われた私達は、王宮に住むようにとの王命が下された。
クラウェル公爵は、信頼出来る部下二人を私の護衛につけてくれて、王宮内を出歩く時はいつも側に居てくれた。
「これはこれは、二人お揃いで。仲がよろしいですね。まさか、レオナ嬢が叔父上を選ぶとは思いませんでした」
私達を殺そうとしたのに、平然と声をかけて来る神経が理解出来ない。
「久しぶりだな、ジョセフ。相変わらずお前の笑顔は、薄気味悪い」
「そんな言い方、酷くありませんか? 叔父上こそ、相変わらず冷たい目をしているのですね。レオナ嬢、本当に叔父上が婚約者でよろしいのですか?」
二人は、前から仲が悪かったのだろうか。何だか火花が散っているように見える。
「もちろんです。クラウェル公爵は、嘘をついたりはしませんから」
微笑みながらそう答える。ようやく、言えた。レオナの最初の人生で、ジョセフ殿下を愛した。すでに気持ちはないとはいえ、本気で信じた人に裏切られたという事実は変わらない。
「……」
ジョセフ殿下の頭の中は、混乱しているだろう。毒で殺そうとした事を言っているのか、シンシアと付き合っている事を言っているのか、それとも最初に助けた事を言っているのか……考えているかもしれない。
「ジョセフ殿下には、感謝しています。ガラの悪い人達に絡まれていた所を、助けてくださった事覚えていらっしゃいますか? あの時は、本当に助かりました」
もっと言ってやりたい気持ちはあるけど、私達が何もかも知っていると気付かれるわけにはいかない。それなら最初から挑発するなとは思うけど、どうしても一言言ってやりたかった。
「女性を守るのは、男の役目です。レオナ嬢が無事で、本当に良かった」
どの口が言っているのか……
「そうか、私の婚約者を守ってくれたのなら、感謝しなくてはな。そろそろ二人になりたいから、失礼する」
挑発したのは、私だけじゃなかった。クラウェル公爵は私の為に、自分に敵意を向けさせようとしてくれていた。
部屋に戻ると、一気に緊張が解けた。
「はぁ……何だか、緊張しましたね」
「緊張していたのか? それにしては、挑発的な発言をしていたと思うが」
私よりも、自分の方が挑発していたくせに……
「どうしてそんなに余裕なのですか?」
クラウェル公爵はソファーに座り、足を組んで優雅にお茶を飲んでいる。
「君のおかげで、毒を盛られる事はほぼないだろう。今は私と部下が側で守っているし、事を起こすとしたら深夜の暗殺。つまり、昼間は安全だからそう気を張るな」
確かに、その通りかもしれない。
せっかく他国の仕業だという噂があるのに、警備を強化した王宮で毒を盛ったりなんてしたら自国民の仕業だと宣伝するような物だ。私達が今死んだら、国王の座を狙う王子のどちらかが犯人ではと疑われる事になる。でもジョセフ殿下なら、トーマス殿下に罪を着せるだろう。それなら、そうさせなければいい。
「クラウェル公爵、今からトーマス殿下に会いに行きませんか?」
ジョセフ殿下の逃げ道を、閉ざしてやる。
トーマス殿下は、笑顔で部屋の中に招き入れてくれた。
「叔父上、お久しぶりです。叔父上とレオナ嬢のご婚約、嬉しく思います。今、お茶を用意させますね」
「歳は同じなのだから、叔父上はやめろ。アンディでいいと言っているだろう」
「殿下、お茶は結構です。この状況なら、また毒を盛られる事も考えられますので」
トーマス殿下の笑顔が、戸惑いの表情へと変わる。
「トーマス殿下を、疑っているわけではありません。この状況で私とクラウェル公爵が毒を盛られたら、疑われるのはトーマス殿下です。誰かさんにとって、都合のいい状況だと思いませんか?」
二回目の死に戻りで、トーマス殿下はジョセフ殿下を恐れていた。『殺されたくはない』と言っていたトーマス殿下を、巻き込んでしまった。
「……もしかして、舞踏会の騒ぎはジョセフの仕業ですか?」
やっぱり、トーマス殿下はジョセフ殿下を疑っていた。
「証拠はありませんが、私はそう確信しています。そこで、トーマス殿下にお願いがあってまいりました」
「お願い……とは?」
「継承権を、放棄していただけませんか?」
私がクラウェル公爵を指名した時点で、継承権を放棄する事に通常ならそれほど意味はない。だけど、トーマス殿下が継承権を放棄する事で、クラウェル公爵に何かあった場合はジョセフ殿下が王位を継ぐことになる。トーマス殿下には動機がなくなり、ジョセフ殿下が疑われる。つまり、下手に動く事が出来なくなり、今までのようにはいかなくなる。それに何より、トーマス殿下の身は安全になる。
「そう……しても、良いのでしょうか……?」
トーマス殿下は、ただ静かに暮らしたいだけだった。継承権を放棄する事は、だいぶ前から考えていたようだ。でも、自分が継承権を放棄すれば、必然的にジョセフ殿下が次の国王になってしまう。ジョセフ殿下の残酷さに気付いていたトーマス殿下は、自分から継承権を放棄して国を危険にさらす事が出来なかった。積極的に動く事は出来なくても、王子としての責任から逃げる事はしなかった。
「もう自由になってください」
トーマス殿下は、幸せそうに微笑んでいた。
その後すぐに、トーマス殿下が継承権を放棄する事が発表された。
これでジョセフ殿下は、トーマス殿下に罪を着せる事が出来なくなった。
クラウェル公爵に会いに行ったあの日から、公爵は部下にシンシアを見張らせている。あれから半年程が経ち、ジョセフ殿下はシンシアに週に一度会いに行っているとの事だ。
ジョセフ殿下は慎重で、簡単には本性を現さないだろうけど、そんなジョセフ殿下にも弱点があるという事だ。それは、シンシアだ。
シンシアの家族は、彼女を愛していない。彼女は、いつもひとりぼっちだった。似たもの同士の私達は、直ぐに仲良くなっていた。だから、シンシアが私を殺そうとしていたなんて信じられなかった。今はまだ、シンシアは私が彼女を信じていると思っている。動くなら今だ。
シンシアに、会いたいと手紙を書いた。
「なぜ君は、そのような危険な真似をする?」
クラウェル公爵には、一人で会いに行きたいと話した。
「私が一人で行かなければ、シンシアが行動を起こさないからです。一人といっても、護衛はしてもらいます。ですから、見つからないように見守っていてください」
私が死んでも、また死に戻るからという理由なんかじゃない。これは、もう二度と死に戻らない為に考えた策だ。危険なのは、分かっている。それでもやらなければ、いつまで経ってもビクビクと怯えて暮らす事になる。そんな人生、冗談じゃない。
「はあ……止めても、無駄なのだろうな」
諦めたようにため息をつく、クラウェル公爵。
前世の記憶のない私なら、こんな事は絶対しなかった。でも積極的に動かなければ、いつまでも変わらない。だから、前世の記憶が戻ったのかもしれない。
計画をクラウェル公爵に話し、了承してもらった。
すぐにシンシアから、会うという返事が来た。私から会いたいと手紙を出した事を、ジョセフ殿下に知らせようとしていた。でもそうはさせない。シンシアをずっと見張っているクラウェル公爵の部下に頼み、殿下への手紙を入手した。手紙を届けようとした使用人は、拘束している。
準備は万端。さて、シンシアに会いに行こう。
「久しぶりね、レオナ!」
シンシアには、会う場所を指定していた。指定した場所は、前にシンシアに呼び出されたカフェだ。この場所を選んだ理由は、シンシアの裏切りがここから始まったから。
「会いたかったわ、シンシア。なかなか抜け出せなくて、連絡も出来ずにごめんね」
「仕方がないわ。舞踏会で、あんな事があったのだから。護衛の方は? 命が狙われたのだから、護衛はついているのでしょう?」
「護衛は、馬車の側で待ってもらっているわ。シンシアと会うのに、護衛なんて居たら煩わしいもの。それに、舞踏会で命を狙われたのはクラウェル公爵で、私じゃない。毒が入っていると見抜いたのも、公爵だったの」
「そうなのね、クラウェル公爵ってすごい方ね! レオナが無事で、本当に良かった」
「ありがとう、こうして生きて居られる事に感謝しなくちゃ」
本当は、クラウェル公爵の部下が変装して客として店内に居る。部下だけでなく、クラウェル公爵まで変装して店員になりすましている。彼の姿が目に入る度に、吹き出してしまいそうなのを我慢するのが大変だ。……あんなに無愛想な店員なんて居ない。
でも、そこにクラウェル公爵が居てくれるというだけで、何だか安心する。
シンシアがジョセフ殿下に書いた手紙には、私を殺すつもりだと書かれていた。隠されなければならない関係をいつまで続ければいいのか、不満に思っているようだ。トーマス殿下が継承権を放棄した事で、私の存在が消えれば元々継承権の低いクラウェル公爵は国王にはなれない。つまり、私を殺せばジョセフ殿下が王太子に選ばれ、自分と結婚してくれると考えるはずだ。シンシアはきっと、毒を持ってきている。それが一番、手っ取り早い方法だろう。私が毒を見抜いたわけじゃないと言ったのは、彼女が毒を私に飲ませるように動いてもらう為だ。
「それにしても、レオナが精霊の加護持ちだなんて全く知らなかった。私にも話してくれないなんて、なんだか寂しいわ」
薄っすらと涙を浮かべて私を見ながら、悲しげな表情をするシンシア。
昔なら話さなかった事を申し訳ないと思っていただろうけど、今は『どの口が言ってんだこの女狐!』としか思わない。本当に感心する……くさい演技に。
「ごめんね。そうだ! シンシアにプレゼントがあるの! 馬車に忘れて来てしまったから、取ってくるわね。ハーブティーを頼んでおいてくれる?」
「プレゼント? 嬉しい! 頼んでおくわ!」
席を立ち、店を出て馬車に向かう。
私が戻る前に、ハーブティーは席に運ばれる。そのハーブティーに、シンシアは毒を入れるだろう。
プレゼントを持って店に戻ると、シンシアは笑顔を見せた。私達の後ろの席に座る公爵の部下が、三回瞬きをして水を飲んだ。シンシアが毒を入れたのは、ハーブティーではなく水の方らしい。
親友だからこそ、私の癖をよく知っている。私は猫舌だから、お茶を飲む前に冷たい水で舌を冷やすクセがある。それを知っているからこそ、水に毒を入れたのだろう。
「お待たせ! これ……気に入ってもらえたら嬉しいな」
プレゼントは、シンシアがずっと欲しがっていた香水。出来れば、シンシア自ら自白して欲しい……なんて、ありえない事を願ってしまう。
「わあ! 欲しがっていた事、覚えててくれたんだ! 嬉しい!」
シンシアは香水に夢中だ。私は席に着き、小さく深呼吸をする。
「頼んでおいてくれて、ありがとう。いただくわ」
そう言って、水の入ったグラスを手に取る。
もちろん、毒入りの水を飲むつもりはない。飲んだフリをする。
シンシアに止めて欲しい……そう思いながら、グラスを口元に近付ける。
願いは叶わず、唇を閉じたまま水を飲むフリをした。
「……っ……う……うぅ……」
苦しむフリをして、その場に倒れ込んだ。
「キャーッ! レオナ!? どうしたの!? 誰か助けてー!」
必死に、私を心配する演技をするシンシア。水を持って来た店員が犯人だというつもりなのだろうけど、その店員はクラウェル公爵だ。
残念ね、あなたはもう終わりよ。
騒ぎを聞きつけて、馬車を止めてある場所から護衛が駆け付ける。
「レオナ様!? どうされたのですか!?」
護衛の声には反応せず、気を失っているフリを続ける。
「み、水を……水を飲んで倒れました! きっと、あの店員が何かを入れたのだと思います!」
護衛が私を抱き抱え馬車へと運び、そのまま王宮に走り出す。
別の護衛が、店員に変装したクラウェル公爵を取り押さえ連行する手はずだ。
そのままシンシアを殺人未遂で捕まえる事も出来るけど、それよりも泳がせようと考えた。
私はこのまま、意識が戻らないフリをする。シンシアは自分がやったのだと、得意げにジョセフ殿下に話しに行くだろう。それほど我慢の限界だったから、危険を冒してまで自らが動いた。
今捕まえて尋問した所で、ジョセフ殿下を愛しているなら彼の関与は否定する。それでは、ジョセフ殿下の罪を問う事が難しい。しっぽを出さないなら、出させればいい。
王宮に馬車が着き、私は部屋に運ばれる。そして、主治医が部屋の中に入って来た。
「これは……」
主治医が調べれば、毒を飲んでいない事はすぐに分かる。だから、部屋の中では演技はしない。
「申し訳ありませんが、私達の演技に付き合っていただけますか?」
わけが分からず戸惑う主治医に、にっこりと微笑んだ。
主治医は、私の命はもって一週間だと発表した。もちろん、それは嘘だ。
シンシアと会う前に、陛下には全てお話した。陛下を騙すような真似は、出来なかったからだ。私がクラウェル公爵を指名した事、舞踏会での毒殺事件、トーマス殿下の継承権放棄……陛下は、ジョセフ殿下を疑っていたのかもしれない。計画を聞いた陛下は、お辛そうな表情をしながら「真実を明らかにしてくれ」と仰った。
シンシアは、私が死ぬまでは待てないだろう。シンシアからジョセフ殿下に出された手紙も、ジョセフ殿下からシンシアに出された手紙も、全てクラウェル公爵の部下が相手に届かないようにしているからだ。
自らの手で、邪魔な私に毒を飲ませる事に成功し、私はもうすぐ死ぬ。それなのに、ジョセフ殿下から手紙の返事が来ない。慎重な殿下がシンシアに会いに行ったりはしないだろうけど、シンシアは殿下に会いに来るはずだ。
五日後、私達の予想は的中した。シンシアは、ジョセフ殿下に会う為に王宮を訪れたと報告が来た。
「ようやく、ずっと待ち望んでいた時が訪れました。クラウェル公爵、行きましょう」
「予想外の事ばかりする君には、冷や冷やさせられたがな」
そんな事を言いながらも、いつだって側で守ってくれた。
「ジョセフ殿下は、人目を気にしながらご自分の部屋にシンシアを入れたようです」
シンシアは堂々と、ジョセフ殿下に取り次いで欲しいと言った。彼女の中では、もう隠さなくてもいいと判断したようだ。
ジョセフ殿下の部屋の前で、クラウェル公爵と一緒に中から聞こえて来る声に耳を傾ける。何だか、刑事にでもなった気分だ。
「会いに来るなんて、正気なのか!?」
ジョセフ殿下の声は、苛立っている。慎重に動いて来たのだから、シンシアの行動に苛つくのも無理はない。
「もうすぐ、邪魔なレオナは居なくなります。私達の関係を知られても、いいではありませんか。私達、ようやく幸せになれるのですよ? 私達の為に、親友のレオナに毒を飲ませたのに、褒めていただけないのですか?」
シンシアの罪は確定している。欲しいのは、ジョセフ殿下の自白だ。
そして今、陛下がジョセフ殿下の部屋の前に到着した。陛下自身が、直接確認したいとこの場へやって来たのだ。物音を立てないように、私達はまた聞き耳を立てる。傍から見れば、マヌケな状況かもしれない。でも私達は、至って真剣だった。
「そうだな……お前は、良くやった。兄上が継承権を放棄して、罪を着せる事が出来なくなり、なかなか動く事が出来なかったからな。一度毒殺が失敗した事で、また毒殺は考えていなかったから感謝している。ようやく二人で、幸せになれるのだな」
これだけ聞ければ、十分だ。
クラウェル公爵は、静かに扉を開けた。
扉が開けられ、ジョセフ殿下とシンシアがこちらに視線を向ける。扉が開かれるまでは、二人は幸せそうに抱き合っていたようだ。その幸せは、私達が入って来た事で儚く散った。
「な……ぜだ? なぜお前が……!?」
クラウェル公爵や陛下がこの場に居る事よりも、私の元気な姿を見て驚いている。
「私が死ぬと思っていたのに、こうして生きていて驚きましたか?」
「どうして? 私の目の前で、毒を飲んだじゃない! 回復するなんて、絶対にありえないわ!」
「シンシア黙れ!」
ジョセフ殿下に怒鳴られ、真っ青な顔で口を噤むシンシア。今更、黙った所で遅い。私に毒を飲ませた時は、クラウェル公爵と彼の部下達が目撃しているし、手紙にも何度も私に毒を飲ませたと書かれていた。ジョセフ殿下の方は手紙でも慎重で証拠にはならないけど、さっきの言葉を私達だけでなく陛下自身が聞いた。
「殿下は愛する女性を、そのように扱うのですね」
「レオナ嬢、これは誤解だ。シンシアに付きまとわれて、困っていたんだ! シンシアが君に毒を盛った事は、ついさっき聞かされた! 私はずっと、君だけを想って来たんだ! 信じてくれ!」
「ジョセフ……様……?」
瞳に涙を浮かべながら、シンシアはジョセフ殿下を見つめる。彼女は、殿下を裏切るつもりはないようだ。でも殿下の方は、愛する人も切り捨てた。自分の事しか考えていないこの男を、一度は愛してしまった自分に腹が立つ。
「殿下の何を信じれば良いのですか? 殿下の口から出る言葉は、偽りばかり。ですが、先程は真実を話してくれましたね。全て、聞かせていただきました……陛下と一緒に」
陛下は深いため息をつき、ジョセフ殿下を見る事なく背を向けた。
「アンディ……あとは頼む」
クラウェル公爵にあとを頼み、そのまま去って行った。
「ジョセフ、終わりだ」
クラウェル公爵の言葉と共に、兵がジョセフ殿下とシンシアを取り押さえる。
「終わり……!? 冗談じゃない!? シンシア! お前のせいだ! 余計な真似をして、私の邪魔をしやがって! お前のような女を、本気で愛していたとでも思っているのか!? 」
シンシアは大人しく捕らえられたけど、ジョセフ殿下は必死で抵抗している。これが、ジョセフ殿下の本性だった。
「黙れ。お前には、文句を言う資格などない。それ以上抵抗するなら、ここで斬り捨てる」
『斬り捨てる』の一言で、ジョセフ殿下は大人しくなった。クラウェル公爵の気迫は、それほど凄まじかった。
いくら陛下にあとは頼むと言われたからって、ここで斬り捨てるのはやり過ぎのような……
二人は地下牢へと入れられ、ようやく平和が訪れた気がした。
「クラウェル公爵には、本当に感謝しています。私一人だったら、また死に戻っていたでしょう」
「まだ安心は出来ない。ジョセフが処刑されるまでは、私の側を離れるな」
そう、ジョセフ殿下は処刑される事が決まった。しかも、たった数日で刑が決定した。王子が処刑されるなんて、前代未聞だ。それほど、ジョセフ殿下は危険人物だと判断されたのだろう。
二人は、それぞれ別々に薬殺刑に処させる事になった。薬殺刑になった理由は王子の処刑という理由もあるけど、何より精霊の加護を持つ私の命を王子が狙っていたという事を知られるわけにはいかなかったからだ。そんな事を知られたら、反乱が起きてもおかしくない。
二人は反逆罪で処刑と発表され、詳しい内容は明かされなかった。
地下牢に閉じ込められているシンシアから、会いたいという伝言をもらった。悩んだ末に、会いに行く事にした。でも待っていたのは、謝罪の言葉ではなかった。
「レオナ、お願い! 私達、親友でしょう? 一度だけ……一度だけでいいから、ジョセフ様に会わせて? 彼に会いたいの!」
シンシアは捕まってからずっと、ジョセフ殿下に会いたいと言っていたようだ。会わせてもらう事が出来ず、私に頼んでいる。
「会っても、酷い事を言われるだけだと思う。悪いけど、会わない方がいいわ」
断ると、シンシアは豹変した。
「レオナは私とジョセフ様が愛し合っていた事が、気に入らないだけでしょう!? あなたはいつだって、私を見下していた! ジョセフ様だけが、私を分かってくれて、愛してくれたの!」
シンシア……私は最初に殺されたあの時まで、あなたを大切に思っていた。すごく、大好きだったのに。でも、伝えるつもりはない。
「そんなに会いたいなら、最後に会わせてあげる」
最後に二人を会わせて欲しいと、陛下にお願いした。シンシアはまだ、ジョセフ殿下を信じている。信じたまま死ねた方が、幸せなのに……少なくとも、私はそうだった。愛する人に裏切られ、親友に裏切られたと知って死んだあの日から、私の心は救われる事がなかった。
陛下は、私の願いを聞き入れてくれた。そして二人は、一緒に毒を飲む事になった。
「見届けなくていいのか?」
ジョセフ殿下とシンシアは、今日処刑される。
「私は、あの二人に苦しめられて来ました。何度殺されても、またやり直す日々に絶望した事もあります。今こうしていられるのは、クラウェル公爵が協力してくださったおかげです。私は生きている……。ジョセフ殿下とシンシアの結末は、分かっています。ですから、私は二人の最期を見届けるつもりはありません」
正直、何度も二人を殺してやりたいと思っていた。でもいざ処刑されるとなると、そんな姿は見たくない。きっと、シンシアにとっては毒を飲む事よりも、ジョセフ殿下の気持ちを知る事の方が苦しいだろう。それでも、最後に愛する人に会いたいという気持ちも分かる。これが正解だったのかは分からないけど、親友の最後の願いだから。
◇ ◆ ◇
地下牢に兵士の足音が響く。
シンシアは牢から出され、ジョセフと同じ牢へ入れられる。
「ジョセフ様……お会いしたかった……」
嬉しそうに微笑むシンシアを、ジョセフは睨みつける。
「最期に見る顔がお前の顔だなんて、なんの冗談だ? 一番見たくない顔を見せて、嫌がらせか?」
「ジョセフ……様? なぜそのような事を? 私は、全てをジョセフ様に捧げて来ました! レオナが私を蔑んでいると、教えてくれたから私は……」
「そんな話を信じるなんて、バカな女だな。レオナは、お前を蔑んでなどいない。私がレオナと会ったのは、お前が騙して呼び出したあの日だけだ。すぐに騙されてくれて、使えそうだったから相手してやっていたのに、お前のせいで全てが台無しだ。早く死ね!」
シンシアはその時初めて、自分が間違っていたのだと知った。
「私は、なんて事を……」
兵が二人を跪かせ、毒入りの器を手渡す。
「刑を執行する!」
その言葉と共に、二人は毒を飲み干す。
ジョセフは国を恨み、シンシアを恨み、レオナを恨み、アンディを恨み、苦しみながら息を引き取った。
そしてシンシアは、自分の罪を悔い改め、レオナに謝りたいと願いながら息を引き取った。
二人を会わせたのは、間違いではなかったのかもしれない。
◇ ◆ ◇
ジョセフ殿下とシンシアが処刑されて、三ヶ月が過ぎた。
陛下は、クラウェル公爵に譲位する事を発表した。初めて死に戻った時よりも、二年も早かった。ジョセフ殿下の罪が明らかになったあの日から、落ち着いたら譲位すると考えていたようだ。
「まさか、冷酷と噂される私が国王になるとは考えてもみなかった」
「陛下は、誰よりもお優しい方ではありませんか。三年前のあの時も……」
「……聞いたのか」
三年前、捕虜を皆殺しにしたのは彼らが実は投降したのではなく、スパイとして送り込まれていたからだった。彼らは家族を人質に取られ、命懸けで情報を得ようとしていた。情報を渡す事は出来ない……かといって、彼らを解放すれば家族は皆殺しにされる。アンディ様は自ら悪者になり、捕虜を皆殺しにした。スパイとしてではなく、冷酷な英雄が捕虜を皆殺しにしたと思わせる事で、彼らの家族を守ろうとしたのだ。
「私は、婚約者ですよ? もうすぐ妻になります。隠し事は、許しません」
「君には、驚かされてばかりだ。隠し事など、出来そうにないな」
その瞬間、アンディ様の腕の中に居た。
「陛下……?」
アンディ様の顔を見上げようとすると、更にきつく抱きしめられた。
「いつからか、どうしようもない程レオナに惹かれていた。君が無茶をする度、心臓が止まるのではと思う程心配した。これからも、君を守る。だから、ずっと私の側に居てくれ」
アンディ様の、切なく掠れる声が心に響く。
「……婚約者に指名したのは、私ですよ? お忘れですか?」
もうすぐ結婚するというのに、私達の恋は始まったばかりだ。
その時、手の紋章が光り出し、国中を包み込んだ。まるで、私達を祝福しているかのように……
END