前編
「そろそろか……思ったよりも、時間がかかったな」
彼はベッドに横になる私を見下ろしながら、笑みを浮かべた。意識が朦朧としながら、彼に手を伸ばす。
「陛下……」
伸ばした私の手を振り払い、彼は部屋から出て行く。
この時まで私は、知らなかった。愛する人が、私を殺そうとしていた事を……
その日、王妃レオナはこの世を去った。
公表された死因は、病死。享年二十歳だった。
◇ ◆ ◇
「レオナ様、起きてください」
まだ寝ていたいのに、うるさいなあ。
……誰? 見覚えがあるようなないような……?
体を揺すられて薄っすらと目を開けると、女の子が私の顔を覗いていた。
「……まだ寝かせてよ、ニーナ」
無意識にそう言った後、どうして女の子の名前を知っているのか不思議に思った。
「ダメですよ! また、奥様に叱られますよ」
奥様……? あれ? そもそも、ここはどこ?
疑問が頭に浮かぶのと同時に、色んな記憶が頭の中に次々に浮かんで来る。
「ニーナ、いくつになった?」
ニーナは私を、レオナと呼んだ。頭に浮かんで来た記憶では、レオナはすでに死んでいるはず。
「? 急に、どうされたのですか? 先月、十八歳になりました」
やっぱり……
どうやら、時が戻っているようだ。
ありえない状況なのに、なぜこんなにも冷静でいられるのかというと、私はレオナになる前に一度死んでいるからだ。レオナは、前世の私が転生した人生。前世の記憶もあり、今世での死ぬまでの記憶もあるという……なんだか複雑な状況だけど、肝心なのは生きているという事。せっかく転生したのに、二十歳で死んでしまうなんて酷すぎるでしょ!
ニーナが十八歳という事は、今私は十六歳という事になる。死ぬまでには、あと四年ある。やり直すチャンスを、もらったという事だ。今度は、絶対に死んだりしない。
時が戻る前のレオナには、前世の記憶がなかった。レオナ・グラント。グラント侯爵家の長女に生まれた。容姿は可もなく不可もなく。性格は大人しめで、お人好し。容姿はともかく、性格は前世の私とは大違いだった。
前世の私の名前は、久住 奈那。母を早くに亡くし、父と三人の弟が居た。男ばかりの家族で一番上だった事もあり、かなり気が強くなってしまった。死に戻る前も前世の記憶があったなら、簡単に殺されたりはしなかった。
そう……レオナは、殺された。夫である国王ジョセフに。
「食堂に行くわ」
ベッドから起き上がり、着替えをして食堂へ行く。
食堂には、すでにみんな揃っていた。「おはようございます」と挨拶をして、席に着く。
「遅かったわね。食事の時間に遅れないようにと、何度言ったら分かるのかしら?」
なんだか、懐かしい。
結婚して邸を出るまで、毎日叱られていた。あの頃は辛かったけど、今は何とも思わない。それどころか、叱られた事で生きている実感が湧いた。
レオナ……私の両親は、幼い頃に事故で亡くなってしまった。グラント侯爵家を継いだのは、叔父のピーター。私は、叔父の養子になった。
でも、愛される事はなかった。むしろ、嫌われている。
「兄上は、なぜ一緒に連れて行かなかったのか……。他の貴族の目があるから養子にしたが、出来損ないにも程がある」
わざとらしくため息をつく叔父の目は、私を蔑んでいる。
連れて行かなかったのか……とは、私に死ねと言っているようだ。
「こんなのが義姉だなんて、恥ずかしいったらないわ」
義妹のレベッカは、私の事が大嫌いだ。義妹といっても歳は同じで、私の方が三ヶ月早く生まれた。
「これからは、待たなくて結構です。私は、自室で食事をします」
前世の記憶がある今、追い出されたとしても構わなかった。むしろ、この国から逃げ出した方が幸せになれる。でも、この国から逃げる事は許されない。というより、逃げたとしても連れ戻されるだろう。
「その態度は、何なんだ!?」
叔父は、顔を真っ赤にしながら激怒している。
「いいじゃない。レオナのみすぼらしい顔を見ながら食事をしなくて済むわ」
レベッカは、私の顔を見なくて済む事を喜んでいる。
二度目なのに、また惨めな思いをするつもりなんかないし、その必要もない。
さっさと朝食を終えて自室に戻ると、前のレオナの人生を頭の中で整理してみる。
レオナには、生まれた時から手のひらに紋章のような痣がある。グラント侯爵家には、稀に痣がある女の子が生まれる。痣のある女の子は、必ず王妃にならなければならない。痣は、光の精霊の加護の証だからだ。私が王妃になれば、国は平和という事らしい。
でも、そんなのは嘘なんじゃないかと思えて来た。光の精霊の加護があるなら、どうして両親は死んでしまったのか。それに、私も死んだ。
「こんなの、ただの痣じゃない」
手のひらの痣を見つめながら、大きなため息が出る。そもそも、この痣は前世の久住 奈那の時からある。久住 奈那は、二十二歳で事故にあって死んだ。全く守られている気がしない……と思ったけど、もしかしたら転生した事も死に戻りした事も光の精霊の加護のおかげ?
そう考えると、こんな不思議な状況も納得が行く。納得は行くけど、最初から死なない方がいいに決まってる。
痣の事を知るのは、両親と王家だけだ。
精霊の加護が私にある事を知った他の誰かに、利用されないようにする為だった。それも、結局は無駄だった。
私を利用したのは、王家の人間だったからだ。
今は、この国の第二王子ジョセフ殿下。彼は私を利用し、国王となる。
ジョセフ殿下が、最初から私の婚約者だったわけではない。私は、王妃に必ずなる……つまり、私が選んだ相手が国王になるという事だ。
三ヶ月後、王宮で舞踏会が開かれる。その日、私が光の精霊の加護を受けている事が明かされる。その時私は、二人の王子のうち一人を選ばなければならない。
ジョセフ殿下とは、すでに出会っている。偶然私は、殿下に助けられた。でもそれは、偶然ではなく仕組まれた事だったのだと今なら分かる。
あの日、私を呼び出したのは親友のシンシアだった。私が王妃になって直ぐに、殿下はシンシアを側室に迎えた。二人は最初から、付き合っていたのだろう。そして、私が邪魔になって殺した……いや、最初から殺す気だったのかもしれない。
シンシアから、カフェに来て欲しいという手紙が届いた。呼び出されたカフェに行き、二人でお茶をした帰り道に、ガラの悪い男達に絡まれた所を殿下に助けられた。叔父は、私に馬車を使わせてはくれない。徒歩なのを知っていて、ガラの悪い男達を仕込んだのだろう。
男性に免疫がなかった私は、コロッと騙されて、『助けてくれるなんて素敵!』と恋に落ちた。我ながら単純で、恥ずかしくなる。
今の私からは、キレイさっぱり殿下への気持ちは消え去っていた。前世の記憶が戻った事と、あの最後の殿下の姿に恐怖を抱いたからだろう。
『そろそろか……思ったよりも、時間がかかったな』という言葉は、少しずつ毒を盛っていたという事。利用していらなくなったら殺すなんて、根性が腐ってる。人間じゃない!
今回は誰を選んではいけないのかが分かっているんだから、決して間違えたりしない。
選んではいけない相手(ジョセフ殿下)は分かっているけど、もう一人のトーマス殿下の事をよく知らない。
「ニーナ、出かけるから支度して」
トーマス殿下の事を知るには、本人に直接会うのが一番だと思った。少なくともトーマス殿下は、汚い手を使って私に近付いて来たりはしなかった。ジョセフ殿下よりは、信用出来るはずだ。
「王宮が、こんなに遠かったなんて……」
いや、決して遠くはない。
グラント侯爵邸も、王都にあるのだから。馬車なら、一時間もあれば着く距離。私は馬車を使わせてもらえないから、歩いて三時間半かかった。
「王宮に、どのようなご用があるのですか?」
目的地が王宮だと知り、ニーナは不思議そうな顔でそう聞いた。私に光の精霊の加護がある事は、ニーナも知らない。
「トーマス殿下に、お会いしに来たの」
まどろっこしい事はしない。直接会ってはダメだとは、言われていないのだから、会いに来ても問題はないはずだ。
「トーマス殿下に、取り次いで。レオナ・グラントがお会いしたいと」
門番はいきなり来た私を怪しんでいたけど、トーマス殿下は会うと言ってくれた。
「お初にお目にかかります、レオナ・グラントと申します。突然の訪問を、お許しください」
「かまわない。まさか君から会いに来てくれるとは思わなかったから、少々驚いたけど嬉しいよ」
トーマス殿下は笑顔で出迎えてくれて、庭園へと案内してくれた。
「素敵な庭園ですね」
死ぬまでは王宮に住んでいたはずなのに、庭園に来たのは初めてだ。ジョセフ殿下と結婚してすぐに体調が悪くなり、ベッドから起き上がるのが辛くなって行った。毒を盛られているとも知らずに、病気になった事を申し訳なく思っていた。自分で言うのもなんだけど、前世の記憶を持たないレオナはとても純粋だったと思う。
「庭園に居るのが好きなんだ。君も、この庭園を好きになってくれたら嬉しい」
沢山の花が咲いていて、緑も多くて空気も美味しい。この場所に居るのが好きな気持ちは分かる。
「トーマス殿下は、私に会おうとは思わなかったのですか?」
トーマス殿下は、第一王子だ。本来なら、彼が国王になるべきだ。
「選ぶのは、君だからね。僕は、どちらでもいい。ジョセフが国を治める力があるのなら、邪魔はしたくない。……殺されたくはないからね」
「……え?」
トーマス殿下は、それ以上何も話さなかった。庭園の花を見つめたまま時が過ぎ、ようやく口を開いたのは一時間程経った頃だった。
「遅くなるから、もう帰った方がいい。暗くなって来たし、送らせる」
何事もなかったようにそう告げて、トーマス殿下は去って行った。帰りは馬車で送ってもらって、無事に邸に到着した。
自室に戻ってからも、トーマス殿下が言った『殺されたくはない』という言葉が頭から離れなかった。冗談にしては、あれから黙り込んだ事が気になる。ジョセフ殿下が私を殺した事を考えると、トーマス殿下を殺さないとは限らない。まさか、ずっと怯えて生きて来たのだろうか?
トーマス殿下を知りたくて会いに行ったのに、分からない事が増えてしまった。
あれからトーマス殿下に何度も会いに行ったけど、会ってはくれなかった。そしてそのまま、舞踏会の日が訪れた。
◇ ◆ ◇
「レオナ様、起きてください」
もう少し寝ていたい……じゃない!!
何これどういう事!? なんで、こんな事になってるの!?
「ニーナは、今十八歳!?」
「? そうですけど……」
また……戻ってる……
舞踏会で、私はトーマス殿下を指名した。そして、舞踏会で毒殺された。倒れる瞬間、トーマス殿下の倒れる姿を見た。最悪。私のせいで、トーマス殿下まで死なせてしまった。まさか、舞踏会で命を狙われるとは思わなかった。油断していた私のミスだ。
それにしても、あのクズ殿下は私を何回殺せば気が済むの!?
「遅れると、また奥様に叱られますよ?」
めちゃくちゃ気が重い。またここからやり直さなきゃいけないばかりか、トーマス殿下を選んでも殺されると知った。舞踏会で殺される事が分かったのだから、今回はそれを回避する事は出来る。ただ、ずっと命を狙われ続ける事になる。トーマス殿下が、一緒に戦ってくれるとはとても思えない。
「食堂に行くわ」
どちらも選べないなら、答えは決まっている。
「遅かったわね。食事の時間に遅れないようにと、何度言ったら分かるのかしら?」
何度も殺されていると、散々冷遇されていた事が大した事ないように思えて来る。
「すみません、皆さんの顔を見て食事をする事が苦痛なので、どうしても遅くなってしまうようです」
正直、こんなやり取りはどうでもいい。
「お前!? 何様だ!?」
「可哀想だと思って家族に迎えてあげたのに、なんて恩知らずなの!?」
「もう追い出しましょうよ!」
三人は、顔を真っ赤にして怒っている。
「お世話になりました」
最後の手段は、この国を出て行く事。テーブルの上にあるパンを数個手に持ち、自室に戻って荷造りを始める。
「レオナ様!? どうされたのですか!?」
「ニーナ、私はこの国を出るわ。今まで、ありがとう」
「……それなら、私も一緒に行きます!」
ニーナの気持ちは嬉しいけど、私はずっと逃げ続けなくてはならない。そんな危険な旅に、ニーナを巻き込みたくない。
「気持ちは嬉しいけど、ニーナは連れていけない。今の私にとって、ニーナだけが信じられる存在だった。またいつか会えたら、美味しいケーキでも食べましょう」
寂しそうな顔をしながら私を見送ってくれたニーナに手を振り、邸を出て乗合馬車乗り場へと向かった。
「レオナ様、起きてください」
……はぁ……
目を覚ますと、また死に戻っていた。
命がある事は、ありがたいとは思う。思うけど、何度もループしているこの状況に苛立ちを覚える。
ここまで来ると、この現象は光の精霊が関わっていると確信した。だったら、アドバイスくらいくれたらいいのに。
前回、この国から逃げようと決めて乗合馬車に乗ろうとした所で、捕まってしまった。私はずっと、見張られていたのだ。
結局そのまま連れ戻され、舞踏会の日まで外出を禁じられた。叔父達は何が何だか分からないまま、私を逃がさないようにと命じられ、それに従った。
舞踏会で選んだのは、トーマス殿下。食べ物にも飲み物にも気を付け、トーマス殿下にも口にしないようにとお願いしていた。
無事に舞踏会を終えて邸に戻る途中で、馬車が事故を起こし、今度は叔父達を巻き添えにして死んだ。きっとトーマス殿下も……
もう、トーマス殿下を選ぶという選択肢は完全に消えた。私一人なら、気を付ければ少しは生き延びる事が出来るかもしれない。でも、トーマス殿下の事をずっと見張っている事は出来ない。トーマス殿下が亡くなれば、ジョセフ殿下と結婚する事になるだろう。毒を回避出来たとしても、いつだって命を狙う事が出来る。そもそも、命を狙って来るのが王族なのだから、ジョセフ殿下をどうにかしない限り何をしても無駄だ。せめて、一緒に戦ってくれるような人が居てくれたらいいのに。
「食堂にお急ぎください。奥様に叱られてしまいます」
ご飯なんて、食べる心境じゃない。今まではまだ道があったけど、今は何も浮かばない。
「怒らせておけばいいわ。機嫌を取る義務なんて、ないのだから」
そうは言ったけど、前回は私のせいで死んだんだから、少しだけ申し訳ないとは思ってる。ほんの少しだけね。
三度目の死に戻り……今回は、手詰まりだ。
諸悪の根源のジョセフ殿下を選んでも殺され、トーマス殿下を選んでも殺され、国を出ようとしても捕まって殺される。他に、生き延びる方法はないのだろうか……
待って……もう一人だけ、独身の王族がいる!
「ニーナ、出かけてくるわ!」
「レオナ様!? 私もご一緒します!」
「ごめん! 急ぐの!」
そのまま自室を出て、馬小屋に向かう。目的地は、歩いて行くには遠いからだ。
馬車は私には扱えないけど、乗馬なら出来ると思う(前世で乗馬教室に通っていたから)。
「レオナ様!? どうされたのですか!?」
馬小屋に行くと、使用人が馬の世話をしていた。
「馬を一頭借りたいの。馬具を付けてもらえる?」
「馬にお乗りになるのですか!? 私が、馬車を……」
「馬車より、馬に乗った方が早いの。お願い出来る?」
「は、はい」
馬車を出してもらったりしたら、使用人が叱られてしまう。私が勝手に馬を持ち出しただけなら、叱られるのは私だけだ。
馬具を付けてもらった馬に跨り、手網を握る。深呼吸をしてから、馬を走らせた。スムーズに走り出し、馬に乗る私を見た門番が急いで門を開く。門番に大声で「ありがとう!」と言い、そのまま走り抜ける。乗馬教室の経験が、役に立ったようで良かった。人が居る道は危ないから、なるべく人気の少ない道を走る。
しばらく走らせると、前回私を捕まえた見張りが追いついて来た。
「レオナ様! お戻りください!」
彼が追いかけて来るのは想定内だ。むしろ、ついて来てくれなくては困る。私はお金を持っていないから、彼にご飯を奢ってもらわなくちゃ! 前回、彼に捕まったから死んだんだし、利用しても罪悪感なんて全くない。
「国から出るつもりはないわ! 心配なら、あなたもついてきて!」
納得いかない様子だったけど、私が止まろうとしないのだから、ついてくるしかない。
三時間ほど走った所で馬を止める。
久しぶりに馬に乗り、お尻がめちゃくちゃ痛い。三時間も頑張った自分を、褒めてあげたいくらいだ。それに、朝ご飯も食べてないからお腹が空いた。
「どちらに行かれるおつもりですか?」
見張りの男性は、かなり不機嫌だ。
「話す義務はありません。私を見張るのが、お仕事なのですよね? それは、護衛も含まれている。間違っていますか?」
「……間違っていません」
「私、お腹が空いて死にそうなんです。お金、持っていませんか?」
見張りの男性は、一瞬驚いた顔をしたけど、諦めたようにお金を出してくれた。
「わあ! こんなに!? 馬に水も飲ませてあげたいし、町を探しましょう」
見張られていた事に感謝するのも変だけど、正直かなり助かった。
「ここで、食事にしましょうか」
町を見つけ、馬に水をあげてから食堂に入る。
「ここ……ですか?」
一応貴族令嬢の私が、小さな食堂を選んだ事に驚いている。
「おばさん! オススメを二つお願いします!」
「はいよ!」
席に着いて注文する。どうしてこの食堂を選んだかというと、美味しそうな匂いがしていたからだ。
「お待たせしましたー」
料理が運ばれて来て、テーブルに並ぶ。オススメの料理は、野菜スープと香ばしく焼かれた鶏肉だった。
「美味しそう! いただきまーす!」
こういう庶民的な所は、なんだか落ち着く。やっぱり、前世の記憶が一番強い。家族でご飯を食べる時は、いつだっておかずの取り合いが始まって、弟達は私の作ったご飯を美味しそうに食べてくれた。
「レオナ様は、変わっておられますね……」
まあ、庶民向けの食堂で大口を開けてご飯を食べる令嬢なんていないだろうね。
「あなたは、いつから私を見張っていたのですか? なんて聞いても、答えないんでしょうね。名前も、無理だろうし……不便なので、勝手に名前付けちゃいますね」
「何でもお見通しですか……。私の事は、好きに呼んでください」
「じゃあ、シロで!」
「シロ……ですか?」
「シロ、食事をしないと持ちませんよ? 美味しいので、食べてください」
シロは、前世で飼っていた犬の名前だ。白くてモコモコしてて、大切な家族だった。
「……いただきます」
少しだけ、シロに似ているような気がした。犬に似てるとか言ったら、怒られそうだけど。
食事を終えると、馬に跨り目的地を目指す。
食事をしてから四時間走り続け、ようやく目的地に到着した。
「まさか、目的地はこちらですか!?」
シロは、ここが誰の邸なのか分かっている。
「そうです。アンディ・クラウェル公爵にお会いする為に、ここまで来ました」
クラウェル公爵は、この国の現国王陛下の弟君だ。陛下とは年の離れた兄弟で、歳は二十二歳。二十二歳の若さで、いくつもの戦場を生き抜き、英雄と呼ばれている。ただの英雄ではなく、『冷酷な英雄』。そう呼ばれるようになったのは、三年前の隣国との争いが原因だ。クラウェル公爵は武器を捨てて投降した捕虜を、皆殺しにした。その事がきっかけで、隣国の兵は戦意を失いこの国が勝利したけど、あまりにも無慈悲な行いだった事もあり恐れられるようになった。
「何者だ!?」
門の近くまで行こうとすると、手前で門番に止められた。
女一人にお付の従者が一人で訪ねて来たように見える私達にも、これほど警戒する所は頼もしい。
「私は、レオナ・グラントと申します。クラウェル公爵に、お取り次ぎをお願いします」
もう一人の門番が、クラウェル公爵に伝えに行く。
クラウェル公爵は、王族だ。私の名を、必ず知っているはず。追い返されたりは、しないだろう。
「シロ、あなたはここまでよ。逃げないと、分かったでしょう?」
「私はあなたの監視役です。お邸に戻るまでは、安心出来ません。ですから、こちらでお待ちします」
信用ないな……
なんて、一度は逃げようとしたけど。でもそれは、今のシロは知らない。
しばらくすると、門番が執事を連れて戻って来た。
「お入りください。旦那様が、お会いになるそうです」
執事の案内で、応接室へと通された。
邸自体は大きいけど、中に入ると物が少なく、なんだか寂しい感じだ。これみよがしに高価な壺とか絵画が飾られていないのは、好感が持てる。
数分後、応接室のドアが開いて入ってきたのは、とても美しい男性だった。
青みがかった銀色の髪に、透き通るような蒼い目。真っ白な肌に、長いまつ毛……思わず、見惚れてしまう。
「なぜここへ?」
前置きも何もなしで、クラウェル公爵は本題に入った。まどろっこしいやり取りをしなくて済むなら、こちらもありがたい。
「クラウェル公爵に、私を護っていただきたいのです」
かなり図々しい事を言っていると分かっているけど、三度も王家の人間に殺されたのだから、図々しくもなる。
「なぜ私が、あなたを護らなければならないのだ?」
ものすごく冷たい目……でも、不思議と怖くは感じない。
「理由は、三つあります。一つ目は、私が光の精霊の加護を受けているから。二つ目は、私の婚約者にクラウェル公爵を指名するから。そして三つ目は、私が三度も死んでいるからです」
嘘をついた所で、クラウェル公爵はきっと信じないだろう。どちらにしても信じないのなら、真実を話すのが一番いいと考えた。
「……どう見ても、死人には見えないのだが?」
「死ぬ度に、時間が巻き戻っていますから。何の証明も出来ませんが、嘘は言っていません。クラウェル公爵の元へ来たのだから、他に選択肢がないのだとお分かりになりますよね? 私はもう、死にたくないのです」
きっと、何度死んでもやり直す事になる。だから、完全に死ぬ事はないのかもしれない。それでも、私は全力を尽くす。必死で生にしがみついてやる。
「それで? 私が君を護るとして、私に何の得があるんだ?」
クラウェル公爵にとって、『国王』になる事は得でもなんでもないようだ。
「私を、妻に出来ます」
国王になる事が得でないのなら、差し出せるのは私自身だけだ。
容姿は可もなく不可もなくだけどね!
「……ぷっ! あはははははっ!」
え……? 笑ってる?
クラウェル公爵が、笑うなんて……しかも、大笑いしてる。
「ずいぶんと面白い事を言うのだな。いいだろう、君を護ると約束しよう」
私の話を信じたのかは分からないけど、どうにかクラウェル公爵の承諾を得る事が出来た。
「ありがとうございます。では、舞踏会でお会いしましょう」
「護衛をつけなくてもいいのか?」
「私が婚約者を指名するまでは、安全だと思うので大丈夫です。もちろん、気を付けますが。それに、護衛はシロが居るのでお気づかいなく」
「シロ?」
「シロは、私の監視役です。名前も教えてもらえなかったので、勝手につけてしまいました」
「やはり、君は面白いな。気を付けて帰りなさい」
怖い人だと思っていたけど、そんな事ないのかもしれない。
シロは、国王陛下直属の部下のはず。つまり、ジョセフ殿下が命令する事は出来ない。もし万が一、私がクラウェル公爵と会った事を知ったとしても、トーマス殿下の時に動かなかったのだから、今回も動くのは私が指名した後だろう。
門の前で、シロが待っていた。
「帰るわ」
シロは何も言わずに、馬を連れて来てくれた。前回はシロに捕まって連れ戻されたけど、今回は一緒に行動してるなんて変な気分だ。
七時間かけて、王都に戻る。
さすがにお尻が限界だ。今日はうつ伏せで寝よう。
邸に戻ると、疲れ果ててすぐに眠りに就いた。
部屋の外で叔父達が怒鳴っていたけど、鍵をかけたから入って来る事はなかった。うるさいとは思ったけど、疲れ果ててあまり気にはならなかった。
翌朝目を覚ましたら、昼過ぎだった。
ニーナが起こさないなんて珍しいと思ったけど、鍵をかけたから入れなかったようだ。
ノックの音が聞こえて、ゆっくりとベッドから降り、ドアを開ける。
「レーオーナーさーまー!!」
ニーナが鬼のような形相で、そこに立っていた。
ずっとノックをしていたようだ。
「ごめん……ニーナ。疲れてたから、全然気付かなかった」
何度死に戻っても、毎回ニーナの声で目覚める。それはきっと、ニーナが私にとって唯一信頼出来る相手だからだと思う。大切にしないと、バチが当たる。
「昨日は、どちらへ行かれていたのですか? あまりにもお帰りが遅いので、すごく心配したのですよ?」
頬をぷくっと膨らませて怒るニーナは、とても可愛らしい。なんて言ったら、また怒られそう。
「昨日は、クラウェル公爵にお会いしに行って来たの。どうしても、お願いしたい事があったから。心配かけて、本当にごめんね」
「クラウェル公爵って、あのクラウェル公爵ですか!? よくご無事でしたね!?」
クラウェル公爵が、魔物か何かだと思っているような口振りだ。少し気の毒に思えて来た。
「最初は怖かったけど、笑顔まで見たわ!」
笑われただけのような気もするけど、笑顔になったのは嘘じゃないし問題ないでしょ。
「冷酷な英雄が、笑ったのですか!? 初めてレオナ様を尊敬しました!」
「初めてって……地味に傷付く……」
「申し訳ありません! 言葉のあやです!」
久しぶりに、楽しい時間を過ごした気がした。ずっと気を張りつめていたから、ニーナの天然に癒される。
今度こそ、死んだりしない。
クラウェル公爵には、護って欲しいとお願いしたけど、護られるだけのつもりはない。私も戦うつもりだ。