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桜、恋、青空

作者: 村上ガラ

今日も私は先輩と二人だけで閉じられた世界にいることができる。




武 頼庵(藤谷 K介)様主催の『第3回初恋企画』参加作品です。

よろしくお願いします。_(_^_)_







ノベルデイズに投稿したものを加筆したものです。

「どうぞ」

大好きなコーヒーを楽しむことができない先輩のために、丁寧にドリップをしたものをベッド脇のサイドテーブルに置いた。

「今日もいい天気ですね」

傍らで先輩のお母さんが洗濯物をたたんでいた。

コーヒーの香りはきっと先輩にも届いている、そう思うことで私は自分に意味を見つけようとしていた。

バッグから小説を取り出し、

「読みますね」

先輩に声をかけ、昨日の続きから朗読を始めた。

先輩が眠り続けてもう一年と一か月が過ぎていた。

あの日、丘の上の美術館で、私たちの所属する美術サークルの毎年恒例の展示イベントがあり、通常は卒業を控えた学生は参加しなかったのだが、先輩は「就職も決まっているし、時間はあるから手伝わせて」と言って参加してくれていたのだ。

その日、その美術館の庭に、咲き初めの桜が一輪だけ枝の先ではかなげに咲いていた。部員の一人がそれを見つけ、その場にいた全員が笑顔になった。その光景を、私はなぜか、自分の姿もその中にあるモノクロの静止画で、幾度となく思いだすのだった。

イベントが終り三々五々に皆が散った後、片づけの担当となっていた私と先輩は最後に残って二人だけで梱包作業をした。その作業を終えて先輩の車に荷物を積み込み、私は助手席に座った。通常では助手席に座ることはなかった。当時、そこは先輩の恋人の理奈先輩の専用の場所という暗黙の決まりがあったから。だが、その日は後部座席が荷物でいっぱいだったので、私は先輩の隣に座ることになった。

山道の連続するカーブをドライブしていたその時だった。対向車線から中央線をはみ出した軽トラックが私たちの乗った車の正面にいた。

先輩がとっさにハンドルを左に切ってくれたおかげで助手席の私は奇跡的に軽傷で済んだ。だが、先輩はそれから意識を取り戻さず眠り続けていた。


先輩のお母さんは毎日のように病室を訪ねる私に、

「真帆ちゃんが責任を感じるようなことではないのよ」と言ってくれたが、私はそうせずにはいられなかった。

先輩の恋人だった理奈先輩はこの春から地元である隣県のテレビ局に勤めていた。

たとえ目を覚ましても後遺症が残る恐れがあるという医師の説明を聞いた時、理奈先輩は「じゃあ、私がしっかり稼げるようにならないと」と涙を拭いて言ったのだ。必ず毎週来るからと先輩のご家族、サークル仲間、教授たち、その他知り合い皆に言って先輩を置いて地元に帰っていった。

だが来訪は間延びがちになり、昨年の夏の終わりから途絶えていた。

先輩の、決まっていた就職は「また機会があった時に」という言葉とともに内定取り消しとなっていた。

先輩のお母さんは理奈先輩について、

「これでいいのよ。あちらで新しい出会いがあったのかもしれないし。目を覚まさないわたるにしばられることはないわ」と言って微笑み、肩を落とした。


先程まで一緒に病室にいた先輩のお母さんは、

「少しの間、航のことをお願いしていいかしら?」と言って買い物に出かけてしまった。

時々こうして先輩と二人きり病室に取り残されると時が止まったような不思議な感覚に陥った。

先輩が目を覚ましたらどう思うだろう、と考える。自分が眠っている間に大切な人の心は離れ、世の中は少しずつ変わってしまったことを。そしてもしも後遺症が残ってしまったら。悲しむ姿は見たくない。このまま目を覚まさない方がいいのではないだろうか――――。

違う。

私は先輩のためにそう思ったのではない。

私は先輩が好きだった。初めて会った時からだった。奥手の私の初恋だった。

でも先輩の隣には『ミスキャンパス』の誉れ高い理奈先輩がいた。二人はお似合いのカップルで、私なんかが手の届かない高みにいるように見えた。

今なら、その先輩が私のそばにいてくれる。ここまで下りてきてくれたのだ。目を覚まさなければ、このまま先輩は私のもの。私だけのものだ。

もし先輩が目を覚ましたら。そして後遺症もなく回復したら。ヒロイン気質の理奈先輩は航先輩のもとに駆け付け『眠り続ける恋人を待ち続けたけなげな彼女』としてふるまうだろう。先輩の価値を値踏みして去ったくせに。

許せない。

わたしだったら先輩に後遺症が残ろうが支えていける、たとえ目を覚まさないままだとしても生涯見捨てたりしない。だって愛しているから。

あの人に渡すくらいなら、いっそ。

先輩につながれた医療器具に目をやり、小説を置くと立ち上がりそれに近づいた。これをはずしてしまえば、先輩を誰にも渡さなくて済むのだ。


「須藤、無事か?」

少しかすれた、でも思いがけないほどしっかりとした聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。私は凍り付いたようになり、やがて首だけをベッドの方に向けた。

「ここ、どこだ?」

先輩が目を開けていた。私はがくがくと全身が震え出した。混乱し、自分が分からなかった。

ただ一つ、確かにその時私が感じたことは、その瞬間、いままでモノクロームだった私の世界が鮮やかな色彩を得たということだ。

私はナースコールに飛びついた。

どうしました、と聞こえてきた声に、

「若宮航、目を覚ましました、若宮航、目を覚ましました、若宮航、目を……」

私は震える声で叫び続けた。無上の歓喜だと理解するのに時間を要した。

私は何を考えていたのだろう。先輩は生きている、先輩は生きてここにいる。そして目覚めた時、真っ先に私の名を呼んでくれた。眠っていた間、私の無事を気にかけていてくれていたのだ。十分だ。私は今、十分すぎるほど報われた。

先輩はこれから自分の人生を生きることができる。時間を取り戻すことができる。きっと誰かを愛することができる。それが私ではなくても。それでいい、それでいいのだ。

病室にナースとドクターが飛び込んできた。

開け放った窓から、一陣の強い風が、桜の花びらを連れ部屋に吹き込んできた。屋外の、むせぶような緑の芽吹きの匂いが部屋に満ち満ちた

私は外の世界を見た。

窓の外には真っ青な空を背景に今日明日が満開という薄いピンクの、しかしくっきりと鮮やかな花を爛漫にまとった桜の木が佇み、花びらを一斉に舞い散らした。

青空に舞い上がる桜吹雪が、歪み滲んで、目に沁みた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 企画より拝読いたしました。 なんだか切ないですね…… 先輩が目覚めたあと、彼女はどうなるのかを考えると不安になってしまう>< [気になる点] 本文では理奈さん表記なのですが、感想ではみん…
[良い点] 私の気持ちが、痛いほど伝わってきました。 春という季節の描写が繊細で素敵でした。
[良い点] とても深いお話でした。 里奈さんが結構酷い女性のようなんですが、あくまで真帆さん視点なので、この後、どうなるかがものすごく気になります。 真帆さんも一途すぎるのが高じて、罪に手を染める一歩…
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