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破滅への始まり

* * * * *








 驚いた様子でわたしの名前を呼ぶ声がする。


 視界に映り込んだ髪は、まるで燃え尽きた後の薪のような、少しくすんだ灰白になっていた。




「な、何なの、これ……? かがみ、鏡はどこっ?」




 侍女が震える手で差し出した手鏡を受け取り、覗き込む。


 そこには老婆みたいな灰白の髪に、表現しにくい濁った暗く汚らしい色の瞳をしたわたしが映っていた。




「っ、いやぁああぁああっ!!?」




 ……こんな、こんなの、わたしじゃない!!


 手から滑り落ちた鏡が床に落ちて、砕け散る。


 どれほど叫んでも、映る姿は変わらなかった。







* * * * *








 わたし、ティナ・ウェルチは伯爵家に生まれた。


 でも生まれた時から病弱で、同じ日に生まれたはずの双子のお姉様は健康で、いつもそれが羨ましかった。


 小さな頃は庭先を散歩することすらなかなか許してもらえなくて、季節の変わり目は体調を崩して、あれもダメ、これもダメと制限されてばかりでつらくて、悲しくて。


 お父様もお母様も、お兄様も使用人のみんなも優しかったけれど、わたしはお姉様みたいに外を走り回ったり、お買い物に出かけたりしたかった。


 同じ双子なのにどうしてわたしとお姉様は違うのか。


 誰かが言っていた。




「アデル様がティナ様の健康を奪ったんじゃない?」




 お姉様は風邪にかかることも滅多にない。


 それなのにわたしは風邪一つが命取りになる。


 双子のお姉様がわたしの分まで健康になって、わたしはお姉様の代わりに病弱になってしまった。


 そう思うとお姉様が羨ましくて、憎らしいと思った。


 ……お姉様ばっかりずるい……。


 わたしは苦い薬を毎日飲んで、沢山我慢しているのに。


 それなのに、お父様達はお姉様にもわたしと同じように贈り物をする。


 しかもお姉様の持っているもののほうが、ずっとキラキラしていて、わたしのものより綺麗だった。


 だから、お姉様の持っているもののほうが欲しかった。




「おねえさま、ずるい。わたしも同じのがいい」




 でも、同じものを買ってもらっても、どうしてかそれは輝いて見えなかった。


 お姉様が持っているものだからこそ羨ましい。


 それから、わたしはお姉様のものを欲しがった。


 最初は困っていたお父様達だったけど、わたしが泣いて、体調を崩すようになるとお姉様に言った。




「お前のものをティナにあげなさい」


「あなたはお姉さんなんだから」


「ティナがあんなに泣いてかわいそうだ」




 お父様達はわたしの味方だった。


 お姉様は最初は嫌がっていた。


 お父様達がお姉様を責めると、お姉様が傷付いた顔で俯いて、でもお父様達はそれに気付いていないみたいで。


 最後には諦めた様子でわたしの欲しいものを差し出した。


 お姉様のものだったそれらは輝いていた。


 わたしに似合わないと分かっているものでも、お姉様が持っていたものが、わたしの手にあると思うと嬉しかった。


 ……お姉様はわたしの健康を奪ったんだから、わたしがお姉様のものをもらうのは当然よ。


 成長して、体調を崩す回数が減ってくると、お母様とお姉様と一緒にお茶会に参加出来るようになる。


 そこでも、誰もがわたしを褒めてくれた。


 自慢のピンクブロンドの髪も、淡い緑の瞳も、春の妖精みたいだと。病弱で痩せて小さな体は華奢で小柄で可愛いらしいと言われた。


 そしてお父様やお兄様とよく似た、燃えるような赤い髪に濃い緑のお姉様はバラみたいだと。


 わたしはバラが好きだった。


 髪に合わせてかピンクのバラをもらうことが多かったけれど、本当は、わたしは赤いバラのほうが好きだった。


 でも、わたしに赤は似合わないと言われた。


 柔らかくて可愛い色のほうがいいと言われた。


 お姉様は赤いバラが似合うのに。


 ……お姉様は、ずるい。


 わたしは自分の好きなものさえもらえないのに。


 悔しくて、悲しくて、腹立たしくて、羨ましくて。


 だから、わたしはみんなの前で泣いた。


 ……お姉様なんて嫌われちゃえばいいの。


 そうすれば誰もお姉様に赤いバラを贈ったりしない。


 お姉様に虐められていると泣いて訴えれば、みんな、簡単にわたしの言葉を信じてくれた。


 お姉様は否定したけれど、気の強そうな顔立ちと口調のせいか、誰もお姉様の言葉は信じなかった。


 そうしてわたしは社交に出るとみんなから可愛がられた。


 あまり頻繁に出かけることは出来ないけれど、お友達は沢山いて、手紙も沢山届くし、お父様達はわたしを愛してくれる。


 お姉様に優しくするのはお祖父様くらいだったけれど、そのお祖父様は八年も前に亡くなった。


 お祖父様はわたしにもそれなりに優しくしてくれたが、お姉様のほうをわたしより可愛がっていたので正直、好きではなかった。


 そんな風に過ごしているうちに、お姉様が婚約した。


 婚約者はフィアロン侯爵家のデニス様といって、貴い吸血鬼の血を引く、銀髪に紅い瞳をした、整った容姿の素敵な方だった。


 悲しいことに、わたし達が出会ったのはお姉様とデニス様が婚約した後で、わたし達は互いに一目で恋に落ちてしまった。


 わたしも、デニス様も、互いに惹かれていることにすぐに気付いた。


 ……どうしてお姉様はいつも、わたしの欲しいものを持っているの?


 フィアロン侯爵家とウェルチ伯爵家の婚約は政略だと聞いた時、お姉様ではなくて、わたしだったら良かったのにと心の底から思った。


 デニス様はとても優しくて、紳士的で、格好良くて。


 惹かれる気持ちを隠すことは出来なかった。




「デニス様はお姉様の婚約者だと、分かっています。それでも、わたしはデニス様が好きです……!」




 気持ちを伝えると、デニス様は喜んでくれた。




「俺もティナを愛している。一目会った時から、ずっと」


「嬉しい、デニス様……」




 デニス様はお姉様に会うという名目で我が家に来て、わたし達は何度もお姉様に隠れて逢瀬を重ねた。


 お父様達にはすぐにバレてしまったけれど、何も言われなかった。


 デニス様との密やかな関係は許されないと分かっていたものの、毎日が楽しくて、輝いていた。


 お姉様の婚約者はわたしが好き。


 お姉様は婚約者に愛されていない。


 お姉様のものは、わたしがもらう。


 手を繋いで、抱き締め合って、口付けして、そこからはもう、あっという間の出来事だった。


 貴族の令嬢が婚姻前に純潔を散らすのは問題だと知っていても、デニス様との愛を確かめたかった。


 わたしはデニス様に愛され、そして、わたしのお腹に新しい命が宿った。


 お父様達は最初、酷く驚いて慌てていたが、わたしとデニス様が真実の愛で結ばれ、デニス様のお子だと分かると、急いで動いてくれた。


 お姉様とデニス様の婚約は破棄されたのだ。


 代わりに、わたしとデニス様の婚約が結ばれた。


 フィアロン侯爵家からはあまり良い顔をされなかったみたいだけど、認めたということは、結局お姉様でもわたしでも構わなかったのだろう。


 婚約届を即座に出して、お腹が大きくなって目立つ前に結婚式を挙げてしまえば、周囲に知られることもない。


 多少、出産の時期がずれても早産で押し切ればいい。


 お父様達はそう言っていた。


 フィアロン侯爵家はお姉様よりも、デニス様のお子を宿して愛し合っているわたしを選んだ。


 新たに婚約が結ばれた、わたしの誕生日にデニス様が屋敷に会いに来てくれた。




「ティナ、俺と結婚してくれ」




 差し出されたのはピンクのバラだった。


 赤いバラではなかったのが残念だけれど、デニス様が選んだのはわたしで、わたしはお姉様の婚約者だったデニス様を手に入れた。




「はい、デニス様」




 ピンクのバラを受け取って笑顔を浮かべる。


 健康はお姉様に奪われた。


 でも、お父様達の愛も、友人も、婚約者も。


 お姉様の持つ輝きは全てわたしのもの。


 …………それなのに、お姉様は。


 デニス様との婚約を破棄したばかりなのに、数日後には、もうキラキラを手に入れていた。


 月光のような艶やかな長い銀髪に、ルビーよりも紅く煌めく瞳の、美しい吸血鬼の男性がお姉様の横にいる。


 お姉様のものはわたしがもらっていいものなのだ。


 デニス様を愛しているけれど、その男性を見た時、今までで一番胸が高鳴った。


 最も可愛く見えるように、駒鳥のように愛らしいと言われたカーテシーを行い、名乗る。


 ほとんどの人はこれでわたしに笑みを向けてくれる。


 だけど、吸血鬼の男性はニコリともしなかった。


 ……お姉様がわたしの悪口を吹き込んだのね。


 初めて向けられた冷たい目に、吐き捨てるような言葉に、侮蔑の込められた皮肉に、体が強張った。


 足元から何かが崩れていく気がした。


 お姉様と吸血鬼の男性がいなくなっても、その気持ちは消えなくて、わたしは生まれて初めて屈辱というものを味わった。


 侍女に「興奮するとお腹の子に良くございません」と言われてハッと我へ返り、深呼吸をする。


 興奮すれば、確かにお腹の子にも、わたし自身にも影響がある。


 頭の中で吸血鬼の男性の言葉が繰り返される。




「吸血鬼の血は昔から妙薬になると言われている。混血種ダンピールとは言え、吸血鬼の血が混じっているから、婚約者に血を分けてもらって飲めば、その虚弱体質は治るかもしれないね?」




 ……わたしが、健康になれる……?


 ずっとずっと、お姉様に奪われてしまっていたものが手に入るかもしれない。


 健康になり、デニス様と結婚して侯爵家に入り、デニス様のお子を産めば、その子が男児であったなら、わたしの幸せは確かなものとなる。


 今の、この病弱な体で出産を迎えるのは危険すぎる。


 お医者様にも、わたしの弱い体では出産に耐えられないかもしれないと言われている。


 しかし、デニス様とのお子を諦めることは出来ない。


 ……でも、どうしてかしら。


 会いに来てくれたデニス様を見ても、以前ほど、輝きを感じられなかった。


 大好きだし、婚約して、お腹にお子もいて、幸せなはずなのに、楽しかったはずの毎日がどこかつまらない。


 お姉様はデニス様よりももっと素敵な方と婚約した。


 あの日お姉様と一緒にいたのは純血種の吸血鬼、それも、この国に四つしかない公爵家の当主様の弟君だとお父様達が教えてくれた。


 公爵家の、それも貴い身分の吸血鬼と縁続きになれる。


 お父様達は喜んでいた。


 お姉様が弟君と結婚するために必要な結納金も、結婚費用も、それどころか婚約後はお姉様は伯爵家を出て公爵家で過ごす、それにかかる費用も全て公爵家が持つ。


 お姉様が羨ましくて仕方がない。


 公爵家はきっと、伯爵家よりもずっとキラキラしたものであふれていて、お姉様は伯爵家よりももっと良い暮らしが出来る。


 今まで、お姉様の輝くものはわたしがもらえたのに。


 あの吸血鬼の男性はわたしを拒絶した。


 あれは手に入らないとすぐに分かった。


 それが悔しかった。


 ……お姉様でいいなら、わたしでもいいはず。


 同じ伯爵家の娘で、わたしのほうが可愛くて、社交界でも有名で、誰からも愛されている。


 ……その、はずなのに……。




「デニス様、お願いがございます」




 苛立ちを隠し、デニス様へ言えば、甘い笑顔が返ってくる。




「どうした、ティナ。君のお願いなら何だって叶えるよ」




 出会った時に綺麗だと感じたデニス様の銀髪は、本物を見た後では輝きを失った銀みたい。


 惹き込まれると思った紅い瞳は等級の低い、くすんだ宝石のようで、どちらも本物を知ってしまうと紛い物にしか感じられない。


 誰よりも整っていると思っていた容姿も、人間に比べれば、というものだった。




「吸血鬼の血は薬となるそうです。どうか、デニス様の血をわたしにいただけませんか?」


「ティナ、それは誰から聞いたんだ?」


「ナイトレイ公爵様の弟君です。先日、その方がお姉様と婚約した時に、教えてくださったのです」




 デニス様は衝撃を受けた様子で「アデルが……?」と呟く。


 でも、すぐに我へ返ったのかデニス様が顔を上げる。




「血を分け与えることは出来ない」


「そんな、どうしてですかっ? デニス様の、吸血鬼の血を飲めば、わたしは健康な体になれるとその方はおっしゃっていました!」




 デニス様が拳を握りしめる。




「吸血鬼の掟に、血を人間へ与えてはならないという決まりがある。それを破れば罰が下される」


「では、わたしが死んでしまっても良いのですかっ? 愛していると言うのなら、デニス様、わたしを救ってくださいませ!」




 デニス様のことは大好きだし、お腹の子も大切だ。


 だからこそ、わたしは出産で死にたくない。


 生きて、幸せにならなければいけない。


 健康な体となって、本来わたしが受けるべきだった幸せを得るのが当然の権利なのだ。




「…………分かった」




 デニス様がわたしを見る。




「ただし、絶対に秘密にするんだ。掟に反したと知られないために、血を分けるのは伯爵家でこっそり行おう。……俺はティナを愛しているし、失いたくない」


「ありがとうございます、デニス様……!」




 そして、お姉様が伯爵家から出て行ってから一週間後。


 お父様達に説明して、密かに、デニス様から血をもらうことが決定した。


 お子が大きくなるとわたしの体に負担がかかるため、少しでも早いほうが良いと、すぐに行われた。


 お父様達が見守る中、デニス様が手首を切り、小さな皿の上に血を落とす。


 どれくらい飲めば健康になれるのかは分からないが、デニス様は混血種ダンピールなので、多めに血を用意してくれた。


 人の血を飲むのは抵抗があったものの、健康のための薬だと思ってデニス様の血を飲み干した。


 少し体が熱くなり、そして、人生で一番体が軽くなった。


 ……わたし、健康になれたの?


 目を開ければ、お父様達が呆然とした顔でわたしを見つめている。


 視界の端に、見慣れない色が映り込んだ。




「テ、ティナ、その髪……」




 デニス様が震える手でわたしを指差す。


 視界に入った、燃え尽きた灰みたいな色のそれを掴むとパサパサで、何故か髪を引っ張られる感触がした。


 お父様達がわたしを呼ぶ声がする。


 侍女から鏡を受け取って覗き込んだそこには、老婆みたいな色の抜けた髪に、よどんだ沼みたいな瞳をしたわたしがいた。


 自慢だったピンクブロンドも淡い緑の瞳もない。


 わたしは春の妖精では、なくなっていた。







* * * * *

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[一言] 『ジャイアンの春の妖精包み、カバートアグレッション添え』
[気になる点] 公爵夫人が、白百合の君でしたね。間違えて、すみませんでした。 [一言] テティが、やらかした! 「紅バラが好き、だからアデルお姉様も好き。」 もし、そう言っていたら、「春の妖精」でいら…
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